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姫君の初恋

 あてがわれた部屋に案内されたフィリシティアは、かいがいしく世話を焼くハンナにも上の空で着替えを済ませた。


 帰って来てから姫の様子がおかしいとハンナは心配でならなかった。

 最初は謁見に続いて慈母様のお茶会で緊張の連続だったせいだろうと思っていたが、あれから暫く経つのにまだぼうっとしている。昼食用の軽食にも殆ど手を付けず、終始ぼんやりしていて、時折溜め息を吐く。

 良く見れば頬が何時もより赤い。もしかしたら風邪でも引いたのではとハンナは顔色を変え、慌ててフィリシティアの大嫌いな薬を差し出した。良く効くのだが、酷く苦いのだ。


「姫様、大丈夫ですか? 大事にならないようにこれを飲んで下さい」


「……」


 いつもはそんな不味い薬は飲みたくないと散々当たり散らすのだが、何故か今日に限って何も言わずに素直に受け取って薬を飲むフィリシティアにハンナは目を丸くした。しかも、あの苦い薬を飲んでいるのに、表情が変わらない。

 空になったグラスをまじまじ見つめて、行儀が悪いと知りつつも僅かに残った薬をこっそり飲んでみるが、やっぱり強烈に苦い。

 やはり、国王陛下との謁見で緊張の余りお心の方もお疲れになったのだろうかと、ハンナは訝しく思いながらも姫を心配して口直しに蜂蜜茶を用意した。


「姫様、お口直しにどうぞ」


「……」


 やはりフィリシティアは無言のまま差し出された蜂蜜茶を飲み、ほうっと溜め息を吐いた。


「姫様、お疲れになられましたでしょう? 夕食までまだお時間がありますから、お休みになられますか?」


「……ねぇ、ハンナ。恋って不思議ね……」


「こ、恋、ですか?」


 厳格なレイゼン公爵は、世俗から隔離してフィリシティアを育てた。侍女など使用人からも決して下世話な話が愛娘の耳に入らない様、それは神経質に育てたのだ。

 だが、社交界にデビューしてから参加した数少ない舞踏会の中で、何度か余興として招かれた吟遊詩人の恋物語は聞いた事があった。それが初めて恋という概念に触れた経験で、若い娘らしく夢中になった。勿論娘を溺愛する父、公爵が許すわけは無いので吟遊詩人を家に招く事は出来なかったが、社交界で知り合った他家の令嬢との交流で密かに恋愛小説を手に入れ、恋に恋するお年頃を謳歌していたのである。

 それは王との政略結婚を強く望む父へのささやかな反抗と、プレッシャーから逃れる為の現実逃避であったかもしれない。名家、レイゼン公爵家の令嬢として一分の隙もなく育てられたフィリシティアにとって、恋愛とは別世界に存在する手の届かない憧れと変わらないものだった。

 対するハンナも年齢的には結婚適齢期だが、母の病気のこともあって慣れない侍女仕事で忙殺されている為、元々奥手なこともあって色っぽい話など皆無である。だからこそ、公爵に目を付けられたのだが。


「あの方の微笑みを見た時、心臓に矢が刺さった様だったわ。きっと恋の神の矢が刺さったのね……」


 白い頬を赤らめ、うっとりと目を細める様は、同性のハンナから見ても可憐で美しかった。


「あの方というのは……国王陛下のことですか?」


 あの方が怖いと泣いていたのは、つい昨日の晩のことである。余りにも突然の変化にハンナは戸惑いを隠せない。


「他に誰がいると言うの? あぁ、ハンナ! 聞いて頂戴。あの方は、神に誓っておっしゃられたの。妻になる者は生涯を通して唯一人となると、側室も妾妃も生涯持たないと……」


「まぁ……」


「私、今まで陛下を誤解していましたわ。陛下は真に愛情深き方なのよ。流石は慈母の位を授かった程の方を母に持つお方……」


 すっかり王に夢中のフィリシティアに、ハンナはどう反応して良いのか途方に暮れてしまう。今まで伝え聞いた王は、血の通わぬ様な冷血人間だという話だった。実際に王にお会いした事もある姫君ですら昨日の晩、怖いと泣いていたのだから、ハンナもそうなのだと信じ込んでいた。だが、主人が幸せなのは良い事だと気持ちを切り替えてハンナは微笑んだ。


「それはようございました。国で一番美しくていらっしゃる姫君に想われて、国王陛下もお幸せでございます」


 そのハンナの言葉を聞いて、フィリシティアは急に顔を曇らせた。先程までの上機嫌とは打って変わって沈んだ表情になる主人に、ハンナは慌てる。


「申し訳ございません、何か気に触る事でも申し上げましたでしょうか?」


「いいえ、違うわ。ただ……陛下の問いに対する答えを見付けなければならないの。陛下の妻になるには、美しさなど必要ないのよ。私にはそれしかないのに……」


「はぁ……、国王陛下は何と問われたのですか?」


「それは……秘密よ」


 箱入り娘ではあっても、フィリシティアは愚かでは無い。少々強引なお茶会への誘いも、突然の王の来訪も、全ては計算された事。侍女の同伴を許さなかったということは、つまり正妃候補達にしか聞かせたくない言葉であり、自分で答えを探さなければならないということだ。そしてその手助けを出来るのも、王が指定した慈母アレシアのみということだ。

 そう理解したフィリシティアは、憂いを帯びて物思わしげに俯いた。さらりと揺れる銀糸の髪が色付く頬に掛かり、いつもとは違う色香が漂う様なその表情に、ハンナは思わず赤面する。まるで少女が大人へと脱皮するような、危うい美しさに同性でありながら動悸を感じてしまい、ハンナは火照る頬をぺちぺちと叩いた。


「どうしたの?」


「ひ、姫様が、急に大人っぽくなられたので、ハンナは驚いてしまいました」


 素直に白状するハンナに、フィリシティアはきょとんとしてから柔らかく微笑んだ。


「そう? だとしたら嬉しいわ。あの方の隣りに相応しい大人の女性になりたい……」


 初恋を知ったばかりの姫君は、それでもまだ恋に恋をしている領域にいる。それゆえに、王が告げた言葉の重大さを、本当の意味ではまだ分かっていなかった。








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