王として1
二人だけで話すことがあると周囲に告げ、エルドシールは護衛達と距離を置いた。ただし、いつでも異変に気付けるように視界を遮るものは無い。ともかくも、小声で話せば彼らに聞こえない程度の場所まで、尻をおさえてヨタヨタしているキヨの腕を掴んで引きずるように移動した。
「何故来た」
「この私が来たかったからよ」
何か文句あるのとでも続けそうなキヨの態度に、エルドシールは今回ばかりは心底頭にきた。
「無謀だ。自分の立場を考えろ」
「考えたから来たの……! 私はどんな時でもエディの味方で側で支えるって決めたんだから。それに、私は強力なバリアー付きよ?」
「ばり、あ? 何だ其れは」
「だから最初に言ったじゃない。私の命の危機の回避をしてくれる秘密。まぁ、具体的には知らないけど。多分あのゼットワース侯爵に切られても、最終的には私は無事だったと思うわ。多分ね」
実際、キヨは額の祝福の石がどういう効果を発揮するのか良く知らない。キア神から聞いたのは、老衰以外の原因で死ぬ事が無いように回避するということだけ。ただ、あまりにもしょっちゅう死にかけると石自体の力を使い果たしてしまい、結果効力がなくなる。極論で言えば、だいたい五年間毎日死にかけると効力が無くなるとキア神は言っていた。石の力は時間が経てば再び溜まるそうなので死にそうになる間隔さえ開けば、まず大丈夫ということだ。毒見の時に感じる警告程度なら、石の力を使った内には入らない。
「……つまり、命の安全は保証されているから来たと?」
胡乱な目で見下ろしてくるエルドシールにキヨはむっとした顔をした。
「違うわよ、私が側にいたらエディの弾除けくらいにはなるでしょ? 多分……!」
「たま……?」
「だからね、飛び道具系の武器なら私が側にいたら弾くって言ってるの。多分……!」
「さっきから多分ばかりだが、確証は無いのか?」
「無い」
「そなたは阿呆か……!」
無いときっぱり言い切ったキヨに、エルドシールは呆れて天を仰いだ。
「良いから私を連れて行きなさいよ。キア神の霊験あらたかな護符だと思って」
「……駄目だと言っても無理矢理ついてくるのだろうな、そなたは」
引かないキヨに、渋い顔をしつつもエルドシールは諦め口調だ。
「無駄な抵抗はやめたほうが良いわよ」
「そのようだ。だが、我について来るならキヨ、覚悟を持て。あの時のように無様に腰を抜かしたりするな。毅然として立っていろ」
「あ、あれは、不意打ちだったからよ……! それにエディこそ馬鹿みたいにこれから無茶するんでしょ? 無謀っていうならそっちこそだわ」
ゼットワース侯爵に斬りつけられそうになって腰を抜かしてしまった事を揶揄され、キヨは羞恥に赤くなって言い返した。するとエルドシールは少し驚いた顔をして、微苦笑を浮かべる。
「……お見通しか」
「だって私が焚き付けたんだもの」
怒ったような、それでいて泣きそうな顔をして言うキヨに、エルドシールはふっと優しい目をしてぽんぽんと低い位置にあるキヨの頭を撫でた。いつもなら年下の分際で私を子供扱いするなと文句の一つも言ってやる所だが、キヨは甘んじてそれを受けた。
「そうだな。そなたが王として欠点となるところをこそ武器にしろと唆してくれた。我は思うがままに愚直に生きるぞ」
「馬鹿なんだから」
「それが我の選んだ道だ」
「そうね。でも、唆した責任をとって付き合うわ」
「そうか。では、来い」
毅然として向けられたその背を、キヨは頼もしいと初めて思った。
神殿の裏手に辿り着く頃には、人々の怒号や悲鳴がキヨの耳にも届くようになった。キヨは元々平和ぼけした現代日本の若者である。戦争や暴動などはテレビの映像でしか知らないし、殴り合いすらしたことがない。叱られて叩かれたことは確かにあったが、それは子供時分に片手で数えられる程度のものだ。
近くの道場から聞こえる大きなかけ声にさえ、怖いと思ってしまう。大きな怒鳴り声は昔からキヨは苦手だった。
そんな自分が意地を張ってエルドシールについて来ても足手まといになりかねない。そんなことは百も承知だった。現に聞こえて来る怒号に足が竦みそうになる。それでも、キヨは迷わず進む。
この事態はキヨがこの世界に来なければきっと起こらなかった。キヨがいなければアレシアは王宮に滞在することもなかったし、毒に倒れる事も無かった。エルドシールがお妃選びに積極的になることもなかった。
それでもキヨは自分が来なければ良かったとは思わない。後悔はしない。
後悔したり自分を否定してしまっては、自分を信頼してくれたアレシアやエルドシールを裏切るのと同じだから。
――たとえ志半ばで倒れようとも、あの子本人が選びとった道ならばあの子の人生は一瞬だとしても光り輝くでしょう――
キヨの胸にアレシアの言葉が蘇る。
私は切っ掛けに過ぎない。それでも、決定的な切っ掛けになったんだもの。エディの人生が光り輝く様を見届けなくちゃ。立ち向かうエディをこの目に焼き付けなくちゃ。こんなところで倒れさせやしないけど、私だけはエディの真実を見届けて、いつかキアに伝えるの。素晴らしい王様と友人になったって。
やがて神殿の脇道を抜け、喧噪がもう間近となった時にエルドシールは皆を振り返って言った。
「我は右軍と民衆の間に割って入る」
「それは危険過ぎます!」
「そうですぞ、御身に何かあったらどうなさいますか!」
血相を変えて近衛兵やグラスローが諌めるのを、エルドシールは静かに受け止めて頷いた。
「そうだな、無謀だ」
あっさり認めるエルドシールに皆の間に戸惑う空気が流れる。その静かな声の調子のまま、しかし瞳には強い意志を燃やしてエルドシールは更に言葉を重ねた。
「しかし、無謀と知りつつも成さねばならぬ時もある。我にとって今がその時だ。我と共に無謀の道を行く者はあるか」
「私を共にお連れ下さい」
エルドシールの問いかけに、キヨがまず即答した。そして、ややあって侍従のセッペロが口を開いた。
「私も、お連れ下さい」
それに続いて近衛兵達も我も我もと声を上げ、最後は神官長が苦りきった顔で重い口を開いた。
「仕方ありますまい、私も参りますぞ」