美女の怒り
自分に振り分けられた部屋に案内されたチェルネイアは、怒りの持って行き場を探して見付からず、胸のルビーのブローチを引きちぎる様に外して高価なそれを床に放り投げた。繊細な生地が無惨に破れ、折角の美しいドレスの胸元に大きな穴が開いた。
だがそんなことには頓着せず、血が出るのも構わずにルビーの耳飾りも乱暴に外して床に放った。
そんな正気とは思えないチェルネイアの行動を、平然とした顔で眺める侍女カトリーヌは淡々とルビーの宝飾品を拾って仕舞う。
しかしカトリーヌの存在も、今のチェルネイアには気に掛ける程の価値も無い。そもそも心情的な繋がりの無い侍女など、チェルネイアにとっては空気同然だった。
一体どういう事なの!
あんな微笑み、あの方には似合わないわ!
どうして……!
チェルネイアは琥珀の瞳に赤が燃えているのではないかと思う程、憎しみを露にしてギリギリと奥歯を噛み締めた。
チェルネイアにとって、王は同志でなければならない存在だ。
その紅の瞳には憎悪こそが似合うのであって、あの様な優しげな表情などチェルネイアには全くの予想以外、そして怒りの原因だった。
もちろん、セリーヌにしてやられた様な格好になったことも怒りを感じるが、そんなことは些細なことだ。
それよりも王の態度だ。
チェルネイアは憎悪を支えに生きている。だからこそ他の候補達よりも敏感に、王の言葉の真意を直感的に理解していた。
王が全く憎悪など抱いていない事も、そして傀儡の王という立場から脱却しようとしているわけでは無い事も。
その上でどうしたいと考えているかなどは、まだ全てを話されていないのだから分かる筈もなく、チェルネイアにとってはそんな事はどうでも良いことだった。
信じられないわ!
何故恨まないの?
母親と引き離されて、お飾りの王様にさせられて、悔しくないの?
影で張り子の獅子と馬鹿にされて、直轄領まで実質上殆ど巻き上げられて悔しくないの?
そこではたとチェルネイアは気付いた。
あぁ……!
そうね、母親が生きていらっしゃるからね。
私も、だから身動きが取れなかったんだったわ。
良いわ、それなら私がその障害を取り除いて差し上げなくては。
その思いつきにチェルネイアの顔には喜びの笑みが広がる。
そうよ、そうだわ!
何故気が付かなかったのかしら?
母親の命を奪われたら、あの方の瞳も憎悪に染まる筈よ。
そして私はあの方に憎悪の誓いを捧げるの。
憎悪に染まった陛下は私の手を取って下さるわ!
チェルネイアの怒りが収まったのを見て取り、カトリーヌは既に用意していた着替えのドレスを手に恭しく頭を下げた。
「姫様、お着替えを」
「深紅に胸元に薔薇をあしらったドレスを出して頂戴」
チェルネイアはカトリーヌが差し出したクリーム色のドレスを一瞥してそう言い放った。
チェルネイアの指定したドレスは舞踏会様に誂えたものであった。夜会用のドレスをまだ昼間の時間帯に着ることはマナーとしてもかなり外れたものだったが、カトリーヌは黙って従った。
禁欲的なドレスを脱ぎ捨て、毒々しい程に女を感じさせる胸元が大きく開いたドレスを纏う。
鏡台の前に座ると、万事心得た様なカトリーヌは当然の様にチェルネイアの髪を美しく結い上げ始めた。舞踏会当日の為に用意していた数々の宝飾品も出して来て並べ、一つ一つチェルネイアを飾り立てて行く。ドレスに合わせて化粧も変え、カトリーヌの手によって刻一刻と変化してゆく自分の姿を、鏡の中にじっとチェルネイアを見つめた。
そして出来上がった見事な姿の自分に、チェルネイアは満足げに艶笑した。
あんな利口ぶった田舎者の野暮ったい女にも、苦労知らずで蝶よ花よと育てられた世間知らずの人形女にも、私が負ける筈が無い。
最後に笑うのは、この私。
「伯父様に手紙を書くわ。用意を」
「はい」
用意された便箋に伯父への伝言をしたため、鑞で封をするとカトリーヌに渡す。
「カトリーヌ、伯父様にこれを渡して頂戴。くれぐれも誰にも知られない様に」
「心得ております」
今まで無表情だったカトリーヌは、不敵な笑みを浮かべてその手紙を受け取った。