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取り戻した名は、しかし苦く

本日二度目の投稿です。

 その頃、男装したチェルネイアはモリーツが渡してくれた手紙のおかげでメルロー教授との接触に成功していた。

 だが、その直前にガッシュ・メルローには左軍将軍就任の勅命が下ったので直接会うことは叶わず、教授職の補佐官であった男がチェルネイアと面談することになった。補佐官は二十代後半から三十代半ばくらいの中肉中背の男で、柔和な笑みを浮かべながらも、どこか鋭い空気を纏っていた。

「メルロー教授の補佐官、キール・レノクスです。お嬢さんのお名前をうかがっても?」

 いきなり女とバレていることに顔を強ばらせるが、チェルネイアはすぐに気を取り直した。

「お時間を下さり、有り難うございます。私はリリア・グードと申します」

 男の偽名は考えていたが女の偽名は考えていなかったチェルネイアは、とっさに“本当の名前”を答えた。あの男に奪われてしまった、本当の名だ。

「リリアさんですね。女ながらに騎士になりたいとか。教授からは腕は確かと聞いておりますが、前例がありません。それはご存知ですよね?」

「はい」

「いくら教授が国王陛下の信頼が厚いとはいえ、あなたに騎士位を授ける権限はありませんし、陛下に推挙することも到底無理、ということは理解出来ますか?」

「はい」

 補佐官は迷い無く答えるリリアに満足げに小さく頷き、浮かべていた柔和な笑みを消した。

「では、リリアさんは具体的に何を教授に期待されているのでしょうか?」

 空気を変えた補佐官に、リリアはこくりと喉を慣らして唾を飲み込む。

「私には、実績が必要です」

 少しだけ声が震えたのを、リリアは悔しく思った。ぐっと腹に力を入れる。

「私は、まだ何もしていないただの小娘です。けれど、実力はあります。ずっとその為に腕を磨き、努力してきました。だから、実践の場が欲しいのです。女でも、騎士に相応しい仕事ができる。それを証明出来る場が欲しいのです」

 実際のところ、どれほど自分の実力が通用するのかは分からない。それでも、あの日自分に向けられた賞賛には嘘は無かった。そう、リリアは信じている。だから、堂々と胸を張ってリリアは答えた。

 きっと私なら出来る。そう信じて。

「では、自警団を紹介しましょう。教授が定期的に指導しているしっかりした組織ですから心配はいりません。とりあえず、そこで実績を積んでみてはいかがでしょうか」

 補佐官はリリアの答えに満足してか、再び柔和な笑みを浮かべた。

「はい、よろしくお願いします」

 えり好みを出来る立場ではないのは重々承知しているリリアは一も二もなく頷いた。それに、おそらくそれが現実的に最善の道だろう。

 こうして王都とラダトリアの丁度中程にあるエゼの街に、リリアは向かうことになった。


 エゼに向かうのはリリアだけではなかった。騎士院の生徒達である。年令は十四歳、十六歳、十七歳の三人で、メルロー教授の教え子達だ。なんでも、実践経験を積ませる為にリリアと同じ自警団に預けられることになっているという。面識があったら困ると思ったが、どの子も騎士院卒業前で社交界にも出ておらず、しかも下級貴族の出だった為に素性は全くバレなかった。

 ただ、やはり流石に女性であることは隠せなかったようで、自分の甘さにリリアは内心がっくりしていた。一番年上の、リーダー格の少年に何で女が一緒なんだと開口一番に言われたのだ。

「ロス君、リリアさんは確かに女性ですが、剣の腕は確かですよ。何せメルロー教授が太鼓判を押したくらいですから」

 そう先日面談してくれた補佐官が取りなしてくれなかったら、色々と面倒なことになっていただろう。ロス少年はそれでも胡散臭げな目をリリアに向けていたが、他の二人の少年達はすぐに好意的な態度に変わった。

