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それぞれの戦いへ3

 眠りを妨げる物音にモリーツはぼんやりと目を開けた。室内はすっかり闇に呑まれている。どうやらいつの間にか夜になったようだ。そんなことを考えながら物音のする方に視線を向けた。カツンカツン、と乾いた音がするのはカーテンの向こう側の窓かららしい。一体何だろうかとモリーツは寝ぼけ眼を擦って慎重に体を起こした。背中の傷は順調に回復しているのもの、完全に塞がったわけではない。ゆっくり動かないと痛むし傷が開く。

 そろそろとした動きで窓辺に寄り、少し警戒しながらそっとカーテンの端を持ち上げて外の様子を伺った。

 「!!」

 思わず声を上げそうになって慌てて手で口を塞ぐ。

 その急な動きに背中の傷が熱く疼いたが、モリーツはそれどころではなかった。カーテンを開けて窓の留め金を外し、大きな音がしないように慎重に開けると窓の外に張り付いていた人物はモリーツを押しのけるようにして部屋の中へ侵入した。

「チェルー、一体どうしたの?」

 驚きながらも声を潜めて問うと、チェルネイアは両腕をぶらぶらさせながら疲れた顔でモリーツを睨んだ。

「反応が鈍くて中で死んでるのかと思ったじゃないの。もうちょっとで腕が棒になるところだったわ」

「ご、ごめん。そうじゃなくてっ、何でこんな危ない事を?」

「だって仕方ないじゃない。あなたの部屋の前、二人も近衛兵が張り付いてるのよ。こうでもしなきゃ、内緒で逢いに来れないでしょ」

 ヒソヒソと声を潜めて会話をしながらも、チェルネイアの視線は忙しなく小さな尼僧見習いの部屋を探っていた。モリーツはといえば、困惑しながらとりあえずランプに火を灯した。

「あなたの着替え、あるのでしょう? 何処?」

「え? うん、あるけど」

 何が何だか分からないままに、モリーツは頷いて衣装箪笥の扉を開けた。動けるようになったら着るようにとオーランドが用意してくれた服がある。

「良かったわ。じゃあ着替えるからそっち向いてて」

「えっ!?」

「しっ! 大きな声出さないちょうだい。外に聞こえるでしょうっ」

 予想外の台詞に思わず声を上げてしまったモリーツは、チェルネイアに怒られて慌てて口を閉じた。

「とっととそっちを向いてちょうだい」

 混乱するモリーツは、言われるがままにチェルネイアに背を向けた。

「そのまま聞いて。慈母様が毒に倒れたわ。幸い命は取り留めてご無事よ。それと、あなたの父親は失脚したそうよ。ちなみにフェンリールが攻めて来るらしいわ」

 低く落とした小さな声で淡々と告げるチェルネイアに、モリーツはすっ、と混乱した頭が冷静さを取り戻した。ただ、まさかと思う気持ちとやはりという気持ち、相反する二つが同時に沸き、モリーツは沈黙した。暗闇には衣擦れの音だけが暫く続いた。

「驚かないの?」

静かに問いかけてくるチェルネイアに、モリーツはゆっくりと息を吐いた。

「……考える時間だけはあったからね。まさかって思いもあったけど、それは信じたい気持ちもあったから。やっぱりなっていう気持ちの方が大きいかな。こんな大事おおごとだとは思わなかったけど、何か画策してるんだろうとは思ってた」

「そう……」

 モリーツには自分の血を分けた父の事が理解出来なかった。有り余る野心を持っていることは知っていたが、それにしても規模が大き過ぎるし裏切りとしてはこれ以上のない程の悪辣さだ。

「慈母様の暗殺どころか売国行為までするなんて……」

「……そうね。もともとどす黒い欲望の塊のような男だったけれど、そこまでとは正直私も驚いたわ。あの男は王位が欲しかったのかしら。それなら王を弑して簒奪すれば良いのに、何で私を正妃候補にしたり、慈母様を暗殺しようとしたりまどろっこしい事をしたのかしらね。他国を介入までさせて、何がしたかったのか分からないわ」

