つかの間の平和4
今日のセリーヌの装いは、気合いが入っている。
自宅にいる時は服装に余り頓着せず、下手をすると使用人と間違われる様な格好をしているが、着飾る必要がある時はとことんこだわる。意外にも桃色が一番好きな色という乙女な側面もあるご令嬢の本日の装いは、正に桃色一色だった。
フリルを幾重にも重ね、リボンも多用したドレスはパニエで大きくスカートを膨らませるデザインだ。薄いシフォン生地を使用しているので、動く度に重ねた生地が風に揺れる桃色の花びらの様に軽やかに揺れる。
二十歳としては可愛らし過ぎるものだったが、愛嬌で誤魔化せるとセリーヌは思う。堂々と着ていれば、不思議とそれなりに見えるのだ。
そもそも年相応の落ち着いた色のドレスを着るとやたらと老けて見えてしまうのだ。チェルネイア姫の様な大胆なドレスを着こなす身体も無い。かといって、フィリシティア姫の様な妖精じみたシンプル系統のドレスは美貌が無ければ貧相なだけになってしまう。
だから、消去法で考えても、この手のドレスは自分に最も似合うと信じていた。メイミが一生懸命巻いてくれた巻き髪には大きな桃色のリボンを飾ってある。茶色の髪に桃色は相性が良い。
別に女として王に自分を売り込む気はさらさら無く、相手に敬遠されようが全くかまわないので自分の着たい物を着て、好きな様に自分を飾る。
結局、色々理由を付けたところで他人目線で実際に似合うかどうかは問題では無いのだ。自分が似合うと信じるものを着れば満足なのである。
そして、こんなに可愛らしい格好をしておきながらセリーヌが選んだ王とのデート場所は書庫だった。
図書館でもなく、書庫である。
書庫の管理役人が突然の王の来訪と場にそぐわぬ女性の出現に驚き、動揺しながらも一番奥の部屋を開け、席を外してくれた。
古い書物独特のかび臭さを感じさせる空間に、セリーヌは目を輝かせて思わず王より先に一歩踏み出した。そんなセリーヌの後ろから、王はランプを片手に続いて入る。
火気厳禁の書庫で使われているランプは、なんと神子の遺産である永遠に輝き続けるランプだ。国宝級の代物だが壊れる事も無いので、一度火災で貴重な資料が消失した事件があってから使われるようになったらしい。
このランプを入り口横の所定の場所に設置すると、随所に仕掛けられた鏡が光を反射して書庫全体が文字が確認出来るくらいには明るくなる仕組みだ。
「して、セリーヌ嬢、そなたの探している文献とは?」
「ハーナ様が残したという、人々の治療記録ですわ。王家所有の持出し厳禁、公開不可文献のリストにありますでしょう?」
「そうか。そなたが言うならあるのだろう。手分けして探すか。神子関係の書籍はこの列にあるから、そなたはそっちの端から探せ」
「有り難うございます」
「どうした?」
大きな書棚が八つ並んでいる中、神子関連が一つだけとは随分と少ない気がしたセリーヌは、その疑問が顔に出たらしい。
「いえ、思ったより少なかったので」
正直に答えると、王は頷いた。
「ハーナ様本人の手によるものは、全て神殿にある。ここにあるものはハーナ様が命じて役人が記録したものか、ハーナ様の日々の生活を記録した書記官の資料だけだ。ハーナ様以前の二人の神子については、研究書はあるが時代が古過ぎて石碑や石版でしか当時のものは残っていない」
言われてみれば当然の事で、成る程と納得した。
ということは、私が読みたいと思っていた書物は役人が記録したものなのね。
もしかしたら当てが外れるかもしれないわ。
探す前から少し落胆しながら、セリーヌは王の指示に従って奥から目的の書籍を探し始めた。
「セリーヌ嬢、これではないか?」
しばらくして王が一冊の分厚い本を差し出した。
暗がりの中、差し出された本の題名を指でなぞりながら読めば、それは確かに目的の本だった。
「赤咳病の記録……、はい、確かにこれです」
「では閲覧室に案内致そう」
閲覧室には明かり取り用の小さな天窓があるが、日光による書籍の劣化を防ぐ為に最低限の光しか入って来ない。
読書の為に例のランプを閲覧用の大きな机に置き、王とセリーヌは向かい合って座った。そこで初めてセリーヌはそのランプの不思議さに気付いた。
