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幻の夜  作者: 鶉月翠
一章
7/22

 猫屋敷亭での食事を終えて俺達はセイラムの街中を歩いていた。何もせずただこうやって歩くのも悪い気はしない。街に来た時の殆どが用事などだったし。

「あ。あれもおいしそう」

 ……先程からずっと、ミリアの視線は店の食べ物の方に泳ぎっぱなしだったりする。

「なあ、ミリア。さっきからそうだけど、食べたい物があるんなら買うけど?」

「んー。けど、そんなに食べれないし」

「どれだけ食べたい物があるんだよ……」

 俺のツッコミも聞き流し、また違う方向へと視線を向けている。ミリアにとって、街は来る度に色々と新鮮さに満ちているみたいだ。

 そのまま雑談をしつつ街を歩く。暫くしてメイがふと後ろを見る。

「? リンさん、ミリアさんは?」

 メイの疑問にはっとなる。振り向くと後ろを歩いていたはずのミリアがいない。これは。

「迷子?」

「幼い子じゃないんですから。何処かの店にでも寄ったんでしょうか」

「あー。色々見てたしね。気になる物でもあったのかな?」

「そうかもしれません。来た道、戻ります?」

「うん。そうしよう」

 二人して来た道を戻り始める。と、声が掛けられた。

「や。二人とも逢引かい?」

 声の方に向くとナイが此方に向かって来ていた。そんなナイをメイは半眼で見遣る。続けて放たれた言葉。

「兄さん、何言ってるの? バカなの?」

 相変わらず容赦のない。けど、そこまで否定されるとそうじゃなくても、何となく淋しい気持ちに。

「何でいるの? バカ兄」

「天下の往来だよ? 僕が歩いてても不思議じゃない。それともやっぱり僕が居たらまずいのかい?」

「うん。世の為いなくなった方がいいと思う」

 ……な、何か今日は特に容赦無くないか? ナイもナイでからかう様に答えているし。これは止めるべきなのだろうか? 観戦していた方がいいのか?

「はぁ、今日は折角贈り物を用意したのに」

「……何それ。頭何処かにぶつ……ひゃ」

 メイの言葉が唐突に途切れ、小さく悲鳴を上げる。その声に反応して視線を動かすと……赤い人がいた。全身が赤い。腰まである長い髪は真紅。赤いコートを着込み、腰に佩いた剣は柄や鞘までもが赤。そして透き通る様な真紅の瞳。その姿を見て猫屋敷亭に入る前に見た赤い人だと気付く。

 しかし、いつの間に近寄って来ていたのだろうか、全く気付かなかった。それにしても……。

「ちょ……や……」

 ……なにをしているのだろうか。メイが悲鳴を上げたのは、赤い人が背後から抱きついたからである。そして……その……。

「……ん……あ」

「うーむ。相変わらず抱き心地がいいな君は。それにしても、会わない間に一段と可愛くなったのではないかい?」

「……は……はなし」

「いやいや。本当に成長したものだ。それにしてもここはあまり成長してないようだが」

 ふにふにふにふに。

「な……な……」

「ふむふむ」

 ふにふにふにふに。

 …………は、呆然としていた。あまりの展開に思考が追いつかなくなっていた。

 ふにふにふにふに。

「や……やめ……」

「しかし、触り心地は申し分ないな」

 ふにふにふにふに。

 ………………ナイじゃないが天下の往来でナニをしているのだろうか、この赤い人は。女性でなければ犯罪ものだ。……女性でもどうかと思うが。

 メイ、涙目になってる。ナイは傍観しいて、止める気が無いみたいだ。流石に止めなければ……遅過ぎだけど。と、思っていたら名前を呼ばれる。

「リン」

 声のした方に向くと、ミリアが小走りに此方へ向って来ている。そしてその瞬間すぐ傍で一陣の風が舞起こった。……声に反応したのは俺だけじゃなかったみたいだ。先程までメイに抱きついていた赤い人が、今度は目の前でミリアに抱きついている。

