一
異世界へ召喚されて危機的状況に陥った俺。プラス一人。
俺たちを危機的状況から救ってくれたのは街の警団らしい。その危機的状況の元凶である召喚者(ここ皮肉気味)の帰りが遅い事に気付いた、良心的な(ここ強調)召喚者の知人が警団に連絡を入れてくれ、やむなきを得たというわけだ。
魔物の脅威がなくなった後、気を失った俺を連れて街に戻り、軽い説教を召喚者が警団より賜り(いい気味だ)家へと帰る事になったらしい。
俺はと云うと傷らしい傷もなく、ただ気を失ってるだけだったのでそのまま召喚者の家へと連れて来られる事となった。その後、俺は三日間も寝たままだったらしい。
で、漸く目覚め腹ごしらえも終わって今という訳で。
「で、俺は礼を言うべきなのか、非難するべきなのか」
机を挟んで目の前の椅子に腰掛けている召喚者に声を掛ける。
「うわ、一段落ついた後の第一声がそれかい?」
と、作業の為、机に落としていた視線をこちらに向けて答えてくる。
この際だ、まず言いたい事を先に言っておこう。
「勝手に召喚しといて、命の危機に陥れた相手なのに?」
まさしくそれだ。本当に死ぬかと思った。異世界が本当に在って召喚された事に驚く暇もなく、命の危機。勝手に召喚される者の気持ちって、召喚者への憎悪しかないんじゃ無かろうか? 俺は別にそうでもないみたいだけど。
「だから、僕が君の面倒を見ることになったんじゃないか」
不本意だ。と言わんばかりに言っているが、いや、それは当然の事では?
この事で少しばかり言い合いをしたけども、そこは見苦かったので思い出したくない。
俺がここで暮らしていく、いかなければならない以上いつまでもお互いの名前が分からないままじゃ不便だよな。
今更感が無い訳じゃないけど、とりあえず今までの事は置いといて自己紹介をしよう。
「……今更だけど、俺はリンって言うだけど」
「リン? 女性っぽい名だね」
「ヒトが気にしてることを……」
「僕はナイ……、ナイでいいよ」
いや、いいよと言われても略称にすらなってないじゃないか。お互い自己紹介が終わって、これからの事を話合う。
俺、この世界で生きていけるかな?
この世界の文化レベルは中世が近いみたいだ。ただ、ファンタジーに付き物の魔法が、多分に漏れず存在し生活の根幹を支えている。
魔法と言ったが、俺の思い浮かべるものとは厳密には違うらしい。俺から言わせれば魔法でいいのだが、ナイ曰く名称の一つであって本質ではないとの事。何のこっちゃ。
生活をすること事態は悪くもなく、快適と言えなくもない。電灯、電話、冷蔵庫みたいのもあるし、乗り物だってある。目に付く範囲でこれだから、まだ似たような機能を持った物があると思う。
銃もあるが主流は剣や弓矢などで、これまたファンタジー物の例に漏れない。
他にもこの世界の事を教えてもらったが、現状そこまでの知識は必要ない。生活に支障ない程度の知識が今はあればいい。
俺が住むことになったナイの家は街から少々離れている。離れているといっても徒歩十分と言ったところ。
街の名はセイラム。そこそこ大きな街で海に面しているせいか、なかなか活気のある街だ。商店街とも言える場所には海の幸、山の幸が豊富に取り揃えられている。もちろん、畑などで収穫された作物、狩りで捕られた動物の肉もある。食物だけでなく、衣類などの工業品も数多く揃えられている。
なんて言うか、資金さえあれば生活困らないよな。資金さえあればだけど。
俺たちを助けてくれた警団の建物は街の中心近くにあり、警団員は街全域の巡回、警護を行っている。また、護衛なども引き受けてるらしく、危険が伴うような場所に行く際には、警団員をお供に連れていくのが普通らしい。ナイが説教を受けた理由の一つでもある。
警団は街独自のものではなくて、国の支援を受けている公的機関みたいだ。
警団の他にギルドもあるが、とりあえずゲーム世界のものと同じと思えばいいみたいだ。
異世界と言っても最初の出来事を除けば、元居た世界との生活に極端な変化があるわけでもなく、今のところ暮らしていく分には問題なく日々の生活を送れている訳で。