「不思議なランプですわね。熱が無い……」
確かにガラスの内部で炎が燃えているように見えるのだが、近くにあっても当然あるべき熱が感じられず、思わず手を伸ばして確かめたセリーヌは驚きの声を上げた。
「神子の遺産の一つだ」
「神子の遺産……!」
あっさりと王が口にした言葉に、セリーヌは驚いて目を見張った。
「驚いたか?」
「はい。宝物庫に仕舞い込まれているとばかり……」
「他の物はそうだ。これだけは普通に使われている。この城には、物でなければ他にもそなたが簡単に目にすることが出来る神子の遺産がある」
「まぁ、簡単に?」
「そなた自身もそうであろう?」
またも驚くセリーヌに、王は不意に微かに苦笑してみせてから真っ直ぐにセリーヌの瞳を射すくめ、低く潜めた声で囁いた。
その言葉の意味する事が分からぬセリーヌではない。神官長と懇意にしているという王ならば、セリーヌが神子の遺産の血筋を受け継ぐ者だと知っているのだろう。だが、それを口にするのはタブーなのだ。
沈黙するセリーヌに、王は軽く右手を上げて頭を振った。
「すまぬ、答えられぬ質問であったな。私の言った遺産とは後宮の庭のことだ。午後にでも見に行ってみれば良い」
「そうしてみますわ」
「では、私は別の本でも読んでいよう。終わったら声を掛けてくれ」
「はい」
席を立って閲覧室を出てゆく王を見送ってから、セリーヌは本を開いた。
じっくり読んでいる時間はないので、章ごとにざっと斜め読みした程度だったが、結局記録にはセリーヌが探していた事柄は載っていなかった。
やはり神子自らが書き綴った記録が見たい。
そのためには神殿に問い合わせるしかないが、こと神子の事に関してはシーラ教は秘密主義が徹底している。見せてもらえる可能性はとても低い。セリーヌは思わず溜め息を吐いた。
顔を上げて王の方を見ると、王は熱心に何かの本を読んでいた。
明るい日の光の下よりも、室内の薄明かりの下の方が美人に見えると聞いた事があるが、それは男性でもそうなのだろう。ランプの柔らかな橙の光に照らされた、王の彫りの深い顔は、陰影を濃くして一層顔立ちの美しさを際立たせていた。
私も多少は美人に見えているのかしら?
ふと、そんな埒も無いことを思いながら声を掛けた。
「陛下」
「終わったか?」
「はい。有り難うございました」
「その顔は、探し物は見付からずじまい、か」
表情に出ていたのか、僅かに苦笑する王にセリーヌも苦笑を返す。
「残念ながら。おそらく神殿にある神子直筆の書物に記されているかと思いますけれど、多分見る事は叶わないでしょうね」
「そうか……」
「ですが貴重な書物を読ませて頂きました事、とても感謝しております。これはこれで、中々面白うございました」
「どう面白かったか聞いても構わないか?」
不意に興味深げな眼差しを寄越されてセリーヌは少し戸惑う。記録書など大して面白い物ではないが、他者の思想が記されていないから逆に自由な発想の翼を拡げやすい。例えば数字一つ、表一つからその気になれば無限に思考を拡げて妄想することも可能だ。つまり、セリーヌが面白いと思ったのは好き勝手に拡げた妄想とも言える代物で、確たる根拠等ないのだ。だから他人である王に話して良いものかと戸惑ったのだ。
「そうですわね……ハーナ様がそのお力を振るうに当たって水を媒体とされたところでしょうか。神子様が降臨なさるという泉といい、初代神子様が水の女神とされていることといい、神子様は水との関係が深いように思われました。二代目神子様については、殆ど存じませんけれども……」
三代目神子ハーナが恐ろしい伝染病を神の力で打ち払ったというのは、誰でも知っている話だ。しかし、その詳しい内訳を知る者は余りいない。記録書には各国から届いた情報と自国の調査を基にした病人の数、完治した数、死亡者数、飲ませた水の量、治療に掛かった日数等、ありとあらゆる数値的な記録と、神子の行動の逐一が記されていた。
世界中にあるシーラ教の神殿は、キア神信仰と共にその具現である神子信仰もあって殆どが泉のある場所に建てられている。それは始祖竜を祀るガロ教を信仰している地域でも同じだ。人々が危機に瀕した時に現れる神子の存在は世界共通の信仰の対象であり、ガロ教の神殿でも泉があるのが普通だ。
