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つかの間の平和3

 フィリシティア姫が王に恋心を抱いた理由は、結局の所王が伴侶となる相手に対して変わらぬ愛と誠実さを誓ったからだ。

 自分の容姿を基にした父の愛の不確かさ、壊れてしまった母と父の愛情、母と姉との不和という状況下、彼女は常に愛情不足だった。愛情に対する不信感もあったが、それ以上に愛情を信じたい気持ちも強く、そして恋という魔法の言葉を知ったばかりだった。


 安定した愛情を妻となればずっと与えられるのだと知って、心惹かれないわけがない。そういう意味ではまやかしの恋とも言える。しかし、全ての恋は勘違いから始まると言う言葉があるように、彼女の恋が全くの偽物という事も出来ない。

 たとえ自分の為に恋という魔法を無意識に掛けたのだとしても、それは彼女が同年代の異性に向かって心を開いた初めての経験だった。



「姫様、今日のお茶会はどうでしたか?」


 夢見心地の様子のフィリシティアに、ハンナは着替えを手伝いながら問い掛けた。

 社交の場であるお茶会に出席する為のドレスと、部屋で過ごす為のドレスはまた違う。


「陛下と少しお話が出来たわ。私の髪をお褒め下さったの」


「それはようございました。姫様の髪はどんな繊細な銀細工よりもお美しいですから」


「違うわ、月の光を受けた湖面の様に美しいのよ」


「まぁ……吟遊詩人の歌う女神のバラッドの様ですね」


「そうでしょう?」


 言葉は違えど、同じ様な褒め言葉を捧げられた事は過去に幾度もあった。その褒め言葉自体も女性への賛辞としてはそこそこで、吟遊詩人ならもっと美辞麗句を並べて褒めたたえるだろう。それでも、重要なのは王の口から出たということだ。


 そして、一番嬉しかった事は王が自分の賛辞を喜んでくれた事だ。炎を映した金の燭台の様……そう喩えたのは自分が初めてで、それを喜んで下さった。


 ”初めて”


 その言葉に心が躍る。


 まるで王の美しい赤金の髪が自分のものの様な気持ちがして、自慢したくて堪らなくなる。しかし、勿論そんなことは無いと分かっているし、その宝物の様な気持ちをいささかも傷付けられたく無かったので、フィリシティアはハンナにさえその気持ちを打ち明けなかった。


「きっと他の姫君方は悔しくお思いでしょうね」


 何気ないハンナの言葉にふと、自分以外の候補達の姿を思い出す。

 


 そういえば、陛下はあの方達にも賛辞を贈られていたような……。

 何だったかしら?


 王しか目に見えていない状態のフィリシティアには、他二人の候補者の存在など意識の外だった。よって、意識の外に締め出された存在に対する嫉妬は存在しようがない。

 もともと誰よりも美しさで優れている、王妃に誰より相応しいと洗脳の様に言い聞かせられて来たフィリシティアには、他者と自分を比べて劣等感を感じたり、嫉妬するという思考回路が無いのだ。

 それに、父の教育のおかげでチェルネイア姫が王との会話をほぼ独占していたことにも無関心だった。



 人前では淑女はもの言わぬ美しい華であれ。



 それがレイゼン公爵の娘に対する口癖だ。


 また、答え探しについて不安はあるものの、時間もまだあるのでそこまで他の候補者を気にする要因が見付からなかった。それよりも、王が口にされた言葉を忘れてしまった事がフィリシティアにとっては大問題だった。



 何だったかしら? あぁ、思い出せないわ。

 なんてこと!

 陛下のお言葉を取りこぼすなど、もってのほかだわ!



 王に見蕩れて夢中になり失敗してしまった事も思い出して、恥ずかしさと自分に対する憤りで思わず叫びたい衝動に駆られる。

 フィリティアは衝動的に目についた扇子を床に放り投げた。


 先程までの上機嫌が嘘の様に不機嫌になる主人に、ハンナは驚いて顔を強張らせた。何か気に触る事を言ってしまったのだろうかと、おどおどしながらドレスの背中のボタンを留めて姫君の支度を整える。

 続いて髪を結い直しながらそっと姫君の様子を窺うが、苛々した様子の見える表情におろおろするばかりだ。何か声をおかけした方がよいとは思うものの、気の効いた事を言える様な機転も無い。

 初めての恋に振り回れて何時にも増して機嫌の上下が激しい姫君を、どうお慰めしたら良いものかと頭を悩ませた。

 沈黙が余計にハンナの焦りを掻き立て、姫君の苛々を助長する。

 とうとう髪の結い直しも終わってしまい、途方に暮れつつ櫛を置いたその時、ハンナの目に自分が生けた花瓶の花が飛び込んで来た。



 そうだわ!



