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それぞれの戦いへ1

 オーランドの齎した衝撃的な報告に、エルドシールの頭に浮かんだのはモリーツが語った内容だった。ゼットワース侯爵、ガルニシア公爵派のトーレ侯爵の腹心、サイゲル卿、そして今回の毒殺騒ぎ、その全く繋がらない糸が直感的に繋がったと感じた。

「それは本当か、オーランド殿!」

「何と言う事だ、キア神の守護する我がゼッタセルドに弓引くとは、フェンリールは気でも狂ったか!?」

 驚き騒ぐ家臣達の中でいち早く冷静さを取り戻したかのように、ゼットワース侯爵が大音声を上げた。

「後日改めてこの度の失態、責任を取らせて頂きます。今は火急の時、一刻の猶予もならぬ状況と愚考致します。陛下、どうか左軍出陣の許可を!」

 眼光鋭く、武人らしい物言いで一瞬にしてまごつく家臣達の心をとらえた。

「も、最もだな。うむ、こういった状況では仕方が無い!」

「陛下、すぐに将軍にフェンリール討伐のご命令を!」

 他国との戦いなど知らず、内戦でも自ら剣を取る事も無かっただろう高位の貴族達は我が身可愛さにあっさりゼットワース侯爵を支持した。

「近衛兵、今すぐゼットワース侯爵を捕らえよ! 容疑はフェンリールと通じた売国行為である!」

 しかし、エルドシールが発した命令は左軍出陣の許可ではなく、ゼットワース侯爵の捕縛であった。

「なっ、陛下、どういう事ですか!?」

「このような非常事態に何と言う世迷い言を!」

 動揺する家臣達にエルドシールは言葉を重ねた。

「鎮まれ! 我は誰か!? 我はこのゼッタセルドの王である! 近衛兵、そなたらの主は誰か! 主の命を実行せよ!」

 王の叱咤に近衛兵達は戸惑いながらもゼットワース侯爵に縄を掛けた。

 王の己に対する捕縛命令はゼットワース侯爵にとっても晴天の霹靂だった。何故、凡愚な王に知られたのかという驚愕と持って行き場の無い怒りに身を震わせるが、それを表に出す程愚かでではなかった。此処で暴れるのは無駄に体力を失い、状況を不利にするだけだとゼットワース侯爵は歯噛みする。此処を離れてから、近衛兵を言いくるめればよい。ゼットワース侯爵は武の者として近衛の者達からも崇敬されている。

「火急の時につき事の真偽を論じている間もないが、我はゼットワース侯爵が何らかの売国行為を行ったと確信している。この混乱に乗じて逃亡することも考えられるゆえ、決して監視を怠るな!」

「は、はいっ! 承知しました!」

 王の言葉に漸く納得したのか、近衛兵達は表情を引き締めた。

「し、しかし、それでは誰が左軍を率いるのです!? 副将軍はゼットワース侯爵のご長男ですし」

「近衛兵団団長のデニスローン侯爵ではどうか!?」

「ガッシュ・メルローを呼べ。あれに任せる」

 エルドシールの落とした新たな爆弾に家臣達は右往左往して紛糾したが、エルドシールはそれを一刀両断し、宣言した。

「な、なんと!」

「あのような下賎なものに仮とはいえ将軍職などとんでもない!」

「黙れ! 王である我が信頼する者をそなたらは蔑ろにする気か! そなたら、分かっていないのか!? 我が国は、ゼッタセルドは滅びの危機にあるのを理解しない愚か者なのか!? この期に及んで身分を四の五の言う者は我が家臣には要らぬ!」

 エルドシールは焦りもあって普段の冷静さをかなぐり捨てて怒鳴った。常にないエルドシール怒り様に、騒いでいた家臣達も押し黙る。

 実際、長年剣の教授として多くの軍人を育て、人望のあるガッシュであれば、高位の貴族達はともかく大多数を占める中下級貴族達を纏める事は難しいことではない。用兵において実践的な知識を持っていることもエルドシールは知っていた。デニスローン侯爵は確かに剣はそこそこやるが、軍を纏めるだけの人望も手腕も無い。数年見ているだけで自分ですら分かる事が何十年と政治の世界にいて何故分からないのか。エルドシールは拳を握り締め、これ以上ここにいる意味が無いと出口向かう。

「陛下! 我らにもどうかご指示を」

 背を向けた王に浮き足立った空気が漂う中、ガルニシア公爵が静かに歩み出て跪いた。エルドシールは振り返った後一瞬言葉に詰まり、頷く。

「そなた達は文官達を統率し、負傷した者を受け入れる準備をせよ。大広間と、それから夏宮殿を開放する。正門以外を封鎖し、助けを求める民は全て受け入れて大広間へ収容せよ。夏宮殿へは負傷した兵を運べ。それから、今ある日持ちせぬ食材でなるべく多くの腹を満たす食事を作るよう、厨房方に通達せよ。質は問わぬ。とにかく量を作れ。備蓄庫を急ぎ確認し、内容を把握せよ。オーランド、セッペロ、両名は我と共に来い」