シーラ教とは違い、ガロ教ではガロの慈悲の泉と呼ばれるが。
記録によると、まず神子ハーナは世界中の神殿の泉にその姿を映し、人々に言葉を伝えた。その内容は簡単に言えばこういう事だ。
地から湧き出る水、つまり泉と井戸の水は全て病を打ち払う薬となる。
その病が駆逐されるまで神子は主神殿に籠り、キア神の涙に力を注ぎ続けた。神子降臨の泉であるキア神の涙は、世界中の水脈に通じているからだという。記録にはその間に神子が取った食事内容と量、入浴の回数とその入浴時間、睡眠を取った回数と睡眠時間、力を連続で注ぎ続けた時間、果ては排泄の回数までありとあらゆる情報が羅列されていた。プライベート等、何処にも存在しない。
「確かにそうかも知れぬ。世界中の泉という泉、井戸という井戸は初代神子様の恵みだと言われているし、ハーナ様はその全ての泉という泉、井戸という井戸の水を一時的にとはいえ病を癒す薬に変えた。ハーナ様の場合はそれが一番効率が良いと判断されたから、とも思えなくは無いが。にわかには信じがたい御業だ。流石は偉大なるキア神の力を授かった神子といったところか」
効率うんぬんを持ち出すあたりが、政治に関わる王のものの考え方を示している様で、セリーヌはやはり王は政治に興味が無いわけではないのだ、と改めて感じた。
「本当に。このランプもとても不思議な物ではありますけれど、神子様の力としては児戯の様なものかも知れません。しかしながら私が興味深いと思った点はそこではありませんわ。これは私の単なる憶測ですが、もしかしたら水と関係が深い事と神子が女性ばかりな事は深い関係があるのではと」
これが神子ハーナが力を振るった経緯を読みながら刺激され、最初に閃いた考えだった。
「水と、神子が女性であることが、か?」
「はい。女性は胎を命の水で満たして赤子を育てます。母の子を育む命の水、人々の渇きを癒して大地を蘇らせた初代神子様の命の水、病から民を救ったハーナ様の命の水……」
「成る程、羊水か」
頷く王にセリーヌも頷き返す。
セリーヌ自身、明確にその考えを持っていたわけでは無いが、神の力の具現たる神子が女性ばかりなのに、男性と女性では女性の方が地位が低いのは矛盾している様に感じていた。キア神が父とされていて、キア神も男性が優位であるとしているならば、神子もまた男性である方が妥当の様な気がするのだ。
「飛躍し過ぎと思われるかもしれませんが、それがまたガロ教が生まれたきっかけではないかという考えが浮かんで、興味深いことと思ったのですわ」
「ガロ教?」
「えぇ。シーラ教ではキア神は“父なるキア”ですが、ガロ教では“母なる始祖竜ガロ”ですから。神子はガロ教ではガロの娘とされているようですし」
「それは興味深いな。第一の神を父と思うか、母と思うか、か」
王は何やら眉間に皺を寄せて考え始めた。セリーヌにはその心の内は分からなかったが、神官長と懇意にしている王にしては随分と自由な思考をお持ちだと思った。当然だが、シーラ教の総本山であるこの国でガロ教の話題を出すこと自体、余り良い顔をされない。ガロを生み出したのがキア神とされているので、その存在を否定はしないが、シーラ教にしてみればガロ教というのは勘当した不良娘の様な存在なのだ。
それだけでなく、学のある女性というのは男から大概煙たがられるものである。セリーヌの教授を引き受けてくれた学者達はやはり皆男だったが、セリーヌの教授を引き受けた時点で珍しい方なのだ。女に学問は必要無いというのが一般的な考えなのだから、女に学問を授けることも蔑視されがちだからだ。その変わり者の学者達でさえ、女であるセリーヌが独自の解釈や発想を話すと渋い顔をする者がいた。
今は王妃という特殊な立場の候補だからこそ、学がある事を褒められる状況にはあるが、結局その学も男性主導の受け身的な学なのだ。
王には不思議な事にそういう隔たりを感じない。だからこそ、正直に話せたのだが。
それにしても、とセリーヌは思う。
世の男というのは、女がおしゃべりな事を嫌うのが普通らしいが、だったら“男にとって理想的な女”は男が質問してくれなければどうやって自分の事を伝えるのだろう?
