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令嬢ではない侍女ですが婚約破棄相手に溺愛されました

作者: 灰月 琥珀
掲載日:2026/05/06

 “この本を、夫ウラカンに(ささ)ぐ。──本当は聖女ではないカリナとして”


 その日、わたしカリナ・ファリーナは最悪の18(さい)の誕生日を(むか)えていた。


 マラネロ王国の王宮勤めで女王エリザベス側付き侍女ともなれば(いや)なことの1つや2つなんて毎日どころか毎時間ある。それでも、だ。これはあんまりだ。


 せっかくの誕生日なのにとんでもないことを命じられて、わたしは口を大きく開けて、ぽかんとしている。


 これから、わたしに王族秘伝(ひでん)の“身代わりの魔法”をかけるという。

 そして、女王エリザベス・ゾディアック・マラネロになりきって婚約破棄(はき)を宣言しろ、というお役目を命じられたのだ。


(身代わりの魔法は(だれ)かが触れた瞬間(しゅんかん)()けてしまうわ。声だって私のままだし、きっと、うまくいくはずがない)


 私は泣きそうになりながら主である女王エリザベス様に何とか考え直していただくようにお願いしたのだけど、手をひらひらさせて笑うだけだった。


 女王陛下(へいか)絶世(ぜっせい)の美女と賞賛(しょうさん)される美貌(びぼう)をお持ちの方だ。

 貧相(ひんそう)名誉男爵(めいよだんしゃく)の三女であるわたしなんて比較(ひかく)にならないほどの輝かしい存在(そんざい)桜色(さくらいろ)の甘い(くちびる)、すっと筋の通った綺麗(きれい)な鼻、美しい朱色(しゅいろ)(ひとみ)完璧(かんぺき)なスタイルと白肌で、色(あざ)やかな蜂蜜色のさらさらの髪。人々を魅了(みりょう)する美しさ。

 そんな方のふりをするなんて、考えただけでも重圧(じゅうあつ)で押しつぶされそう。


 それなのに、侍女頭まで、率先(そっせん)して、この身代わり案に賛成(さんせい)して積極的に具体案を提案(ていあん)してくる。「女王のお側にいた(かしこ)いカリナが自ら強引に志願(しがん)したということにしてしまえば、一夜(かぎ)りの身代わりに失敗しても女王様は何の問題もならないでしょう。不敬罪(ふけいざい)責任(せきにん)を問われるのはカリナです」などと。


(わたしが失敗したら、全ての責任(せきにん)をわたしに押し付けるつもりなのね。そんなのやめて!)


 泣きつくわたしに、女王エリザベス様はあしらうように笑っておっしゃった。


「わたくしは“異世界から呼び出す聖女降臨(こうりん)()”で忙しいの、カリナ」

「そ、そんな!! でも大切なご結婚に関するお話を侍女ごときのわたしがウラカン閣下(かっか)にお伝えだなんて……」

「前からウラカンみたいな正論ばかりの人は好みじゃないから、カリナ、婚約破棄(はき)お願いね」


 エリザベス様はそう吐き捨てると、興味(きょうみ)を失ったように椅子(いす)から立ち上がり、奥の私室へと向かおうと背を向けた。


「待ってください! 身代わりの魔法は(だれ)かが触れた瞬間(しゅんかん)()けてしまう魔法です! もし、もしも(だれ)かにぶつかったりでもしたら……!」

「うるさい子ね。大丈夫(だいじょうぶ)よ、普段からエスコートもダンスも(ことわ)るわたくしの真似(まね)ぐらい、カリナでもできるでしょう」


 わたしは半狂乱になって床に(ひざ)をついたまま()()り、去りゆく陛下(へいか)豪華(ごうか)なドレスの(すそ)(つか)もうと必死に手を伸ばした。


「わたし、ウソなんて上手くつけません!!」

「それならウソつかなければいいじゃない。ああ、本当の(たの)み事であることを意味する女王の信任(しんにん)の指輪はつければウソではないわ。これで話は終わりよ」

「お待ちください、陛下(へいか)! せめて、せめてもう一度だけご再考(さいこう)を!」


 しかし、その指先がドレスへわずかに触れるか触れないかのところで、側辺(そば)(ひか)えていた侍女頭に無慈悲(むじひ)にその手を払いのけられる。


「なんて子……見苦しいですよ、カリナ。陛下(へいか)はご決定されました。下がりなさい」


 払われた手の甲が床に当たり、(にぶ)い痛みが走る。それでもわたしは顔を上げ、遠ざかる陛下(へいか)の背中に向かって、枯れそうな声を()(しぼ)って追いすがった。


「わたし一人では無理です、わたし、どうすれば……! 陛下(へいか)陛下(へいか)……!」


 わたしの悲痛な呼びかけに、エリザベス陛下(へいか)は一度も()り返ることはなかった。

 ただ、部屋の入り口で足を止めることもなく、めんどくさそうにひらひらと片手を()っただけ。


 どうやら、わたしは切り捨てやすい名誉男爵家(めいよだんしゃく)の売れ残りの三女で、背丈(せたけ)が女王様と近くて、女王様の指輪とサイズがあうから――それだけの理由で今日まで侍女に選ばれていたらしいのだ。

 それは、この日のために……まるで、庭に(まよ)い込んだ羽虫を追い払うような、あまりにも軽い拒絶(きょぜつ)だった。

 

(女王陛下(へいか)にとって婚約破棄(はき)など、(だれ)かに押し付けたい雑用程度(ざつようていど)なのね)


 今夜、婚約破棄(はき)しなければいけないお相手は氷の騎士(きし)様と呼ばれるウラカン次期公爵(こうしゃく)令息だ。彼は非常(ひじょう)聡明(そうめい)な方で、その場しのぎのウソや曖昧(あいまい)な言葉を何よりも(きら)っておられる方だと聞いたことがあるのを思い出した。

 よりにもよって、これから、わたしは、ウラカン閣下(かっか)が何よりも(きら)っておられる「ウソの(かたまり)」になって、彼の前に立つのだ。考えただけで身がすくむ。

 

(もし、声が(ふる)えたり、侍女らしい所作が思わず出てしまったら? この女王の指輪が見た目以上に重いわ。万が一の時、この指輪が本当に役に立つの?)

