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貴い、とは

 キヨはフィリシティアの話を聞きながら、大量のハテナマークを飛ばしたい気分だった。

 どうやら昨夜の内に何故かハンナを解雇して放り出したのがそもそもの始まりらしいが、何故そんなことになったのかは曖昧に濁して言わない。当初思っていた通りの悪役公爵令嬢なら、単に癇癪を起こして解雇したと思うところだが、このフィリシティア姫がそんな事をするとは思えない。

 ともかく、何でもハンナを通してやっていたフィリシティア姫は途方にくれた。突然舞踏会が中止になった理由も、何が起こっているかも全く分からずに部屋の中で一人考えた末、面識があって仲良く話してくれたセリーヌ嬢に会いに行く事にしたという。王宮侍女からの情報で、セリーヌ嬢が薬事院にいると知ったフィリシティア姫はそこに向かうが、先導してくれた王宮侍女はこれで用事は済んだとばかりに放置。

 この子を放置とか良く出来たなぁとキヨは感心すると同時に、ちょっと腹を立てた。死角無しの完璧箱入り姫を初めての場所に放置するなんて、随分な侍女だ。

 実はこの時の侍女はハンナが追い出される現場を見ていて、フィリシティアに反感を抱いたのでこの対応だったのだが、そんな事はキヨは知らない。

 運良くセリーヌ嬢に朝食を届けに来ていた侍女、おそらくメイミと出会い、セリーヌ嬢の所まで連れて行ってもらった。ここまでは普通に理解出来た。

 だが、そこでフィリシティア姫は自分でも分からないうちに逃げ出していたという。正直、キヨにも全くわけが分からない。

 うーんとキヨは内心首を傾げる。キヨは箱入りであった事なんて無かったので全く見当もつかなかった。とにかく、色々ありつつもセリーヌ嬢に会うまでは順調で、セリーヌ嬢にあった途端に逃げ出したということは、セリーヌ嬢が多分鍵なのだ。かといって、あのセリーヌ嬢がフィリシティア姫に意地悪するのは考えられない。メイミのうっかり発言はありそうだが、それだって絶対悪意は無いだろう。多少なりとも交流のあるキヨにはそれは断言出来た。

 フィリシティア姫がキヨに話してくれたのは客観的な事実のみで、自分の心情などを殆ど含まない所をキヨは意外に思った。普通は何かを話す時、自分の評価が上がるように主観的な要素が入り込むものだ。今回の場合だったら、自分が泣く事になった原因をほのめかしたり、自己弁護的な何かが混ざったり。それは人間としてはまず普通のことで、多少は誰でも無意識にしているのだから何ら責められる事でもない。無意識にしろ意識的にしろ、客観的な話をすることを徹底しているなら相当な自制心である。しかし、今回ばかりはそれが仇になって、心情的な理由がさっぱりである。これはもう一歩突っ込んで聞いてみないととキヨは判断した。

「フィリシティア様、逃出した前後に何か思われた事、考えられた事、ありのままにお聞かせ願えませんか?」

 キヨの申し出に、フィリシティアはぴくっと細い肩を震わせて、また表情を無にした。どうやら言いづらい事らしい。何と言うか分かりやすくて素直な反応である。しかし此処で引き下がっては事態が進まない。キヨは相手を安心させる声と微笑み……アレシアのそれを精一杯真似てフィリシィアの固く握り締めた両手をそっと上から包んだ。そうすると無表情が揺らいで不安げな幼子が顔を出す。

「どのような……例えば他人に言うのは憚られるような内容でもご安心下さい。キアに誓って私一人の胸の内の秘密と致しますから。あなた様の苦悩を私にどうか分かち合わせて下さい」

