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つかの間の平和11

 最初に王がフィリシティアを案内したのは、小川の流れる森の小道だった。

「そなたは、ここは好きか?」

「はい、昔避暑に訪れた湖畔の森に良く似ております」

「そうか。ここはな、私が生まれ育った場所の近くにある森を真似て作った。夏には水浴びをし、魚や木の実を採り、黒兎や鹿を狩り、薪を拾った森だ」

「まぁ……」

 フィリシティアには、森の小道は散歩以外の事をする場所では無かった。王の話に驚きつつ、木漏れ日に輝く小川や、小さな動物が飛び出して来そうな茂みを不思議そうに眺める。

「そなたには経験が無いだろうが、森というのは民に大きな恵みを齎す、素晴らしい場所だ」

 王の言葉に、ふとフィリシティアはセリーヌの言葉を思い出した。下草の茂る土は、黒々としていた。

「本当に、黒い……」

「黒い?」

「いえ……あの、セリーヌ様が、先日、本当の豊かな大地の色は黒に近い色をしていると、教えて下さったのです」

「あぁ、土の色か。確かにそうだな。だが、私にとっての豊かな大地の色はこれではない。これは、豊かな森の土の色だ」

 王は一つ頷いて、次の庭園に導いた。そこはフィリシティアが既に何度か足を運んだ果樹園だ。王はその入り口で立ち止まり、茂る果樹の林を見渡した。

「この国の農地は、何処もこんな色をしている。私が生まれ育った修道院の畑も」

 目を細める王の言葉に、フィリシティアは改めてその土を見た。その土の色は、確かに黒と言うよりは少し濃いめの茶色であり、それはかの人の髪の色に似ていた。

「セリーヌ様の、髪の色ですね」

「そういえば、そのような事を申したな」

 僅かに驚いた様子を、その紅の瞳に見せる王を見上げ、フィリシティアは思い切って再び口を開いた。

「あの……、チェルネイア様の髪は、上質の鹿の毛皮でした」

「そのような事も、申したな」

 今度は少し、王は眉間に皺を寄せた。それを見て、フィリシティアの心臓はきゅうっと締め付けられるようだったが、王は相変わらずの調子で再び話し始めた。

「そなたは知らぬだろうが、庶民の靴は木の皮を鞣したものか、木靴が殆どだ。私ももっぱら木靴で育ったが、木靴は成長と共にすぐに履けなくなって痛くて仕方が無いのだ。だから、初めて鹿の毛皮で出来た靴を履いた時には、驚いたものだ。この世にこんな心地の良い靴があるのかと。しかし、本音を言えば裸足が一番だ。木靴は痛いというのもあって、寒くない時期は裸足で過ごすことが多かった」

 どうやら王は不快に思ったわけではないらしく、フィリシティアはほっと胸を撫で下ろし、驚きと共に王の話に聞き入った。が、最後の下りでフィリシティアは頬を赤くして俯いてしまう。その様子に気付いた王は、あぁ、と今度は先ほどよりも分かりやすい苦笑を浮かべた。

「淑女であるそなたには考えもつかない事であろうな。だが、裸足で歩く大地は、とても気持ちが良いものだ。小川の冷たい水も、素足にはとても心地良い」

 当然のことながら、フィリシティアは裸足で外を歩くことなどしたことが無かった。というよりも、そのようなことは考えられなかった。靴を脱ぐ機会というのは、貴族にとっては入浴時かベッドに入る時だけで、素足を見せるという行為は、つまり性的な誘いと同義であった。

 王は話題を変えようと、果樹園の中を進みながら話題を探し、ふと一つの木の前で立ち止まった。それは、フィリシティアがお気に入りにしている、あの林檎の木だった。


「この林檎の木は、私が植えた。修道院から小さな苗を貰って来て植えたのだが、翌日にはこの様に背も高く茂って、花も実も付いていた」

 フィリシティアは、驚きに俯いていた顔を上げてまじまじと自分より背の高い林檎の木を見詰めた。実家の庭の木々は、そんなにすぐに大きくはならなかったはずだ。

「まぁ……林檎の木というのはそんなに成長の早いものなのですか?」

「いや。普通なら苗がここまで成長するには少なくとも五年は掛かる。五年が、一晩だ。さすがは神子の遺産と言ったところか。しかし、私としてはゆっくり育てたかったので正直なところ残念だった」

 王の言葉が、本当に心底残念そうな様子だったので、フィリシティアは不思議そうに首を傾げた。

「林檎の木を育てるのは、そんなに楽しいのですか?」

「林檎に限らず植物を育てて実りを得ることは、とても喜ばしい事だ。しかし、楽しいこともあるが悲しい事もある。一つ、そなたにやろう」

 悲しいこととは、何なのだろうかとフィリシティアは聞きたく思ったが、慣れた仕草で王が捥いだ林檎を渡されると、そんなことは霧散してしまった。

 陛下が手ずから捥がれた、陛下の林檎。

 そう思うとどんな価値のある宝よりも、その林檎は素晴らしいものに感じて、思わずフィリシティアの受け取る手が震えた。

「ありがとうございます」

「言っておくが、それはそなたが普段食べ慣れているだろう高級品とは種類が違う。酸味が強いから、ジャムにでもすると良いだろう」

 嬉しさに頬を上気させ、フィリシティアが礼を言うと、王は少し戸惑ったような声音で言い、もう一つ林檎を捥いだ。

「陛下も、この林檎をジャムにしたものを食されるのですか?」

「いや、私はこのまま皮ごと齧るのが好きだ」

「か、齧るのですか?」

「行儀が悪いと叱られるので、ここでこっそり食べる」

 驚くフィリシティアを尻目に、王は軽く林檎の表面を擦ってから無造作に林檎に齧り付いた。

 フィリシティアは手にした林檎と、王の顔を交互に眺め、それから王の真似をして林檎の表面を手で軽く擦ってみた。すると林檎が先ほどよりも紅の輝きを増しているように感じて、その不思議さに一瞬見蕩れた。もう一度王を見上げると、フィリシティアの様子をじっと興味深気に窺っている。こんなはしたない事、父は絶対許さないだろうとフィリシティアは思った。思ったが、心の中で父に謝罪して思い切ってその赤い果実に歯を当てた。

 シャリ、と小気味良い音がして、フィリシティアの口の中に酸味の強い果汁が広がった。予想以上の酸っぱさに、フィリシティアの目に涙が滲む。

「だから言ったではないか。無理をするな」

 呆れたように王に言われると、フィリシティアは何故か酷く悔しく感じた。

「いいえ、私、酸っぱいものが好きですから、無理などしておりません」

 普段なら決してそのような物言いをしないのだが、フィリシティアはらしくない意地になった顔をしてもう一口林檎を齧った。やはり林檎は酷く酸っぱかったが、隣の王もシャリシャリと音を立てて林檎を食べているのを見て、なんだかとても誇らしい気持ちになった。本当に、酸っぱい林檎が好きになりそうな気がした。

「私の林檎は、お気に召されたか?」

「はい」

「そうか。ならば何時でも好きな時に捥いで食べたらよい」

 王はそう言って、もう一つ林檎を捥いでフィリシティアに渡した。

 フィリシティアは、その林檎を大事にレースのハンカチに包んで持ち帰った。夢のような時間はあっという間に過ぎてしまったが、夢の余韻は長く続いた。ハンナに暇をやり、一人部屋でレースの包みを開き、愛し気に林檎を撫でているだけで、フィリシティアは今までに感じた事の無い満たされた時を過ごした。


今年最後の更新です。

これにてつかの間の平和は終了、年明けからは大きく事態が動く予定です。

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