 

 (するど)審美眼(しんびがん)を持つウラカン閣下(かっか)なら、即座に偽物だと見破(みやぶ)った瞬間(しゅんかん)、きっと氷のように冷たい目で見下ろし、わたしは(しょく)を追われるどこでは済まされないだろう。

 ……そう考えただけで、おなかがしくしく痛いし、むりやり吹きかけられた女王様がいつも使われている香水のきつい匂いが体中からするので気持ちが悪くなってきた。


 怖い。すごく(いや)だ。

 でも、泣けない。泣いたらバレるから。


(ウラカン閣下(かっか)、怒らないでください。わたし本当はウソつきたくないんです。言われたからウソつきますなんて都合良すぎますよね。どうしよう……)


 (ふる)える手を指が真っ白になるまで力を込めておさえて、私は身代わりの魔法がとけないように祈りながら馬車で夜会に向かう。


(お願い、(だれ)もわたしに近づいて触らないで……そのためになら、わたしは手段を選ばないわ)


 そう決意しながら、扇子(せんす)(にぎ)りしめ、向かう。

 今夜は、わたしの人生がかかっている。


    ◇


 わたしは(ふる)えながら夜会の会場内に足を()み入れた。

 咄嗟(とっさ)に近くの男性がエスコートをしようと私に触れようとする。冗談(じょうだん)じゃない。

 身代わりの魔法は、(だれ)か人の手が触れるだけで、すぐに()けてしまう(はかな)い魔法なのだ。


「ふん。今宵(こよい)(だれ)のエスコートもいらぬ、(だれ)も触れるな。忌々(いまいま)しい」


 わたしは拒絶(きょぜつ)の言葉を()らし、扇子(せんす)で払いのける仕草をした。


(ああ、心にもないことを言ってごめんなさい! 私に触れないでください。本当にごめんなさい!)


 何度も心の中であやまりながら、毅然(きぜん)としたふりをしてエスコートを払いのけるように前に力強く()み歩いて進むと、男性(だんせい)の方はとてもショックを受けた顔でおずおずと引き下がってくれた。


(婚約破棄(はき)の宣言の前に、わたしが胃痛で倒れそうだわ……)


 中央の豪華絢爛(ごうかけんらん)な女王の席に、どかっと座り込んで、わたしは不満そうに腕組(うでぐ)みをする。(だれ)かにうっかりダンスを申し込まれないようにするための必死の防波堤(ぼうはてい)だ。

 わざと、イライラしているかのように、腕組(うでぐ)みした指の二本をトントンとせわしなく(うで)(たた)いて、わたしに話しかけないでという雰囲気(ふんいき)を必死になって演出(えんしゅつ)する。


 会場ではヒソヒソと声がする。


『なんだ、おい。女王様はご機嫌(きげん)ナナメだな。うっかり近づくと、とんでもないことになりそうだ』

『厄日ですわね。婚約者のウラカン閣下(かっか)もおかわいそう……』

『さっきの見たか? エスコートも拒否(きょひ)されるなんて、今日の女王様は普通じゃないぞ。一体どうされたのか』

(うわさ)の聖女降臨(こうりん)()の計画が大変で心労を(わずら)っておられるのかも知れない』


 半分ぐらい本当なので、わたしは何も言えない。

 ザワザワした声が大きくなったを見計らって、わたしはグラスをわざと床に(たた)きつける。予め決めておいた作戦だ。ガシャーン!

 グラスが割れ、会場が静まり返る。


「うるさい羽虫の音がするようですけど、あーら、気のせいかしら。ヒソヒソと耳障(みみざわ)りですわね。ウラカンはまだ来ないのかしら?」


(ごめんなさい。あぁ、グラス割ってごめんなさい。これは演技(えんぎ)なんです)


 わたしは心臓(しんぞう)がバクバク高まるのを押さえながら、もう一つグラスを手にして床に落とす。ガシャーン!

 給仕が慌てて床に散乱したグラスを片付けようとやってくるので、わたしはバッと(おうぎ)を向けて(せい)する。


「給仕の者は片付けなくてよろしい! 下がりなさい!」


 給仕が引き下がったのを見て、わたしは演技(えんぎ)で不敵な笑みを浮かべる。


「さて、こうすればウラカン以外、わたくしにみだりに近づこうと思わない。そうでしょう? あっはっはっはっは!」


 さらにグラスをもう一つ、ガシャーン!

 心の中では三つのグラスを次々と派手に割ったことで、心臓(しんぞう)はバクバク高鳴る。


(ダメダメ、緊張(きんちょう)心臓(しんぞう)止まりそう)


 わたしは奥歯を()みしめて、緊張(きんちょう)をこらえる。

 (ひざ)は恐怖でガクガクを(ふる)えているけども、ドレスだから足の(ふる)えは見えないはず。そう信じつつ、とにかく不満そうな目をして扇子(せんす)で口元を隠した。


(あー、扇子(せんす)があって良かった。わたしのアワアワした口元がバレずに何とかなりそうだわ……みなさん、本当にごめんなさい!)


 すると、一人の精悍(せいかん)で長身の(うるわ)しい男性(だんせい)が近づいてきた。

 目は吸い込まれるような(ひとみ)のアイスブルー。爽やかで清涼感のある金髪のブロンドヘア。そう、ウソの(かたまり)であるわたしのようなウソを(きら)っておられる真っ直ぐなお方、次期公爵(こうしゃく)のご令息、ウラカン・ウィンターガルド伯爵(はくしゃく)様だ。

 別名、氷の騎士(きし)ウラカン。


(どうしよう! ついにウラカン閣下(かっか)が来られたわ。ダメです、わたしの目を見ないでください!)