「ところで陛下、今度は私が質問しても?」
「私に答えられる事であれば、何なりと」
「陛下は私が何を調べようとしているのか、気にはなりませんの?」
「それは……何故質問しないのかという意味か?」
「そうですわ」
「理由は二つ、ある。一つは、私自身が詮索される事を好まない。もう一つはそれがそなたの秘密に関わる事と予想したので問う事は憚られた」
確かに誰だって詮索されることは好まないだろう。だが、詮索と興味を持つ事は根本的に違う。詮索という言葉を使うということは、個人的な好意が根底に無いということだ。
他人の秘密は詮索しないというのは、こちらも腹を探られたく無いという意思表示でもある。好意を寄せる相手の秘密は共有したいと思うのが自然だ。少なくとも女心としては。
「陛下は……真っ正直でいらっしゃいますね。けれども、それは女心を分かっていませんわ。それについて私が心底質問されたくないと思っていましたら、糸口になる様な切っ掛けを提示することはありません。陛下は私を、私達正妃候補のことをお知りになりたいとおっしゃった。であれば、陛下は糸口を捉えて問い掛けて下さらなくては。女性は殿方に聞かれもしない自分の事を話すことは無作法であると教えられるのですから」
「……そなたは自分から話しているように思うが?」
面食らった様子の王にそう言われると、セリーヌは笑顔で答えた。
「はい、ですから父にはじゃじゃ馬と呼ばれていますわ。それに私は“女性として”男性たる陛下に気に入られようとは思っておりませんの」
悪びれずに言うセリーヌの率直な言葉に王は一瞬呆気にとられた顔をして、それからお手上げと言うように軽く両手を上げた。
「私よりもそなたの方が余程真っ正直だと思うがな。親子揃ってはっきり物を言う」
「父上が何か?」
「そなたを正妃にするのは、やめておけと言われたばかりだ」
まさか父までが王に直接そんな事を言っていたとは、とセリーヌも驚くと共に苦笑した。少しばかり王に申し訳ない気持ちになる。正妃候補として王宮に上がりながら、王妃になりたくない、なるつもりはないと親子揃って直接言われた方としたら、不愉快に思うのも当然だろう。自分がされたら、きっと傷付くだろうと思う。
「親子共々不躾で、申し訳ございません」
セリーヌが神妙に頭を下げると、王は短く良い、と許しの言葉を与えた。
「とにかく、そなたの進言は心に留めておこう。チェルネイア姫には必要無い様に思われるが」
「まさしく、私はそれを言いたかったんですの!」
かの姫の名前が王の口から出たので、急に例の計画を思い出したセリーヌは思わず立ち上がらんばかりの勢いで喰い付いた。
一瞬前のしおらしい態度から豹変するセリーヌに、王がまた呆然とするのを無視して話し始める。
「問題はフィリシティア様ですわ! あの方は本当に深窓の姫君でいらっしゃいます。年齢が一番下ということもあり、自分から口を開く事はありませんでしょう。ですから、特に気を付けて差し上げて欲しいのです」
「……そなたは随分かの姫に肩入れしているようだが……?」
「肩入れ、という程ではありませんが。チェルネイア様に比べてフィリシティア様は余りに不利に思えて応援したくなりましたの」
セリーヌの言葉に納得していない様子の王が口を開きかけた時、閲覧室の扉が叩かれた。
「陛下、そろそろ昼食のお時間でございます」
「分かった」
扉越しの侍従の言葉に、王は立ち上がった。セリーヌもまた立ち上がる。
「セリーヌ嬢、残念ながら時間切れだ。そなたの話は中々楽しかった」
「私も陛下と話せて楽しゅうございました。明日はチェルネイア様と、ですわね。陛下は今ひとつ女性に慣れておられぬ様ですし、お気を付け下さいませ。くれぐれもアレシア様がお嘆きなる様な事にはならぬよう……」
「セリーヌ嬢」
不意に扉に向かい掛けていた王が立ち止まってセリーヌの言葉を遮り、身体ごとセリーヌに向き合った。
「はい」
「そなたが私を見くびっているとは思わぬが、無策と思われるのは心外だ。それにこれは私の結婚だ。必要以上に口を出す事はまかりならぬ。そなたが当事者であること放棄したのなら尚更であろう。違うか?」
先程までとは打って変わった王の厳しい言葉と眼差しに、セリーヌは雷に打たれたように固まった。いつの間にか思い上がっていた自分に気付いた瞬間だった。