「うむ。これは……」

 突然抱きつかれたミリアは完全に固まっていた。俺も同じ様に固まってしまった。

「メイとはまた違うこの抱き心地。実に良い。それにしても君もなかなか可愛いな」

 ミリアはされるがままになっている。

 赤い人とミリアとの身長差は結構あり、小柄なミリアは抜け出すのも容易ではなさそうだ。赤い人は俺より背が大きいみたいで、ミリアはメイより更に小さい。どう表現したらいいのだろう。大型の狼に戯れられている小型犬? ……微妙な例えだ。

 それにしても俺はこういう突発的な事に弱いのだろうか。女性関係で。ミリアの前の時といい、今といい、メイの時といい。変に常識人ぶってしまうというか。いや、別に嬉しくない訳でもない。男なんだし、見たい気持ちもある。けど……やっぱり、常識的に考えて色々拙いんじゃないかとか。……あれ? いや拙いだろう。動揺してるのか俺。変な考えしてないで止めないと。

 しかし、俺が動くより先に、同じく傍観していたナイが割って入る。

「レヴ。そろそろ止めてあげたらどうだい? 初対面で流石にそれ以上は拙いんじゃないかな?」

「ふむ。そうかな? ところでこの娘の名はなんと?」

「ミリアだよ」

「良い名だ。十分堪能した事だし、もう少し親密になってからの楽しみとするさ」

 ……開いた口が塞がらないとはこういう事か。初対面でそれ以上も何も、以下でも駄目だろうナイ。止められた方も負けてない、色んな意味で。

 解放されたミリアは小走りに俺の背後へと回り込み、赤い人から身を隠す。

 それを視線だけで追いかけていて、ふと、メイの方を見ると、ナイと赤い人を凄い目で睨んでいた。俺の視線に気付いたのか、メイの顔が此方に向き…‥睨まれた。妙に冷たい汗が背中を流れる。けど、メイはすぐにそっぽを向く。思わず胸を撫で下ろす。

「リン」

 呼ばれたので、気を取り直してナイの方に向き直る。

「一応紹介しとくよ。と言っても僕はしないけど」

 そう言って隣の赤い人を視線で示す。赤い人は此方を見て口を開く。

「ふむ。君は?」

 まるで今気付いたと言わんばかりの態度だ。

「……リンです」

 ツッコミを入れたら負けな様な気がするので、とりあえず答えておく。それに対して赤い人は。

「ふむ。男なのか」

 …………。おとこですよ、おれは。一体何を期待しているのだろう。俺の反応を気にする事もなく名乗る赤い人。

「ウィレーヴ・テイン・グランハイムだ」

 今更だけどフルネームの自己紹介を聞いたのはこれが初めてなんじゃないだろうか。自分を含め周りも名前しか名乗っていない気がする。まあ、聞かなくても困る訳でもないし、別に構わないのだが。

「私の事はレヴと呼んでくれて構わないよ」

 赤い人――レヴさんはそう言って手を差し出してきた。……? 何だろう、手相占い?

 疑問に思っていた俺にレヴさんは言う。

「おや? 君には挨拶の時に握手をする習慣はないのかい?」

 おお。そういう事かと納得。けど、この世界……いや国では普通なのか? 自己紹介の時に誰ともしていないんだが。

 なにはともあれ、差し出されていた手を握る。

「よろしくだ、少年」

「……こちらこそ」

 赤い人との衝撃的な出会いだった。


 この後俺達はナイとレヴと別れ(と云うより強制的にミリアとメイに連れられて離れた)、ある店に入っていた。ミリアが先に歩いて行った俺とメイを呼びに来たのはこの店に一緒に入ろうと思ったからみたいだ。

