舞踏会の幕開け
舞踏会は通常、夕暮れから始まる。この日、昼三刻前から招待客達の王宮入りが開始された。身分の低い者から先に入り、身分の高い者になればなるほど舞踏会開始の直前に入る。夕一刻から開始の舞踏会は、まずは晩餐から始まる。晩餐の為の食堂は四つ用意されており、身分によってどの食堂で晩餐を取るか厳密に決められていた。国王と同じ第一の間での晩餐に招かれることは名門貴族のステータスであり、要職についていても身分が低ければ招かれることは無い。ドールーズなどは副宰相職にありながら格の低い伯爵家なので、第二の間の末席にいた。
そつのないお世辞で周囲に愛想を振り撒きながら、ドールーズは昨夜もたらされた知らせについて忙しなく思考を巡らせていた。アレシアが王宮に来てからというもの、今までは無かった動きを見せている一派がある。ガルニシア公爵と親戚関係にあるトーレ侯爵は右将軍の職にあり、左将軍ゼットワース侯爵が国境警備と地方の治安維持を担当しているのに対し、王都の治安維持と貴族の警護を担当している。そして、伝統的に神殿と仲が悪かった。ちなみに王宮警備の近衛兵団は独立した組織で、団長はレイゼン公爵の義兄であるデニスローン侯爵が務めている。
今朝オーランドと面会を果たしたモリーツは、ゼットワース侯爵縁の某伯爵家でどういうわけかトーレ侯爵の腹心と目される人物が出入りしいたこと、そして深くフードをかぶっていたために確認はできなかったが、エルドシールの叔父サイゲル卿らしき人物の姿も見たと報告した。その情報はすぐにドールーズにも知らされ、ドールーズの中では幾つかの仮説が導き出されていた。今までドールーズはレイゼン公爵こそ最も危険な存在とみなしていたが、どうやら認識を改める必要があるらしい。独自に集めた情報と照らし合わせるとアレシア暗殺のシナリオが見えてくるのだが、ゼットワース侯爵の狙いが何なのかがどうもはっきりしない。侯爵がこの陰謀によって何を得るのか、もしくは誰を失脚させようとしているのか、幾つか仮説は立てられるものの、決定的な何かが足りない。パズルの重要な手掛かりが一つ、抜け落ちているような感じだ。
「ハロルド、どうかして?」
気付くと眉間に皺が寄りそうになっていて、傍らの叔母が不安げな顔をして様子をうかがっている。
「いえ、なんでもありません、叔母上。仕事の事で少し気になることがありまして。このような時に無粋をいたしまして申し訳ありません」
「まぁ、ハロルド。本当にあなたは仕事の事ばかりねぇ」
未婚のドールーズは、パートナーが必要な席には大概この叔母を伴う。毒にも薬にもならない大人しくて善良な老婦人は、困った顔をして微笑んだ。いい加減に結婚しないさいというようなことを思っているに違いないと、ドールーズは苦笑した。
余計なことを言われないように、ドールーズは如才なく叔母と向かいに座ったコルト伯爵夫妻と、最近の話題について適当に会話を合わせる。御正妃選びの件は既に国中に知れ渡っていて、御婚約の際に催されるはずの祭りを当て込んで旅芸人や商人が少しずつ集まっているようだった。その中に希代の歌姫がいるとのことで、噂話に花が咲いていた。ドールーズは当然そちらには余り興味がないので、相槌だけ打ちつつ再び考えを巡らせ始める。