「ナイ。これ、どうするんだ?」
「ああ。それはこっちのと混ぜ合わせるよ」
俺が召喚され、ナイの家で目を覚ましてから一週間。俺はナイの仕事を手伝っていた。
仕事――薬の調合なのだが、一般的な薬師ではなく霊力(ナイ曰く名称の一つで以下略)を帯びた薬の調合を行う霊薬師と呼ばれる特殊な職業らしい。
資格も要るみたいで霊薬師自体の数はそれ程多くないらしい。そのお陰か、霊薬の取引額は結構良いらしく俺一人増えても問題なく生活が送れている。
どうやらナイは回復や補助と言った魔法(ナイ曰く名称の以下略)が得意で攻撃的なのは不得意みたいだ。
魔物に襲われた時、最初の内は防壁を張って凌いでいたが、何分魔物の数が数だったので逃げ切ることも出来ず、力が尽きかけどうしようもなくなって、した事もない召喚をしたという訳だ。された方は堪ったものではないが。
言われた通りに、俺の受け持ち分をナイの所に持って行く。
「……よしと。これで今日の分は終わりかな」
俺が持って行った物とナイが調合してた物を合わせ終えてナイがポツリと呟く。
それと同時にタイミングを計ったかのように部屋の扉が開いて、少女が入ってくる。
少女――年は14(因みに俺は17、ナイも17)。背は低め(俺は170cm位で、ナイは160cm位。ナイより少し低いので155位かな?)。髪をポニーテールにしていて、括った先がうなじに届く程度の長さ。
入って来てナイの前に行くと、
「バカ兄。今日の分」
端的過ぎる程端的に要件を述べた。
毎回思うのだがこの兄妹、仲が悪いのだろうか。
「あのねぇ、君はもう少し兄を敬うべきだよ、メイ」
「うっさい。バカはバカ。早く今日の分を渡す」
うん、可愛い顔だちながら口が悪い。ナイは理屈をこね回す、メイは暴言を吐く。ある意味血の繋がりを感じないでもない。
「はぁ」
溜め息をつきながら、メイに渡す霊薬を準備するナイ。この霊薬だがメイが卸しているらしい。その理由は訊いていない。
準備し終えた荷物をナイがメイに渡すと、メイはすぐに出て行く。
出て行く際に俺の方を一睨みして扉を閉める。
この一週間、毎日こんな調子。その間、俺は一度もメイと言葉を交わしていない。最初にナイが俺とメイの自己紹介を互いにしただけ。
俺、嫌われてるのか……? 結構へこむんだけど……。
「さてと、僕はこのまま出掛けるけど、リンはどうする?」
メイにバカ呼ばれわりされた事は気にした様子もなく、メイが来る前の調子でナイが話しかけてくる。
「俺も出るよ。今日は猫屋敷亭で食べるから」
そう答えた俺はナイと一緒に家を出た。
猫屋敷亭。セイラムの街に数ある食堂の一つ。名の通り猫が居る……経営者が猫の獣人なのである。どうして猫屋敷と命名されたかはナイも知らないらしい。……いや、単純に猫の獣人だから猫屋敷って名付けたんじゃ……。
ルインには種族が人族、魔族、獣族、竜族、妖精族等々と多種の種族が共存している。種族間の問題はやはりと言うか、いろいろ在るらしいが少なくともこのセイラムでは表だっての問題はない。あくまでも表面上は、だけども。
その種族の一つ獣族、その中でも猫の獣人のみが働く猫屋敷亭。
そうそう、獣人の外見は頭に動物の耳、お尻の辺りに尾と、猫ならいわゆる猫耳猫尻尾と定番のあれである。
……俺がこの食堂を気に入ったのは猫耳だったからと言う理由ではない。そう、断じてない。たぶん……。
単純に味が良かったのと、人間の客が少ない事。俺が人間嫌いという訳ではなく、人間が多い所に行くと決まって面倒事が起きた。そんな場に出くわす俺の運が悪いだけかもしれないけど、ここなら落ち着いて食事をとれるからだ。
ナイと共に街の入り口まで来た後、別行動で街中を少し散策してから猫屋敷亭に入ったのだった。
晩御飯時ともあり結構混んでいる。座れそうな所はと見回していたら、見知った顔を見つけてしまった。 と、言っても俺が見知ってる数はまだ少ない。
相席を頼んでみるか。まともに話した事はないけど……。
席の近くまで移動して、声をかける。
「メイ……ちゃん。相席しても……?」
何か睨まれてる?
