影の薄い王付き侍従の場合
王付き侍従の中でも、圧倒的な影の薄さを誇るのがマリーセン・ファレ・ロンダールだ。ロンダール公爵家はレイゼン公爵派に属する古い名家である。周知の通り、エルドシール国王陛下には上に兄君達が十一人もいた。各派閥は有望な王子に有望な若者を御学友として付けていた。王太子殿下がお隠れになり、次に有力と見られたのが母君の実家の格が高い第四王子、第八王子の両殿下と、聡明さで人望を集めていた第七王子殿下であった。つまり、各派閥のめぼしい若者はその三名に付けられていたと言って良い。そして、その多くが内戦により主とした王子達と運命を共にした。そういうわけで、大して期待されもしなかった第十王子、第十一王子の御学友達は各派閥の出涸らしとも言えた。マリーセンとセッペロは故第十一王子の御学友だったが、ご病弱だった王子と対面したのは数える程しか無かった。ラロースは第十王子の御学友であったが、これが酷い癇癪持ちの王子殿下で、どういうわけか毛嫌いされていたラロースは一度しか会ったことがない。第十王子殿下の御学友の中でも一番優秀だったラロースに、おそらく劣等感を酷く刺激されたのが原因だろう。ともかくも、ラロース、セッペロの両名は出涸らしの中でも頭一つ抜き出て優秀だった為に、年令を考慮した上で王付き侍従に抜擢された。ラロースは騎士院を次席で卒業し、特に弓の腕前は他の追随を許さない程だ。セッペロは学問の成績こそ上の下であったが、顔立ちに華があり弁が立つ上機転が利く。剣の腕前は騎士院の同期の中では随一だろう。そして最年少のモリーツは騎士院を飛び級卒業の秀才だ。オーランドは別格としても、侍従達の質は悪く無い。ところが、そこにマリーセンが入ると途端に微妙になる。
マリーセンは愚鈍でこそないが、とにかく特筆すべきところがない中道路線の極みである。容姿も貴族にしては凡庸、学問の成績も中の中なら、剣の腕も中の中、一番得意な得物は棍という地味さである。そもそも棒術使いは酷く珍しい。同じ系統なら普通は槍である。そこをあえて棍なのは刃物が好きではないという理由からだ。そんなマリーセンが王付きの侍従に抜擢された理由は、まずは家柄の良さである。そして血を見るのを嫌い刃物を無粋だと考えるような雅びやかな性格が、レイゼン公爵の目に留まったからだ。能力から言っても、性格から言っても、激しく他の侍従達から浮いているのは間違いない。正直な話マリーセンは王付き侍従に選ばれた時、名誉だと喜ぶよりも青くなった。マリーセンは自分を過信してはいなかったし、箸にも棒にも引っかからないような第十王子殿下の御学友という気楽な立場が気に入っていたような性格である。出来る事なら辞退したかったが、そんな無礼なことを出来るわけもない。そういうわけで、マリーセンは他の優秀な侍従達の邪魔をしたり、不様な失態をおかさないように限り無く存在感を消す方向で頑張っていた。
「マリーセン、そなたレイゼン公爵とは懇意にしていたな」
不意にエルドシールに話しかけられて、影に徹していたいマリーセンは内心舌打ちをした。
「はい。私ごときに勿体ないことですが、目を掛けて頂いております」
正直迷惑でしかないが、と内心悪態を吐きながら殊勝な顔で答える。
「時に、マリーセン。舞踏会の日だが、その日に内密に動いて欲しいことがある」
「どのような事でしょう」
「それは当日指示する。だがそのつもりで何の予定も入れずに待機しておくように」
「承知致しました」
面倒なことでなければ良いがと思いながら恭しく頭を下げた。
そして、舞踏会当日。王から下された指示は特大級に面倒事だった。内容は、レイゼン公爵に仕える下男の一家を王宮の下働きの棟に連行することである。何故に連行なのかと言えば、一応呼び出しの理由が事情聴取であるからだ。何の事情聴取なのかは知らされていない。正直その辺りはどうでも良い。
問題なのは、レイゼン公爵に知られないように秘密裏にという部分だ。
「最近の陛下はどうかしてるよ。俺にそんな役回りを任すだなんてさ、普通レイゼン公爵に漏らすだろ、その情報」
