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嵐の始まり2

 明日の為の最終的な衣装合わせが一段落した頃、不意にノックの音が響いた。

「陛下、慈母様付きの侍女が参っておりますが」

 扉の外に待機していたセッペロの声に、良いところに来たとエルドシールは内心ほくそ笑んだ。これ以上衣装合わせに付き合うのは、辛いと感じ始めたところだった。

「通せ」

 扉が開かれると、キヨがお茶の準備を整えたカートを押して入って来た。カートを押す姿も、膝を折って胸の前で両手を交差させる礼も、随分とさまになって来たなとエルドシールは感心しながら眺めた。少し前まで結構あら削りな感じがしたのだが。

「陛下、お寛ぎのところ失礼致します。慈母様から陛下へお茶を預かって参りました」

「そうか、ご苦労。丁度良い、一休みするので其方達は下がれ」

 衣装合わせの為に来ていた王宮侍従達に告げると、一礼して一斉に音も無く退室して行く。未だに人に命令する事に慣れた気がしないエルドシールは、その徹底した影に徹する侍従達の行動に疲れを感じて米神を軽く揉んだ。

 そんなエルドシールを尻目に、キヨは淡々と薬草茶を準備し始めた。

 最初の頃感じた不安を全く感じさせない慣れた手つきで茶を供すキヨを眺めながら、エルドシールは今後の事を目まぐるしく考えていた。

 モリーツの事もあり、色々と対策をしておかねばならぬ事が増えた。

「……それで、何があったの?」

 前に置かれた薬草茶に手を伸ばし、独特のすっとする味を一口味わってからエルドシールは口を開いた。

「モリーツが斬られた」

「ええと……?」

 眉間に皺を寄せて首を傾げるキヨに、話さなかっただろうかとエルドシールも首を傾げる。

「我の侍従の一人でチェルネイアの義理の弟、ゼットワース侯爵の三男だ」

「あぁ、一番若い子。えっ、あの子が斬られたって、どういうこと?」

 モリーツの姿を思い出したのか、途端に顔色を変えたキヨにエルドシールは軽く頭を振った。

「まだ、分からん。今は意識は無いが、助かるだろう。意識が戻ってから聞くしか無い。意識を失う前に、我の一大事だから筆頭侍従のオーランドに内密に連絡を取りたいと門番に訴えたそうだ」

「エディの一大事って、そりゃ穏やかじゃないわね」

 顔を曇らせるキヨに、エルドシールも重々しく頷いた。

「今地下の一室に匿っているが、あそこは環境も悪い。済まないが其方が隠れ蓑になってくれないか?」

「私の部屋をモリーツっていう人の病室にすれば良いの?」

 言葉の意図を正確に汲み取ったキヨの答えに、エルドシールは満足げに微かに口の端を上げた。

「察しが良くて助かる。其方の具合が悪い事にすれば医師や世話をする侍女の出入りも誤摩化せる。我の筆頭侍従のオーランドも出入りすると思うが、我慢してくれ」

「分かった」

 あっさりと頷くキヨは、やはり並みの女性ではないなと改めてエルドシールは思った。普通は結婚前の女性がたとえ病人だったとしても自室のベッドに異性を寝かせるなど、とんでもない事だ。まして、キヨは神に仕える身。上に立つ人間として、彼女のような使い勝手の良い人材は全く得難く有難い。

「其方の方も何かあったのだろう?」

「ええ。そりゃもう大きな事があったわよ」

 エルドシールが話を振ると、キヨは賢そうな黒い瞳を輝かせてにっと笑った。キヨがフィリシティア姫の侍女と逢っていた理由は、以下の通りだ。

 セリーヌの侍女、メイミとフィリシティア姫の侍女ハンナ、それにキヨは、同じ新参者同士でそれなりに仲が良くなり、時間が開いた時などは良く一緒にお茶を飲むようになったという。そんな時、メイミがまずハンナの異変に気付いた。元から少しおどおどしたところがあったハンナだが、王とフィリシティア姫の逢瀬があった日を境に目に見えて顔色が悪く、いつも怯えた様子で胸の辺りを押さえるようになった。心配したメイミがキヨに相談し、キヨがハンナに逢って来たのだ。

「あのオドオドっぷりは確かに普通じゃなかった。でも、問題は部屋から彼女が顔を出した瞬間に、額の宝玉が熱くなったことよ。危険を知らせる宝玉の反応は、普通は触れたりよっぽど近付かない限りしない筈なのに、よ。よっぽど強い毒だと思うわ。それで、咄嗟に私言ったの。『不思議な匂いですね、ハーブですか? 具合がお悪いようですが、ハーブは時には猛毒にもなる事がありますから摂取にはお気を付けた方が宜しいですよ』って。そしたら彼女真っ青になって泣き出して。後は心配するふりをして、その“ハーブ”の事を聞き出したの」

「聞き出すまでしたのか」

 下手をしたらキヨ自身の命も危ういような状況だ。気の小さい娘が相手で良かったが、よくよく無謀な事をするとエルドシールは呆れた。しかし、キヨは自慢げに黒い瞳を輝かせて胸を反らした。

