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汝、恐れることなかれ1

「陛下。今日は随分とご機嫌麗しいようですが、何か良い事がございましたか?」


 何時もと変らぬ態度をとっているつもりだったが、ドールーズには分かってしまったようだった。書類への署名が一段落したことを見計らって声を掛けていた男に、エルドシールは顔を上げる。


「……気になるか?」


「それは勿論でございます。それが臣下というもの」


 瞬時にどの程度話すかエルドシールは脳内ではじき出す。おそらくドールーズは昨夜も抜け道を使って神殿に赴いたことに気付いているだろう。


「うむ……。そなたは信じてはいない気がするが、キア神の涙を知っているか?」


「キア神の涙、ですか? あの神子が降臨されるという……」


「そうだ。あの泉は半ば伝説化しているが、実際に神殿内にある」


 三年に一度の大祭がキアの涙において祭祀が行われるのは、この国の民なら誰でも知っていることである。神子大祭は国一番の祭りであると同時に、世界一の祭りでもあった。世界の人々のおよそ四割はシーラ教の信者で、初代神子を信仰する二割強のリルル教の信者にとってもその降臨の泉の祭りとなれば無関心ではいられないのが当然であろう。

 だがしかし、その泉を実際に見た者はいない。祭祀は常に神官長と十人の選ばれた上級神官によって行われ、その情報は秘匿されて来た。それゆえ、実際にそんな泉は存在しないのではないかと疑う者も意外と多い。


「陛下は実際にご覧になったのですか?」


「うむ。実はな、王も臨席を許される秘された祭祀がある。頻度としては百年に一度あるかないからしいから、最初で最後だろうが。昨夜がその祭祀だったのだ。まさしく神秘の泉であった」


 真実を語った上で一番隠したい事実だけを言わないという選択によって作り上げた話が、一番秘密を守るのだと経験的にエルドシールは知っていた。虚偽は不自然さを隠すために最低限混ぜるだけだ。あの場で経験した出来事は、語る時に無感動でいられない程大きな出来事であったし、相手に悟られる程態度にも出ていたなら全て隠すよりもそうした方が怪しまれない。

 それにいつ離反するか分からない暫定の味方である相手に対して、腹の内を少しも見せないのは得策でない。釣りきれていない魚に餌はやはり必要だ。極秘中の極秘のキア神の涙の情報はたとえ信者でなくとも魅力的な餌だろう。

 それは重畳でございましたと驚きを見せて頷くドールーズに、エルドシールは成功したか、と安堵した。キア神に仕えるグラスローならともかく、この男に神子の存在を知られては厄介だ。

 あの神子ならドールーズさえもいなしてしまいそうだが。


「それよりも、今日の御前会議で決まった王妃候補の話だ。そなたはどう思う?」


 最初は二十近く上がっていた正妃候補も年月を経て三人に絞られていた。つまり大きな派閥三つに集約されたわけだが、血筋など条件的にはいずれ劣らぬといったところだ。それぞれが一歩も譲らないので、最終判断は結局のところエルドシールに任された。三人の姫君は正式な正妃候補として近く王宮に上がることになっている。


「今は善くも悪くも国内の勢力は調和がとれていますが、いずれの姫君が正妃になられてもその調和は崩れるかと。いっそ他国から正妃をお迎えして、国内の候補の姫君はまとめて側室になされば、と思いますが……」


「それは不可能であろうな。貴族達はこぞって反対するだろう。そんな事を言えば最悪どこからか父上の御落胤でも出て来て、首をすげ替えられかねない」


 ドールーズの言葉はエルドシールも何度か考えた事だ。しかし、自分たちの推す姫を正妃にして権力の拡大を狙う者達からすれば承服出来ない相談だ。思い通りにならない傀儡の王はお払い箱にされてしまう可能性が高い。


