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つかの間の平和5

 王付きの侍従は全部で五人いる。


 普通は侍従というのはいわゆる御学友の中から選ばれるが、エルドシールの場合その生い立ちのせいで御学友がいなかった。だから、エルドシールの侍従達はかつて自分の亡くなった兄達の御学友であり侍従であった者が殆どで、例外は一人だけである。

 年齢的な事を考えて三人までがエルドシールとも年の近い、故第十王子、故第十一王子の侍従だった者達で構成されている。ラロース、マリーセン、セッペロの三人は王より二、三歳年上で、お互いに仲が良い。だが、心の内を見せない王に対しては三者三様の接し方をしていた。将来的に政治の中枢に関わる事を期待されている若者達は仲は良くともライバルなので、その辺りは微妙な緊張感がある。


 そして一人だけ別格扱いの侍従が一人いる。

 故第一王子、すなわち前王太子が十七歳という若さで亡くなった時、既に王太子付きの侍従達の中でも特に優秀とされていたガルニシア公爵の嫡男オーランドだ。侍従という立場でありながら副宰相職も兼任し、ガルニシア公爵一派の事実上の頭である。ちなみに副宰相は五人いる。

 現在三十五歳のオーランドが王の侍従になったのには二つの理由がある。一つは王太子時代という準備期間を持たず、すぐにも実務に関わらなければならなかった王を支えられるような、既にその経験のある優秀な侍従が必要だった事。そしてもう一つは、内戦で多くの若い才能が失われたことによる人材不足だ。

 レイゼン公爵派やゼットワース侯爵派には残念ながらこれはという人材が居なかった。次代の政治の勢力図に大きく関わる侍従の選定は、そうした理由でその筆頭にオーランドが、その他の侍従にはガルニシア公爵派以外の勢力に属する若者が選ばれた。ラロース、マリーセンはレイゼン公爵派、セッペロはゼットワース侯爵派、そして最後の一人モリーツもゼットワース侯爵派である。

 モリーツだけが王より年下の十七歳で、ゼットワース侯爵の三男である。つまりチェルネイア姫とは従兄弟の関係であり、現在は戸籍上の弟だ。

 

 この日の朝、官吏達が出勤する前、本宮と春宮殿を結ぶ回廊の片隅で人目を避け、柱と彫刻の影でモリーツと一人の侍女が逢っていた。


「確かに預かりました」


「待って。チェルーは……姉上はどんな様子?」


 目的の物を受け取った侍女はすぐにもそこから立ち去ろうとしたが、モリーツに呼び止められて鬱陶しげな表情を隠しもせずにぶっきらぼうに答えた。


「特にお変わりなくお過ごしです」


「もし……もし、何か困った事があったら……父上にも言いずらいような事があったら、僕を頼って欲しいと姉上に伝えて欲しい」


 侍女の態度に些か怯みながらも、モリーツはしどろもどろに言おうと決めていた事をどうにか伝えた。


「畏まりました」


「その……カトリーヌ、くれぐれも姉上を宜しく頼む」


「心得ております。では」


 金髪碧眼の冷たい美貌の侍女は、にこりともしないでその場を去って行った。親しくは無いが、子供の頃からカトリーヌを知っていたモリーツは不安げな顔でその後ろ姿を見送った。

 マルゴット伯爵令嬢カトリーヌは現在マルゴット伯爵家のかりそめの女主人である。マルゴット伯爵位の後継者だった兄がまだ幼い甥を残して内戦で他界し、兄嫁も病気で亡くなった為、カトリーヌは結婚もせずに伯爵位を継ぐ甥を育て、没落する伯爵家を支える為にゼットワース侯爵の愛人になったのだ。


「チェルー……」


 カトリーヌと父との手紙のやりとりを仲介するだけのモリーツは、その手紙の内容も、そこからチェルネイアの様子を窺い知る事も不可能だった。胸を締め付ける様な苦しさに胸を抑えて、モリーツは唇を噛み締めた。

 六つの時やって来た美貌の従姉妹の姫、チェルネイアにモリーツは淡い初恋を抱き、その想いは時を止めたままずっとモリーツの心に留まり続けた。それはチェルネイアと父との間に肉体関係があると知ってからも変わらず、艶やかに微笑みながら、その影で苦しむチェルネイアの姿をずっと影から見守って来たのだ。


「モリーツ、そこで何してるんだ?」


「っ、脅かさないでよ、セッペロ。ちょっと考え事」


 急に話しかけられてモリーツは飛び上がるようにして振り向き、声の主が同僚のセッペロだと知るとほっとして苦笑した。

 セッペロはモリーツの上の兄と同い年の幼なじみで、その面倒見の良い性格からかモリーツや下の兄とも良く遊んでくれた。そんなわけで今でもモリーツはセッペロと仲が良いし、実の兄達よりもセッペロに懐いている程だ。


