つかの間の平和7
宮廷で今一番の話題は何と言っても王と正妃候補達の逢瀬についてだった。
——聞きましたか?
陛下はセリーヌ嬢と書庫に籠り、何やら親密に時間ぎりぎりまで話し込んでいらっしゃったとかーー
ーーあぁ、陛下は知的な女性がお好みだったらしいーー
ーーいや、昨日のチェルネイア姫との話は聞いたか?
そうとも言い切れないぞーー
ーーどういう事だ?ーー
ーー私も聞いた。
何でも陛下はチェルネイア姫をいたく気に入られて賞賛されたとかーー
ーー賞賛?
あの美貌を今更?ーー
ーーいいえ、違いますよ。
今日、陛下は夏宮殿の騎士院を逢瀬の場に選ばれて、姫は見事な立ち会いをなさったらしいですーー
ーーそうそう!
それで姫の剣の腕を賞賛なさったとかーー
ーーその後少し具合を悪くされたチェルネイア姫を、それは親密なご様子で抱きかかえるように後宮までお送りになられたそうですよーー
ーー剣の腕……!ーー
ーー陛下は強い女子がお好みなのかも?ーー
ーーいや、ご生母様の様な賢女がお好みに違いない。
やはり本命はセリーヌ嬢ではないか?ーー
ーー……ここだけの話ですがね。
実はね、私、慈母様に贈り物をしたんですよーー
ーー……それで?ーー
ーー……いざという時、震えるばかりで何も出来ないようでは王妃は務まりません。
チェルネイア姫はゼットワース候直々に手ほどきを受け、剣の素養がございます。
そう、ご注進申し上げたのですよーー
ーーなんと!ーー
ーーでは慈母様はそれを陛下に……?ーー
ーーしかし、別の話も聞いたぞ。
やはり贈り物を慈母様に差し上げて、一国の王妃ともなれば外国からの客人をもてなさねばならない、その際侮られることなく、感嘆されるような知性をお持ちな女性と言えばセリーヌ嬢をおいて他に無い、と申し上げたらしいーー
ーー成る程!
では、そちらの願いも陛下に届いた結果が書庫での逢瀬ということに?ーー
ーーやはり、正妃選びの大きな鍵は慈母様が握っておられるらしいなーー
ーーこうしては居られない……!!ーー
この様な噂話が飛び交い、踊らされる宮廷雀達の動きが慌ただしくなっていた。
そんな中、焦りを募らせていたのはレイゼン公爵一派である。そして最も焦っていたのはレイゼン公爵その人であった。
「くっ、女狐め! 今までは頑として何一つ受け取らなかったと言うに! 今更になって欲を出したか? 慈母という地位にありながら、醜いことだ」
宰相執務室で、一人になった途端にギリギリと奥歯を噛み締めて憎しみも露に吐き捨てた。
生母とはいえ、長く宮廷を離れていた大人しいだけの女に何が出来るものかと侮っていたのは確かだ。過去、何度も贈り物を届けさせたが、それらはことごとく丁重な断りの手紙と共に返却されて来た。まさかここに来て受け取るとは、全く予想外のことであった。
娘の美貌に絶対の自信があったレイゼン公爵だが、それは男である王が相手であればの話である。
王は不遇な時代を生母と共に修道院で過ごしたためか、生母に頭が上がらないようだとは思っていたが、こんなところで足を掬われるとは、と苛立が募る。全く予想しなかったことではないが、これ程までに強い影響力を王に持つとは思っていなかった。
すぐに手を打たなければ。
何か余程印象的で金を掛けた贈り物をしなければ、遅れを取る。
そう考えながら、同時に公爵の頭にはフィリシティアに付けた侍女の娘の顔が浮かんでいた。
邪魔ならば、消してしまえば良い。この先フィリシティアが正妃になったとしても、ことあるごとにあの女にしゃしゃり出てこられては不愉快だ。
既に公爵の頭の中では、哀れな一人の娘が使い捨てにされる未来が描かれていた。
その頃、侍従モリーツは急な体調不良を訴え、侍従長から休暇を貰って王宮を辞していた。本来王直属の侍従は別格で、王が認めれば侍従長に許可を貰う必要は無いのだが、最年少でまだ立場の弱いモリーツは律儀に侍従の取るべき行動秩序を守っていた。そして、この侍従長はレイゼン公爵一派に取り込まれていたので、モリーツの急な体調不良と休暇を取ったことは直ぐさまレイゼン公爵に知らされた。
静かに忍び寄る幾つもの陰謀の影を知らぬかの様に、今日もゼッタセルドの空は青く晴れ渡っていた。