「はっ」

 迷いを捨てたように一気に指示を出すと、エルドシールは二人を伴って部屋を出た。



 残されたキヨは呆然としていた。

「何なの、この急展開。なんだってこんな時にフェンリールが攻めてくるわけ?」

 力が抜けてへたり込んだキヨの肩を強く叩いたのは、セリーヌだった。

「しっかりなさって、キヨさん。こうしては居られないわ、私は薬事院に向かいます。キヨさんはどうなさいます?」

「私……?」

「ええ、陛下が陛下の戦場に向かわれたように、私は自分の能力を最大限に生かせる薬事院に向かいます。キヨさんの戦場はどこですか?」

「私の戦場……」

 キヨは機能停止しそうになる脳みそを必死で動かした。

 私は何の為に、この世界に来たの? 

 そうだ、キアからの伝言を伝えるため。でも、その後は好きに生きなさいとキアは言った。私は、私は。

「私は、エディの味方になるって決めたじゃない。行かなくちゃ」

 キヨは幾分落ち着いて立ち上がった。

「有り難うございます、セリーヌ様。私、行きます!」

「私も行きますわ。キヨさんにキアのお導きがありますよに」

「セリーヌ様、あなたにも!」

 キヨは走り出した。


 あの、頼りない王様の側に行かなくちゃ!

 何が出来るとか、出来ないとか、足手まといになるかとか、そんな事は一切考えない!

 あぁ、私の馬鹿!

 ぼんやりしてる間にエディがどっかいっちゃったじゃない!

 

「ラロース様!」

「キヨ殿?」

 おろおろするキヨの視線の先には、さっきセリーヌに協力してくれた侍従の姿があった。

「私をすぐに陛下の元に連れて行って下さい!」

「な、何ですか、何かあったんですか?」

「ええ、大有りです! 神子の遺産の血が今すぐ陛下の元へ行けと言っているのです!」

 もちろん口からでまかせのハッタリであるが、思いのほか上手く行った。

 ラロースは顔色を変えてすぐさまキヨを抱えて走り出したのだ。俵を担ぐようにして。

「ちょっ! 自分で走ります!」

「舌を噛みますよ、黙っていて下さい! その格好で走るよりはこの方がよっぽど早いです!」



 フィリシティアには、何が起こっているのか全く分からなかった。

 急に舞踏会が中止になり、自室に閉じ込められた。後宮は静かだが、物々しい雰囲気は伝わって来る。

「一体何があったの……」

 不安に泣きそうになるフィリシティアの傍らにはハンナの姿があった。ハンナは自身も泣きそうになりながらも、必死でフィリシティアの手を握って大丈夫でございますよと繰り返した。

 そんな中、フィリシティアの部屋の扉が叩かれた。

「ハンナ様、控えの間にいらしてください」

 応対に出た王宮侍女の一人に声を掛けられ、ハンナは渋々フィリシティアの手を離した。

「すぐに戻って参ります。大丈夫ですよ、姫様は絶対に大丈夫です」

 口べたなハンナは無闇に大丈夫を連発して今にも崩れ落ちそうな風情のフィリシティアを励まし、後ろ髪を引かれながら控えの間に向かった。


 残されたフィリシティアは不安に押しつぶされそうだった。

「何故、ハンナは行ってしまったの? ハンナは私の側にいるべきなのにっ」

 側を離れたハンナに俄に癇癪を起こしかけ、うろうろと室内を歩き回った後に控えの間へと向かった。

 一体外では何が起こっているのか、恐れながらも知りたいという気持ちは隠しようも無い。きっと控えの間でハンナは外の状況について聞いているところだろう。そう思うとはしたないとは思うものの、自分がしようとしている事を止められなかった。

 控えの間に繋がる扉を音がしないように慎重にほんの少しだけ開く。


「なんだと……は、あの……見習いに毒……られたと……。この愚図が!」

(お父様?)

 途切れ途切れに耳が拾った声に、フィリシティアは戸惑う。ここ後宮には父親であっても普段立ち入りは禁止されているはずだ。よっぽどの事態が起きたのだろうか。

 そう不安に思うと同時に、恐ろしい単語が父の台詞に混じっている事に気付く。

(毒……? 何を言っているの?)

 隙間から目をこらせば、激高して醜く顔を歪める父の姿にフィリシティアは思わず体を震わせた。そして、その足下には這いつくばって許しを請うハンナの姿があった。

「この上は死んで責任を取れ。今ならお前一人の命でどうにかしてやる」

(え……?)