ぶつぶつ文句を言いながらも、マリーセンにはそのつもりはない。マリーセンの家は確かにレイゼン公爵派に属しているが、本人は面倒事が大嫌いなのである。ついでに王付き侍従に推薦して下さったレイゼン公爵が嫌いである。大義名分的には国王陛下の命を最優先で何ら問題無い。後からレイゼン公爵に何か言われても『それが陛下の命でしたので』という受け答え一択で乗り切れる。まぁ、レイゼン公爵に媚を売りまくっているマリーセンの両親は生きづらくなるかもしれないが。派閥内で突き上げを食らうかもしれないが。割と本気で両親のことなどどうでも良いと思っている薄情な息子マリーセンは、大して気にしない。
レイゼン公爵家の陰険執事に『公爵も既にご存知です』とさらっと真顔で嘘を吐き、連行と聞いて真っ青な顔で無実を訴える下男一家を馬車に問答無用で押し込んだ。
馬車は悪目立ちしないように庶民が使う簡易の幌馬車だ。とはいえ、下働きの棟も王宮の一部。そこに直接入るのだから、それなりの物だ。人目を引かないことに関して、マリーセンの心配りはぬかりない。
マリーセンは詳細は何も聞かされていないが、おそらく王にはこの一家をどうこうする気はさらさらないだろう。その気があったら、普通に監獄送りだろう。それがある意味一番安全に身柄を確保しておける場所だ。病気のご夫人や幼い子供に配慮しなければ。わざわざ下働きの棟に一室確保して連行というのは、マリーセンが出した結論としては“保護”である。誰から保護したのかといえば、レイゼン公爵であろう。この一家の長女がアンセル男爵と養子縁組をし、フィリシティア姫の侍女として後宮入りしていることは承知している。具体的に何があったかは知らずとも、お互いがお互いの人質だということ位は分かる。
よくこんな面倒なことを、とマリーセンはレイゼン公爵に内心悪態を吐く。だいたい、これではまるで自分が悪者ではないか。こんなくそ面倒なこと、陛下の指示でもなければ絶対やりたくない。保護してやっているのだから感謝しろとは言わないし、そもそも建前が連行なので言えないが、かといってこんなふうに理不尽に悪者と思われるのも腹が立つ。
怯えて泣いている少女を守るように少し年かさの少年が抱きしめてこちらを睨みつけ、そのそばに寄り添う夫婦は顔面蒼白である。面倒だと思いつつも、安心させる為にマリーセンは口を開く。
「王宮に着いたらアンセル男爵令嬢に会えるように手配するので、無用に騒ぎ立てず、大人しくしていなさい」
王の指示では、下働きの棟の一室に一家を案内した後はハンナ嬢を呼び出して合流させる。その後は、次の指示があるまでその一家に誰も接触させるなとのことだ。
マリーセンの言葉が意外だったのか、夫妻は顔を見合わせた。下男の夫の方がおずおずとマリーセンに問いかける。
「あのぅ……アンセル男爵令嬢っちゅうのは、ハンナのことでしょうか?」
「フィリシティア姫の侍女として後宮に上がったハンナ嬢のことであれば、その通り」
「あ、あんた……もしかしてあの子に何かあったんじゃ……」
「えっ、姉ちゃんがどうかしたの!?」
「いや」
動揺する夫人と息子に、すぐにマリーセンは強く否定する。
「ハンナ嬢に何かあったとは聞いていないが、ハンナ嬢に会えるのは間違いない。用が終わればすぐに家に帰れる。特にお前、無駄なことをして騒ぎを起こすなよ。お前が王宮で騒ぎを起こせば、姉であるハンナ嬢が罪に問われる。分かったな」
馬車に乗せるときも散々暴れた少年に釘を刺すように言えば、少年は生意気にも怒鳴り返して来た。
「お前じゃない! トビーだ!」
「トビー! お貴族様に何て口の利き方だ!」
すかさず父親に拳骨を頭にもらった少年は、呻きながらもまだこちらを睨んで来る。可哀相な位に恐縮して馬鹿息子がすみませんと平謝りしてくる夫妻に、マリーセンはむっつり黙って頭を振った。
「一体何がどうした……」
王宮に近付くにつれ周囲の騒がしさが増し、馬車の進みが遅くなった。もう舞踏会はとっくに始まり、宴もたけなわの頃合いである。それは庶民にとってはそろそろ就寝する時間帯だ。それが祭りの夜でもあるかのような人の流れと騒がしさである。マリーセンが御者に声を掛けると、御者は困惑した顔で首を傾げながら答えた。
