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嵐の始まり3

 キヨのベッドに横たわる青年は、時折呻き声を上げ、必死で何かを訴えるようなうわ言を言う。しかし、それは意味のあるものとして聞き取るには余りにも不明瞭で、傍らに侍っているキヨはもどかしい思いに焦れていた。

 既に真夜中は過ぎている。ランプの灯りだけの薄暗い部屋で苦しむ青年の額に浮いた汗を拭ってやりながら、早く意識を取り戻せとキヨは念じ続けていた。

 モリーツの事は顔だけは知っている程度の間柄だ。オーランドも似たようなもので、モリーツを運び込んで来た際に初めて言葉を交わした。

 命には別状ないという医師の言葉もあり、キヨはモリーツが心配というよりは彼が握っている秘密が気になってしかたなかった。エルドシールの一大事だという、その情報は一体なんなのか。

 汗を拭った額に手を当てると、先ほどよりも熱が下がっているような気がした。飲ませた薬が効き始めたのかもしれない。医師の話では、刀傷を負った状態で長時間馬を走らせた為に傷口が広がり、失血が激しいらしい。今の時点では命に関わる程ではないが、意識が戻らない状態が長引けば衰弱死の可能性もあるという。

「頑張って。間に合わなかったら、こんな傷を負いながら此処まで来たかいがないでしょ? 目を覚まして……」

 自宅に帰らず、オーランドに内密の繋を頼んだということは、そこにゼットワース候の陰謀が絡んでいるように思える。それがキヨを不安にさせる。たぶん、エルドシールもそうなのだろう。普段わりと大きく構えている彼が、あれだけ念押しするのも珍しかった。

「うぅ……っ」

 再び呻き声を上げてシーツを掴むモリーツの手を、キヨは咄嗟にぐっと握った。見ると、彼の瞼が痙攣して今にも開きそうに思えた。

「モリーツ様、確りなさって下さい」

 キヨが声を掛けると、それに反応したかのようにゆっくりと瞼が開いた。そしてそのぼんやりとした瞳が確かに自分を認識しているとキヨは感じて、安堵と高揚に両手で相手の手を握り直した。

「モリーツ様、大丈夫ですか? 今すぐオーランド様をお呼びしますね」

「っ、待って……っ!」

 キヨが嬉々として立ち上がると、驚く程の力で腕を掴まれた。たった今、意識を取り戻したばかりとは思えない、鬼気迫る勢いと眼差しにキヨは息を飲んでじっと相手を見詰め返した。

「あなたは、アレシア様の、侍女ですね? お願いします、どうか、どうか、その前にチェルーに、チェルネイア姫を、呼んで下さいっ」

 一瞬、キヨは意味が分からなかった。だったら何故、父であるゼットワース候に知らせなかったのか。必死の形相の彼には悪いが、キヨにはその願いを聞く気にはなれなかった。

「申し訳ありません、私は陛下に全てオーランド様の従うように命じられています。そしてオーランド様には、あなたが意識を取り戻し次第連絡するようにと言われております」

「そこを、どうか……っ! キア神の僕であるあなたなら、無駄に人が死ぬのをどうして見過ごせますか?」

 必死に縋る相手の手に更に力がこもる。腕の痛みにキヨは顔を顰めたが、相手の言葉に心が少しばかり揺れた。

「つまり、チェルネイア姫に知らせなければ、無駄に人が死ぬとあなたはおっしゃるのですね?」

 キヨの心の揺れを察したのか、ここぞとばかりモリーツは大きく頷き、その動きに背中の傷が痛んだのか顔を歪めて苦痛を露にした。それでもキヨの腕を掴むモリーツの手の力は緩まない。

「それは、陛下にとって不都合になることはありませんか?」

「決して!」

「それを誓えますか?」

「キア神の名にかけて!」

 本当は、こんな事で絆されてはいけないのだろうと思う。しかし、我が身を省みずに必死で縋るこの年若い青年の心を、キヨは無視出来なくなってしまった。エルドシールにしても、モリーツというこの青年には良い印象を持っているようだった。だからこそ、キヨに預けたのだと思う。正直、チェルネイア姫には余り良い印象が無い。しかし、モリーツというこの青年は信じられる気がした。

「分かりました。此処にチェルネイア姫をお連れ致しましょう」

 キヨの言葉に、モリーツの瞳からは涙が溢れた。感謝の言葉さえ、忘れた様子で何度も小さく頭を下げる様子に、キヨはいたたまれない気持ちになった。命を掛けても、彼は誰かの命を救おうとしているのだろう。

「ただ、かの方が私を信用するかは分かりません。何か、チェルネイア姫を信じさせるに足る伝言はありませんか?」

 モリーツは、しばしの逡巡の後、告げた。

「では、『私の愛しい飴玉』と」

 その言葉を確認して、キヨは行動を開始した。飾り戸棚の奥からエルドシールから預かっている国宝を取り出す。泉と神子をモチーフにした家紋が入った指輪をしっかり左の親指に嵌めた。何か不測の事態が起った時、キヨの判断で動くことをエルドシールは許可していた。それはアレシアに何か起った時の為の措置であったが、こんなところで使う事になろうとは思いもしなかった。緊張に震えそうになる指先をぎゅっと握り込んで、キヨは深呼吸した。

 でも、これがきっとエディの為になると信じる。少なくとも、モリーツ君はエディと共にこの国の未来を作る若者だわ。キア、どうか私を見守っていて。

「モリーツ様、どうかそのまま安静になさっていて下さい。もし朝になっても私が戻らない場合は、私が失敗したとお思いになって、朝様子を見にいらっしゃる事になっているオーランド様に全てお話し下さい」

 キヨの言葉に、キヨが冒すことになった危険に初めて思い至ったのか、モリーツは青い顔を更に青くした。夜中に後宮に忍び込み、妃候補を連れて来るなど、普通で考えれば正気の沙汰ではない。

 キヨは何度も申し訳ないと繰り返して涙を滲ませるモリーツに布団を掛けてやり、水を満たした吸い飲みを傍らに置いてやってから軽く微笑んだ。

「全てはキア神の御心のままに。神があなたの想いを祝福なさるなら、きっと上手く行きましょう。では、行って参ります」

 闇に紛れる黒いショールを頭からかぶり、キヨは暗い廊下へと滑り出た。


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