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嵐の始まり4

 真夜中に突然、慈母様付きの侍女代わりの尼僧が現れた事にも驚いたが、それにも増してその尼僧が告げた言葉に驚愕した。そして、モリーツが密かに自分と逢いたがっている事にも驚いた。にわかには信じられない事だ。しかも、何故モリーツが自分に逢いたいのかは尼僧は知らないという。これでうかうかとこの尼僧姿の侍女について行って、殺されでもしたらとんだ馬鹿者だ。

 それに、チェルネイアにとってモリーツは憎い男の息子でしかなかった。上二人の兄達のように、侮蔑や下衆な色目を向けて来る事は無かったが、いつも物陰から様子をうかがうような行動も、哀れんでいるかのような優しさも、大っ嫌いだった。確かに先日久々に言葉を交わしたが、今更何の用だというのか。チェルネイアはモリーツになど逢いたくもなかったが、侍女が告げたあの言葉の威力は大きかった。どうして、あの言葉をモリーツが知っているのか。もしかして、と思う気持ちを止められなかった。

 迷ったあげく、結局チェルネイアは愛用の紅のショールを羽織って急かされるままに部屋を出た。夜の後宮は当たり前だが完全に閉め切られている。一つしかない外へ出る門のこちら側には武器を持った侍女が、そして門のあちら側には近衛兵が守っているのだ。どうするのかと思いながらついて行くと、尼僧は普段チェルネイアなどが決して足を踏み入れない使用人達の領域、地下へと向かう階段に差し掛かった。

「これから先、見た事はどうぞ記憶に留めないで下さいませ。本来なら正式な妃となられた方しか知らぬ事でございます」

 階段を下りる前に、尼僧は小さく潜めた声でチェルネイアに告げた。それを何故お前が知っているのかと問い詰めたく思ったが、今はその時ではないとチェルネイアは黙って頷いた。

 暗い階段を頼りない小さな手燭の灯りを頼りに下り、ひんやりとした空気の満ちた廊下を進む。どれほど歩いただろうか、そろそろ突き当たりに遭遇しそうだとチェルネイアが思い始めた頃、尼僧が立ち止まった。そして注意深く、ゆっくりと右側の、他と全く変わらない素っ気ない木の扉を開けた。静まり返った廊下に、僅かに軋む音がやけに大きく響く。チェルネイアの鼓動はいやがおうにも高まった。このように後宮を抜け出した事が知れれば、どんな罰が待っているか。想像するだに恐ろしく、後悔が胸を過る。しかし、そうこうしているうちに扉を開けて中に滑り込んだ尼僧が、早くとチェルネイアを急かした。

 此処で引き返すくらいなら最初から拒んでいたと覚悟を決め、チェルネイアは唇を軽く噛んで己の弱気を投げ捨てた。

 入ってみると、その部屋は倉庫のようだった。小さな蝋燭の灯りに照らされて幾つもの家具や、絵画、小さな小物など、雑多に詰め込まれている。尼僧はその中を迷い無く進み、壁に掛けられていたタペストリーをめくった。実際、尼僧が何をしたのかはその背に隠れていた上、暗くて分からない。しかし、何かカチッというような、歯車が噛み合わさったような音がして、それまで壁だった場所にぽっかりと黒々とした穴が出現した。

 驚きに目を見開き息を詰めるチェルネイアを振り返って尼僧は早くとまたチェルネイアを促し、動転していた為かチェルネイアは深く考える前に慌ててその暗闇に飛び込んだ。

 尼僧の先導で暗い通路を進みながら、チェルネイアはこれがいわゆる隠し通路なのかと妙に感慨に耽っていた。この通路を通って逃げた妃がいたのだろうか。もしくは、王の子供がいたのだろうか。もしかしたら妃同士の諍いで巻き込まれた侍女の死体や、お手つきになって王の子を宿した女が通ったのかもしれない。いずれにせよ、男の身勝手と欲望の為に苦しんだ女達がきっとここを通ったのだ。悔しさと、言い表せない虚しさが冷たい石の床から這い上がってくるようで、チェルネイアは無意識にショールの合わせ目をぎゅっと握り締めた。

