ナナ(3)
『満月の欠片亭』のそこそこ柔らかいベッドでぐっすり寝て、気力体力ともに回復したナナ達一行は朝食をとると再び魔王宮目指して出発する。
何度かトライしているが、毎回ギリギリ押し切れないために、魔王宮への最寄であるレモードの街になんだかんだで1ヶ月近く逗留しているナナ達はすっかり有名人扱いである。
最早街の名物にもなりだしていて、今日もレモードの街と外を区切るゲートに集まった見送りの人々から、うぉーっという歓声が沸き起こる。朝っぱらだというのに目ざとい行商人が露店などを開いており、ちょっとした祭りに近い雰囲気である。
ゲート近くの家の屋根にはどうやって作ったのか『王道一直線 ライトル王子非公認FC』だの『必勝!ゴゥリンの黒き竜 聖騎士ガナード様』だの『123456ナナ様愛してる』だの『つかみとれウイニングチケット レモード★アップルちゃん同盟』といった横断幕が10旗ばかり掲げられている。
初めて見たときは驚愕したが、いまではすっかり慣れてしまった自分が怖いとナナは思う。
「今日も盛大なお見送りね」
「ポジティブなのはいいことだが……。それにしても、毎回少しづつ幕が増えているなぁ」
「魔王軍の中枢に一番近いとは思えないほどののんきさよね」
「そうだな。お、あの『覇道驀進』というフレーズはいいな。僕のキャッチコピーにしようかな」
「やめなさいって。何年かしたらきっと恥ずかしくなってもだえるよ」
「うーん、そんなものかな」
ナナと会話しつつも興味深そうなライトルの視線は、新しく掲げられたいくつかの幕に向けられている。
アップルは露店商のおっちゃんから、ちゃっかりロミセリ豚の串焼きをせしめ「このロミセリ豚の串焼き、とてもおいしー」と聞いた方がびっくりするような棒読みで宣伝に貢献している。
ガナザードだけは調達した馬車に荷物を積み込むのと、車輪周りの点検に余念がない。
「ライトル、ナナ、アップル、準備完了だ。行くぞ。馬車に乗れ」
町長がどこからもってきたのか、お立ち台みたいなものにあがって挨拶を始めようとしたところで、ガナザードにせかされて馬車に乗り込む。機転を利かせた町長の、勇者一行様の勝利を祈ってー、ばんざーい、ばんざーいという盛大なお見送りを背にして、ハイヨーハイヨーと馬車はゲートを抜けていった。
「あ、部屋のカギ持ってきちゃったぁ」
出発して30分もたったころ、ごそごそと物いれの整理をやっていたアップルが『満月の欠片亭』の部屋のカギを取り出した。
げんなりした空気が車内を包む。
「どうする?宿の主人も困るだろうから戻ったほうがいいか?」
王族などという家に生まれながら、魔王討伐の旅になんかへ出てしまったばかりにこの3年間で厳しい世間に充分すぎるほど揉まれ、お人よし度がかなり上昇した王子ライトルが心配そうに言う。
お人よし度はあがったが、空気を読むのは未だに難しいようで、案の定ガナザードに怒られる。
「ここまで来て戻るなんてできるわけねーでしょうが。勝つにしろ分けるにしろ、どっちみちレモードにはもう一度戻るんですから、その時でいいでしょう」
「ライトル、そういうわけだから、魔王を倒したとしても王都へ転移魔法使って帰っちゃだめよ」
「わかった。転移魔法は使わないぞ」
ライトルが使う転移魔法は、その名の通り一瞬のうちに移動する、テレポートのような魔法だ。ただし制限がいくつかあって、特別な契約を行った場所にしか行くことができない。また、行き先は1つのみしか登録しておけず、ライトルは王都に設定している。
転移先の登録を変更してレモードにしようかという意見もあったのだが、王都に再び設定するにはもう一度王都へ行かねばならないという本末転倒な事態に陥るので「馬車で一日もかからないんですからいらないでしょう」というガナザードの意見が満場一致で採択された。
「アップル、そういうことだから。いい?……って寝てるよこの娘は……」