 店は俺の感覚からして東方風の趣をしている……いや、まんま俺の国と変わらないんだが。実際、品書きも俺の殆ど知っているものばかりだ。店員も和装だし。

 メイに聞いた話だとこの大陸より海を隔てて東に行った処にある島国の文化だとか。それに俺の外見はその国有数の特徴に当てはまるみたいだ。俺的に馴染み易そうな国だと思う。機会があれば行ってみたい気もする。

 和の趣を持った店<さきはひ>。ミリアはどうやら此処の甘味に興味をそそられた様だ。……正直言うと今日は勘弁して欲しい。甘いものは嫌いではないけど、朝の激甘料理がまだ尾を引いていたりする。そんな俺の思いとは裏腹に嬉々として品書きを眺めるミリア。それだけでこの店の名と同じように幸せそうだ。まあ、いいか。甘くないのを注文しよう。

 各自注文するものが決まったので店員を呼ぶ。店員が注文をとり、復唱を終えた時に調度近づいて来て注文をする人物。

「すいません。あたしはきんつばと抹茶をお願いします」

 そう言いながら空いていた席――メイの隣の椅子に腰掛ける。

「あ、はい。きんつばと抹茶ですね」

 店員はその注文を聞き、店の奥へと戻っていく。メイはちょっと驚いた顔してから、隣の人物に話しかける。

「ネーナさん。どうしたんですか?」

「実はレヴとのやり取り見かけてね。この店に入るのが分かったから追いかけてきた」

「……えと」

「大丈夫? 毎度の事とはいえ、往来では辱め以外の何物でもないし」

「……大丈夫です。わざわざありがとうございます」

「そっか。お節介だったかな」

「いえ。そんな事ないです」

 後から席に着いた人物――ネーナさんはメイの言葉に「うん」と答えてから顔を此方に向ける。正確にはミリアの方を見て喋る。

「それと、きみは大丈夫?」

「ん、ボク?」

「そうだよ。レヴのあれ、何ともない?」

「ん。ボクも大丈夫。ちょっと驚いただけだから」

「そう? ならいいけど。ごめんね。レヴも悪気が有る訳じゃないから。むしろその逆で気に入った娘にはああだから、困りもの何だけど」

 ネーナさんは苦笑しながら、レヴさんの事を謝罪する。メイとは知り合いらしく、レヴさんの兇行が発覚した後は毎度フォローに回っているみたいだ。今回もあの現場を見て……と言っても彼女が見たのはレヴさんがミリアに抱きつき、ナイに止められている場面からで。やり取りから新しい娘を毒牙にかけた事が分かり、視線を巡らすと近くには体を抱くようにしたメイが涙目になっている事から今回もメイは毒牙にかかったのかと判断したらしい。それで、レヴさんの事をわざわざ二人に謝罪しに来たみたいだ。

 とりあず俺とミリアはネーナさんに自己紹介をする。ネーナさんも俺達に自己紹介をしてくれる。


 彼女は人族ではなく獣族だ。全ての獣族がそうなのだが、見た目は人間と殆ど変わらない。だが、獣族には決定的な違いがある。それはやはり耳と尻尾だろう。側頭部付近にある耳と尾てい骨付近にある尻尾が彼らを特徴付けている。それと目も人間とは違い、獣族は各種で基になる動物と同じ目をしている。

 ネーナさん――ネーナ・カーツ・クイベル。獣族であり、猫の獣人。身長は俺と同じ位だろうか。髪は後ろを肩当たり、もみあげ部分をお腹当たりまで伸ばしている。髪の色は全体的に茶色なのだが、もみあげ部分の房の色が違う。右側が白、左側が黒なのである。瞳の色は濃い茶色。尻尾は髪と同じ色だ。愛嬌のある美人と云う感じか。