 わたしはその吸い込まれるアイスブルーの(ひとみ)に目を奪われないよう、さっと扇子(せんす)で顔を隠して横にむけて、大げさに溜息(ためいき)をつき、椅子(いす)に深くもたれかかる。


「ご機嫌麗(きげんうるわ)しく、エリザベス女王陛下(へいか)。私をお呼びでしたか」

(おそ)いですわ! どこに隠れていたのですか!?」

「エスコートを拒否(きょひ)されていたので、てっきり今日は(だれ)ともお話されたくないのかと……勝手な憶測(おくそく)をお(ゆる)しください、陛下(へいか)


 ウラカン閣下(かっか)丁寧(ていねい)なお辞儀(じき)をして私の前で微笑む。


(えっ、すっごく、かっこいい……(うわさ)以上の美形……)


 扇子(せんす)隙間(すきま)から恐る恐るのぞいて見えた彼の姿は、氷の結晶のようにきらびやかで美しく整った顔立ちは芸術品(げいじゅつひん)のようで、思わず触れたくなるほどの輝きがあるかのように感じられた。いけない、わたしは見惚(みほ)れている場合ではない。


「ああ、その床に散らばった割れたグラスで怪我(けが)をするといけないから、それ以上、近づかないでくださるかしら?」

「おや、どうされたのですか女王陛下(へいか)、今日は苛烈(かれつ)ですね」

「ふ、ふん。仕事が忙しいからと、ここ数年は社交の場にも姿を(あらわ)さず、よくもまあ、それでわたくしの婚約者が(つと)まると思っていたわね。」

「……今日の君はいつにもなく饒舌(じょうぜつ)ですね。これまで挨拶(あいさつ)にも手紙にも返事をされなかったのに、今夜はどのような心境(しんきょう)の変化でしょうか?」


 ウラカン閣下(かっか)の返答に言葉に(おどろ)いて詰まってしまう。


(え? 女王様ってずっとウラカン閣下(かっか)を無視されていたの? そんなの酷いわ!)


 つい、心が()れてしまい、台本と(ちが)うことを話してしまう。


「わたくしにも色々と都合があったのです。聖女降臨(こうりん)()や、古代語の勉強など……」

「古代語の勉強? エリザベス陛下(へいか)が!? それは初耳です。それならこの言葉はお分かりですか『君の顔が見えない』」


(あっ、うっかりわたしの趣味(しゅみ)で勉強している古代語なんて言っちゃった! これはちゃんと返さないと!)


「ふん、初歩的な言葉ですね。『あなたの顔を見たくない』」


 古代語は教養のある貴族でもごく一部しか習得(しゅうとく)しない。

 わたしは語学の勉強が好きなので、弟に(たの)み込んで王立学校の図書館から弟が借りてきた本で勉強をするのが、苦しくて辛い侍女生活での心の()り所だった。まさか、それがこんなところで役に立つなんて。

 会場内は聞き取れない人ばかりのせいか「何を話しているんだ?」とざわついた。聞き取れるのは古代語を専攻(せんこう)した貴族か、わたしのような変わり者か、教会の司祭ぐらいだろう。ほぼ暗号だ。

 ウラカン閣下(かっか)秘密(ひみつ)の会話ができることを楽しまれてるご様子だ。


(おどろ)いた! 陛下(へいか)と初めて共通の趣味(しゅみ)が見つかって私は(うれ)しい(かぎ)りですよ。『どうして、今日は不機嫌(ふきげん)なのですか』」

「ふん、そんなに()()れしく犬のように()ね回らないて欲しいですわね。みっともない。『ごめんなさい。あなたに申し上げにくいのですが、大切な話があります』」


 ちらりと見回してみたが、やっぱり、会場内では(だれ)も聞き取れていないらしい。

 ヒソヒソ聞こえる密談は、わたしの横暴(おうぼう)な女王という言動の演技(えんぎ)にばかり集中している。


「大切な話? エリザベス陛下(へいか)、いったい何を……」

 

 ウラカン閣下(かっか)の顔が、一瞬(いっしゅん)にして(くも)る。ああ、ごめんなさい閣下(かっか)


「いいか、全員よく聞け!わたくし、エリザベスは、ウラカン・ウィンターガルド殿(どの)との婚約を破棄(はき)する! ウカラカン殿(どの)にはお望み通り古代語でも教えてやろう! 『ああ、どうか怒らないでください。ごめんなさい。あなたは悪くありません』」

「婚約破棄(はき)……そんな、王配のために私がこれまで一体どれほどの時間を(ついや)やしてきたと思うのです。『君は(だれ)だ? 本当の君が知りたい』」

「今、この国は救国(きゅうこく)の聖女を必要としている。辺境(へんきょう)の地であるバレンシアに(ひろ)がる疫病(えきびょう)を止めねばならん。わたくしは、婚姻(こんいん)などに時間を(つい)やす(ひま)などないのです。『わたしのことは忘れてください。あなたとは身分が(ちが)います。もう会うこともないでしょう』」


 すると衛兵(えいへい)たちが()()ってきた。

 わたしは咄嗟(とっさ)にグラスを(たた)きつけて叫ぶ。ガシャーン!

「近づくなと言ったであろう!わたくしの声が聞こえなかったのか!」


 衛兵(えいへい)たちは不敵な笑みを浮かべる。


「女王様はお勉強が苦手です。学習に時間のかかる古代語を流ちょうに話せない。そんなに可愛(かわい)い声でもない事ぐらい、俺たち衛兵(えいへい)じゃなくても分かるさ。へっ」

「やめなさい、やめて、やめ――あっ」


 衛兵(えいへい)(うで)(うで)まれて、“身代わりの魔法”はたちまち()けてしまった。

 シューっと白い(けむり)が立ちこめてわたしの本当の姿が(あら)わになる。

 ドレスすら着ていない、侍女の服を着た貧相(ひんそう)な身なりの本当のわたし。

 “身代わりの魔法”は消えてしまった。


 床に(たた)きつけられて割れたグラスから散乱したシャンパンが石床を水鏡のように反射し、銀髪の髪に琥珀(こはく)色の目をした、いつもの見慣(みな)れたわたし自身の姿をそこに写し出している。

 魔法が()けてしまって、何かも、おしまい。


 会場が騒然とする。

 わたしは力なく呆然(ぼうぜん)とその場に立ち()くす。

 そのまま衛兵(えいへい)に連れて行かれそうになったところで、ウラカン閣下(かっか)が私の(うで)(つか)んできた。


「待ってくれ、彼女と話をさせてくれ。『大丈夫(だいじょうぶ)だ、俺は怒っていない。』」

閣下(かっか)がそうおっしゃるのであれば、はあ……先ほどから古代語で何をお話されていたんです?」

「君たちには関係ない国家機密の話さ。少し、庭園で二人きりで話をさせてくれ。それぐらい、(かま)わないだろう?」


 衛兵(えいへい)たちはすごすごと引き下がってわたしの身柄(みがら)をウラカン閣下(かっか)に引き渡した。わたしは彼に手を引かれるがまま、庭園へと足を運んだ。二人きりで。


    ◇


 会場の外にある庭園の噴水(ふんすい)前にあるベンチに腰を()けてウラカン閣下(かっか)は、トントンと(となり)に座るよう(うなが)してくる。わたしはうなだれながら(となり)に腰()けた。