アレシア暗殺の可能性は切羽詰まった問題として非常に重要だが、実はドールーズにとって一番厄介な印象を受けたのは、サイゲル卿の影だった。ゼットワース侯爵にとってサイゲル卿と繋がることは、命取りになりかねない危険なことだ。サイゲル卿は最近頻繁にフェンリール国と接触を持っている形跡があり、謀反の影が常に付きまとう人物と軍事力を持つゼットワース侯爵が繋がっていると知られれば、たちまち反逆罪を疑われる。そこをあえて接触する理由はなんなのか。サイゲル卿の手札は少ない。獅子王の血を半分引いているという血筋と、フェンリール出身の前王妃に繋がる人脈と情報、そしてフェンリールの外交官や商人達との繋がりくらいだ。ゼットワース侯爵がそれを必要とする理由も目的も仮説は立てられるものの、どれも説得力にいま一つ欠けている。こちらも、何か重要な手掛かりが抜けているように感じられた。
それにしても意外にも骨のある若者だと、ドールーズはモリーツの今回の行動を内心で称賛した。はっきり言えば、父であるゼットワース侯爵に反旗を翻したようなものだ。伝え聞いた話では、遭遇した私兵にどこのネズミかと問われて答えずに逃亡し、その時に背を斬りつけられたということだった。夜間だったこともあり、顔はほとんど見られていないというし、そのネズミが息子だったとはゼットワース侯爵はおそらく知らないだろう。独断でチェルネイア姫の乳母に会いに行ったことは、馬鹿正直に名乗って面会を果たしたから知られているだろうが。もっとも、小さな塔に十人も私兵が張り付いているのだから、ゼットワース侯爵の息子という肩書で正面から面会を求めなければ乳母に会うのは難しかっただろう。チェルネイア姫のたっての願いで乳母の様子を見に行ったということだから、侯爵としてもそう表立って息子を責めるわけにもいくまい。それら全てを承知の上での行動だとしたら、気弱そうに見えて、なかなかどうして強かなところのある若者である。
そうこう考えている内に晩餐が終了し、大広間ヘの移動が始まった。ドールーズも叔母の手を取り、人の流れに身を任せた。
大広間は、華やかな舞踏会の会場に相応しく絢爛豪華な装飾が施されていた。シャンデリアには無数の蝋燭が輝き、金で統一された調度品や壁の装飾がその光を受けて燦然と輝いている。磨き抜かれた白い大理石の床は、美しく着飾った人々を映して万華鏡のようだ。重厚な深紅の天鵞絨のカーテンもまた美しい襞を輝かせ、絢爛たる様相を見せていた。
開け放たれた扉の両側に、式典用の豪華な制服を着た近衛兵がラッパを構えて高らかにファンファーレを鳴らす。すると、大広間に集まった紳士淑女は全て入口から奥の王座まで続く緋色の絨毯の両側に並んだ。
二度目のファンファーレが鳴り響くと、今度は一斉に一同が深く膝を折って頭を垂れる。
「国王陛下、並びに御正妃候補様方、お成りでございます!」
侍従長の高らかな宣言が響き、まず国王が、そして三人の正妃候補が続いた。国王の装いは、白を基調として金の刺繍と装飾を施したベストに、深紅のマントを身に着けていた。夏らしく素材は軽いものを選んでいるのでブラウスは袖の部分などは透けるように薄い。
王は王座の前までくると一同を振り返り、後に従っていた姫君達がその両側控えて膝を折り、頭を垂れたところで、もう一度ファンファーレが鳴る。
「皆の者、面を上げよ」
顔を上げた一同を見渡し、王はゆっくりと口を開いた。
「今宵の舞踏会は、皆知っての通り我が正妃候補らの為のものだ。いずれも我が国が誇る美しき花。その内の一つが、未来の国母となるだろう。我がゼッタセルド王国に栄えあれ!」
栄えあれと一同が復唱し、それを契機に音楽が始まる。最初の曲はゆったりとしたワルツだ。王はまず、フィリシティア姫に手を差し出した。個別の会合が年長順だったのに対し、今回のダンスの順番は年少順と決まっていたのだ。
フィリシティア姫は頬を染めて王の手に己の手を委ね、ホールの中央へと躍り出た。その周りを取り囲むように、紳士淑女もそれぞれ手を取り合って舞踏が始る。
長い長い夜の、それが始まりであった。