 冷え冷えした父の言葉は、小声に近かったにも関わらず何故かはっきりとフィリシティアの耳に届いた。

 父の手から床に放られた懐剣が、絨毯の上に転がった。

 蒼白になったハンナがぶるぶる震えながらその懐剣に手を伸ばすのが見える。

 その懐剣が鞘から抜かれ、目を射抜くような銀が煌めいた瞬間、フィリシティアは無意識に扉を開け放っていた。



「何を、何をしていらっしゃるの、お父様……!」

「お、おお、フィリシティア! 私の可愛い薔薇! この侍女は恐れ多くもアレシア様毒殺を企てたのだ。せめてもの慈悲で、自決させることにしたのだよ」

 突然の愛娘の登場にレイゼン公爵は少し慌てたが、すぐに猫なで声で説明を始めた。

「慈母様の? まさか、慈母様は!?」

 顔色を変えて震える娘に、レイゼン公爵は慌てて駆け寄って抱きしめた。

「いや、大丈夫だよ、フィリシティア。アレシア様は一度は毒にお倒れになったが、ご無事でいらっしゃる」

「よ、良かったですわ……」

 はらりと涙を零して胸を撫で下ろす様子に、レイゼン公爵はそっと頭を撫でる。

「よしよし、そなたは本当に心優しい子だ」

「で、でも……ハンナがそんな恐ろしい事を本当に?」

「信じられないのも無理はないが、父の言う事が信じられぬか?」

 僅かに不快感を顔に表してレイゼン公爵が言えば、フィリシティアははっとした顔をしてすぐに否定した。

「いいえ、私はいつでもお父様を信じております。けれど、陛下の後宮を血で穢すのは……」

「なるほど、確かにそなたの言う通りだ」

 レイゼン公爵はフィリシティアが血の穢れを恐れていると理解し、這いつくばったままのハンナを見遣った。

「お前、どうすれば良いか、分かっておろうな?」

 抜き身の懐剣を握ったまま、ハンナはぎこちなく頷いた。



 どうにか父を追い出したフィリシティアは、ハンナの手から懐剣を取り上げ、投げ出されたままの鞘を拾って納めた。

「姫、様……」

 まだ腰が抜けたようになっているハンナを、フィリシティアは腕を引っ張って立たせた。無言でそのまま自分の部屋を通り過ぎ、奥の衣装部屋に向かう。呆然としているハンナを置き去りに、フィリシティアは宝石箱をひっくり返した。大振りの首飾りの入ったビロードの袋を空にし、その中に小振りの指輪やら耳飾りやらを無造作に投げ込んで行く。

 フィリシティアは盲目的に父を信じることが出来なくなっていた。信じたい気持ちはあるが、自分と共に震えながら手を握ってくれていたこの侍女が、父の言うような事を本当にしたとは思えなかった。父は母どころか血の繋がった姉にさえ冷淡な人間だ。使用人の不始末には冷酷であることも何となく知っていた。

『この上は死んで責任を取れ。今ならお前一人の命でどうにかしてやる』

 あの父の言葉が蘇る。ハンナが自決しなかった場合、公爵家に仕えているハンナの家族が責任を取る事になるのだろう。正直、ハンナの家族のことなど直接会ったこともないし、どうでも良かった。しかし、このハンナが死ぬのはどうしても嫌だった。機転が利くわけでも、容貌が美しいわけでもない、侍女としても取るに足らない存在。だというのに、あの懐剣が抜かれた瞬間、フィリシティアの心は嫌だと叫んだのだ。

 宝飾品で一杯にした小袋の紐を締め、フィリシティアはそれをハンナの手に押し付けた。

「これを持って行きなさい」

「え……」

 驚くハンナを無視して、その背をぐいぐい部屋の入り口に向かって押した。

「あなたのような不出来な侍女、もううんざりなの。慈母様暗殺なんて大それた事をする侍女も不要だわ。もっとも、そんな度胸あなたにありはしないでしょうけれど。これは退職金と口止め料よ。家族そろって国外にでも行きなさい。そして二度とこの国に戻ってこないで。この私の侍女だった事、今後一切口にしないで。これは命令よ」

 必死にいつもの調子で言おうとするのに、声は涙声になっていた。泣く理由などないのに、泣きたくなどないのに、涙が止まらないことにフィリシティアは苛って明け放った扉の外にハンナを突き飛ばした。

 廊下に転がり出て尻餅をつくハンナの姿に居合わせた王宮侍女達がぎょっとした顔をしたが、その視線を引きつけるように居丈高にフィリシティアは言い放つ。

「早くお行きなさい!」

 そして勢い良く扉を締めた。

 そのままくたりと座り込んだフィリシティアは呆然としていた。意識してはいなかったが、状況的に初めて父に逆らったのだと自覚したから。

「お父様が知ったら、何ておっしゃるかしら。お父様の言いなりになるお人形ではなくなったら、やっぱり見捨てられてしまうのかしら……」

 胸が痛んだ。それでも、思ったよりその痛みは軽いものだった。涙を拭って、ふらふらと立ち上がるとフィリシティアは文机の片隅に置かれた螺鈿細工の箱を開ける。中にはレースのハンカチに包まれた林檎が入っていた。少し水分が抜けて、皮の感触が少し変わってしまったそれを、フィリシティアはそっと手に載せてみる。

「でも、陛下はもの言わぬ花よりもの言う花を好まれるのですもの。人形のままではいけないのだわ。そうですわよね、陛下……」

 おずおずと頬擦りすると、フィリシティアの鼻腔を林檎の甘酸っぱい匂いがくすぐった。なんとなく励まされた気持ちになって、フィリシティアは少しだけ微笑んだ。


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