京太郎(3)
便座に腰掛けたと思ったら、また召喚されたようだ。
ようだというのは、まだ目的地についていないからである。京太郎の体は次元を通り(おそらく)ナナのいたルーフディーラへ飛ばされるのであろう。
違う世界だという可能性もないわけではないが、十中八九あの世界だと京太郎は確信している。
そんなことより京太郎には切実な問題があった。
下半身丸出しなのである。
京太郎はトイレ(大)をするときはパンツまで脱ぐ派であった。
「まさか……それが裏目に出るとは……」
次元の狭間の中で京太郎はつぶやく。セリフだけとれば、まだニヒルな感じにとれないでもないが、ここでは誰が聞いているわけでもない。
まして尻丸出しである。
そして、トイレ(大)の便意の波はもう耐え切れないところまできてしまっている。
さっきの京太郎の独り言は、何か別のことを考えて便意をやり過ごそうという、かなり無駄に近い努力なのであった。
「俺は、もう駄目だ……すまん……………………アッー!」
東 京太郎、24歳。次元の狭間で、耐え切れず任務は失敗に終わる。
何を漏らした――とは、言わないが。
盛大に撒き散らしながら、京太郎は彼を呼び寄せる世界へ次元の中を落ちていく。
Someone(1)
薄暗い部屋の中で、老魔導士は高笑いをあげていた。
和室に換算するならば、およそ20畳ほどの広さの部屋は、窓がなく、ランタンの灯す頼りない明るさが周囲をぼんやりと映し出している。
天井には、シャンデリアが吊るしてあるが、埃のかぶり具合から見てここしばらくは使っていないのであろう。
頑丈そうな鉄のドアが老魔導士の正面にある他は、家具らしきものはランタンとそれを置いている小さな木の机だけだ。
その部屋の床には、複雑な模様の魔方陣が描かれ、供物が捧げられている。
老魔導士が魔方陣の完成を確認し、最後の呪文を唱えると魔方陣は青白い光を放ちだす。
幾年もの歳月を、たった一人で魔法の研究に捧げた彼が、ついにたどりついた魔法理論。
究極ともいえるその魔法理論の実証実験。
これで自分の仮説が正しかったと世の中が認める。
実験結果をあいつらの目の前に叩きつけてやるのだ。
なんなら、目の前で再び実演して見せてもよい。この魔法理論のキモは、魔方陣の見える部分にはないからだ。
そして自分は、泡を食っているあいつらから三顧の礼を受け、大手を振って王立魔法研究所へ戻れるのだ。それも以前からは考えられないほどの好待遇をもって。
「ハハハハハ………………………………はぁ?」
素敵な妄想に笑い続けていた老魔導士が、突然すっとんきょうな声をあげた。
彼の作り上げた魔方陣は、その成果を存分に発揮していた。
『時空の彼方より異形のモノを召喚する』究極の魔法。
ナナが使ったルーフディーラ式とは違うが、確かにそれは召喚魔法だった。
そしてその魔法は正しく機能した。
ただ、召喚されたモノが間違っていた。
京太郎が次元の中でしてしまった『大』が湯気をあげながら現れたのだった。
老魔導士の元に召喚されるはずだったモノが辿る『次元の道』の上に、先に京太郎がひねり出した『大』が乗ってしまったために起こった悲劇であった。
しばらく事態が掴めなかった老魔導士は、数分間呆然とした後、自分の使った魔法がどのような結果をもたらしたかをやっと理解した。
彼は自身に降りかかった運命の不条理さに、とめどなく流れる涙をぬぐいもせず「おお神よ!私はどうすればよいのですか!」と不浄のモノを前にして嘆いた。
タイミング悪く、老魔導士の孫娘が「おじいちゃん、ご飯できたからそろそろ降りてきて~」と呼びにきて、部屋の惨状を目撃する。
(おじいちゃんがついにやったか)と思ったが、口には出さずに祖父の「おお神よ!」発言を聞いた後、冷静に
「それはトイレに流せばいいと思うの」
と伝えてそっとドアを閉めた。
ご飯はトレーに乗せて、祖父の部屋の前に置いておいた。
孫娘のせめてもの優しさであった。