「……はぁ、良いですよ」
溜め息混じりに了承を得た。席に着くと同時に、
「リンさん、呼び捨てで良いです」
と、言われ一瞬何の事? とは思ったけど名前の呼び方だと気付く。
「あ、ああ」
多少どもったが、了解の意を伝える。
そうして、注文し、料理が運ばれてきたのは良いのだけど……。
き、気まずい。会話がない。どうしよう?
何を話せば。自慢じゃないけど俺、元の世界でも会話スキル高くなかった。ホント、自慢じゃないよ……。と、一人悶々としながら、でも食事はしつつ最後まで会話がなかった。
店の外へ二人一緒に出る。結局、食事しながらの心暖まる会話(俺的願望)は出来なかった。
しかし、ここは「送って行くよ」と、声を掛けるべきだよな。あれ、メイが半眼でこっち見てる。……声に出てた?
少し乾いた空気が流れた後、メイが嘆息しながら、
「お願いします」
と、承諾してくれました。
何というか、自分的にはかなり大胆な発言だったのではなかろうか。
元の世界での生活は、友達付き合いはどうだっただろう?
ここに召喚されて、一週間しか経ってないけど何だか学校に通ってたのがかなり懐かしく思える。
何、考えてるんだ俺。それよりも今は会話を。って、何話せば。
また、一人悶々としていたら、メイの方から話しかけてきた。
「ねぇ、リンさん」
歩きながらこっちを見てくる。
「リンさんは、何とも思ってないんですか?」
「……え?」
問いかけられたが、何の事か分からなかった。困惑顔の俺を見ながら言葉を続けるメイ。
「バカ兄に無理矢理召喚され、命の危険にも晒され、帰る事も出来なくて」
ナイ、話してたのか。俺が召喚された人間だって事。
「バカ兄に、もっと怒るなり、文句なり言ってもいい立場だと思いますよ?」
怒気を少しばかり含めた言葉。ひょっとしたら、普段あの調子なのはこの事があったから?
いや、俺が来る前の事は知らないから違うかもしれないが。
それよりも俺は召喚された事についてどう思っているんだ?