 自己紹介等、話をしていたら注文の品が運ばれて来た。それぞれの前に注文した品を置いて「ごゆっくりどうぞ」と言い残して行く店員。

 それぞれ自分の注文した品に手を伸ばす。俺は飲み物以外注文していない。その飲み物は抹茶で、全員が注文している。お茶請けは、ミリアはどら焼き、メイはくずざくら、ネーナさんはきんつばだ。メイとネーナさんは専用の串で、一口大に切って口に運ぶ。ミリアは両手で持ってはむっと食べる。……人が食べてるのを見ると食べたくなるのは何でだろうか。けど、口の中がまだ甘い気がして注文する気にはなれない。俺は抹茶を一口飲みふと浮かんだ疑問を口に出す。

「そういえば、ネーナさんって、何処かで会った事あります?」

「……え?」

 何故かその疑問に反応するメイ。え? 別に変な事訊いてる訳じゃないよな。ネーナさんも俺を何故かまじまじと見る。そして一言。

「口説いてるの?」

 ………………はい? ……? っは! 確かにこれは定番の口説き文句、何処かで会った事ない、だ。じゃなくて。

「い、いや、違います。そういう事じゃなくて、ネーナさんを何処かで見た事がある気がして」

 これにも反応するメイ。

「……リンさん。それ、気のせいじゃないですよ」

「……え?」

 疑問符を浮かべる俺にネーナさんが言う。

「リン。あたしは何の獣人でしょう?」

 それは見た目通り、猫だよな。

「……猫」

「はい。正解。じゃあ次、あたしの着ている服は何処の制服でしょう?」

 制服? ……あれ? そういえばその服見た事が。……獣人。……ねこ。……あ。

「ひょっとして、猫屋敷亭の店員?」

「ひょっとしなくてもそうです」

 俺の答えに、ネーナさんはにっこりと微笑みながら答えた。そのまま続けて、「まさか、気付いてなかったのか」と言い、一転ガックリと肩を落とすポーズを取る。

「リンさん。ネーナさんに注文とってもらった事ないんですか?」

 メイにそう訊かれるが憶えているはずがない。憶えていたらすぐに気付いていたはずだ。

 言い淀んでいた俺にネーナさんが追い打ちを掛ける。

「あるよ。何度か」

 はい。すいません。単純に俺が憶えていなかっただけです。それにしても。

「ネーナさんは俺の事憶えてたんですか?」

「まあね。あたしは職業がら人の顔を良く憶えているし、メイと一緒に席に着いてるのを見た事もあるしね。今日もお昼一緒だったでしょう?」

 返す言葉もありません。思わずミリアの方を見る。はむはむと、どら焼きを頬張っていた。俺の視線に気付いたミリアはそのまま此方を見て小首を傾げる。そんな俺達を見てネーナさんは少し笑う。

「その子、ミリアと二人で来る事もあったよね。ミリアはあたしの事分かった?」

 今度はミリアに対して質問をするネーナさん。それに答えるミリア。

「ん。分かったよ、ネーナの事。猫屋敷亭の人だって」

 さいですか。どうせ俺は人の事を憶えるの苦手ですよ。と一人卑屈に考えていたら、今度は珍しくミリアが質問する。

「ネーナとレヴは友達なの?」

 気を取り直して、その質問の事を考える。話の流れから大方の予想はつく。たぶん友達と言っても気の置けない仲なんじゃないだろうか。

「そうだよ。腐れ縁っていうか、悪友っていうか。付き合いは長いかな。あたしがこの街に来てからだから」

 どこか懐かしむように喋るネーナさん。腐れ縁とか悪友とか言っているが、その口調からはレヴさんとの仲がどういうものか察する事が出来る。ミリアも感じたのだろう、「親友?」と訊いているし。