 呆れたようにチェルネイアの声に、モリーツは苦い笑みが浮かぶ。例えばこの国がゼッタセルドではない他国だったら、父はとうの昔に簒奪者になっていただろう。

「ゼッタセルドの王族の血筋は特別だから、それが失われれば簒奪した王位も意味の無いものになるからね。だから陛下を玉座に据えたまま実権だけを手に入れたかったんだと思う」

「陛下から全てを奪うつもりだったっていうのは分かるわ。あの男の考えそうなことよ。でも、それももう終わり。ゼットワース侯爵家はお終い、だそうよ」

 モリーツは、そこで初めて自分が名前にもある名門貴族ゼットワーストいう名が失われるのだという事に気付いた。重く絡み付いていた武の名門の名が消えるのだと。自分は一体どうなるのだろう。自分は父と共謀したわけではない。むしろ父を裏切ったようなものだ。それでも余りにも重大な裏切り行為をその当主がしたとなれば、実の息子である自分がただで済むわけがない。陛下は庇って下さるかもしれないが、ゼットワース派を目の敵にしていたレイゼン公爵が黙ってはいるまい。王付き侍従からは外されるだろう。最悪、連座させられて処刑ということもありえる。もっとも、処刑されるのはフェンリールの支配下でかもしれないが。

 それも仕方ないかなぁ、とモリーツは諦めに似た思いを抱く。モリーツは少なくとも父の陰謀を知り得る立ち位置にいた。父の野心の強さを知っていたにも関わらず、父が苦手なモリーツはどちらかと言えば極力関わらないように逃げていた。父ともっと関わりを持っていたら、もっと早い段階で陛下に伝えられたかもしれない。全ては阻止出来なくとも、フェンリールの事くらいはどうにか出来たかもしれない。だから、臣下としての責務を果たしていなかったともいえる。責められても仕方が無い。

 でも、と思う。

 チェルネイアは、本来ならゼットワース侯爵家とは関わりのない人間だ。乳母に会ってはっきり分かったが、チェルネイアは父が用意した替え玉で、実母を人質にとられた哀れな娘でしかない。被害者でしかないチェルネイアが父の犯した罪で罰されるなんて、そんな事があって良いわけがない。

「チェルー、逃げるならラダトリアにある慈母様がいた修道院が良いよ。あそこは女性を特に手厚く保護してくれる。男装は良い考えだと僕も思うよ。君の乳母の事は僕がどうにかするから、とにかく身一つで先に逃げて」

 何故、チェルネイアが自分の服に着替えようとしたのか、漸く腑に落ちた気がした。確かに逃げるなら男装した方が良い。

「何言ってるの、私は逃げないわよ」

「チェルー?」

 不機嫌そうなチェルネイアの声に、モリーツは戸惑う。逃げる以外にどんな選択肢があるのかモリーツには見当もつかなかった。いったいこの美しい従姉妹の姫は、逃げずに何をする気なのか。

「逃げ続けなければならない人生なんて、もう真っ平ごめんなのよ。男に支配されるのも、もう嫌。かといって修道院でもう人生終わったみたいに生きるのも嫌よ。私の柄じゃないわ。だから戦うって決めたの」

「戦うって……」

 思ってもみない選択肢にモリーツは絶句した。チェルネイアはそんなモリーツの内心を知ってか知らずか、自慢げな口調で話を続けた。

「私の剣はちょっとしたものらしいの。相手があの男ばかりだったから知らなかったけれど、結構強いみたいだわ。陛下に褒められたし、剣の教授にも感心されたのよ」

「どうする気?」

「まだ……はっきりとは決めていないの。でも、フェンリールが攻めて来てるのだったら手柄を立てる絶好の機会だわ。手柄を立てたら男爵位くらいは貰えるかも知れないじゃない。それが無理でも報奨金くらい出るでしょ? そしたら小さくても良いから家を買って、自分の居場所を確保するの」

