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召還前夜〜姫君の憂鬱〜

「今日もお綺麗ですわ、姫様」

 銀の髪を美しく結い上げ、繊細なレースのリボンで清楚に仕上げた侍女ハンナは満足げに微笑んだ。

 姫様と呼ばれた少女は鏡に映し出された己の顔を無表情に見つめていた。少女はレイゼン公爵の次女、名をフィリシティアという。侍女達に熱心に手入れされた白い肌は染み一つ無く、髪は艶やかな光を放ち、整えられた爪は花びらのよう。瞳は最高級のサファイアの輝きを放つ青だ。国一番の美女と名高かった母の美貌を受け継いだ姫君はゼッタセルドの白薔薇と呼ばれていた。今年十六になったばかりの姫君は、美貌もさることながら血筋の良さからも一番有力な王妃候補と目されている。

 レイゼン公爵家は王家の流れを汲む由緒正しい家柄で、母であるミルミラは代々優秀な軍人を輩出する武門の名家デニスローン侯爵家の出である。現在もミルミラの弟が近衛兵団団長を務めている。そして内戦で自慢の跡取り息子を亡くした公爵のフィリシティアに対する溺愛は凄まじく、我が娘こそ王妃に相応しいと公言して憚らなかった。

 「それを持って付いて来なさい」

 フィリシティアは鏡の中の己の姿に不意に眉をしかめると目を逸らし、立ち上がるなりテーブルに置かれた小振りの箱を指差した。

 中には薔薇の香油が入っている。公爵が愛娘の為に取り寄せたマーレシア産の最高級品だ。ハンナは慌てて箱を手に既に部屋を出た主を追った。

 

 目的の部屋の前まで来ると、フィリシティアは一つ大きな深呼吸をしてから扉を軽くノックした。

「どなたですか?」

「フィリシティアよ。通してちょうだい」

 扉の向こうから聞こえて来た侍女の問いに答えると、程なくして扉が開かれた。恭しく頭を下げる侍女の横をすり抜け、落ち着いた淡い青で統一された部屋に足を踏み入れる。部屋の主は侍女達に指示を出しながら荷造りの真っ最中だった。

「マリエルお姉様」

 声を掛ければその人は不機嫌そうな顔で振り返った。シニョンに纏めただけのくすんだ金髪も、質は良いものの飾り気の無い簡素な紺のドレスも、地味の一言。似ているのは瞳の色だけといっても過言ではない。美しい装飾の施された淡い水色のドレスを纏い、美しく整えられた縦ロールを結い上げてレースで装飾した髪型のフィリシティアとは対照的だ。

「今忙しいの。見て分かるでしょう?」

 出て行けと言わんばかりの姉の言葉に、フィリシティアは思わず俯いて唇を噛んだ。しかし、すぐに顔を上げて傍に控えていたハンナの手から小箱を取り上げる。

「お母様に渡して欲しいものがあるのです。マーレシアの薔薇の香油ですわ」

 フィリシティアと同じ様にかつてゼッタセルドの薔薇と讃えられた母ミルミラは、ことのほかマーレシア産の薔薇の香油を好んでいた。マリエルは無言で妹が差し出した小箱を一瞥し、侍女にこれも持って行くようにと指示を出すとすぐに背を向けた。マリエルに指示された侍女は、フィリシティアの手から小箱を受け取って荷造りをしている他の侍女達に合流する。

 フィリシティアはその後姉に声を掛けてもらえず、途方に暮れた様に立ち尽くしていた。

 それでもフィリシティアは意を決して拒絶するかの様な姉の背に声を掛ける。

「……お姉様!あの……私も……」

「フィリシティア」

 マリエラは妹の名をぴしりと叱る様に呼び、妹が言おうとしている事を遮った。

「あなたはお父様の愛だけで我慢なさい。お母様はあなたの顔など見たくはないと思っていらっしゃるし、来ても嫌な思いをするだけよ」

 無情にも言い放たれた言葉にフィリシティアは涙を堪えて部屋を飛び出した。


 フィリシティアの姉、マリエラは妹や亡くなった兄程には容姿に恵まれなかった。しかし、幸か不幸かその容貌は公爵夫人の母、つまり祖母と生き写しだったために夫人には非常に可愛がられていた。並より上程度の容貌の長女に父である公爵は冷淡であったが、公爵夫人は逆に己の若い頃によく似た次女を疎み、憎しみさえ抱いていた。