「そうとも言う」

 ネーナさんは少し照れながら、はにかむ様に肯定する。そのまま話題を逸らすかのように言葉を続ける。

「レヴの事は懲らしめといたから」

「でも、反省はしてないと思います」

 すかさず入るメイのツッコミ。それに二人して顔を見合わせて笑う。そこで、ネーナさんは何かを思い出した表情をする。そして話し始める。

「レヴの事と言えばうちの店に伝説が残ってるんだよね」

「……伝説って」

「んー?」

「あ、それ前に聞いた事あります」

 三者三様の反応を見ながら話しを続けるネーナさん。

「前に二人でね、猫屋敷亭へ食事に行った時なんだけど。今日みたいな出来事があったんだよね。気に入った店員の娘にレヴが手を出して。それでそれに気付いたマスターが怒ってね。うちの店でそんな事してんじゃねぇ、て。マスターはかなりの武勇伝を持っててね、店の内外で有名だったんだ。で、マスター対レヴの戦いが始まちゃって」

「へー、それでレヴさんが負けて」

「違う違う。それじゃ伝説なんて大袈裟に話が残らないでしょ」

 相槌を否定されて、思わず「……へ?」と、間抜けな声が漏れる。

「マスター、返り討ちにあっちゃたのよ、レヴに。それで店は騒然。マスターがやられた。マジで。何者だあれ。って、もう大騒ぎ」

「あ、あはは」

 乾いた笑い声しか出なかった。店の外でも武勇伝持ってて有名なマスターを倒すなんて。本当に何者なんだ、レヴさん。

「それ以上いたら更に収拾がつかなくなりそうだったから、あたしはレヴを連れて店出て説教。やり過ぎじゃないかって。レヴも珍しく反省しててね 店で流石にアレはやり過ぎた、今度から店ではしないって」

「……え? それ反省してないんじゃ」

 俺のツッコミは流される。

「マスターにも次の日謝罪に行ってね。二人が争って壊れた店の備品の修理費全部レヴが支払ったの。マスターはそんなの受け取れねぇ 壊したのはこっちの落ち度でもある、て」

 ネーナさんは一息ついてから後を続ける。

「はぁ、けど二人ともその後から何故か意気投合してね。ほら、拳で語るってやつ? それでレヴも猫屋敷亭には結構食べに来るんだよね」

「おお。拳で語る」

 って、ミリアそこに反応するのかよ。目をキラキラさせてるし。その後俺達は雑談に興じて過ごした後、店を出た。ネーナさんは夕方からシフトが入っているらしく猫屋敷亭にそのまま向かった。メイともここで別れる事になった。残った俺とミリアは今日の夕食はナイの家で食べようと、いくつか惣菜を買って帰る事になった。


 帰り道。

「んー。ボク達も拳で語る?」

 なんでだよ。意味が分からない。そんなに気に入ったのか?

「語らない。ミリアもそんな事はしないの」

「んー? じゃあ夜にベッドで語る?」

 ぶっ!! ごほごほっ。むせた。盛大に。俺の反応に小首を傾げるミリア。意味が分かってない? いや、待て。

「よ、夜にベッドで語るって?」

「ん? そのままの意味だよ? ベッドじゃなくて外にする?」

 早とちりだったらしい。そういう想像をしてしまった俺も悪いけど。どうやら二人で話しをしようと云う事らしい。けど、何の話をするつもりなんだろう。



 俺とミリアは夜闇の中に揃って身を置いていた。ナイの家より少し離れた場所にある広場。広場と云うには狭く、殆ど人の手が入っていない。草花が気ままに生えているが、どれも背丈は高くない。精々足の踝当たりまでだ。そんな場所に並んで腰を下ろしている。時間は深夜。日も変わろうかと云う時間帯。

 何処かで見た事のあるシチュエーションだな。そういえば、ミリアと初めて会ったのも夜か。いや初めてじゃなかったみたいだけど。印象深かったのは確かだよな。とか、ぼーと取り留めなく思いながら時折吹く風に身を任せている。ミリアも街からの帰り道、話をしようと言っていた割にはここに着いてから口を開こうとしなかった。