我が事ながら質問されるまで深く考えた事もなかった。
「……そういえば、そうだよな」
俺の独白に眉をよせるメイ。
「けどさ、特に何とも思ってないんだよな」
さらに、険しい顔をするメイ。
「……どうしてですか? 命を落としてたかもしれないんですよ? 帰る事も出来ないんですよ?」
「いや、さ。確かに最初、憤りも覚えたけどさ」
……何だろう。本当に。どう言えばいいのだろう。
「なんていうか、ああそうなんだ。って、納得したというか」
俺の曖昧な答えにメイは何を思ったのだろう。
メイは質問を続ける。
「家族はいないんですか?」
「いるよ。両親に兄弟が」
「心配しているのでは?」
「そうかもね」
「それでも、帰りたいとは思わないんですか?」
「……」
答える度にメイの言葉の中に怒気が含まれていくのが分かったけど、正直俺も分からない。自分の心が。
メイは最後の質問に沈黙している俺を見て、「もういいです。これ以上は訊きません」と、話を締めくくった。
この後はまた会話がなくなり、夜の街の音が響くのみだった。
「ここでいいです」
いくらか歩いた所でメイが立ち止まり、そう言ってきた。
「家までじゃなくて構わない?」
俺も足を止めて聞き返す。
「はい。もう、すぐそこなので。ありがとうございます」
礼を言って離れて行くメイの後ろ姿に声を掛ける。
「おやすみ。またな」
俺の言葉にメイは足を止め振り向き、
「……おやすみなさない」
と、返事を返して再び歩きだした。
さて、俺もナイの家に帰らないと。帰りながらさっきの事を思い出す。最後に俺が声を掛けた時にメイ、変な顔してなかったか? 変なーー驚いたような、困惑してたような。ま、表情がそれ程変わってたように も見えなかったし、気のせいかも。
こうして、また1日が終わろうとしていた。
異世界暮らしも別段悪くないものだ。と、思う今日この頃。長期の旅行、もしくは留学みたいな感じで俺の中では落ち着いている。
愛読していた異世界物ファンタジー小説のように特別な力が在って、異変等を解決し英雄的な扱いを受ける。憧れない訳ではないけど、平穏というのも良いものだ。
力といえば、異世界に来て凄い力を持ったとかではないけど、多少は力を使える適性があるらしい事が判った。俺にどんな適性が在るか色々と試しているが、一向に判らない。
ナイ曰く、「何て言うか、不器用?」
評価が合っているかはともかく、ナイの使っているような力を俺はうまく扱えていない。
それでも多少扱えている分、扱えない人よりはいいみたいだが。
まぁ、逆にそれが俺の方向性を決めるのに悩む要素になっている。得手不得手がはっきりしていたら、得意分野を伸ばす、で決定し悩む必要がない。それでも毎日鍛錬はしているんだけどね。
それと魔獣、魔物の存在する世界だけに体術、武術も教わっている。こっちも俺は駄目出しを受けている。基本的に体の動かし方が出来ていない。
それはそうだろう。こちとら、一、学生の身。部活動をしていたわけでもなし、空手等の武道を習っていたわけでもない。こんな事なら運動しとくべきだった。
そんな訳でこちらも日々鍛錬している。
それ以外で変わった事はメイと話をするようになった事。
メイを送って行った次の日、いつものごとく霊薬を取りに来た時、顔を合わせるなり一言。
「私、納得はしてませんから」
何の事を言ってるのか分からなかったので困惑していたら、それが伝わったのだろう言葉を続ける。
「昨夜の事。例え、リンさんがもう諦めているとしても、そんなの早過ぎます。帰れる方法が在るはずです」
これで俺は納得。彼女はどうやら俺の答えを諦めてしまっていると受け取ったみたいだ。否定する程でもないし、曖昧に返事を返すだけだった。
この日以降ちょこちょこと彼女と会話するようになった。
きっかけ何て分からないものだ。
それにしてもいい子である。会って間もない奴を親身になって心配してくれていたとは。
本当にナイの妹か?