「それにしても、あの鬼教授のお墨付きだなんて凄いです」

 素直に尊敬の眼差しを向ける最年少のスコーラルに、リリアはぎこちなく笑みを浮かべる。

「ありがとう。でも、持久力は無いの。それが課題ね」

「でもさぁ、美人なのに勿体ないよ。お姉さんなら剣より花の方が似合うと思うけどなぁ」

 軽口を叩くのは十六歳のベルナルドだ。

 補佐官が手配した馬車に揺られている間に、二人とは大分打ち解けた。今となってはさっさと女であることがバレて良かったかもしれない。四六時中女とバレないように気を張っているのは厳しい。自警団には少ないが女性もいるということなので、無理して男を装う必要も無い。

「ふん、女など結局足手まといにしかならない」

 そっぽを向いて文句を言うロスとは未だまともな会話が成立していないが、どうということはない。子守りのような今の状況は不本意だが、文句を言える立場ではないので波風を立てないように適当にあしらっている。ロス以外の二人とも馴れ合う気はさらさらなかった。

「少し寝るわ。昨日は色々あって余り寝ていないの」

 少年達に声を掛けて、リリアは目を閉じる。馬車の揺れに身を委ねながら、ぼんやりと自分の名を心の中で反芻した。


 リリア・グート。

 私の名前。

 リリア。


 取り戻して嬉しいはずのその名は、長いこと触れずにいたせいか酷く他人行儀な名前に思え、反芻すると苦い味がする。女性の名としては、ありふれすぎて面白みのない名前。リリアであった時代は今の自分からは考えられない程に純粋無垢だった。泣き虫で、甘えん坊で、ネリーが大好きだった。

 

 そうだわ、ネリー……。私どうして今までネリーのことを考えずにいたのかしら。

 ネリー。

 ごめんなさい、ネリー。ずっと自分のことでいっぱいいっぱいで、あなたのことずっと忘れていた。

 あなたの名前、返すわね。

 

 不意にこみ上げそうになる涙をこらえて、リリアは膝を抱え、顔を伏せる。

 一緒に育った乳兄弟のチェルネイアとは、それこそ本物の姉妹のように仲が良かった。ネリー、リリーと呼び合い、お揃いのドレスを着て、お揃いの髪型にするほどに。そしてそれを許してくれるほど、ネリーの両親である旦那様も奥様も優しい人たちだった。

 遠い思い出はあまりにも奇麗で、優しくて、その思い出と共にあるリリアの名前は今の自分からは遠過ぎて痛い。


『チェルー』


 胸にこみ上げる苦しさに息を詰めていると、不意に脳裏に柔らかな声が響いた。気が弱そうな、心配そうな、声だ。

 最近まで、大嫌いだった腰抜けの声。思い返せば、嘘偽りないリリアを彼はずっと見ていてくれた。血反吐を吐きながらあの男に挑み続けた日々も、嬲られて憎悪を募らせた日々も、男を手玉に取る徒花として社交界で華々しく飛び回った日々も。

 鬱陶しくて苛々させられたあの眼差しも、憐れんでいたわけではなく心配していたのだと今なら分かる。

 チェルネイアという名前が自分の名前だと思ったことは一度も無い。むしろチェルネイアと呼ばれる度に、全てを奪ったあの男に憎悪を募らせた。

 でも、チェルーという呼び名は違う。

 本物のチェルネイアの愛称はネリーだった。

『チェルー』

 馴れ馴れしくて、そう呼ばれるのが嫌いだったはずなのに。

 おかしなことに、今はリリアよりもリリーよりも、その呼び名が一番自分にしっくりくると感じていた。

 だったら、チェルー・グートとでも名乗れば良かったのだろうかと考えてもみたが、それはそれでもやもやして嫌だった。

 暫くネリーのこと、自分の名前なのに違和感を覚えるリリアという名のこと、チェルーといういつの間にか胸の中に根付いた自分の愛称、それらのことをぐるぐるととりとめもなく考えていたが、最終的にリリアの名前に早く慣れなくてはと結論を出し、チェルーはそのままうとうとと浅い眠りに落ちた。

 


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