 キヨが心を砕いて言い聞かせるように囁くと、フィリシティアの大きな目がうるると潤んで幼く銀色の頭が前後に揺れた。

「王宮に参りましてから、お父様の言う正しさが分からなくなってしまいましたの……」

 フィリシティア姫は迷いながらも言葉を探し、話し始めた。

「私は今までお父様のおっしゃる通りに生きてきました。それが正しいと信じておりましたし、それ以外の生き方など私には許されておりませんでした」

 フィリシティアが不安そうにキヨの反応を伺うような目をするので、キヨは大げさにうんうんと頷いた。

「子供がご両親を最初の導き手として慕い、信じるのは当たり前の事ですわ。褒められこそすれ、非難されることではございません」

 肯定してやると、フィリシティアはホッとしたように少しぎこちなく笑みを浮かべた。

「お父様は……物言わぬ花であれと。殿方に対して従順であれ。微笑みを絶やさず、常に殿方を立てよ。与えられるものに満足し、それ以上を自ら望んではならない。そのように教わりました」

 話している内に更に心細気になるフィリシティアを前に、キヨは驚愕していた。確かにそんなふうに洗脳教育されていたら我が儘令嬢になりようがない。男にとって都合の良いお人形さんである。

「でも……陛下は物言う花の方が好ましいとおっしゃいました。私、恥ずかしかったですけれど、頑張っておしゃべり致しました。それを、陛下は喜んで下さいました。はしたないと思いましたけれど、お父様に知られたら叱られると思いましたけれど……林檎にそのまま、その……齧りつくことも致しましたわ。陛下は無理をするなとおっしゃいましたけれど、諦めたら悔しい気がして……林檎はとても酸っぱかったですけれど、楽しかったのです」

 ほうほう、そんな事がとキヨは意外に思いながら、なかなかエディも頑張っているじゃないかと感心した。思い出しながらだからか、フィリシティア姫はほんのり頬を染めていて、微笑ましい。

「セリーヌ様はとても物知りな方で、私とも快くお話して下さいました。ドレス、宝石、美術芸術、刺繍などの事は存じておりますけれど、その他の知識は……。お父様は女に学は邪魔にしかならないとおっしゃっておりましたけれど、セリーヌ様は素敵な方でした」

 ほうほう、セリーヌ嬢とまで親交を。なかなか頑張ってますね、とキヨは感心した。

「そうですね、セリーヌ様はこと植物や薬学に関しては素晴らしい知識をお持ちです」

 それを先日実感したばかりのキヨはしみじみと頷いた。アレシアは命を助けられたし、キヨも彼女の機転と知識のおかげで危機を脱した。

 ところがフィリシティアは急に顔を曇らせて俯いた。

「……どうかなさいました?」

「……今日、お会いしたセリーヌ様は……下賎の者のような格好で、薬草に手を汚して……あまつさえ片手で食べ物を掴んで食べるなど……」

 何か気に障る事を言ってしまったのかと内心焦るキヨの問いかけに、涙ぐみながらフィリシティアは弱々しく答えた。

「あー……」

 無意識にキヨは内心を声に出していた。

 何があー……かと言えば、キヨにも小学生の頃にちょっと似た経験をしたのを思い出したのだ。憧れの人物の意外過ぎる側面にどん引きしたとも言う。例えばテレビの中の憧れのアイドルが、本当は普通の人間でトイレも行けば大もするという当たり前の事に気付いた時のショックというか。要するに偶像の崩壊である。

 しかも、妖精姫の場合は箱庭の崩壊も同時進行である。父親の正義と外で知った現実との齟齬そご顕在化けんざいかに戸惑うのは、まぁ普通だ。日本なら誰でも通う小学校という外の世界があるから、子供の頃からその辺は多少経験するものだけれど、究極の箱入り娘たるフィリシティアには初めての経験というわけだ。

 と、分かった所でどうしようかとキヨは考え込んだ。


 それにしても……“下賎”ねえ。私だって庶民も庶民だし、こっちの身分的にも元流民だし、下賎筆頭なんだけどな。


 不思議な事だが、下賎などという言葉を使う割りにはフィリシティア姫から蔑みの眼差しなどキヨは向けられたこともない。アレシアだって、慈母という肩書きが無ければ身分としては没落貴族の末裔でしかない。それにセリーヌの母親は身分が低いので公爵の娘でも一段低く見られている。諸々知らないフィリシティアではないはずなのに、その辺りを蔑む言動も態度も見られない。


 もしかして骸骨公爵の言葉を丸呑みしてるだけで、下賎の言葉の意味もネガティブなイメージがあるだけで具体的には理解していないとか?