部屋のカギを握り締めたまますーすーと寝ているアップルを見て、ナナはため息をついた。
いわゆる剣と魔法が幅を利かせる世界であるルーフディーラでは、道は舗装されていない。従って、サスペンションもなく、鉄の車輪でごろごろと動く馬車の乗り心地はお世辞にも良いとはいえない。
こちらに召喚されて初めて馬車に乗ったときは、「ここは本当にファンタジーな世界なんだ!」と感激したナナも5分もたたないうちに剣と魔法の世界じゃなく、舗装道路とゴムタイヤの世界に帰りたい!と強く願った思い出がある。
何も知らずに馬車に長時間乗った結果、お尻が猿のように赤くなった悲しい経験から、ナナは旅の途中で手に入れた羊毛をつめたマイクッションを「私の宝物よ!」と非常に大事にしていた。今は宝物を馬車の椅子に敷いて座っている。
ちなみに、以前盗賊団の襲撃を受けた際に、お宝のクッションを邪魔だと切り裂かれた時のナナの激怒ぶりは、あまりの恐ろしさからか3人の口から語られることは殆どなかったという。
クッション談義はさておき、道路事情がよくないルーフディーラにおいて馬車でごろごろと半日も揺られると、周囲は鬱蒼と茂る森や噴煙をあげる火山が眼に入ってくる。いよいよヒトのエリアから魔族のエリアへの境界線にさしかかろうとしているのだ。
このあたりからは魔族の襲撃にも備える必要がある。
目の前を流れるディンゴ川を越えれば、そこは魔族のテリトリー。気を抜くことは許されない。
「ドウモ。マタキタノ?アンタモスキネー」
ディンゴ川の中からそう言って現れたのはユーキリ族だ。ナナが初めて見たときの感想「カッパだ!カッパがいる!」が全てを物語っている。
ユーキリ族は紛れもない魔族だが、ディンゴ川の中でしか生息できない特殊な種族であることと、性質が比較的穏和なこともあって、この川の渡し守を営んでいる。規定の料金を払えば(物品による支払もできる)ヒトであろうが魔族であろうがユーキリ族のイカダに乗せてもらい、向こう岸へ渡ることができる。
「おう。またで悪いが、4人と馬車だ。料金はいつもと一緒でいいのか?」
「アイアイ」
ガナザードが金貨を2枚渡す。これで4人分+馬車の料金だ。この世界の通貨価値にあてはめると正直かなり高いが、実質的には国境の税関みたいなものであるし、料金を安くしてやたらと通行量が増えても、戦争中なので困るだけであるから妥当な金額であろう。
「マイドー」
接舷しているイカダにユーキリ族の先導で馬車を乗せる。イカダは結構な大きさで、馬車を載せてもスペースにはまだ余裕がある。
ガナザードが馬車をイカダへ進めると、重みで一瞬沈み込むがすぐに浮力を回復する。
「モヤイトケー」
「シュッコー」
「ヨーソロー」
どこで覚えたのか、ユーキリ族はイカダを静かにすべらせて川を渡っていく。
ディンゴ川は、川といっても相当な幅があり、向こう岸はかなり遠い。ナナ達は何回か利用しているが、渡りきるまでだいたい10分ほどはかかる。
幸いにも天気はよく、スコールが降る兆候も見えない。ディンゴ川はユーキリ族の支配下にあり、ある意味中立地帯のような扱いをされているのでここだけは安心である。
「ナナチャン、サカナ、タベル?」
馬車から出てぼーっと流れる風景を見ていたナナに、ユーキリ族の1人が鉄製の串に差した魚を差し出してくる。まだぴちぴちと元気よく跳ねているのでたった今捕まえてきたものだろう。
「ありがと。いただくね」
そう言ってナナは魚を差した串を受取り、火魔法を使い指先からガスバーナーのように炎を発生させてゴーっと魚を焼いていく。
流石に生では怖いもんねとひとりごちて、いい具合に焼けた魚をかじった。淡白だが、味は悪くない。
「……こうなると、塩か醤油が欲しいなぁ。そうだ、きょうくんに頼んで持って来てもらおうかな」
魔力を大量に使う精霊召喚魔法を、ただの私用で使おうかと考えるナナであった。