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齎された報告

 ゼットワース侯爵の頭には、神子の遺産などという訳の分からないものははなから存在しなかった。そもそもゼットワース侯爵家の始まりは第二の神子に付き従った功績からということは勿論知ってはいたが、それでもそんなものは遥か昔の事過ぎて神子の遺産の恩恵に預からなかった彼には正に晴天の霹靂だった。

 何故、あの上級神官が詮議の前に始末しろとくどいくらいに要求したのか漸く理解したと同時に、折角この日の為に重ねて来た準備が水泡に帰そうとしていることに怒りが沸き上がる。しかし、怒りのままに行動する程に愚かではない。

 この上は、どうやってこの事態を収拾するかだ。あの上級神官に全て騙され踊らされたことにしてしまえば良い。そう判断するまでに時間は要らなかった。騙された事を嘲笑されるのは甘んじて受けよう。将軍職にある者としてあるまじき浅慮と罵られようと甘んじて受けよう。我が策は、全てが潰えたわけではない。

 ゼットワース侯爵は思わず顔に出てしまっていた憎しみを動揺と驚愕の表情にすり替え、憐れみの眼差しを向けるセリーヌ嬢に相対した。考えをまとめる為にも、少しでも時間を稼がねばなるまい。


「それは、考えも及びませんでした。なるほど、とは思いますが、尼僧見習いが神子の遺産を受け継ぐ者と証明することは出来ますかな?」


 業とらしい程驚き、その上で訝しげな表情をするゼットワース侯爵にセリーヌは内心舌打ちをする。もっと動揺しても良さそうなものなのに、さすがに面の皮が厚い。そう思いながら、セリーヌは余裕の笑みを浮かべて口を開く。


「ええ、勿論ですわ。そもそもこのようにキヨ尼僧見習いがアレシア様毒殺未遂の容疑を掛けられる前からそうではないかと思っていたのです。何より、私が毒をいち早く特定出来たのは彼女の証言が切っ掛けでございました。毒味の状況などあの場で陛下に報告されていた内容から、もしやと閃いたのでございます。これほど早く毒が特定出来たのは、彼女のおかげに他なりません。同時に、状況から彼女が神子の遺産を受け継ぐ者であることも容易に察することが可能でございました」


 メイミがセリーヌに教えてくれたのだ。キヨは空になったカップに触れただけで、そこに毒があると断言したと。毒味もせずにポットのお茶にも砂糖つぼの砂糖にも毒が無いとはっきり断言したことも。

 それからセリーヌ自身も聞いていた。王がキヨに問いかける言葉を。

“今毒を感じるところはあるか?”と。

 ふっと、過日書庫で聞いた王の言葉も思い出す。

“神官長グラスローは私などよりもキヨに弱い”という理由も今なら納得出来きる。王は、ご存知なのだ。

 おそらくセリーヌが言わなくてもいざとなれば王はキヨ尼僧見習いが神子の遺産を受け継ぐ者であると証言するであろうが、黒幕とされるグラスロー神官長のほぼ身内のような立場の王の事を考えれば、第三者がそれを証明した方が確実である。それらば、ゼットワース侯爵派でも疑いが掛かっているレイゼン公爵派でも、神官長と懇意でもないセリーヌは理想的だ。

 改めてセリーヌは此処が正念場と覚悟を決める。これが上手く行けば、キヨの無罪は証明されるだろう。

「陛下、ならびにこの場におられます皆様。今からキヨ尼僧見習いが神子の遺産を受け継ぐ者と証明させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」

「否と言う理由が無い。トラウス侯爵」

 セリーヌの問いかけに王が答え、促されたトラウス侯爵は再び前へ出た。

「ゼットワース侯爵は一旦下がられよ。セリーヌ嬢、どのように証明するのかまずは説明を」

「はい。先程ラロース様にはもう一つお願いをしておりました。こちらに持ってきて頂けますか? そしてどのように私がお願いしたのか皆様に説明をお願いします」

 セリーヌはしっかり頷くと成り行きを見守っていたラロースに再び声を掛ける。彼が運んで来たワゴンの中段には、未だ触れられないままの黒い布を掛けられた何かがあった。ラロースは緊張した面持ちで口を開いた。

「セリーヌ様のご依頼は、七日熱に効く解熱剤の調合に使う原料五種をそれぞれ同じ大きさの瓶に入れて名称を書き、それを黒い布で覆い隠しておくというものでした。私は薬の事は全く分かりませんので、薬事院の薬師に依頼し、準備したものです」

 掛けてあった黒い布を取り去ると、その下からは黒い布に覆われた掌に載る程の大きさのものが五つあった。

「ラロース様、ありがとうございます。七日熱には通常の解熱剤はあまり効かないのをご存知でしょうか? 通常の解熱剤に調合する三種の他に二種、合計五種類の原料を調合いたします。その内の一つが量を間違えば内蔵を損なう毒となります。キヨ様、どれが毒か当てて下さい」