「こんなところでか? お前じゃ逢い引きってことも無いだろうけど」


「セッペロと一緒にしないでよね」


 モリーツはゼットワース家特有の大きな鼻を膨らませて顔を顰めた。

 セッペロは少し垂れ目気味の目元が色っぽいとご婦人方に人気の優男だが、剣を持たせれば侍従の中では一番の腕前だ。更に侍従に抜擢された程頭も良い。要するに容姿と文武の実力に恵まれた非常に忌々しい男なのだ。モリーツが勝てるのは家柄くらいのもので、頭の方も機転が利くという点では負けている。


「はいはい。それより早く行かないと陛下がお待ちだぞ。また変わった場所を陛下は逢瀬にお選びだ」


「変わった場所?」


「夏宮殿」


 最近の陛下は突拍子も無くて戸惑う。セッペロはそれが面白くて仕方ないらしいが、基本的に不測の事態が苦手なモリーツはまごまごしてしまう。

 御正妃候補様方との逢瀬は春宮殿に限定するから、警備の問題もそれほど無いだろうとごり押ししたというが、結局しょっぱなから陛下はそれを無視した。昨日はセリーヌ嬢との逢瀬に本宮の書庫に指定し、朝から近衛兵の護衛の配置を変えたり人員を動かしたりと大変だった。今度は夏宮殿だと言う。

 確か今日はチェルーが陛下の相手の筈なのに、何故夏宮殿なのだろう?

 昨日はセリーヌ嬢の希望だと言っていたけれど、チェルーが夏宮殿を逢瀬の場所に指定するとは思えない。


「セッペロ、モリーツ、両名ただいま参りました」


「入れ」


 春宮殿の陛下の私室には既に他の侍従達は揃っていて、陛下は朝食を取りながら書類に目を通していた。

 遅いぞ、と睨みを利かせるオーランドにモリーツとセッペロは身を竦めて目を伏せた。


「では、本日の陛下のご予定を確認させて頂きます。朝二刻半から三刻まで外務大臣及び各国大使との御前会議、三刻から昼一刻まで御正妃候補様との御会合、御昼食はアレシア様と取って頂き、昼一刻半から通常の執務となります。昼三刻半から、各大使との個別の面談が予定されておりますが、今から行われます御前会議の如何に寄っては予定変更もあるかと。夕の一刻半からは法務大臣と典礼大臣と御夕食となっております」


 この世界では一日を朝、昼、夕、夜の四つに分け、更にそれぞれを三刻に分ける。朝一刻は午前六時、昼一刻は正午、といった具合で一刻は二時間相当になる。朝二刻は午前八時で、二刻半は午前九時だ。


「夏宮殿の件ですが、陛下がお出でになられるのは騎士院の訓練場、案内はガッシュ・メルロー教授で宜しいでしょうか?」


「良い」


「では、その様に手配致します」


 ここのところの王の無軌道ぶりに不満を募らせる筆頭侍従に、他の侍従達は居心地が悪い。元々、オーランドは完璧主義というか、堅苦しい人間なのだ。

 一旦御前を下がるとその不機嫌さは、王の前では抑えているので余計にあからさまになる。

 実際には無軌道という程酷い所行ではないのだが、今までが意志を持たないかの様に周りに従順というか、予定外の行動を一切取らなかった為にそう思われてしまうきらいがあった。

 刺々しい雰囲気の中オーランドは侍従達に仕事を振り分け、モリーツは振り分けられた仕事をこなすべく夏宮殿にマリーセンと共に向かった。途中護衛に当たる近衛兵の手配を任されたマリーセンと別れ、騎士院に向かう。

 用向きを伝えると程なくして王の剣の師であるメルロー教授が現れた。身体だけはゼットワース家の血を受け継いで大きい方だが、メルロー教授の堂々たる巨躯には圧倒されてしまう。


「本日、朝三刻、国王陛下が御正妃候補のお一人を伴い、こちらにお越しになります。ついては陛下のご希望で教授に案内をお願いしたい」


「陛下のご要望であれば、否やはござらん。喜んでお受け致します」


「では、警備の準備もあるので早速予定を組ませて頂きます。後ほど近衛兵を連れてもう一人侍従が参りますので、それまでに粗方場所の確認をさせて下さい」


「分かり申した。では、入り口から順を追ってみましょうか」


 教授の案内で、騎士院の入り口から剣の稽古を行う訓練場への道筋を辿った。警備兵の配置や賊の潜みやすそうな場所を教授と共に話ながら確認し、手帳に書き込みながら進む。

 モリーツにとっては古巣の騎士院であるから懐かしいことは懐かしいが、剣技の授業が最も苦手だった為にこの辺りには苦い思い出ばかりが詰まっている。良い思い出の一つも無い訓練場では、まだ幼いと言って良い少年達の姿が練習に精を出していた。直接指導された事は無かったが、メルロー教授は大変厳しいと有名で、それもあって少し気後れする。