そう言えば、この後だったか。メイが帰ってから、ナイと好みの女性の話になったのは。
どういう流れでそんな話になったかは覚えてない。
唐突な話題に面食らったのは確かだ。
「リンは好みの女性像ってあるのかい?」
「……は? いきなり何の話だよ。って好みの女性像?」
「うん。なんとなく訊いてみたくてね」
「そういうナイはどうなのさ」
「僕は綺麗なお姉さん系がいいかな。スラっと背が高めで、胸があって」
「……そうだな。会えて言うなら俺はかわいい系……かな? 背は低めで」
「胸は?」
「……何でそこにこだわる? いいだろ別にそこは」
「なくてもいいと?」
「……だから、何でこだわる」
「まあいいか。けどお互い全くの逆だね」
「そう言えばそうだな」
「けどさ、それだとメイは君の条件に当てはまるんじゃないかい?」
「……そう言えば。かわいい系だし、俺より背も低い……」
「妹に手は出さないでよ?」
「お前……バカ兄だな」
実にくだらない話をする程には、ここの生活に馴染んでいる。
そんなこんなで今日も平穏な一日を過ごすはずだった。
「薬草の採取?」
そう聞き返したのは今まで採取はナイと一緒だったからだ。
今日に限って俺一人で採って来て欲しいと言われた。
「そう。僕はこれから霊薬師として出ないといけない会合があるから」
その後、小声で「どうでもいいんだけど」と呟いていたのは聞かなかった事にして。
「俺一人でも大丈夫なのか?」
一人だと流石にまだ自信がない。
「大丈夫。前に一度行った所だから。採る薬草も前と一緒」
そう答えながら一枚の紙を差し出してくる。
それを受け取って目を通すと、場所と採取する薬草が書かれていた。ご丁寧に絵付きで。
「そろそろ一人でお使い位はしてもらわないと」
どうも、そういう事らしい。
「分かった。近くだし護衛は別に必要ないよな?」
「そうだね。街に近いし危険区域に指定もされてないし」
されてるような所には護衛付きでも行きたくない。
一言二言交わした後ナイは出かけて行った。
俺はというと、昼食のあとに薬草採取に出かける事にした。
「ここだったよな」
思わず呟きが漏れる。薬草の採取場所に着いての第一声だった。
街からさほど離れてない森――と言うよりは林の中。日の光が木々に遮られずに届いてるお陰で意外に明るい。
早速、採取を開始する。何かクエストをこなしている感じだ。
「リンは採取レベルが上がった」
一人だという事もあり、聞かれたら恥ずかしい独り言が口から漏れる。
順調に目的の薬草を見つけて採る事が出来たので、休憩をとる事もなく時間を忘れて採取に没頭していた。気が付けば採り始めてから結構な時間が経っていたみたいで、辺りが暗くなり始めていた。
切り上げて戻らないと、暗くなったらまずい。灯りを持ってないし。
そう思いながら採った薬草を入れた鞄を背負い街の方向へと足を向ける。
「……ん?」
声が聞こえたような気がして辺りを見回すが、何かいるはずもなく。
幻聴? と自問しつつ戻る足を早めた。
しかし、この後すぐにそれが幻聴でない事を知る羽目になった。
「はぁはぁ、……嘘だろ」
息が切れる。必死に逃げ道を探る。
採取場所を後にしてすぐに最悪の状況に陥った。魔物が現れたのだ。
本来ナイが言っていた通りここ一帯は魔物の目撃情報もなく危険区域に指定されていない場所だった。が、それも過去の話。今現に魔物に襲われている。いや、魔物と言うには語弊がある。どちらかというと魔獣かもしれない。狼をベースにし禍々しさを足したもの。凶悪な外見をしており普通の狼に比べかなり大きい。
「くそ!」
悪態が口から出る。
周到な事に街への方向は奴らに抑えられ、逆方向に逃げる事しか出来ない。しかも、じりじりと包囲を狭めいる。これでは狩りだ。獲物はもちろん俺。
駄目だ。逃げられない。魔獣に出会ってしまった時点で逃げられない事は確定してる。俺の脚と魔獣の脚では速さを比べるべくもない。
周りを囲まれ、それでも諦める訳にはいかず逃げる道を探す。
「……やるしか……ないよな」
護身用に貰った剣を鞘から引き抜く。
念のためにはと帯剣してきてはいたが、どこまで俺が戦えるかは分からない。