「さて、魔法の()けてしまったお嬢さん。君の言った婚約破棄(はき)は本当かな?」

 

 わたしは黙って(うなず)いて薬指にはめた本物の女王の「信任(しんにん)の指輪」を外して、ベンチに置くとゴトッと重たくて重厚(じゅうこう)な音がした。

 一瞬(いっしゅん)(おどろ)いた顔をしたウラカン閣下(かっか)はすぐに微笑んだ。


「本物の“信任(しんにん)の指輪”を身につけた使者は初めてだ、(おどろ)いたよ。」

閣下(かっか)、本当に申し訳ありません。わたし……」

「いや、気にしてないよ。こうなることは、実は前から予感はしていたんだ。親同士が勝手に決めた婚約で、お互いの名前以外ろくに交流もなくてね」

「そうだったのですか……それでも、閣下(かっか)に公の場で不敬な態度(たいど)を……わたしは……」


 指輪に込められていた王族に伝わる「身代わりの魔法」は一つの指輪につき一度(かぎ)りしか使えない。

 役目を終えた指輪は、鉄化して重たいただの指輪になってしまう。

 それでも、その指輪に(きざ)まれた細かい紋章(もんしょう)は一つ一つが異なっており、模造品(もぞうひん)や偽物は作れない。

 つまり、役目を終えた指輪を手にしていたということこそが、わたしが正当な王族の信任(しんにん)を受けて役割を終えたという意味であり、わたしの言葉がでまかせや悪意があることではない身の潔白(けっぱく)証明(しょうめい)となることを意味していた。

 そして、鉄と化した指輪をウラカン閣下(かっか)にそっと託す。これで、女王陛下(へいか)から託された「メッセージが王家として正当なもの」という証明(しょうめい)が完了する。

 きちんとお顔を見て話すべき状況(じょうきょう)なのに、申し訳なさから、スカートの(はし)をぎゅっとにぎりしめて、わたしは下をうつむいてしまう。


「君は命じられていたんだろ? そんなことより、初めて他の人と古代語を話せたから、とても楽しかった。『カリナ。本当の君が知りたい、どうしたら君に会えるかな?』」

「――っ! そんなっ、わたしなんて――」


 涙がこぼれそうで(くちびる)()みしめていると、そっと優しい指が(ほお)に触れた。


「まさか、観衆の目の前で堂々(どうどう)と古代語で会話できるなんて思ってもいなかったから、痛快(つうかい)だったよ。それで……君の本当の名前は?」

「カリナ……カリナ・ファリーナです。お嬢様でもありません。ただの侍女なんです。わたしは王女側仕えの侍女なんです。でももう、きっと今回のことで……」

「ふむ。ファリーナ(きょう)と言えば名誉男爵(めいよだんしゃく)じゃないか。平民でもない君が、王立学校にも通わず今や侍女だなんて、不憫(ふびん)でならないよ」

「いいえ、婚約破棄(はき)でウラカン閣下(かっか)だってこれからどうされるか、お考えにならないといけない時に自分のことばかりで、申し訳ありません」

 

 今後、ウラカン閣下(かっか)がことの真偽を問われるのであれば、この信任(しんにん)の指輪を手に女王陛下(へいか)対峙(たいじ)されれば、すべては白日の下にさらされるはずだ。


(いけない、閣下(かっか)に対して視線を()らし続けるなど失礼だわ。でも……)


 心の中は申し訳なさと(みじ)めさでいっぱいで、堂々(どうどう)と話し続ける勇気なんてひとかけらも残っていなくて、謝罪(しゃざい)の言葉ばかりが頭の中を回っている。


大丈夫(だいじょうぶ)だよ、カリナ。『君を見捨てはしない』。さあ、可愛(かわい)い侍女さん。君の琥珀(こはく)色の(ひとみ)も銀髪の髪もとても綺麗(きれい)だよ。せっかくの美人が台無しだよ」

「でも、わたし、これからどうなるか不安で仕方がないんです。ごめんなさい。自分のことばかり」


 するとウラカン閣下(かっか)は、そっとわたしの肩を優しくぽんぽんと(たた)いて、もう一度、微笑んでわたしを見つめてくる。そのアイスブルーの(ひとみ)魅了(みりょう)されて吸い込まれそうになってドキドキしてしまう。


「これからのことが不安なら、いっそ俺のところに来ないか。」

「いえ……無理です。わたしの身を案じてくださってありがとうございます。でも、どうせ、わたしなんて――」

「この言葉は知ってる?『(ふたた)(よみがえ)って……その命が続く(かぎ)り』」

「えっ、どうしてその言葉を? 続きはこうですよね、『我が身を()くして、その言葉を誓います』」

「俺も楽しいよ。じゃあ、これも知ってるかな?『バレンシアに(ねむ)る青き花』」

「あっ、それは、聖女伝説の――」


 わたしが次の言葉を言いかけた時、衛兵(えいへい)がやってきた。


「ウラカン閣下(かっか)、失礼いたします! 陛下(へいか)が御自ら会場へお()しになり、この娘を直ちにお連れせよとの(おお)せです。……カリナ、来い! 陛下(へいか)がお呼び出しだ!」


 わたしは衛兵(えいへい)(うで)(つか)まれた。


「カリナ……君は……」

「さようなら、わたしのことはもうお忘れになってください、ウラカン閣下(かっか)

「まて、俺はまだ君のことを――」

「ウラカン閣下(かっか)、お下がりを! 女王陛下(へいか)はカリナ一人を召し出されております!どうか、お引き取りください!」


 背後でウラカン閣下(かっか)衛兵(えいへい)(はば)まれる(にぶ)い音が響く。わたしは深く、深く頭を垂れたまま、引きずられるようにして会場へと歩いていく。

 背中から、閣下(かっか)の切実な呼びかけが聞こえる。


(ウラカン閣下(かっか)、わたしには後ろを()り返る勇気なんて、わたしには、もう残ってないんです)


 わたしは自分の耳を(ふさ)ぎ、感情を(おり)の中へ閉じ込めて、心を閉ざした。そして、追いすがろうとする自分自信の未練から逃げるように衛兵(えいへい)に従って歩いて行く。