「どうも大神殿前の広場で何かあったようで……皆、王宮を目指しているようです」
「王宮を……?」
ますます意味が分からない。人々の流れをよくよく見れば、老人、年端もいかない子供を連れた女の姿が目立つ。皆一様に荷物を抱えている。
その流れに乗り切れず、後ろから押されて倒れこんだ女の姿があった。とっさにマリーセンは馬車を飛び降り、人並みをかき分けて女を助け起こす。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとう」
普段なら捨て置くところだが、女は臨月も近いだろう妊婦だった。
「馬車があるから、それに乗って行け。目的地は王宮、で良いか?」
「ご親切に有り難うございます」
マリーセンが女に手を貸しながら馬車に戻ると、一斉に下男一家がこちらを注視する。
「……ご夫人が一人増えるが、構わないだろう?」
「も、勿論です」
下男が答え、その家族もこくこくと皆一斉に頷いた。
「すみません、お邪魔します」
先客の存在に頭を軽く下げる妊婦の手を引いて、マリーセンは自分の隣に座らせた。御者に声を掛けて再び馬車が動き始めると、妊婦の様子が落ち着いているのを確認して問いかけた。
「ご夫人、実は今郊外から戻って来たばかりで、何があったのか私たちは知らないのだが、この騒ぎのわけを教えてくれないか?」
膨らんだ腹を撫でながら難儀そうに妊婦が話してくれたことによると、どうやら王都のあちこちで暴動が起きたらしい。様子を見に行った夫は帰って来ると、王宮で保護してくれるからお前は近所の女達と一緒に避難しろと言って火事の消化に行ってしまったという。近所の女達には声を掛けたが、王宮が保護するという言葉を信じてくれず、仕方なく一人で王宮を目指していたという。
「私も最初は半信半疑だったんですけれど、途中で王宮を目指す人々の流れが出来ていたので……」
「……とにかく、王宮に到着すればどういうことなのか分かりそうだな」
暴動が起きたとして、王宮に民を保護するというのは常識的に考えてあり得ない。が、マリーセンには最近正気を疑う人物がいる。国王陛下が直接そのような指示を出していたとしたら、あり得ないことではない。
マリーセンは頭を抱えたい気分をどうにかやり過ごし、とにかく最初の指示だけ守って後は大人しくしていようと心に決めた。面倒事にこれ以上巻き込まれるのはごめんだ。
かくして、大幅に時間を食ったものの、どうにか王宮に到着した一行は、まず妊婦を下ろした。王宮で民を保護しているのは本当だったようで、長い行列が出来ていた。その整理をしていた文官の一人にマリーセンは自分の身分を明かし、妊婦でいつ産まれてもおかしくないからと強引にご夫人を託して王宮の裏門に向かった。下働きの棟は裏門のすぐ近くにある。事前に連絡があったのか、マリーセンの名を聞いた門番は馬車の中の人数と名前を確かめると、すぐに中に入れてくれた。
一家を予め用意していた一室に押し込めると、自分がこの部屋にハンナ嬢を連れてくるまで絶対に部屋から出ないことを念を押して約束させた。反抗的で出し抜いてやろうという気概満々に見て取れる少年を最後に一瞥したマリーセンは、夫婦にもう一度念を押して言った。
「……あなた方はその馬鹿息子が勝手に出歩かないように、よくよく監視していて下さい」
トビー少年の罵倒と少年を叱責する夫妻の声を背後に聞きながら、マリーセンはとっととハンナ嬢を連れて来て、その後は陛下の指示があるまで待機していればいいと思った。どうせこの騒ぎである。陛下がマリーセンに指示したことを思い出すのはだいぶ先だろう。その間ひっそり待機で面倒事をやり過ごそう。
しかし、その目論見はすぐに泡と消える。ハンナ嬢が主であるフィリシティア姫に解雇され、行方不明になっていたからだ。慌てて暫く時間が掛かると伝言に戻ってみれば、両親の目を盗んで部屋を抜け出したトビーも行方不明になっていた。
「くそったれ!」
マリーセンはついぞ口にしたことのない下品な言葉で苛立ちを爆発させながら混沌とした王宮内部へと走って行った。