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王として2

 神殿前の広場は酷い有様だった。ろくな武器も持たない民衆にはやはり多数の死傷者が出ているようで、辺りに立ちこめる血の鉄錆びたような匂いにキヨは吐き気を感じた。自分の命だけは保証されているとはいえ、初めて見る惨状に涌く恐怖心はどうしようもない。

「民は極力傷つけるな。では、行くぞ」

 隣に立つエルドシールが一同に声を掛け、キヨは背筋を正す。民衆の前で毅然として立っていろと言われた事は忘れてはいない。

「神官長様、お手を」

「おお、かたじけない」

「行きましょう。王に遅れてはなりませんから」

 キヨが差し出し手を恐縮しながら取るグラスローにキヨはぎこちなく笑みを浮かべ、それからしっかりとその皺だらけの手を握った。


「双方とも引けーー!!国王陛下の御前である!!」

 セッペロと数人の近衛兵が先導役となり、騎馬で前線に躍り出た。

 興奮する民衆は国王も打ち殺せと気炎を上げるが、臣下である右軍には瞬く間に動揺が広がった。王を守ろうと前に出ようとする者、御前ということに慌てて膝をつき跪く者、混乱してその場を逃げ出そうとする者まで様々だ。

 民衆の投げる石つぶての飛び交う中、エルドシールは迷い無く進み出た。そのすぐ後ろにキヨとグラスローが従い、周りを囲むように近衛兵達が守る。直接襲いかかって来る民衆相手には盾による防御を中心にしていなし、既に戦意を喪失した右軍を背後の守りにして広場中央まで進む。民衆の怒りの声と共にエルドシール達に向かって飛んで来る石つぶてはかなりの数だったが、キヨの加護が効いているのか不思議とエルドシール達に当たることはなかった。

 その間に、一行の中に神官長と尼僧姿の娘がいることに気付いた民が攻撃をやめ、周囲にもやめるように呼びかけ始めた。

「神官長様だ!」

「良かった、ご無事だったのか!」

「おい、攻撃をやめろ! 神官長様や尼僧様に当たるぞ!」

 尻窄みに攻撃が治まる中、エルドシールは広場中央で民に向かって堂々と向き直った。

「聞け!我が名はエルドシール・ドラクロム・ゼッタセルド、我が国、ゼッタセルドの王である!」

 それは喧噪を打ち破って響き渡った。近くで聞いていたキヨは驚く。どちらかというと物静かな方なエルドシールが、こんなに力強くて通る声をしていたとは。舞台俳優として鍛えていたって、こうも響く声はなかなかないに違いないとキヨは感嘆した。それに、その宵闇に燃え立つような髪が異彩を放つ。そこかしこに掲げられた松明と月明かりに照らされ、その存在自体が燃えてでもいるように赤々と鮮烈な色彩を放っていた

 それは広場に集まった民にしてもそうだったようで、一瞬水を打ったように静かになった。その瞬間を逃さず、エルドシールは言葉を続ける。

「まずは王として、守るべきものである民に刃を向けた右軍に代わって謝罪する! この度の右軍の暴走はひとえに我の不徳の致す所である! 不甲斐なき王であることに忸怩たる思いに絶えない! 今更遅いやも知れぬが、どうかこれからの我を信じて欲しい!」

 頭こそ下げないものの、率直な王の謝罪に民は戸惑いにざわめいた。王はもとより、貴族という生き物は目下のものに謝罪するなどということはない。黒いものも白と貴族が言えば白いと言わねば平民は生きて行けない。そういうものだった。

 そして、エルドシールは民に無防備な背中を向けた。流石にぎょっとしたセッペロ達が民との間に盾として進み出たが、そんなことには頓着せず、今度は跪いて頭を垂れている右軍の者達に向かって声を上げる。


「命を下す! 右軍は直ちに武装を解け! 負傷者を民、兵の区別無く王宮に運べ。収容先は民を大広間、兵は夏宮殿だ。負傷者の内、歩ける者は己の足で向かえ。残った兵は復旧作業、死者の神殿への収容に従事せよ!右軍将軍トーレ侯爵は王宮にて沙汰あるまで謹慎を申し渡す!」