 促されたキヨは未だ固い顔で神妙に頷くと、かすかに震える手で最初の一つを手に取る。確かめる時間は僅かなもので、次々と黒布に包まれた小瓶を手に取って行く。観衆は息を詰めてその様子を見つめた。どんな不正もまやかしも見逃すまいとするように、その視線の殆どは厳しい。突き刺さるような監視の中で、顔色を悪くしながらもキヨは迷い無く一つを選んだ。

「……これです」

 キヨが差し出したものを受け取ると、セリーヌは大丈夫よと励ますように微かに微笑んで頷いた。そしてそれを観衆に向けて掲げ持ち、口を開いた。

「では、布を取る前に毒の名前をお知らせします。シソメラニス、赤斑サソリの毒です。トラウス侯爵、確認をお願いいたします」

 果たして、トラウス侯爵の手により黒布を取り払われた小瓶には、『シソメラニス』の名が記されていた。


 これによって、キヨの無実はほぼ確定したといえる。驚嘆のざわめきと共に場の空気が確実に変わった。

「尼僧見習いキヨに発言を許す。本来ならば神子の遺産を血で受け継ぐ者は秘されるものだが、あえて真実を述べよ。そなたは神子の遺産を受け継ぐ者か」

「はい」

 トラウス侯爵の問いに対し、未だに緊張を隠せない様子ながらも落ち着いた調子ではっきりとキヨはそう答えた。

「では、その遺産とは毒を見分ける力に相違ないか」

「はい」

「では、グラスロー神官長にアレシア様殺害を指示されたというようなことはあったか?」

「一切そのような事実はございません。グラスロー神官長様のお声掛かりで慈母様にお仕えする誉れを頂ましたが、それはひとえに慈母様を毒からお守りする為にございます。後宮にて過去に毒を盛られたことを一度ならずご経験された慈母様におかれましては、この度の王宮ご滞在中に同様のことが起こる可能性をご憂慮なさっておられました。慈母様が神官長様にご相談なさったことから、私の血筋をご存知だった神官長様からお声を掛けて頂いた次第でございます」

 キヨは努めて丁寧に、冷静に述べた。おそらくグラスローはキヨの正体についてどんなに問いつめられようと、拷問に掛けられようと、明らかにすることはないだろう。どんなにキヨ自身が全てを告白したから、お前も吐けと言われようとグラスローはキヨが神子と知っていればこそ、それは絶対にあり得ないと知っている。ならば、キヨが今すべき事は一つ。なるべく破綻のないようにセリーヌが整えてくれた舞台を締めくくらねばならない。そして、その答えとして用意した台詞をつかえることなく揺るぎない声で最後まで言い切ることに成功した。


 キヨの弁明は、非常に整合性があるように聞こえた。確かに毒を見分けることが出来る神子の遺産を受け継ぐ者なら、強引に見習いになったばかりの尼僧をアレシアに付けることも納得出来る。勿論、そうやって全幅の信頼を勝ち取った上で毒殺に踏み切るとしたら、その成功率はかなり高くなる。しかし、それを指摘すれば神子の遺産を貶めることになる。こうして神子の遺産を受け継いでいることがほぼ確定している状況では、神子に対する信仰が根強い中、それでもキヨを犯人として疑うというのは神に対する冒涜に等しい。

 そのような事情もあって、状況は一気にキヨに大して優勢に傾いた。

「どうやら、私は上級神官という肩書きに信を置きすぎて嘘に踊らされてしまったようですな。面目次第もございません」

 これ以上の追求は不可能と判断し、ゼットワース侯爵は膝を折り、深々と頭を下げた。


 一方、一連のやり取りに密かに大汗を掻いていたものがいる。キヨの身の潔白が証明されたと同時に容疑が晴れたと言って良いレイゼン公爵である。既にレイゼン公爵は愛娘の侍女に毒を渡していた。アレシアの毒殺の為である。その実行の為に、アレシアの毒味をしているキヨに近付くように指示もしていたのだ。セリーヌもキヨも直接触れずに種や毒を言い当てた。ということは、既に何らかの毒の気配をキヨはハンナから感知している可能性がある。その事に気付いたのだ。

(とにかく、早くあの娘に連絡を付けて毒を処分させねば! 何ということだ、あれほどの手駒をあの女が持っているとはっ。それにしても、あの尼僧見習いはフィリシティアの侍女に欲しい。どうにか引き入れられないか……)

 頭を垂れて謝罪するゼットワース侯爵を憎々しげに睨みながら、レイゼン公爵は考えを巡らせた。

 しかし、その思考は直後に中断を余儀なくされる。

 王付きの侍従筆頭であるオーランドが血相を変えて駆け込んで来たからである。


「陛下! 一大事にございます! 城下にて大規模な市民の暴動が起きました! 右軍と交戦中にございます! それだけではありません! 王都に向けてフェンリール軍が進行中です!」


 悲鳴に似た報告に、一同は驚愕に声を失った。


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

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