「姫様、気分転換にお庭に散策に出られたら如何ですか? 女官長様から教えて頂いたのですが、後宮の庭園は小さいながらもとても美しいと評判なのだそうです。国王陛下が手ずから植えられた林檎の木もあるそうですし」


「陛下が?」


 興味を示す主人に良かったと胸を撫で下ろし、言葉を重ねる。


「はい、なんでも修道院を懐かしまれて植えられたのだとか」


「そう……。午後の予定は?」


「特に何も伺っておりません」


「それなら行ってみようかしら。勝手に散策しても構わないかどうか、確かめて来て頂戴」


「はい」


 どうやら機嫌が直ったらしい主人に、ハンナは嬉しそうに頷いた。




 後宮の庭園はかなりの広さがあった。警備をしやすくする為に四方を高い煉瓦の壁に囲まれた庭はさながら箱庭の様で、幾つかの区域に分かれ、その区域ごとに趣きの違う庭が配置されている。庭の入り口は一つしか無く、武芸の心得のある王宮侍女が交代で警備をしているので、護衛やお供を連れずに一人でも気ままに散歩出来るようになっていた。

 なんとなく一人で庭を見たかったフィリシティアは、ハンナを連れずに一人で庭の門を潜った。



「まぁ……!」


 威圧感すら感じた高い煉瓦の壁の向こうには、驚く様な光景が広がっていた。

 季節感をまるで無視したありとあらゆる季節の花が咲き乱れていたのである。これが噂に聞いた神子の遺産の庭かと、その美しい光景に溜め息を漏らした。


 神子の遺産とは、神子の祝福によって付与されたキア神の恵みのことだ。祝福の対象は土地であったり、人であったり、物であったり、付与された恵みも様々で、ある意味人々が簡単に目にする事が出来る神の奇跡の片鱗である。

 どんな日照りにも枯れず水の量も変わらない泉、燃料も無いのに永遠に輝き続けるランプ、ひとりでに音楽を響かせるハープ等があり、人に祝福が付与されれば代々特殊な能力を受け継ぐ。ただし、人の場合はその力や存在を利用されないように注意深く隠されることが殆どだ。

 当然ながらゼッタセルド王家の人間も遺産を受け継ぐ血脈であるが、その特殊能力については一部を除き秘されたままだ。


 そして、この庭は第三代神子ハーナが祝福した土地の上に作られた。

 勿論後宮という場所柄、そしてずっと後宮自体が閉鎖されていたということから不確かな噂でしか聞いた事が無かった。

 フィリシティア自身、この庭を見るまでそのような噂をすっかり忘れていた。


 無秩序に見える程のびのびと育った木々とその足下を飾る名も無き小さな色とりどりの花々に誘われて散策を始めれば、次々と不思議な光景に出会う。

 初夏の薔薇の隣りに冬の薔薇とも言われるカメリアが咲いていて、その向こうにはスミレの絨毯が広がり、白い蝶がひらひらと何匹も舞い踊っている。

 そこを過ぎると、背の高い木が作る木陰と小さな小川が流れる涼しげな様相に変化した。それは昔、まだ両親が仲が良かった頃に家族揃って滞在した避暑地の森に似ていた。さらさらと微かな音を立てて流れる水のせせらぎに、不思議と心惹かれて暫くぼんやりと眺めていたが、その平和は唐突に破られた。


「あら、フィリシティア様。偶然ですわね」


 はっとして振り返ると、木立の向こうに立っていたのはチェルネイアだった。


「ごきげんよう、チェルネイア様」


 午前中のお茶会に比べると、幾分すっきりした髪型に変え、陽射しを避ける為に隙無く肌を覆うドレスに変わっている。


 胸元が大胆に開いたドレスよりもよっぽど上品で美しいのに、何故陛下の前ではその様に装わないのかしら?


 本人が聞いたら何も知らないネンネと馬鹿にしそうな事を本気で不思議に思いながら、折角の散歩を邪魔されて残念に感じた。


 出来れば挨拶だけでこのまま別れてしまいたい。


 そんな期待とは裏腹に、相手は侍女を従えて真っ直ぐにフィリシティアに向かって歩いて来る。


「あちらに白薔薇が咲いておりましてよ。お好きでしょう?」


「え? えぇ、好きですわ……」


「ご案内致しますわ。こちらよ」


 にこにこと満面の笑みで話しかけられては無下にする事も出来ず、戸惑いながらも頷くと、強引に腕を取られて引き摺られるようにして歩き出す。

 なんて不躾な方かしらと、内心不愉快に思いながらも年長者である相手には大人しく従うしかない。


 入り口付近の花畑に戻り、小川とは反対側に進むと薄紅色の蔓薔薇のアーチがあった。それをくぐると、打って変わって整然と幾何学模様にも似た美しい植え込みと咲き乱れる色とりどりの薔薇の庭に出た。

 かつてゼッタセルドの薔薇と言われた母の為に父が作った薔薇園は、大振りの深紅の薔薇と純白の薔薇だけで構成されていて、統一感があり、すっきりと美しい。国一番だと父の自慢の庭でフィリシティアもそう思っていたが、この庭の方が素敵に感じた。

 こちらは大振りの薔薇も野薔薇の様に小振りの薔薇も、色も様々に一見無秩序にみえるが不思議と調和がとれ、整然とした美しさまで感じる。薔薇を囲む美しく刈り込まれた植え込みが花器の様にも見えて、一つの完成された絵の様に見えるからかもしれない。