 エルドシールの処断に跪いていたトーレ侯爵は思わず立ち上がった。

「陛下!その神官長は謀反人ですぞ!」

 公爵はキヨに手を引かれた神官長を指差して憎々し気に叫び、エルドシールは忌々し気に顔を顰めた。

「黙れ、痴れ者が! その情報はまがい物だ! この茶番を仕組んだゼットワース侯爵は囚人となって獄に繋がれておるぞ!」

「なっ!!」

「もとより我の裁可無く右軍を動かすとはどういう了見か!」

 重ねて王に叱責され、トーレ侯爵はその場にへなへなとへたり込んだ。

「副将軍、前に出よ」

 続くエルドシールの言葉に一人の男が進み出て、膝を付く。

「そなたらに現場の指揮を任せる。一刻も早く負傷した民を保護し、王宮に運べ。兵より民を優先せよ。その後は速やかに復旧作業に当たれ。民に刃を向けた罪を忘れるな。我が国が何の正義あって存在するのかを思い出すが良い」

「はっ、肝に命じまして!」

 厳しい口調で指示を下したエルドシールは再び民衆の方へと体を向けた。

 戸惑いの空気が流れる広場に、エルドシールはただ一人沸き上がる震えにぐっと腹に力を込めた。恐怖のためではない。困難に立ち向かう為の武者震いだ。

 そして大きく息を吸い込んだ。 

「聞け、我がゼッタセルドの民よ! 女子供、老人など弱き者に王宮を解放し、保護する! 負傷者には出来る限りの治療を行うと約束しよう! 右軍は今回の責を取り、復旧作業に専念せよ!」

 王宮を平民に開放するという前代未聞の王の言葉に、民衆がざわめきどよめいた。汚れ仕事である復旧作業を振り分けられた右軍にも衝撃が走った。

「恐れながら申し上げます! 右軍全てが復旧作業に従事しては都の治安が保てません!」

 副将軍が焦った声を上げる中、足を引きずる老人が一人民衆の中から進み出た。転がるように地べたに這いつくばった老人は、その双眸に苦悩を滾らせてエルドシールをひたりと見上げた。

「国王陛下……! あなた様は、本当にわしらを守ってくれるのか?」

 老人の言葉がエルドシールの心に突き刺さる。傀儡の王たる己には、民を積極的に守る力が無い。守ってくれるのかと問われ、是と答えるのが王としては正解だろう。たとえそれが偽りだとしても。しかし、エルドシールは愚直に生きると決めたのだ。エルドシールは真っすぐにその老人を見つめ、口を開く。

「ご老人、我は力を持たぬ不甲斐なき王だ。我が身一つしか持たぬ、無力な王だ。しかし、我は喜んでそなたらの盾になろう! それが神代の時代から我が王家の血の誇りである!」

 キヨと出会い、話してから、ずっと考えていた。自分はどうあるべきかを。そして、民を何処に導くべきかを。

「聞け、民よ! 慈悲深きキア神に託されたこの地は、そなたらのものだ! 我は盾に過ぎぬ! 我という盾の主人はそなたら民である!」

 本当は、正妃を正式に娶るのに合わせて民に演説をすることを考えていたが、それではもう遅い。

「目覚めよ、誇り高き民よ! キア神の御許、悠久の時を刻むゼッタセルドはそなたら民のものであった! 我が国はキア神の慈悲のかいなに抱かれ、長く弱き民の揺籃ようらんであった! しかし、我は問いたい! いつまでも揺籃の中に眠る赤子でいて良いのか!? キア神の慈悲と奇跡の泉に頼り切り、自らは動こうとせず、ただ安寧を貪るだけの腑抜けた民が、真実キア神の民に相応しいのか!?」

 ゼッタセルドはもう、親離れをして独り立ちすべきなのだ。慈悲の泉に守られているだけの幼子でいられる時期は疾うに過ぎている。これから先、ゼッタセルドが生き残るには、民を強く賢く育てねばならない。

「答えは否である! 右軍の暴挙に声を上げ、護国の要たる神殿を守る為に立ち上がった勇気ある民よ! そなたらこそが愛国の騎士である! キア神の民に相応しき誇り高き者達よ! そなたらこそがゼッタセルドの守りの要! 頑健なる父よ、勇猛なる夫よ、熱き血潮の兄弟よ! そなたらの誇りはキア神の宝玉とも言うべき美しきこの都の荒廃を許さぬ! 我はそれをしかと今日胸に刻んだ! 故にこの都の治安を、そなたらに託す! 弱きを守り、罪を許さず、秩序をこの都に取り戻すのだ!」

 ビリビリと異様な熱気をはらんだ夜の空気を震わせ、獅子の咆哮のごとき檄が飛ぶ。老人は王の姿に若き日に見た獅子王を思い出して涙を流し、若者は子供時代に憧れた英雄を重ねて胸を震わせた。暴動の興奮冷めやらぬ民の心に火をつけるに十分だった。






ウェブ拍手のお礼小話をアップしました。

本編には出て来ないキアさんが登場していますので、良かったら読んでやって下さい。


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