 無謀だと思った。女性が武功を立てても、この国では認められないだろうし、男装したって注目を浴びなければともかく、近くで接すればすぐに分かるだろう。身に付いた女性らしい仕草は隠しようもないし、声だって低く装っても男のものとは言い難い。それにいくら剣の筋が良いとはいえ、軍人として訓練を受けたわけではないし、体力だってどう考えても足りない。それはまるで、世間知らずの夢見がちな少女の計画のように滑稽だった。それでも、その心意気が実にチェルネイアらしいと思った。モリーツが愛した少女は、泣き虫で、でも負けず嫌いで、どんなに辛くても自由を諦めなかった。絶対に負けないと、全身で叫んでいるようだった。

「居場所を確保するだけなら、国外でも出来るよ」

 無駄だと知りつつ危ないことはして欲しく無くて一応言ってみるが、返答は実に簡潔だった。

「駄目よ」

 あまりのすっぱりした言い方に、モリーツは思わず少し笑った。

「何故?」

「私の両親はこの国を愛していたわ。お墓もあるし、私も死んだらこの国で眠りたい。憎しみもあるけれど、やっぱり私はこの国を捨てられない。宝物のような思い出があるから私は頑張ってこられたっていうのも事実だもの。それに悔しいじゃない。何にも悪い事なんかしてないのに、罪人のようにこそこそ他国に逃げなきゃいけないなんて。あなたはどうなの? このまま唯々諾々とフェンリールに下るの? それともこの国に命を掛けて戦うの?」

 モリーツはチェルネイアの問いかけに押し黙った。そういえばモリーツはフェンリールが攻めて来たと聞いて戦って国を守ろうとは少しも考えなかった。なるようにしかならないと、諦めていた。自分の不甲斐なさに、今更ながら呆然とする。

「着替え、終わったわ。ねえ、おかしくない?」

 ぎこちない動きで振り返ると、小さいランプ一つきりの灯りのもとでチェルネイアが佇んでいた。化粧っ気の全くない顔は、普段と違って少しあどけない。少し不安そうな表情が、一層その顔を幼く見せる。モリーツはゆっくりと視線を動かした。チェルネイアは女性にしては背が高いので、モリーツともそこまで身長差があるわけではない。ズボンは元々ひざ下丈なので、それほど丈の長さは気にならない。さすがに上着は大きい感じはするが、肩幅はそれなりにあるのでだらし無く見えたりはしないし、豊かな胸を隠すには丁度いいのかもしれない。何も知らずに見れば、背伸びしたい年頃の初々しい少年に見える気もする。

「……ちょっと大きいけど、不格好って程でもないよ。大丈夫」

「そう。これ、貰うわね。お礼は言わないわよ、不本意ながら頼ってあげたんだからお礼を言われたいくらいだわ。じゃあね」

 モリーツが請け合うと、チェルネイアはほっとした顔をして、それからすぐにいつもの気の強いつんとした顔をして一気に言い切り、再び窓から外へ出ようとそちらへ踵を返した。モリーツは慌てた。いくらなんでも宛もなく放り出せない。

「待って、チェルー」

「何よ。止めたって無駄よ」

「ううん、止めないよ。ただ、頼ってくれたお礼がしたいからちょっと待ってて」

 止められるなら止めたいけど、という言葉は口に出さず、モリーツはどうするか考えながらチェルネイアを引き止めた。一体この状況で何が自分に出来るのか。焦りながら何か探すふりをして引き出しを開けると、真っ白な便せんが目に入った。ぱっとモリーツの頭に名案が浮かび、急いで椅子に座る。つい背中の傷を忘れて動いてしまい引き攣れる痛みに顔を顰めたが、モリーツは一心にペンを走らせた。そして書き上がった文面を確認して封筒に入れ、ランプの火で溶かした蝋で封をした。

「メルロー教授宛の紹介状だよ。これがあれば面会出来ると思う。きっとあの方ならチェルーの力になってくれるよ。だから、どうか死なないで。君の居場所を勝ち取って、堂々と幸せに笑って」