「どなたを選ぶのが一番被害が少ないかと言えば、セリーヌ嬢でしょうな」


「うむ」


 セリーヌ嬢の父、ガルニシア公爵は官僚の支持者の多い穏健派で知られ、他の二人の候補者を推す旗頭、血筋こそ全てという保守派のレイゼン公爵、武門の名門で少々過激なところのあるゼットワース侯爵に比べれば幾分マシではあった。


「陛下」


「何だ?」


「いっそ派閥と関係の無い姫君に一目惚れでもなさったらどうですか?」


 何時もの様に柔和な笑みを貼付けたままのドールーズの雰囲気が少し剣呑なものに変る。どうやら策があるようだ。


「……それで?」


 促してやれば恭しく頭を下げて、幾分潜めた声で話し始める。


「恐れながら浮いた話一つ無い陛下が政治権力の意識の外でご所望された女性ならばよっぽどの事、皆様もいずれかの姫君を正妃に立てた上で側室にならと妥協するかと。陛下のご寵愛は側室のもの、との認識を広めた上で正妃を迎えられれば、或る程度正妃ご実家の派閥の台頭を抑えられるでしょう。その上側室にのみお子様が誕生すれば自然と正妃から力を奪う事が出来ますな」


「臣下の言う通りに正妃は迎えても、お飾りにして力を削いでしまえば実質無力か」


 成る程、妙案ではあるなと思う。現段階では取り得る最上の策であることは間違いない。さすが己の才覚一つで成り上がったと豪語するだけあって、頭は良い。

 しかし、エルドシールは頷けなかった。権力と金に群がる女をいくら利用しようと心は痛まない、とは言えない。地位はあっても力が無いゆえの苦しみをエルドシールはよく知っていた。

 権力と金に縋らざるを得ない状況に女達を追い込んでいるのは、他ならぬ自分たち支配者階級の男達である。今の貴族社会を見れば一目瞭然だが、女は男の道具でしかない。貴族の姫君としてかしずかれていようとも、父親や兄弟に言われるがままの人生を送らされる姿は奴隷のようだとさえ思う。

 そして形だけの正妃は傀儡の王である自分にも重なる。それに幼い頃から尼僧院で母をはじめ心穏やかな尼僧達に育てられたエルドシールにとって、女性を道具として見ることは非常に難しかった。

 しかしそのような心情をドールーズに知られる訳にもいかない。王とは非情な決断をしなければならない時が少なからずあるのだ。皮肉な事に傀儡の王であるためにそのような決断をせずにすんで来たが、実権を取り戻そうというのならば情に流されぬ決断が出来る王であることを示さねばならない。


「そなたの策、考えておく」


「もしお命じ下されば、陛下の好みの姫君を見繕ってまいりますが」


「そこまでそなたを信用してはいない」


 すかさず提案してくるドールーズをエルドシールは軽くひと睨みし、再び書類を手に取り話を打ち切る。


「申し訳ありません、出過ぎた事を申しました」

 

 引き際をわきまえているドールーズが退出すると、エルドシールは深く椅子に凭れて重い溜め息を吐いた。

 全て心の内を見せ合って、共に戦ってくれる存在が欲しい。

 そう思った時脳裏に浮かんだのは神子の強い意志の輝きを宿す黒い瞳だった。もし神子を側室に迎えたなら、毎日がどれほど愉快だろうか。だが、気が強過ぎて側室には向かないだろうし、何より本人が承知しないだろうと苦笑しながら頭を振る。

 今までずっと侍従や騎士、官僚達を注意深く観察し、信頼出来る者を見定めようとして来た。幾人かは信頼出来ると踏んでいるがそれも確信の域ではなく、最後の最後で心の内を打ち明ける事を躊躇っていた。ひとたび明らかになれば、今許されている僅かな力すら奪われてしまうだろう。そうなれば状況はもっと厳しくなる。

 しかし踏み出さねば何一つ始まらない事も分かっていた。王妃選びは大きな切っ掛けになるだろう。最初の一歩をどこに踏み出すか、決断せねばならない時が近付いていた。



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