 「おぉ、私の可愛い白薔薇! どうした? 何があったと言うのだ!」

 王宮に出仕する前に愛娘にの顔を見ようと訪ずれた公爵は、ベッドに突っ伏して肩を振るわせている姿に顔色を変えて駆け寄り、周りでおろおろしている侍女達を何があったのかと厳しい顔で問いつめる。

「お父様……」

「フィリシティア……どうしたというのだ? こんなに目を赤くして、其方の美しい顔が台無しだ」

「……お姉様が、お母様のところへ行ってしまわれるので寂しくて……」

「なんと……私の白薔薇よ、そなたはあのような陰気な姉でも慕っているのか。なんと優しい子か。よし、ご褒美に何でも欲しいものを言ってみなさい。新しいドレスでも宝石でも……そうだ、舞踏会を開いても良いぞ」

 まるで壊れ物を扱う様に優しく手を握る父を、まだ涙の滲む瞳でフィリシティアは見つめた。

「お父様は……」

 私の顔が本当にお気に入りですね、と、姉への愛情が一片も感じられない言葉に思わず言いかけた皮肉を飲み込んだ。言っても父にはどうせ皮肉と分からない。

「いえ、何でもありません。有り難うございます、お父様。もう寂しくありませんわ。ご褒美はゆっくり考えますから、どうぞ王宮に行ってらして」

 父が自分を愛してくれるのは、母譲りの美貌と有力な王妃候補であることのおかげだ。機嫌良く出て行く父の背中を眺めながら、フィリシティアは足下が崩れて行く様な寂しさと未来への絶望を感じるのだった。再び涙を流し始めたフィリシティアを気遣ってハンカチをそっと差し出すハンナを見た瞬間、暴力的な衝動が爆発する。衝動に駆られるまま枕元に飾られていた薔薇を花瓶ごとハンナに投げつけた。ハンナは悲鳴を上げ、花瓶は割れて散らばる。一度爆発した感情は止めようも無く、手当り次第に周りのものを掴んではハンナに向かって投げつけた。もう投げるものが見当たらなくなると、フィリシティアはボロボロになったハンナを部屋から追い出し、荒れた部屋で一人声を殺して泣いた。

 かつて公爵夫妻はそれは仲睦まじく、公爵夫人も三人の子供を分け隔てなく可愛がっていた。どうして変ってしまったのだろうかと、フィリシティアは美しい思い出に胸を痛めた。老いに容色が衰えたせいなのか、公爵はもう妻には見向きもしない。夫人もお気に入りの別荘に引きこもって、ほとんど屋敷に帰ってこない。それを良い事に公爵は娘と年の大して変らない愛人を離れに住まわせ、他にも何人か外に愛人がいるようだった。

 気持ちが落ち着くと、フィリシティアは涙を拭ってしゃんと背筋を伸ばし、呼び鈴を鳴らした。何事も無かったかの様に平然として侍女達に部屋を片付けさる。それから冷たい水で赤くなった目元を冷やし、ドレスや髪の乱れを直させた。

「私は、美しいわ。陛下もきっと私をお選び下さる」

 鏡の中、化粧を直した美しい顔で微笑みながら、まるで暗示を掛けるように囁く。

 いずれは衰える容姿では父の愛をずっとつなぎ止めてはおけない。母や姉の様に捨て置かれてしまう。だから父の願い通り王妃になること以外、フィリシティアに目指すべき未来は無かった。どんなに歪であろうとも、現在フィリシティアには父の愛情だけが心の支えだった。 



召還前夜はこれにて終了です。

次回からやっと神子登場。

前置き長くてすみません。

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