 そう考えるとちぐはぐな印象に説明がつく気がした。

「フィリシティア様、下賎とはそもそもどういう意味かご存知でしょうか?」

「え……?」

 問いかけてみれば、フィリシティア姫は困惑した後、一生懸命頭を悩せる様子を見せた。

 しかし、どう答えたら良いのか分からないらしく暫くの沈黙が訪れる。漠然とした問いほど答えるのが難しいのは当たり前で、ましてそのお題が“下賎”ともなれば、禅問答のようなものである。質問したキヨだって上手い答えを用意出来るか分からない。

 でも、悩む切っ掛けと、悩む時間が結構重要なのだとキヨは思う。闇雲に悩めば良いというものでもないが、悩まないと人間は成長しない。妖精姫を一頻り悩ませた後、キヨは徐に口を開いた。

「言葉にして説明するのは存外難しい事です。ではその反対のとおといとはどういう意味でしょう?」

「それは……高貴なるもの、です」

「高貴も貴いも殆ど意味は同じですので、残念ながら意味の説明にはなり得ません」

 ばっさり切り捨てると、妖精姫はしゅんとして再び涙目である。ちょっと意地悪だったかなとキヨは反省した。しかし、再び公爵令嬢の仮面が剥がれた妖精姫は色々可愛い。罪悪感に多少慣れたせいかキヨはもっとイジリ倒したい欲望に駆られる。いかんいかんと内心頭を振り、我慢して優しい尼僧見習いさんにギアチェンジしたキヨだった。

「具体例を挙げた方が分かり易いですね」

 フィリシティアの関心があることの方が良いだろう。多分、今一番関心があるのはエディのことだろうとキヨは具体例を決めた。

「では、貴い“人”と言えば、具体的にはどなたを思い浮かべますか?」

「国王陛下は貴い方でいらっしゃいます」

 即答するフィリシティアにキヨは思わず苦笑いをした。萎れた花が一瞬で満開の笑顔である。

「では何をもって国王陛下を貴い方とお思いになりましたか?」

「国王陛下は……国王陛下ですから貴いお方です」

 そう来たかとキヨは宙を睨む。まぁ、日本人だって国王とか社長とか言えば偉い人と条件反射的に思うようなものだから仕方が無い。

「えー……ではどうして陛下は王位を継ぐ事が出来たのでしょう?」

 妖精姫はきょとんと首を傾げ、青い瞳をぱちくりさせて何故そんな当然の事を聞くのかという顔をした。

「それはローレッセン前国王陛下を父君とされていらっしゃるから」

「ええ、そうです。他の王子殿下達が全てお隠れになられ、最後のお一人になられたことから王位を継がれました。決め手は“血筋”です。王家の血筋は我が国の根幹に関わるものですから、とても重要です。この重要性が貴いことに繋がります」

 キヨが説明すると、キヨがどんな答えを引き出そうとしていたのか合点がいった表情になってこくりとフィリシティアは頷いた。

「では、もう一人貴い方を私の立場から挙げましょう。神官長のグラスロー様です。この方をフィリシティア様は貴いお方とお思いになられますか?」

「はい、それは勿論ですわ。キア神に仕える最も高位のお方ですもの」

 何の含みも無くフィリシティアが素直に認めるのを見て、本当にあの骸骨公爵は世の中の醜い部分を自分も含め一切見せないように育てたんだなと改めて驚いた。知らず知らず親を子供は真似るし、隠しても見抜いて同じような価値観に染まるものなのに。詮議の場で、キヨを見る目はゴミ以下だったし、グラスローのことも自分の弁護のみに終始して一顧だにしていなかった。あの骸骨公爵自身は神官長など、貴いなどとは逆立ちしても思わないタイプだ。

「では、その位はどのようにして獲得したのでしょう?」

「それは……一心にキア神にお仕えし、そのお姿がキア神の御心に適ったものだったからと思いますわ」

 先程のやりとりを踏まえて、フィリシティアはキヨが期待した答えを用意した。その事にキヨは大きく満足げに頷いて微笑んだ。

「その通りです。グラスロー様に関しては血筋をもって貴い方とされているわけではありません。キア神に一心にお仕えするという、その行いが貴いのです」


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