 もしかしたら、これが最後になるかも知れないから。モリーツは思いを込めてチェルネイアの手に封書を押し付けた。

 ああ、僕は何て馬鹿だったんだろう。陛下がチェルーを幸せにしてくれたら良いなんて、そんな他力本願な事を考えていたなんて。

 チェルーは誰かに幸せにしてもらおうなんてきっと思ってない。チェルーはいつでも、暗い想いに囚われて暴走しかけていた時でさえ、自分で道を切り開こうとあがいていた。そんな姿が、僕には眩しかった。眩しすぎて胸が痛かった。

 チェルネイアはモリーツの強い想いを感じたのか、神妙な顔でその手紙を懐に仕舞った。それから机の上に包帯などと一緒に置かれていた鋏を手に取るといきなりザクリと、その豊かな栗色の髪を襟足のところで切り取った。そして、その束をモリーツに差し出した。

「こんな長い髪、邪魔だからあなたにあげるわ。何、その間抜け顔」

「だ、だって」

 手に押し付けられてつい受け取ってしまった髪の束に動転するモリーツに、チェルネイアはふふんと意地悪な表情で笑った。

「だってじゃないわよ、髪を切ったくらいで男が動揺するものじゃないわ。だからあなたは舐められるのよ」

「そ、そうかな」

「そうよ」

 それから、チェルネイアは表情を真面目なものに変えて、ぽつりと呟くように言った。

「乳母やのこと、本当に感謝してるわ」

「それは……もう良いよ。その、これからも君の乳母のことは力を尽くすから。任せてって自信を持って言えないところが、その、悔しいけれど」

 思わぬチェルネイアからの感謝の言葉にまたまた狼狽うろたえ、しどろもどろに赤くなって言えば、すぐにチェルネイアの表情が呆れ顔に変わる。

「だからそういうところが駄目なのよ。俺に任せろ、大船に乗った気分でいろくらい言えないわけ?」

「う……だってそんな安請け合い出来ないよ」

「必死さが足りないのよ。確約してなかったから失敗しても言い訳が出来るっていうことと同じじゃないの。私は確約するわよ。死なないわ。そして絶対に居場所を勝ち取ってみせる」

 小声だけれど、はっきりと言い切ったチェルネイアの強い瞳にモリーツは息を飲んで見蕩れた。

 あぁ、やっぱり僕は、チェルーが好きだ。油断したら涙が出てしまうくらい、チェルーが好きだ。

 モリーツの矮小で卑屈な心が奮い立つ。

「分かった。乳母のことは、僕に任せて。平穏が戻ったら、絶対に無事に君の元へ届けるから」

「……仕方ないから信じてあげるわ。しっかり約束果たしなさいよね」

 そう言って、チェルネイアは今度こそ窓から再び姿を消した。

 残されたモリーツは、託されたチェルネイアの髪を持ったまま夜の闇ばかりになった窓を暫く眺め、それからゆっくりと深呼吸を一つ。とりあえず切り落とされた髪の束を適当な長さに切った包帯で括り、換えの枕カバーの中に隠した。チェルネイアが脱いでいったドレスも箪笥に仕舞う。少し興奮したせいか、いつもより動き回ったせいか、背中の傷が痛痒く熱い。出来れば包帯を換えて薬も塗り直した方が良いだろう。表は大変な騒ぎだろうから、いつキヨが戻ってくるかも分からない。いつものモリーツならその必要を感じてもキヨが戻るまではじっと待っていただろう。けれど、そんな流されるばかりでは、きっとチェルネイアとの約束は果たせないとモリーツは思った。

 今一信用できないみたいな顔をしながら渋々チェルーは言ったけど。

 怖いし、本当は自信なんて無いけれど、それでも君との約束だから。

 僕はきっと逃げないで頑張れる。

 生き延びて、チェルーが愛するこの国を守って、そして約束を果たすんだ。

 その決意を胸に、小さな行動を起こす。扉を開いて、その前に立っている近衛兵に声を掛けた。

「勤務中に申し訳ありませんが、どちらか包帯を換えるのを手伝って下さいませんか?」


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