 周囲(しゅうい)(さと)られぬよう、(くちびる)を固く()みしめながら、わたしは心で叫び続けていた。

 これ以上ないほど最悪な形で終わったのだ。


(あんなに(むご)い言葉を言い渡して、ごめんなさい。わたしが二度とお会いすることなど、(ゆる)されるはずがない。どうか、どうか、こんなわたしのことなどお忘れください。本当に……申し訳ありませんでした)


 会場に着くと、整然とした近衛(このえ)兵の一団(いちだん)が女王陛下(へいか)を取り(かこ)んで待ち(かま)えていた。

 その陣形の中央に、エリザベス陛下(へいか)が本物の豪華(ごうか)なドレスを着て、本物の豪華(ごうか)扇子(せんす)をゆらゆらとゆらしながら待っていた。折れそうなほど細い腰、すらりと綺麗(きれい)にすらりと伸びた手足、朱色(しゅいろ)の大きな(ひとみ)に長い睫毛(まつげ)……ああ、あの圧倒的(あっとうてき)存在感(そんざいかん)と美しさは、身代わりの魔法では完璧(かんぺき)には再現(さいげん)できない。

 身代わりの魔法の姿だった時のわたしの姿を嘲笑(あざわら)うかのような「本物の美しい女性の姿」がそこにはあった。

 わたしは恥ずかしさと(みじ)めさで、思わずうつむいて、下をうつむいた。


(どうして、わたしだったんだろう……。結局こうして陛下(へいか)御自らお()しになるのなら、わたしが閣下(かっか)に投げつけたあのウソに、何の意味があったの?)


 わたしの胸の内を見透(みす)かしたかのように、女王陛下(へいか)(のど)の奥でくつくつと(のど)を鳴らした。そしていつもの、あのひどく退屈そうな手つきで指先をひらひらと動かしてみせる。

 ……見覚えがあった。灰まみれになって暖炉(だんろ)掃除(そうじ)するわたしを、面白そうな玩具(がんぐ)でも(なが)めるように、陛下(へいか)が鼻先で笑っていたときの仕草だ。

 この後に続くのは、いつだって慈悲(じひ)のない、冷酷な宣告(せんこく)なのだ。


「カリナ、婚約破棄(はき)の伝言、大義(たいぎ)であったわ。わたくしの真意が婚約破棄(はき)にあることに相違(そうい)はない。それは、問題ではありません。しかし――」

「も、申し訳ありません! エリザベス女王陛下(へいか)、何卒、何卒お(ゆる)しを……!!」

「いいえ。グラスを割って会場をざわつかせ、わたくしがまるでそのような蛮族(ばんぞく)のような()る舞いをするような真似事(まねごと)をしたのは頂けませんわね……」


 ただひたすらに、慈悲(じひ)()う言葉を(のど)から(しぼ)り出す。今のわたしには、なりふり(かま)わず頭を下げることしか残されていなかった。


(お願い、(みじ)めだとか、滑稽(こっけい)だとか、(だれ)に笑われても(かま)わないから! グラスのことは、(ゆる)してください!)


 けれど、そんなわたしの浅ましさをすべて見透(みす)かしたような陛下(へいか)眼光(がんこう)が、冷たく、(するど)く突き刺さる。わたしは蛇に(にら)まれた(かえる)のように体が強張(こわば)り、必死に(つむ)いでいた謝罪(しゃざい)の声は、情けなく(ふる)えて小さく消えてしまう。


陛下(へいか)……お、お(ゆる)しください……」

「カリナ。わたくしへの不敬への罰として、もはや側付きの侍女であることを(ゆる)しません。即刻(そっこく)、この王宮からの追放を命じます!」


 ――王宮を追放。

 それがわたしに下された宣告(せんこく)だった。


    ◇


 王宮追放を命じられて住み込みだった部屋から、(わず)かばかりの荷物を取り出すことも(ゆる)されないまま、わたしは王宮を追い出された。


 馬車に乗るお金もない。わたしは涙をこらえながら3日かけて徒歩で実家に帰った。そこで待っていたのは温かい抱擁(ほうよう)などではなく、母の平手打ちと父の殴打(おうだ)だった。


「この家の恥さらしが! こんなことなら侍女になどならず、どこかの貴族のメイドでもして娼婦(しょうふ)真似事(まねごと)でもやっていればよかったんだ! 公爵(こうしゃく)令息に婚約破棄(はき)を代わりにやるなんてとんでもない不敬な奴だな!? 俺まで(しば)り首になってもおかしくないぞ! 何をしでかしたか分かっているのか!? 女王様と公爵(こうしゃく)令息の顔に(どろ)()るようなみっともない真似(まね)をしやがって!!」

「まったくとんでもない子だよ! (あき)れて言葉も出ないね! あんたのせいで、可愛(かわい)いジェスコが退学になったら責任(せきにん)とってやりなよ! ろくでもないどうしようもない(おろか)かな姉として、せいぜいその身を()にしてでも、せめて弟の面倒ぐらいは命かけて見てやるんだね! ん? 何とか言ったらどうだい! “はい”、も言えないのかこの娘は! 生意気だね!」


 父と母の罵声(ばせい)容赦(ようしゃ)がなかった。お酒が入っていたにしても、あんまりだ。

 わたしは殴打(おうだ)された(ほお)をさすりながらよろけて立ち上がると、酒をかけられた。

 お酒で髪の毛と(ほお)()れたが、そこに涙が()じっているかどうかはもう分からないし、どうでも良かった。

 口の中が切れたらしい、鉄の味がする。(いや)な味だ。


「お父様、お母様。本当に、申し訳ありませ――」


 どうにか両親をなだめようと、(あやま)っている途中で母に()き飛ばされ、わたしは(ふたた)び床に崩れて倒れた。よろけながら、血の味がする口をぬぐって、もう一度、立ち上がる。とにかく、父と母の怒りが静まるのを待つしかない。

 わたしにできるのは(ゆる)してもらうこと、ただそれだけだ。他にできることなんて、何もない。王宮にも見放されて家族にも見捨てられたら行き場がない。


(わたしにできることは、どこに行っても(あやま)ることだけだ。ひたすら頭を下げて、(ゆる)しを()うこと。それだけしか(ゆる)されない。なんて悲しいんだろう。(くや)しい。でも今はとにかく(あやま)るしかない。耐えて耐えて、もっと耐えなきゃ。それがわたしのできることなんだから)