 そんな事を考えている内に、どうやら終点に着いたようだった。尼僧はチェルネイアの視線を背中で遮るようにしながら、壁に何かをしているようだった。おそらく、先ほどと同じように鍵かなにかがあるのだろう。再び機械が動くような微かな音がして、音も無く壁が消えた。どんなからくりなのかと驚いたが、そういえば先ほども音はしなかった。思わず聞いてみたくなったが、今この状態では無理だと開きかけた口を閉じた。

 その出口をくぐると、やはりそこは地下室の一つのようだった。がらんとした、何も無い部屋には窓も無い。尼僧が、静かに扉を開ける。振り向いてみると、もうあの出入り口はどこにも無かった。前を向き直すと、尼僧が戸口に立ってチェルネイアが来るのを待っている。引き返せないのだという不安に足が竦んだ。それでも、チェルネイアは背を伸ばして一歩を踏み出した。

 再び尼僧の先導で暗い廊下を歩き、しばらくしたところでやはり上へと続く階段があった。その階段を上り始めようとする尼僧の腕を、咄嗟にチェルネイアは掴んだ。驚き振り返る尼僧に向かって、チェルネイアは唇に指を当てて見せ、再び元来た廊下に引っぱった。

「人が来る気配が」

 チェルネイアの囁きに、尼僧は頷いてすぐ傍の扉をかろうじてすり抜けられるまで開くと、その中に滑り込んだ。チェルネイアも階上の気配に神経を尖らせながら、その後に続く。

 そのまま息を詰めていると、案の定、人の足音が微かに聞こえて来た。そしてその足音が階段を下りて来る。チェルネイアとキヨは扉が開けられたら影になる壁際に身を寄せ、手燭の火を吹き消した。近付く複数の靴音からすると、どうやら二人連れのようだった。おそらく見回りの近衛兵だ。

「……地下の空気はどうも苦手だ」

「なんだ、怖いのか?」

「馬鹿言うな」

 話し声が聞こえ、続いてすぐ近くの扉を開く音がする。うるさい程に鼓膜を震わす鼓動に、チェルネイアは祈るような気持ちで目を閉じた。

 とうとう、二人の隠れている部屋の前で足音が止まる。無造作に扉が開かれ、その影でチェルネイアは息を止めた。

「……此処も異常なしっと」

 幸い彼らはランプで軽く中を照らしただけで中には入らず、すぐに扉は閉じられた。離れて行く足音に良かったと胸を撫で下ろし、隣の人物と全く同じタイミングで震える吐息を吐き出していた。まるで申し合わせたかのような、ぴったり合ったそれに思わずチェルネイアは苦笑を浮かべた。暗闇の中、相手も同じような顔をしているに違いないと思った。それにしても、尼僧というのはこんなに胆がすわっているものなのだろうか。チェルネイアの中では尼僧というのは何かあればすぐに神の名を唱えて大袈裟におろおろする者、という認識があった。それに忍び歩きが上手い尼僧など、聞いた事が無い。

 そんな事を考えていると、だいぶ彼らの気配が遠ざかったところで当の本人から囁かれた。

「随分と人の気配に聡くていらっしゃるんですね。助かりました」

 酷く感心したような、その囁きにチェルネイアは何故か赤面した。容姿以外のことで褒められるのは慣れていない。お互いの顔が見えないくらいの暗闇で良かったと、チェルネイアは思った。

「……寿命が縮んだわ。これでろくでもない用事だったら死ぬ思いを味合わせてやる」

 そう囁き返して、はたと再びあの伝言を思い出す。その言葉の意味を一刻も早く知りたい。

 再びあの二人が地下の見回りを終えて階段を上り、階上へと去って行くのをじりじりししながら待ち、十分時を置いてからチェルネイア達は部屋を出た。


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