 特に気が詰まるとか居心地が悪いとか、そんな事もなくただ静かな穏やかな時間が流れている。目の前に置かれた光源でもあるランプに照らされたミリアの横顔は特に気負っている訳でもなく、深刻な感じもしない。今、この時の流れに身を任せて、どこか楽しんているようにも思える。時折浮かぶ微笑は何を思っているのか。

 ひょっとしたら、長いこと見つめていたのかもしれない。ミリアと視線が合った。何? と云う風に小首を傾げるミリア。

「あ、いや、その」

 つい吃ってしまう。何を話そうか迷いながら言葉を探す。とりあえず、無難に今日の事、ミリアの食べていたどら焼きの事に触れる。

「どら焼き、美味しかった?」

「うん。おいしかったよ。ボク今までああいった甘くておいしいもの食べた事なかったから」

 ある意味初めて語られるミリアの事。食べた事がない。以前聞いた、いなくなりたかったと言う言葉と合わせれば、元居た世界での彼女の境遇は一体どんなものだったかと、邪推してしまう。けど出る言葉は。

「また、食べに行こう。俺もまだ街の事殆ど知らないし。食べ歩きなんてのも面白そうだ」

 今はこの雰囲気を壊したくなかった。いや、踏み込む事が怖かったのかもしれない。

「どうだね。けど、ボクあんまり食べられないよ? 残ったらリンが食べてくれるの?」

「いや、それは……。俺も限度があるんだけど」

「えー。リンが言ったのに。食べ歩き」

「いやいや。一度に食べれなくなるほど食べようとしなくてもいいんだし」

 交わされる会話がただ心地いい。何故? と、問われても答えられない。少なくとも今の俺は持ち合わせていなかった。

 この世界に来てから危機に陥ったのは二回。二日目なんて死にかけた。文字通りの意味で本当にやばかった。あそこでミリアの声が聞こえてなかったら、助けてもらってなかったら、此処にこうして居られなかっただろう。命の恩人としては感謝しても仕切れない。それを抜きにしてもミリアには楽しんでもらいたい。笑っている顔を見ていたい。会話を続けながらも変な方向へ思考がそれている気がする。

「リンはもう少し女心を理解するべきだよ」

 気が付けばよく分からない話題になっていた。

「女心って。例えば?」

「……ん??」

「自分で分かってないのに言ってんの?」

「ボクだって女の子なんだぞ」

「はいはい。確かにおんなのこですね」

「あ、知ってるそれ。棒読みって云うやつだ」

「棒読みって何で、棒読みって云うと思う?」

「ん? ……分かんない」

「うん。俺も知らない。ただ感情を込めずに台詞を言うとか、そう聞こえる事を指すのは知ってるけど語源は知らない」

「難しい事言ってる」

「え」

 そんな会話も話してる内に自然と途切れる。訪れる静寂。けど、長くは続かなかった。ミリアが不意に立ち上がる。それを目で追いミリアを見上げた。

「リンにお願いがあるんだ」

 発せられた言葉。お願い? 一体どんな事なんだろうと疑問に思いつつ訊く。

「お願いって?」

「ボクと友達になって欲しい」

 振り向くと同時に言われた言葉。自然とランプに背を向け立つ形になるミリア。逆光でもあり、光に慣れた目では暗闇に沈んだ彼女の表情は見えない。どんな思いでそれを口に出したのか、計る事は出来ない。いや、そんな打算的な考えなんて必要ない。ただ想い浮かんだ言葉を伝えればいいだけだ。

「……俺はとっくにそうだと思ってたんだけどな」

「……」

 沈黙は何を意味するのか。彼女に今の言葉は届いただろうか。少し不安に想う。何も知らないし何も分かっていない。そんな状態で発する言葉に意味を持たせれるかは分からないけど、想いは届いて欲しい。

 そう思いながら見つめる先。暗闇に慣れた目に映ったミリアの表情は……。


 柔らかな微笑を湛えていた。

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