一 外幕
「バカ兄」
兄より魔物に襲われた時の話を聞いた後の第一声だった。
いつものように採取に出かけた兄。兄が採取に出掛けた日は私も手伝いをしている。採取してきた薬草を分類し保存する為と調合を行わずそのまま卸せる薬草があるので、それを街へと持って行く為である。採取から帰って来そうな時間に家へと行くがまだ帰っていなかった。時間が掛かってるのかな? と思い待っていたが一向に帰って来ない。薬草をまだ採っているか寄り道でもしているのかもしれない。
溜め息を吐き、もう少し待っていようと思った時、何故か嫌な予感がした。本当に何故かは分からない。妙な焦燥感に苛まれながら、不安に思い念話を試みたが……届かない。有り得ない事だった。採取場所は街の近辺なのに届かないはずがない。もう一度試すが結果は同じだった。
兄の採取場所は聞いている。胸に嫌な感じが広がるのを覚えながら、警団に連絡を入れる。警団の対応は早く、すぐに向ってくれる事になった。
不安な中、兄の帰りを待つ。それからどれくらいの時間が過ぎたかも分からない。警団から無事保護したとの連絡が有り漸く安心出来た。
安心は出来たけど、保護と云う言葉に引っかかりを覚えて質問をすると、魔物に襲われていたらしい事が分かった。
兄が警団員に連れられ帰って来た。
心配はしていたものの対応はいつもの通りになってしまう。
「……おかえり」
その言葉に微笑を浮かべる警団員と、どこかばつの悪そうな顔をする兄。警団員は簡単な報告だけすると、すぐに戻っていった。
……沈黙が降りる。
言葉が出て来ない。訊きたいことはあった。けど、口を開こうとして噤んでしまう。この兄はいつもそうだ。自分からこういった話をしようとしない。何があったかの説明位してくれればいいのに。例え話したとしても曖昧に濁して肝心な事は話そうとしない。兄姉の中でも一番接しやすい事もあり、ついキツイ言葉になってしまう。此方から切り出さない限り話そうとしないだろう。今回もまともに話してくれるのかは分からない。けど、黙っていても始まらない。無事だったのだ。ならいつもの様に接しよう。
「……どういう事? 今のこの状況を説明して」
魔物に襲われた事、そして先程警団員が背負って一緒に連れて来た人の事を。
兄の説明では予定より早く採取が終わったので、すぐ近くの別の場所へと採取に行ったらしい。そこでの採取が終わって戻ろうとした時に、魔物に遠巻きながら囲まれていた事に気づいた。兄には珍しい失態に思える。魔物の包囲に気付かなかったなんて。逃げようとしたが、囲まれていた為逃げ切れず、《力》で防壁を張り凌いでいたけど、どうしようも無くなったらしい。そこで召喚を行った。召喚の発動に、魔物は一端退いてまた遠巻きに囲んで様子を覗う。けど、召喚された人物に何の《力》も無いと判る。そしてそのまま共に再び襲われそうになった処に警団員達が駆け付けてきたと云う事らしい。
珍しく話してくれた気がする。
「バカ兄。どうしてすぐに念話で助けを呼ばなかったの」
「……したよ。けど駄目だった」
自分も念話を試みて失敗した事を思い出し息を呑む。
「その表情、メイも試したんだね。何か他の《力》でも働いてたかな」
まるで他人事だ。自分が危険な目に遭ったはずなのに、念話が出来なかった異常をその一言で終わらせる。
「……他にも逃げ出す方法があったんじゃないの。どうして《召喚》なんかをっ」
「仕方ないよ。あの状況で僕が出来る事は殆どなかったんだから」
なに……それ。そんなはずないでしょうっ。
「だからって……いま…じょ…いで」
言葉尻が掠れる。…‥やっぱりそうだ。
「分かってるよ、無茶だった事は。失敗前提の《召喚》だった訳だし。成功したのは想定外だったけど」
本当に分かっているのだろうか。……ある程度話してはくれている。
「……あの人の事どうするの」
兄に《召喚》されてしまった人。けど、《送還》は出来ない。
「……ここで面倒を見るよ。召喚してしまった以上、召喚者として責任は負わないと」
この後私は何と言葉を続けてその場を去ったか憶えていない。ただ、兄が今回も肝心な事を話してくれていない事は分かった……。
三日後。兄の家へ霊薬を取りに行ったら、召喚された人物が目を覚ましていた。
兄が私とその人に互いの簡単な自己紹介をしてくれる。正直どう接していいか分からなかった。兄の召喚のせいで、命の危険に晒され、帰るべき場所に帰れない現状を思うと言葉が上手く出てこない。
向こうの――リンさんの表情からは何も察する事が出来ない。今の状態をどう思っているのだろう。お互いに一言、二言交わす程度になってしまった。