 チェルーは父の教育方針で女だてらに剣を扱うから、もしかしたら陛下はここで教授との立ち会いをチェルーに見せるつもりなのかも知れない。

 モリーツは王の剣の腕がどれほどか知らないが、その予想が当たっているなら王はチェルーに気があると見て良い気がした。弟である自分としては喜ぶべきところだろうが、気持ちが重くなるのはどうしようもなかった。


「陛下のお相手を務める者を用意しておいた方が宜しいですかな?」


 不意に教授に話しかけられて、ぼんやりしていた事に気付き、慌てて表情を引き締める。


「そうですね。陛下の詳しいご希望はうかがっておりませんので、必ずしも必要とは言い切れませんが」


「侍従殿がお相手なさるのでも構わんのでは? 失礼ながら侍従殿はゼットワース家縁の方とお見受けする」


 おそらく自分の顔立ちや風貌から、そう判断したのだろう教授の厳つい顔に言葉に詰まる。


「いや……私には務まりません。ゼットワース侯爵家のみそっかすの三男ですから」


「あぁ、あなたが有名な鬼っ子ですか」


 教授は失笑とも取れる苦笑をして、モリーツが酷く気にしている事にあっさり言及した。武の名門に生まれながらモリーツは全く武に才能が無く、久々に強く意識した劣等感にモリーツの顔が強張る。


「しかし、侍従殿は確か飛び級で次席卒業でしたな。不屈の闘志は受け継いでいらっしゃるようだ」


「………そ、それは……」


 いくら文で優秀でも剣を第一にする父には褒められた事が無い。まさか同じように剣を第一とする剣の教授にこんな風に褒められるとは思ってもいなかったので、思わずモリーツは赤面して黙り込んでしまった。

 そんなモリーツを見て教授は何も言わずに、先を促して警備の話に矛先を変えた。モリーツは余り感情を見せない王がメルロー教授を慕っている事はなんとなく知っていたが、その理由が分かった気がした。

 本当のところ、モリーツが頑張って来れたのはゼットワース家が家訓に掲げている”不屈の闘志”のおかげというわけでは無い。父に無視され、母にも兄弟にも馬鹿にされて育った自分が、それでも腐らず、王の侍従という大任を拝命できたのは、ある意味チェルネイアのおかげだった。

 チェルネイアをいつか父から解放してやりたいという幼いながらも純粋な想いを支えに、モリーツは文官を目指して頑張った。

 チェルネイアを救う為の力が欲しい。しかし自分には武の才能が無い。それなら文で力を付けるしかなかったからだ。


 そして、その努力は周りが驚く程に成果を上げた。騎士院の卒業試験に普通よりも二年早く合格し、しかも次席の優秀な成績だった。文の分野ではどうしても力の弱いゼットワース侯爵派は思わぬ知らせに驚喜した。それはいままでその存在を無視していた侯爵も例外ではなく、これ幸いと王の侍従見習いとしてモリーツをねじ込み、去年正式に王の侍従として取り立てられたのだ。

 だが、結局どれだけ頑張ったとて自分でチェルネイアを救う事など出来ない。

 父を越える程の力を付けられるのは、後十年掛かるのか、二十年掛かるのか。

 仕事に打ち込めば打ち込む程、自分の無力さが胸にのしかかる。そして、チェルネイアは自分が一人前の侍従になろうと四苦八苦している内に正妃候補に決まり、直接話す事も難しいような高みに登ろうとしている。

 

 僕が父上からチェルーを自由にしてあげたかったけれど、到底無理そうだから……陛下がチェルーを正妃にしてくれて父上から解放してくれるなら、それで良いんだ。

 陛下はチェルーを幸せにしてくれるかな……?

 

 淡い初恋の終焉を予感しながら、モリーツは寂しさを隠して合流したマリーセンと近衛兵達と共に警備体制の予定を詰める事に専念した。




すみません。チェルネイア姫とのデートの予定だったんですが、次回に回しました。

本当はもう少し後に登場させる予定だったモリーツ君ですが、話の流れ上このタイミングにしました。ガルニシア公爵と折り合いの悪い嫡男も微妙にデビュー。



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