プロローグ
十年前の春。僕の父は消えてしまった。
僕の目の前で、風に吹かれたように忽然と姿を消してしまったのだ。
その時の光景を話しても、誰も信じてくれなかった、家族でさえも。ならば何故父はいないのか。姉が俯く横で不安げな眼差しで僕を見つめる母にそう尋ねた。答えは無言、何も言わずに目を潤ませて寝室に閉じこもってしまった。
「何が目的なの?なんでこんな残酷なことをするの?」 姉は僕を睨みながら責めたてる。僕が悪いのか?僕が間違っているのだろうか。しかし父は確かに僕の目の前で消えたのだ。いつものように二人で散歩をした帰りに、「好きな子が僕に振り向いてくれない、世界は残酷だ」と言う僕に「世界は変わる。心から願えばいくらでも。だから諦めるな孝明、お前が変わればきっと彼女もお前に気付いてくれる」父はそう慰めてくれた。そして消えた。春風と共に。
僕は父に関する記憶を封印した。家族の前でも、友達との会話の中でも父とのことは一切喋らなかった。いつしか僕の中で、父は風化されていった。父の顔も、声も、僕はもう思い出せない。ただ僕の前を歩く、父の大きな背中が風に吹かれて消えてしまった光景だけが今も夢にでて、僕を苦しめている。