それから一週間、私はリンさんと上手く会話が出来なかった。ううん、会話以前の問題で声を掛けることすら出来なかった。リンさんの方を向いても躊躇い言葉が出ず、結局何も言わないまま立ち去ってしまう。……何だか私らしくない気がする。リンさんと兄は普通に会話をしているし、複雑な気分だ。私が考え過ぎなのかな。
霊薬を卸し終わり、猫屋敷亭で注文をして待っていたら、誰かが近くに来て声を掛けてきた。
「メイ……ちゃん。相席しても……?」
リンさんだった。視線をリンさんの方に向けて少しの間、固まってしまった。けど、すぐに気を取り直し返事をする。
「……はぁ、良いですよ」
思わず溜め息が出てしまった。何だか今まで声を掛ける事が出来なかったのが馬鹿らしく思えたからだ。私が一方的に考え込み躊躇っていただけだ。本当に私らしくなかった。ちゃんと話をしよう。……けど、ちゃん付けは何だか面映ゆい。
「リンさん、呼び捨てで良いです」
「あ、ああ」
少し返事が吃ってた気がするけど、どうしたのかな。その後、私の注文したものが持ってこられて、リンさんが注文をする。
食事中、結局会話はなかったけど、私の中では少し気が楽になる出来事だった。
食事が終わり店の外に出るとリンさんが、「送って行くよ」と声を掛けてきたので思わず凝視してしまった。この人は……。嘆息しながら、答える。
「お願いします」
私が家の方へと歩き始めるとリンさんもやや遅れて隣を歩き出す。折角の機会だ。この際訊いてしまおうと思い隣を見て声を掛ける。
「ねぇ、リンさん」
呼びかけに、リンさんもこっちを見る。
「リンさんは、何とも思ってないんですか?」
「……え?」
問い掛けに困惑気味のリンさん。それを見て……それだけでは何を訊いているのか分からないじゃないか、私のバカ。と、思いつつもそのまま言葉を続ける。
「バカ兄に無理矢理召喚され、命の危険にも晒され、帰る事も出来なくて」
続けた言葉に問い掛けが何を指すのかが分かったのだろう、ああ、と納得した顔するリンさん。更に言葉を続ける。
「バカ兄に、もっと怒るなり、文句なり言ってもいい立場だと思いますよ?」
少しばかり怒気を含んだ言葉。
「……そういえば、そうだよな」
私に向けて発せられた訳ではない。リンさんの独白に思わず眉をよせる。改めてこちらを見て疑問に答えるリンさん。
「けどさ、特に何とも思ってないんだよな」
返ってきた答え。その時のリンさんの表情に、言葉に思わず息を呑む。
どうして。どうしてそんな表情をして言うのだろう。下手をしたら命を失っていたかもしれないのに。元居た場所に帰れないのに。
その答えに、険しい顔になっていたかもしれない。それでも問わずにはいられない。
「……どうしてですか? 命を落としてたかもしれないんですよ? 帰る事も出来ないんですよ?」
「いや、さ。確かに最初、憤りも覚えたけどさ」
少し考える素振りをするリンさん。
「なんていうか、ああそうなんだ。って、納得したというか」
その曖昧な答えに苛立ちを覚える。自分の命をどう思っているのか。それに、召喚されて来たという事は向こうの世界では行方不明扱いのはずだ。家族が心配しているのではないだろうか。
「家族はいないんですか?」
「いるよ。両親に兄弟が」
「心配しているのでは?」
「そうかもね」
「それでも、帰りたいとは思わないんですか?」
「……」
質問する度、返される答えに言葉の中に怒気が含まれていくのが分かったけど、隠そうとは思わなかった。単純に私には納得出来ない答えだったから。
最後の質問に沈黙しているリンさんに、「もういいです。これ以上は訊きません」と言って、話を締め括った。
この後、また会話がなくなって歩を進めるのみだった。
「ここでいいです」
家の近くまで来た所で立ち止まり、リンさんにそう伝える。
「家までじゃなくて構わない?」
リンさんも足を止めてから、そう聞き返してきた。
「はい。もう、すぐそこなので。ありがとうございます」
礼を言ってその場から離れて行く私に、後ろから声が掛かる。
「おやすみ。またな」
足が止まる。……本当にこの人は。
振り向き、「……おやすみなさない」と、返事を返して再び歩きだした。
次の日霊薬を取りに行った時、顔を合わせるなり一言。
「私、納得はしてませんから」
また困惑顔のリンさん。正直、リンさん自身の考えは分からない。その中の一つでもある命云々の事は今は置いておこうと思う。だから。
「昨夜の事。例え、リンさんがもう諦めているとしても、そんなの早過ぎます。帰れる方法が在るはずです」
あの時の表情は帰ることを諦めてしまったが為のものかもしれない。けど、納得は出来ない。バカ兄はあてにならないし。
私は私で見つけよう。この人が帰れる方法を。