 わたしが、もう一度よろよろと立ち上がって頭を下げると、父が無表情になり、ばさっと、ぼろぼろになった黒いワンピースを足下に投げてきた。


「お前の着ている侍女の服、王宮の支給品だろう。これに着替えろ。作業着だ。侍女の服は、こっちで何とか王宮に返しておいてやろう」

「ありがとうございま……っ!」


 服を拾おうとした手を母に()まれた。


「カリナ、調子に乗るんじゃないよ。あんたはこれに着替えたら家を出て行きな。王宮に追い出された子なんて、もう、メイドとしてすら(だれ)(やと)っちゃくれない。うちの子にそんな娘はいらないんだよ」


 母の目は光を失っており、その目は笑っていなかった。本気の顔だ。

 父も(うで)を組んで、石ころを見るような顔でわたしを見て、深く目を閉じて首を縦に何度もふる。

 見捨てられた。わたしは王宮だけでなく、たった今、両親にも見捨てられてしまった。


「あっ……ああ……」


 わたしは嗚咽(おえつ)が止まらないを無理に息を殺して、どうにか肩で深呼吸して叫びたい衝動(しょうどう)を止めた。そして、わたしの手の上から母が足をのけるのを見て、ゆっくりと手を動かした。

 母に激しく()まれて割れている手の爪が目に入った。涙があふれそうになるのをこらえながら、大きく深呼吸して、涙をこらえて足下にある、ぼろぼろの黒い服をゆっくり拾い上げて立ち上がった。

 黒いワンピースは腰のあたりがほつれて少し(やぶ)れている。本当にぼろぼろだ。今のわたしと同じ……。


「納屋に行って、とっとと着替えんか、この馬鹿(ばか)娘が。もうお前は勘当(かんどう)だ。二度とこのファリーナ家に戻ってくることを(ゆる)さん!」


 父は(つば)を飛ばしながら叫んだ。わたしは力なく、ただ「わかりました。今までお世話になりました」とだけ答えた。


 それから、納屋に行って黒いぼろぼろワンピースに着替え、侍女時代の服を(たた)んで(くつ)と共に父に渡し、わたしは家を裸足で出た。わたしは王宮侍女として支給された(くつ)以外は持っていなかったからだ。外は寒い冬空で、少し雪が舞っている。()すように冷たい。


(わたし、どこに行けばいいの?)


 (なまり)色の空を見つめてわたしは、途方(とほう)()れた。

 こんな行き場のない娘を(だれ)が拾ってくれるのか。

 雪の冷たさが(ほお)の熱を奪い、泣こうと思っていないのに(ほお)を伝う涙が()すように冷たくて痛い。


 何のあてもないまま、ふらふらとわたしは川辺に向かって歩き始めた。

 肩を(ふる)わせて目に涙をためながら、それでも泣かないようようにして、どうにかよろよろと歩く。わたしは(だれ)もいない道を一人ぼっちで歩く。(だれ)も気にかけてなどくれない。一人だけの道を歩く。

 川沿(かわぞ)いに歩けば船でも流れてきてどこか行けるかもしれない。普通に考えたら絶対にありえないことだが、わたしはすっかり参ってしまって、そんな、起きもしない空想をしながら川辺を歩いて行くことにした。


    ◇


 家を飛び出すとき、(くつ)すらもらえなかった。王宮侍女では(くつ)は与えられていたから(くつ)を持っていなかった。そしてその全てを失ってしまった。(だれ)にも評価(ひょうか)されず身一つで、何もない場所へ追い出された。だから今の私は裸足で歩いている。


 川に沿()った小道を歩きながら日が沈んでいくのを(なが)めつつ、これまでのことを、わたしは考えた。泣きながら考えた。吐く息が白い。きっと鼻は真っ赤だ。


 川辺の道は水辺で冷え切った冷気で足が刺すように冷たくて痛い。悲しい。

 その(みじ)めさで、どんどん昔のことを思い出していく。


 思えば幼い頃、姉たちに連れられて湖畔(こはん)にピクニックに何度か行った時は本当に楽しかったなとか、父の事業が上手くいっていた頃は家族みんなで夕食が当たり前で、立派なドレスこそ着ていなかったが、衣服にも不自由しなかった。


(昔は、綺麗(きれい)なサンダルの靴を買ってもらっていたなあ。どうして今の私は裸足で歩いているんだろう。裸足だと、石畳が刺すように冷たいわ)


 あの頃は、この真っ黒な「作業着」になってしまった穴の開いたぼろぼろのワンピースだって、真っ白な麻布だったから着心地が良かった。

 わたしは、真っ白な麻布のワンピースを着て、古代語の勉強のために街の本屋さんから買った1冊の専門書を木陰で読むのが何よりの楽しみだった。

 そんなことを思い出して、(なまり)色の空を見上げる。今はその全てが過去のもので何もない。今の私はカラッポだ。両手を見つめる。ひび割れた爪のついた傷だらけの両手には何もない。私はカラッポの女だ。


 わたしカリナは一代限りの名誉男爵(めいよだんしゃく)ファリーナ家の三女だ。

 6歳になる弟ジェスコは王立学校に通っている。爵位(しゃくい)をえるため騎士(きし)になるのが夢らしい。なんて希望に満ちあふれているんだろう。きっとなれるに(ちが)いない。


 そして父パガニエルと母アウルは酒癖(さけぐせ)が悪くて、いつもお酒に入り(びた)っている。

 両親は癇癪(かんしゃく)を起こすと、飲んでいる酒を私に頭からかけることが何度もあった。姉たちには「早く嫁に行け」と言うのにわたしには「生活費を稼ぐ気がないのか」といつも厳しくあたってきた。なぜわたしだけそんな目に()わされるのかは今も昔も分からない。

 

 そのせいだろうか、要領(ようりょう)容姿(ようし)だけは飛び抜けて良かった姉二人は早々に子爵(ししゃく)家に嫁いでしまった。そして、多額(たがく)の持参金を姉たちが二人して持っていってしまった。だから家の金庫はカラッポだ。今のわたしとおなじカラッポの家。


 それでも、ほんの数年前までは父はミスリル鉱山(こうざん)を見つけた鉱夫(こうふ)頭で、お金回りが良かったのだ。ただ、今は詳しいことは分からないけど、落盤などで採石(さいせき)が止まっており再開まで数年かかるらしい。


 わたしは「うまくいくことは長くは続かない」と思う怖がりな性格だ。

 王宮で女王の身代わりのような人前に出て演技(えんぎ)をできる性格ではないのだ。


 だから、まだ父が他の貴族や王族からチヤホヤされている間に、せめて自分の生活費(せいかつひ)だけでも工面するために必死に努力し、ツテを使ってなんとか王宮の侍女という(しょく)に就いていた、それなのに……!


