波乱5
春宮殿の居間にて事件の詮議が行われていた頃、オーランドは神殿前での騒ぎに立ち往生していた。
「何故右軍の騎士が?」
固く閉ざされた神殿の扉の前に、右軍の青い鎧に身を包んだ騎士達が手に手にたいまつを持って詰めかけている。
「神官長の地位にありながら、国家に仇なす謀反人グラスローを今すぐ引き渡せ!」
指揮官らしき者の声が響き渡る。
ぴたりと閉じた扉はうんともすんとも言わず、苛立った騎士達は大丸太を引っぱり出して扉を破壊するつもりのようだった。
「何と言う事だ、陛下はこれを見越していたのか」
オーランドは唇を噛み締めてその様子を見ていた。これでは表から神官長を連れ出すことは無理だ。
「オーランド殿!」
不意に声を掛けられて、オーランドはびくりと肩を震わせた。
咄嗟に腰の剣に手を掛けて振り向くと、そこには同じ副宰相の地位にあるドールーズ伯爵がいた。
「やはり、こういう事ですか」
伯爵も険しい顔をして神殿前の騒ぎを見遣った。
「おそらく内部に裏切り者がいます。しかも上級神官に」
「何ですって? 何故それをあなたが?」
「それはまた追々。今は神官長様の救出が先です。こちらに!」
促す伯爵に僅かに躊躇うものの、確かにその通りではあるので警戒しつつもその後に従った。
「良かった……。きっと間に合う」
セリーヌはアレシアの額の汗を拭いながら、ようやっと一息吐いた。
キネレイを持ち帰って早速医師と共に調合し、先ほどそれをアレシアに飲ませたばかりだった。量は十分とは言えないから、もしかしたら後遺症が残るかもしれない。しかし、命はきっと助かる。そう信じてセリーヌは拳を握った。
ベッドに横たわるアレシアの呼吸が、心持ち先ほどよりも穏やかになったようにも感じる。
「セリーヌ様、お礼申し上げる。あなた様のお陰で毒の種類がいち早く分かり申した。調合の方も、あなた様がおられなんだらきっとこれ程上手くは行かなかったでしょうな。さすがキシェラ家の血を引いていらっしゃる。慈母様は助かりますぞ」
初老の医師はアレシアの脈を診ながら、静かに感謝とねぎらいの言葉をセリーヌに掛けた。キシェラ家はその薬草栽培で医術に携わる者には有名な家柄だった。
セリーヌはその言葉に何も言えずに僅かに涙を滲ませた。御典医である彼の言葉は、セリーヌの今までの努力を認めてくれたようで嬉しかった。
何より、自分の知識が人の命を救うことに役立ったのが嬉しかった。
「セリーヌ様、後は私が」
湯を運んで来たベルタに声を掛けられて交代し、セリーヌは少し休憩を取ることにした。
それにしても、不思議な感覚だったわ。
セリーヌはそう思って自分の手を見下ろした。
キネレイを乱暴に引っこ抜いた時、セリーヌはキネレイの悲鳴を感じた。その時セリーヌは強く思ったのだ。
ごめんなさい、でもどうしてもあなたの力が必要なの、どうか力を貸してと。
そうすると、不思議にキネレイが熱を持ったような気がした。今までの感情を感じ取るだけの感覚とは違い、全く別の何か特別な感覚。キネレイが、自分の指の一部になってしまったような、不思議な一体感を感じた。
あれは一体何だったのかしらとセリーヌが首を傾げた時、扉が叩かれた。
「陛下が御典医をお呼びです。状況が落ち着いておりましたら、ご同行願います」
扉の外から、声が掛かる。
初老の医師は難しい顔をして首を振った。状態は一応落ち着いたが、これから段階的にまた解毒薬を投与しなければならない。脈や顔色などから判断し、適切と思われるタイミングで少しずつ解毒薬を減らしながら水と交互に飲ませるのは、経験を積んだ医師でなければ無理だった。
「私が参りますわ。説明だけなら私でも出来ます」
「そうですな、確かに」
セリーヌがそう言って立ち上がると、医師はほっとした顔をして頷いた。
「セリーヌ様! そのままじゃあんまりなのでお着替えを。ベルタ様、続きの間をお借りします!」
あの後遅れてこの部屋に帰って来たメイミには部屋の掃除くらいしか出来る事が無く、いつの間にか機転を利かせて着替えを持って来ていた。
確かにこの格好じゃ、陛下や大臣達の前には行けないわ。
セリーヌはすっかり汚れてしまったドレスを見下ろして苦笑し、メイミに急かされて着替えを済ませた。
「セリーヌ様、どうかキヨさんを助けてあげて下さい。何だか良く分からないんですけど、あの鼻デカオヤジ、キヨさんをまるっきり犯人扱いなんですよっ」
セリーヌは思わず噴き出した。鼻デカオヤジとは、ゼットワース侯爵のことだろう。
「笑い事じゃありません! あのままじゃ、キヨさん無実の罪で殺されちゃうっ」
泣きそうな顔をしながらセリーヌの髪を直すメイミに、セリーヌはそうだったと表情を引き締めた。
「ごめんなさい、分かってるわ。大丈夫、彼女を救う手だては何かある筈だわ」
「信じて、待ってます」
支度を終えて自分に縋る目を向けるメイミにセリーヌは決意を込めて頷き、詮議の場に乗り込むべく部屋を出た。