何も言えずに立ち尽くすセリーヌの様子を見て取ると、幾分表情を和らげて再び口を開いた。
「私に言わせれば、そなたもまたフィリシティア姫と変わらぬ箱入り娘に過ぎぬ。確かにそなたは普通の貴族の姫君達に比べて知識は豊富で賢いかも知れない。しかし、知識は尊いものだが学ぶだけではその価値は無いも同然だ。そなたがどんな知識を求めているのかは知らぬが、その知識がそなたの内に留まるだけのものならば何の役に立つのか」
王の言葉に、セリーヌは羞恥に顔を赤くした。
頭でっかちの愚か者。
知識をひけらかすインテリを気取る貴族の若者を馬鹿にしていたセリーヌは、自分も同じ穴のムジナだと言われたのだ。確かに、今までこうすれば良いのに、ああすれば良いのにと、政治の話を聞きかじる度に思っていた事は沢山ある。
しかし女の身では何も出来ないと結局不満を溜めるだけで何もしてこなかった。本気で変えたいと思えば、いくらでもやりようはあったのだ。セリーヌには大貴族で権力もあり、娘の言葉に耳を傾けてくれる父がいる。その父を通して働きかけることも出来た筈だし、父を頼らずとも頑張っていれば数は少なくとも認めてくれる男性はきっといた筈だ。セリーヌを可愛がってくれた学者や、この王の様に。
いつの間にかセリーヌは女であることを言い訳にして、行動することを諦めていた。本気で政治を変えたいと思うなら、嫌いな社交界にも積極的に出て生の経験を積むべきだったのに、そうはしなかった。
昔は、母の実家にいた頃は、そんな事は無かったのに。吸収した知識が役に立つと思えば何でもやってみた。時にはとんでもない事態になって叱られた事もあったが、大ババ様は末頼もしいと笑って褒めて下さった。いつの間に、私はこんな情けない人間になっていたのだろうか。
セリーヌは恥じ入って、再び王に深々と頭を下げた。
「頭を上げよ。すまぬ、少し厳しく言い過ぎた」
「いいえ。女と侮らず、対等の人間としておっしゃって下さった事、心から感謝致します」
「そうか。私も対等の人間として話の出来る存在は快く思う」
その王の言葉は優しさを感じさせ、セリーヌはゆっくりと頭を上げて王の表情をうかがった。
王の表情は静かで、セリーヌを見下した様な気配も、また怒りも、感じられなかった。セリーヌは、自分の甘さと王の器の大さを感じて初めて畏敬の念を抱いた。正直に言うと、即位してから何年もの間傀儡の存在だった王をセリーヌは見くびっていたのだ。
この方は、仰ぐに足る王なのだ。
兄王子達がことごとく死亡した為に、末の王子でありながら幸運にも王位が転がり込んで来ただけの王ではなく、王になるべき方だったのだ。
セリーヌはエルドシールというこの男が、自国の王である事にキア神に感謝を捧げた。
すっかり反省した様子のセリーヌに、王は少し困ったかの様に首を僅かに傾げ、様子をうかがい返した。
「私はそなたには多くを成す力があると思う。それはそなたの父も言っていたことだが。そなたが男ならば遺憾なくその力を発揮出来たろうに、残念なことだと嘆いていたぞ」
「それは……買いかぶり過ぎですわ。父は親馬鹿なのです」
セリーヌは、先程とは違う羞恥に顔が赤くなる。
「では、今の所はそうしておこう。だがもし、その知識で何を成すか、それを決めたならば、キヨに話してみよ。私がそなたにしてやれる助言はそれだけだ」
「キヨ……アレシア様付きの尼僧の?」
予想だにしない名前に、驚いて王に確認すれば、王は深く頷いて続けた。
「神官長グラスローは私などよりもキヨに弱い。キヨの口添えがあれば、ハーナ様直筆の書も閲覧可能になるかも知れぬ」
何故そんなにキヨという尼僧に神官長が弱いのか、それを聞きたかったが再び叩かれた扉の音に会話は途切れた。
自室に戻ったセリーヌは口数も少なく、物思いに沈んでいる様子でメイミを心配させた。
問い掛けにも上の空の主人に、王と何かあったのかと気を揉み、最終的に王と二人っきりだったという書庫で恋が芽生えたのではないかと舞い上がった。
その考えは夕食時にはいつも通りに戻ったセリーヌに完全否定されるのだが。
とにもかくにも、ガルニシア公爵令嬢とその侍女の平和な王宮生活はこの日も無事に終りを迎えた。