(あの夜の身代わりの魔法は悪い夢で、いまもわたしは眠っていたりして……なんて、そんなはずないよね)


 思わず今のすべてを忘れて空想の世界に現実逃避(げんじつとうひ)したくなる。

 でも(やぶれた)れた服と裸足の足、割れた手の爪は、どうにもならない現実で、()てつくように寒い空も、寒さで白い息を吐くこの気温も、すべてが本物だ。


(空想は空腹と身一つの今のわたしを救ってはくれない。でもわたしはもう今の現実から逃げたい……これからどうすればいいの?)


 そう言えば、王宮の上級侍女たちは「あんな子が女王のお側なんて」とか「名誉男爵(めいよだんしゃく)のような最下級貴族の子が王宮勤めなんて生意気ね」や「名誉男爵(めいよだんしゃく)娘の分際で侍女の真似事(まねごと)などせず、メイドと一緒に掃除(そうじ)でもしてなさい」と毎日のように言ってきた。


(わたし、メイドじゃないのに、女王側付き侍女だったのに、ずっとメイドらしいことばかりやらされていたなぁ……どうせわたしなんて……)


 メイド以上にメイドのような扱いを受けていたわたしは、誰も見ていない裏階段をずっと掃除をさせられたり、汚れた暖炉(だんろ)を灰まみれで掃除(そうじ)させられたりと、まるでメイドのように扱われていた。それを思い出すと悔しいし、悲しくなって、気分が憂鬱(ゆううつ)になる。


(そんなわたしを主である女王様は見て笑うだけだった……)


 それでも、なぜか女王側付きの侍女になれて、そのことがずっと不思議だったけど、まさか『身代わりのため』に(やと)われていたなんて。

 でも、父が名誉男爵(めいよだんしゃく)という貴族の中でも最底辺だったということを考えれば、こうなることは当然のこととして予測できたのかも知れない。

 生きることに精一杯(せいいっぱい)なわたしには予想もつかない恐ろしいことだけど、わたしはあまりに都合の良い反撃のできない弱者だったのだろう。


(普通の貴族出身の侍女を身代わりにしたら親が黙っているはずがないわ。一代限りの名誉(めいよ)貴族という弱い立場の父につけこんで、わたしはいいように利用されて、王宮からも家族からも不要品として捨てられてしまったのね)

 

 王宮の侍女時代、お休みをもらって実家に帰ることもあった。

 すると、母は吐き捨てるように「あなたは器量の悪い田舎娘だからせめて家族の邪魔にもならないように、その体を小さく丸めて生きなさい」と言われたなあ。

 そして、父は「侍女でも、王宮に出入りする子爵(ししゃく)貴族の(めかけ)にでもなればどうとでもなる」と真っ赤にできあがった顔で言われたなあ。


 でも、その全ては過去のもので、擦り切れて、ぼろぼろで破れて真っ黒に染まってしまった服しか今は手元にない。本もない。今のわたしには何もない。裸足で歩くカラッポのわたし。


(お腹空いた……帰る場所がないけど、どこかへ帰りたい……でも、どこに行けばいいの?)


 わたしは橋のたもとにある、一輪の青白い月桂樹(げっけいじゅ)の花を見つけた。(しお)れかけている。


(王宮内の噴水前にも、青白い月桂樹(げっけいじゅ)が咲いていて不思議と枯れることがなくて、わたしはこっそり水やりしていたよね)


 その時のことを思い出したので、川の水を手ですくい、王宮勤め時代の頃にやっていた水やりの時のように、古代語で囁いた。


「さあ、お願い。『(ふたた)(よみがえ)って……その命が続く限り』」


 古代語の専門書に書かれていた、古代に伝わる古い習わしの、慈愛(じあい)の言葉だ。

 愛する家族や大切な人への呼びかけに使われたという失われた言葉。

 その言葉を、わたしに言ってくださったのは、唯一、ウラカン閣下(かっか)だけだったなあ。


(こう呼びかけては、王宮内の青白い月桂樹(げっけいじゅ)に水をふりかけていたよね。(なつ)かしいなあ。いつも庭師にはナイショでやってたなあ)


 そう思いながら花を見ていると花が白く輝き、みるみる(しお)れていた蕾が再生してぱあっと開花した。


(えっ!? すごい……こんなの、初めて見た……何これ……)


 青白い月桂樹(げっけいじゅ)の光に引き寄せられた人でもいたのだろうか、橋の向こうから人影が見える。

 ああ、良かった、(だれ)か助けてもらえる――


「どうされましたか、何かお困りですか」


    ◇


 善良そうで貴族らしい身なりの整った役人らしい方が近づいてくる。


「行く当てがなくて……」

「ほう、では宿に案内しましょう。ついてきなさい」

「ありがとうございます」

「靴はないのですか、裸足とは? いったいどうしたのです?」

「い、いろいろありまして……」

「ほう……」


 一瞬(いっしゅん)、男性が不穏な笑みを浮かべた気がして、びくっとわたしは体を強張らせた。これは、見たことのある顔だ。


(優しいふりをしてわたしを虐めてきた上級侍女の人たちと同じような(いや)な顔をしている。この人は危ない予感がする……!)


 わたしはついていくのをやめて、立ち止まって首を()った。


「あの、わたしは一人で教会に向かうところですから、どうぞお(かま)いなく」

「教会? 宿においでなさい。宿で一晩お休みすればきっといいことありますよ」

「いや、やめ――」


 私は男の人に突然(とつぜん)に口を(ふさ)がれ、押し倒されそうになる。

 男の顔つきが変わった。


「静かに、人が気づいてしまうといけない。騒ぐなよ。シーッ」


 (うで)(つか)まれそうになり、慌てて近くの川と反対側の方へと逃げようとする。

 それでも、悪びれた様子もなく歩いて追いかけてくる。

 わたしは走ろうとしたけど、怖くて足すくんで、そのまま足がもつれて転んでしまった

 すると、笑いながら男は近づいて駆け寄ってきて、そして、わたしの肩を乱暴に(つか)むと、そのまま草むらへ連れて行って押し倒そうとする。


「おい女、逃げるなよ。今から可愛(かわい)がってやるよ。」

「やっ、やだー!」


 わたしが声をあげても誰も周りに人はいない。

 きっとこのまま誰も気付いてくれない。

 何が起こるかと考えると……わたしは背筋が凍る思いがした。

 わたしの力じゃ抵抗しても逃げられない、痛い、怖い。

 わたしは瞳いっぱいに涙をためながらも、せいいっぱい声を上げた。


「やだっ、お願い、もうやめてっ」


 こんな姿を見られたら、通行人に自分は淫乱(いんらん)だと、(みだ)らな女だと思われるのだろうか。そんなの悔しいし、とても悲しい。

 今のわたしは裸足で、服だって(やぶ)れている。

 もしかして、商売でこんなことをしているのだと思われるのだろうか。


(こんなの(いや)だ、触れられる手が、とにかく気持ち悪い。今すぐ逃げたい)