「聞いただけじゃないわよ。服の中に首から下げていた匂い袋を見せてくれたわ。触ってみたら、額がもう火事みたいに熱くなったから間違いないと思った。泣いてしゃべれない彼女を慰めながら、毒と知らずに持ち込んで後から毒と気付いて恐ろしくなった、という話を誘導尋問ででっち上げて、これは私が処分するって巻き上げて来たわ。それがこれ」

 キヨはカートの上の茶葉を入れる陶器の箱を指差した。証拠品まで押収して来るとは、と、エルドシールは渋い顔をしてその箱を手に取った。

 こんなものを渡されても正直保管に困る。かといって、そのまま野放しの方が困るが。こいうものは専門家に任せたいところだ。毒の正体を調べねばならないし、しばらくグラスローにでも預けるか。しかし、よっぽど特殊な毒でも無い限り、証拠品と言っても直接レイゼン公爵に繋がることを証明するのは難しいだろう。残念だが、軽い脅しくらいにしかならない可能性が高い。

 それにしても、失敗したとなればその侍女と家族の命が危うい。レイゼン公爵に警戒心を抱かせずに身柄を確保する手だては無いものか。

「見逃しちゃ、まずかった?」

 はっとして顔を上げると、キヨが不安げな顔をしてこちらを窺っていた。

「いや、大丈夫だ。今の段階でレイゼン公爵と事を構えるのは得策ではない。だが、その侍女の身柄と家族は押さえておかねばなるまいと、考えていただけだ」

「そうね。いざという時の切り札になるし」

 ほっとした顔をするキヨに頷いて、残りの薬草茶を飲み干す。

 そこではたと、エルドシールは気になった事を思い出した。

「そういえば、母上の部屋に見慣れぬ侍女がいたが」

「あぁ、それは多分さっき話に出て来たメイミよ。セリーヌ嬢の侍女の」

「セリーヌ嬢の、か。ならば問題はないだろう。が、気は抜くな、キヨ。何か起るとすれば明日の舞踏会後だと思う。しかし、何かあれば明日は我自らは動けぬだろうから対応が遅くなる。そこを突いて来る可能性も捨てきれない。外からの刺客は警備兵を増員したから対応出来ると思うが、内部は舞踏会に人手を取られて手薄だ。決して母上に信用出来る人間以外を近付けるな。毒は其方がいれば大丈夫だとは思うが」

 アレシアは尼僧の為、舞踏会には出席しない。そこがエルドシールが神経質にならざるを得ない点だ。レイゼン公爵が娘の晴れ舞台の日に事を起こすとは思えないし、侍女の方の芽はキヨが摘んでくれた。しかし、ゼットワース候の方は未だにその人柄を把握しきれないところがあり、どのように動くか未知数な部分が大きい。たとえアレシアの存在が邪魔だという理由がなくとも、誰かを陥れる為に殺害に及ぶ可能性はいくらでもある。また、神殿の政治に対する影響力の増大を懸念しているガルニシア侯爵派の中の一派が、独断で不穏な動きを見せているともドールーズから報告が来ていた。

「分かった、女官長次官にも伝えておく。何だか緊張するわね。実際に自分が事件の渦中にいるんだって改めて認識すると、ちょっと怖いわ。今更だけど」

 キヨは珍しく神妙な顔をして、ふるりと尼僧衣に包まれた体を震わせた。

「全く、それは本当に今更な話だぞ。元は其方が焚き付けたことだろう」

「分かってる! キア神の名にかけてアレシア様は守るわよ、絶対!」

 呆れたように言えば、キヨは顔を赤くして拳を振り上げて声を荒らげた。エルドシールは慌てて顔を顰め、腰を浮かしかけながら扉の方をちらりと見遣ってからじろりとキヨを睨んだ。

「しっ、大きな声を出すな」

「っ、ごめん。じゃあ、そろそろ戻るわ。余り長居すると勘ぐられそうだし」

「それは無いだろう」

 キヨは慌てて小声になり、誤摩化すようにちろりと舌を出して笑った。まるっきり子供の様な表情に、エルドシールは憮然として即否定した。

「少しぐらい私に花持たせてよ、朴念仁」

「お世辞でもか?」

「お世辞でも」

「あい分かった。次回からは気を付けよう」

「明日、エディも頑張ってね」

「無論だ」

 軽快なやり取りの最後は、にっと片方の口の端だけを上げる微笑みでキヨは締めくくり、エルドシールもまた僅かに苦笑を口元に滲ませた。

 カートを押して退室するキヨの後ろ姿を眺めながら、友とはこういったものだったなとエルドシールは昔を懐かしく思い出した。一緒に悪戯をして叱られた、あの時の友は今どうしているだろうか。

 しかし、そんな思いに浸ったのもつかの間、キヨと入れ替わりにやって来たオーランドを迎え入れ、モリーツの身柄の移動とキヨとの協力などを指示し、その後も色々と対応に追われて一息吐いた頃にはすっかり夜も更けていた。

 息抜きにバルコニーに出ると、雲一つない夜空に降るような星が輝いている。エルドシールはその一つが、不意に赤く、禍々しく輝いたような気がして息を飲んだ。

「何も無ければ良いが……」

 呟いた言葉は夜の静寂に吸い込まれ、この夏の盛りに何故か背筋が寒くなるような一陣の冷たい風が吹き抜けて行った。


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