囲みに穴を開けそこから逃げれれば一番なのだが。
俺が覚悟を決めて剣を構えたと同時に魔獣が一体襲いかかってくる。凶暴な牙を晒しながら。
幸いと言うべきか、他の魔獣は襲いかかって来ない。一体のみが一直線に向かって来る。
剣を振るっても俺の力では斬る事は出来ないだろう。突く構えをとり、魔獣が迫って来るのを待つ。
一瞬の間が長く感じられる。
恐怖がない、と言えば嘘だ。怖さで剣を持つ手が震えている。
こんなのと対峙して平静を保てる筈がない。戦いの経験などないのだから。
魔獣が迫り、剣の射程圏に入ったと同時に突き出す。上手くいった。開けた口の中を狙った一撃。剣は魔獣の口内を突き刺さっていく――はずだった。
「なっ」
驚愕するしかない。あろうことか魔獣は剣を噛み受け止めたのだ。
呆然とする俺を魔獣が見逃すはずがなく、強烈な衝撃が真横から襲いかかって来た。
前脚でなぎ払われたと気付いたのは、吹き飛ばされて地面に叩き付けられた後からだった。
~~~~~~!!!??? 味わったこともない痛みが体を駆け抜ける。
苦痛で動けない俺の腹部に容赦なく牙を突き立てる魔獣。
痛みと失血で意識は朦朧とし始めていた。
朦朧とするなか俺は……。
召喚されてから今までの事を思い出していた。いや、見ていたか。これが瀕死時に見る走馬灯に例えられるあれか。
外では体が酷い事になっているのに、中の意識の方はどこか冷静だった。
末期の夢というやつかな。違うか。
………………。
死ぬのか、俺。
あまりに唐突なことに感情が追いつかない。
考えようにも考えられないもどかしさ。
死に瀕しているのにどこか他人事のようにも思える。
俺は……。
『死ぬの?』
突然響く声。違和感も感じず俺は答えていた。
「……このままだとそうなるね」
『だよね。助かりたいと思う?』
それは……。
死に瀕する前、元の世界で過ごしていた時はどんな考えだっただろう。
自身の死に対する解釈。思い。いや、そんな事、どうでもいい。
「……し……た……ない」
掠れながらも、自然と口から出てきた言葉が答えだ。
もう一度、今度はその答えを叫ぶ。
「……死にたくなんかない!! まだ……生きて……いたいっ!」
恥も外聞もない。助かるなら助かりたい。綺麗事を言うつもりもない。助かるなら俺は。
『うん。わかった。死なせないよ、死なないよキミは』
その声を最後に俺の意識は現実に戻り。
「……う、が!?」
体が熱い。痛みのではない。異様な熱さに声をあげる。火照る、などと生易しいものではなく体の内部が焼けているような感覚。
原因はすぐに判明した。体が治っている?
傷がビデオを逆再生するかのように塞がっていくのが目に見えて分かる。
何が起こっているのか分からず混乱しかけるが、周囲の異変に気付く。魔獣が動く音がしない。新たに襲われる気配もない。襲われていたはずの体に、魔獣はのしかかっていない。
動かない体を必死に動かし、なんとか頭を上げ周囲を見る。そうして、俺は助かった事を知る。魔獣の死体が転がっていた。俺を包囲していたであろう数の魔獣が物言わない塊になって。
ふと、明るくなった気がして視線を巡らすと、雲に隠れていた月が顔を出していた。月が出た事でその存在に気付き俺は………。
木々の合間より届く月光に照らされる紅と金の色。
紅い場に佇む金の少女。
月の光を受けた彼女の存在がこの場の雰囲気を変える。
紅い場は高級な敷物で、身を包む衣服はまるでドレスのように。
金の長い髪は時折吹き抜ける風に揺られ、光を受け煌めく。
白磁の美貌に、その存在感を際立たせる金色の瞳。
物語の一頁を切り取って来たかのような光景。
俺はただただ目を奪われていた。
息を吐くことも忘れる程に見とれてしまっていた。
しかし現実には、周りに魔獣の死体。その血で染められた地面に立つ少女。
その光景を見て美しいと思う俺は、おかしいのだろうか。
俺の視線に気付いた彼女は、幻想的な雰囲気をそのままに顔をこちらへと向けて、「ボクはミリアだよ。よろしくね、リン」と、場違いな自己紹介をした。
その一言を最後に聞き、俺の意識は現実より離れていった。