 怖くて悔しくて、思わず涙がこぼれそう。


 手首を太い手で強引に押さえられて、恐怖心のあまり仕方なく(ふる)えた声で泣きそうになりがら叫んだ。

 涙がこぼれて顔がぐしゃぐしゃになりながら、どうすればいいのかと、答えのない答えを探して思考をぐるぐるさせた。


 頭の中でウラカン閣下(かっか)のことが頭に浮かんだ。


『カリナ。本当の君が知りたい、どうしたら君に会えるかな?』


 あの夜、ウラカン閣下(かっか)と話した時の言葉が思い出される。


(ウラカン閣下(かっか)、もしおられたら、助けてください。わたしを見捨てないで……)


 そのとき、わたしの体全体が白く光り輝きはじめた。


(えっ、これは何なの? 何かの魔法なの……?)


「あっ! 加護の魔法か何か仕込んでやがったのか!? ちっ……」


 わたしに覆い被さろうとしていた男はそのまま慌てて立ち上がり、背を向けて、転びそうになりながら走って逃げていく。


(良かった、何が起きたか分からないけど、助かった……本当に良かった……)


 雑草と土まみれになった背中の痛みをこらえながら体を起こし、わたしは高鳴る心臓をおさえ、涙ぐみながら呼吸を整えようとしゃがみ込んでいると、視界がだんだん暗くなり、そのまま意識が薄れていった……。


    ◇


 わたしが目を覚ますと、魔方陣の中に横たわっていた。


(えっ、何? ここはどこ? 神殿?)


 突然(とつぜん)のことで訳がわからない。

 わたしは川の橋のたもとで暴漢(ぼうかん)に襲われてそこから光に包まれて――

 どうして、こんなところに?


「国庫……粉飾(ふんしょく)……隠蔽いんぺい……どうしてこうなった。やはり、強引な召喚(しょうかん)詠唱(えいしょう)を行い続けたことが原因なのか?」

「どうしましょう。もうこの魔方陣での召喚(しょうかん)魔法は使えません、ガヤルド大司祭。聖女降臨(こうりん)()が、今さら失敗しましたと申し開きを」

「不可能だ、今さら、失敗など言えない」


 大司祭様と教会員の方たちが言い争いをしている。

 

「ここは……」


 わたしが、恐怖で(ふる)えていた。

 何が起きているのか分からない。

 起き上がろうとすると、司祭様のような男性の方が()()ってくる。


「あぁ、目覚めてしまった」

「来ないでください、いやっ、わたしに触らないで――」


 何が何だか分からない。


「落ち着いてください。ここはマラネロ教会の大聖堂の地下にある大神殿です」

「教会? どういうこと? わたしはどうなっているの?」

混乱(こんらん)されるのも、無理はない。それに酷い傷だ。安心してください、私たち教会はあなたを保護(ほご)します。まずは温かい湯浴みと、治癒(ちゆ)魔法で怪我を治しましょう」

「なぜわたしを助けてくださるのですか……?」

「いえ、助けていただくのは我々のほうです。今は混乱されてらっしゃるでしょうから、ゆっくり落ち着いてお休みください」


 それから、わたしは湯浴みをさせられ、殴打(おうだ)され()れていた(ほお)も、割れた爪も、治癒(ちゆ)魔法で治してもらい、純白の綺麗(きれい)なワンピースを着せてもらって、わけも分からないまま、ふかふかのソファーと大きなベッドのついた客間へと案内された。


 わたしは(となり)にいる赤毛のシスターに気になることを質問した。


「あの……おいしい夕食をありがとうございました。パンに温かいスープ……まだ男の人が怖くてあまり食べられなくてごめんなさい。」

「大変な思いをされましたね、無理して食べられなくて大丈夫ですよ」

「ごめんなさい、まだ恐怖で食事が(のど)を通らなくて。それに、どうして、わたしは神殿にいたのでしょうか」

「そのことを詳しく私から説明することは禁じられているのです。申し訳ありません。聖女さま」

「聖女……え、わたしが?」

「あまり気になさらずに……おやすみなさいませ、明日になれば大丈夫です。明日になれば、氷の騎士(きし)様がお見えになりますから」


(氷の騎士(きし)……ウラカン閣下(かっか)が来られるの?)


「今夜は転移魔法や暴漢(ぼうかん)のことでお疲れだったでしょう。治癒(ちゆ)魔法で怪我は治せても、心の安寧を得るには時間がかかるものです。それでは、また明日……」

「ええ、ありがとう。また明日……おやすみなさい」


 1日の間でたくさんのことがあった。

 たくさんのことがありすぎて、まだ心の整理が追いつかない。

 まだ目を閉じると、また誰かに襲われるのじゃないかと怖くなる。


 もうきっと、わたしには失うものもないのだから、これ以上のどん底なんてないのに、どうして怖いのだろう。

 

(これ以上、失うものなんてないのに、わたし、何に怯えているんだろう)


 ふっと、ウラカン閣下(かっか)の言葉を思い出した。あの夜に聞いた言葉。


(確か……大丈夫だよ、カリナ。『君を見捨てはしない』。さあ、もう、うつむくのはやめて顔をあげてごらん。せっかくの顔が台無しだよ、だったかなあ)


 あの日の夜を思い浮かべると、少しだけ、ふふっと、口元に笑みが浮かぶ。


 わたしは、きっと明日は良い日になる。

 そう信じて寝ることにした。


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完結までの連載版はじめました

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連載版があるなら、短編ではなく最初から連載版の一つとしてほしいです。ざまぁもなくて不完全燃焼です。
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