 強引に連れて来られたものの元々薔薇は好きなので、いつの間にか夢中になって数々の薔薇の美しさに見蕩れた。


 と、チェルネイアが足を止め、フィリシティアも足を止めた。


 その一角には他に比べて花弁の数が明らかに多い、見事な大輪の白薔薇が咲いていた。風に吹かれて重たげに揺れるその薔薇は、フィリシティアが知る中でも一、二を争う大きさだった。


「ね? 素晴らしいでしょう?」


「はい」


「お気に召しまして? 良かったわ。カトリーヌ、一輪フィリシティア様に切って差し上げて」


 突然のチェルネイアの言葉にフィリシティアは驚いて、つい不躾に相手をまじまじと見てしまう。


 この方は、どうしてまるでこの庭の主人の様に振る舞われるのかしら?

 ここは陛下のお庭ですのに……。


「チェルネイア様、勝手に花を手折っては咎められませんか?」


 さすがにこんな無作法に巻き込まれては困ると、そう言ってみたところで相手は全く取り合わず、自信に満ちた笑みを浮かべてこう言い放った。


「ここは後宮の庭ですわよ。候補とはいえ、ここは妃達の為の庭。何を咎められることがありますかしら?」


 フィリシティアにしてみれば、未だ候補なのに既に妃になったかの様な理論を振りかざすチェルネイアに絶句してしまった。


 結局薔薇を切るのを止められず、一輪の白薔薇が侍女によって手折られ、まずチェルネイアに渡された。


 チェルネイアは薔薇の香りを嗅ぐ仕草をしてから、すっと手をフィリシティアに向かって伸ばした。何事かと身を引きかけて反射的に目を閉じたフィリシティアは、髪に何かが触れる気配を感じて何をされたのか悟る。


「髪に飾って差し上げただけですわ」


「……有り難う存じます」


 身構えた己を少しばかり馬鹿にした様な声音でからかわれ、フィリシティアは再び頭をもたげ始めた不快感を誤魔化しながら、微笑んで礼を言う。

 そんなフィリシティアを眺めて、チェルネイアは満足げに微笑んだ。


「ほら、素晴らしくお似合いだわ。カトリーヌもそう思うでしょう?」


「はい」


「本当にお美しいわ。最高級の繊細なお人形の様。人形姫と称されるだけのことはありますわね。私などと違って殆どおしゃべりにもならない静かなところも……。えぇ、私には真似出来ませんわ」


 煩い程に大袈裟に賞賛するチェルネイアの言葉は、普段なら当然と思いながらも満足を感じつつ謙遜して礼を言うところだ。

 しかし、今回ばかりは沸き上がる不快感に息が詰まる気がした。


 何故だか分からないが、この方は私を馬鹿にしている。

 褒める振りをして、貶している。



 そう感じると、プライドの高いフィリシティアは貝の様に口を閉ざした。黙り込んで表情にも反応を示さなくなったフィリシティアに、チェルネイアはつまらなそうに拡げた扇子で素知らぬ顔をして風を扇ぎ、少し疲れたのでお先に失礼、と言って去って行った。


 折角の良い気分が台無しだわ。

 今日はこれで二度目……。



 理由も分からず馬鹿にされた不快感と、他人から見下されるという今まで殆ど体験した事のない屈辱と衝撃に思わず涙ぐんでしまう。


 一体、私の何を馬鹿に出来ると言うの?

 人前では万事控え目に、もの言わぬ美しい花が淑女の理想でしょう?

 人形の様に美しいことの何が悪いの?


 すっかり気落ちしてふらふらと歩いていると、今度はまた違う趣の場所に出た。

 それは今まで似たものすら見た事の無い、庭だった。言うなればそこは果樹園。普通食用の実の成る木は、農作物であるから庭には植えない。農地になど箱入りの貴族の姫君が訪れたことがあるわけも無く、フィリシティアは生まれて初めて木に成っている果物を見たのだ。


 やはりあらゆる季節の果物がたわわに実り、同時に花も咲いているというちょっと異常な様子なのだが、初めて目にしたフィリシティアにはその異常を察知出来るわけも無く、林檎の木を見付けると足早に駆け寄った。

 優しい、甘い香りの漂う小さな白い花と赤い実を食い入るように見上げる。


 こんな小さな花なのに、こんな大きな実を付けるのね。

 この木を、陛下が植えられたのだわ。


 そう思うと落ち込んでいた気持ちが慰められた。普段なら考えもつかない事だが、気持ちの赴くままに木肌に触れてみる。しっとりとしてヒンヤリと冷たく、それでいて何故か温かく感じる不思議な感覚に囚われた。


 ここが神子の遺産の庭だからかしら?

 それとも、陛下が植えられた特別な木だからかしら?


 先程よりも甘い香りが強くなった気がして胸一杯に吸い込み、今度はそっと木の幹を抱き締めてみた。

 きっと父が見たらはしたないと叱られてしまうとちらりと思ったが、頬をおずおずと預けた木肌の心地良さにそんな事は霧散してしまった。


 まるで落ち込んだフィリシティアを慰めるように、林檎は優しく香り、そよ風に葉を揺らして囁いた。



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