深夜のお茶会
「まずまず成功したのではないかしら、ねぇキヨ?」
「そうですね、私もそう思いますわ」
アレシアの言葉にキヨは大きく頷く。
現在、アレシアの居室では恒例になりつつある深夜のお茶会の真っ最中だ。出席者はアレシア、キヨ、エルドシールである。
一日を終えたエルドシールが幾分疲れた顔で口を開いた。
「全く、戴冠式よりも緊張したぞ。母上にお茶を勧められて良かった。あのままだったら、しくじっていた気がする」
「その割には最後に微笑みまで出ちゃって、姫君達びっくり仰天してたわよ?」
育ちの良い姫君達が揃いも揃ってぽかんとしてる様子には、何度思い出しても笑いが込み上げるキヨだ。
「本当に思わず笑ってしまう程、皆驚いていましたね。普段から表情が出にくい子だとは思っていましたけれど、王になってからはそれが悪化していたのね」
「えぇ、凍れる炎の王、ですから」
「私にはそちらの方が仰天でしたけれど」
くすくすと笑い合うキヨとアレシアに、エルドシールは僅かに眉を顰めて憮然とする。
「……それくらいで勘弁して下さい、母上」
「それにしても、良くあのタイミングで微笑めたじゃない」
「覚えていない」
「そう? 途中から随分緊張が弛んで声にも表情にも余裕があったわよ。最後の微笑みなんて私でも思わず見蕩れちゃったわ」
勿論素のエルドシールを知っているキヨは、何度かエルドシールが笑うのを見た事がある。
最初に見たのは泉で、召還直後にエルドシールは大笑いしていたのだ。だが、その時はそんなふうにエルドシールが笑うのが滅多に無い事だと知らなかったので、正直全く記憶に残っていない。
素の時でも、エルドシールは綺麗に整った顔を少し綻ばせる程度の笑みしか浮かべないし、だから今日エルドシールが見せた微笑みは別格だった。誰もがはっきりとそうと分かる微笑みを見たのは、キヨも初めてだったのだ。
「多分『我』から『私』変えたからでしょうね……。あなたが子供の頃にはあの様な微笑みを私は良く目にしましたよ」
しみじみとしたアレシアの言葉に、エルドシールも表情を和らげてゆっくりと頷いた。
「そうかも知れません。我と己の事を言う度、自分が王だという事を思い知らされているようなものですから。その開放感と言い終えた達成感で無意識に笑みが出たのやも……」
「これでどんな反応を姫君達が見せてくれるかが、次の焦点ね」
キヨとしては、どの姫君でも良いから仄かにでもエルドシールに恋心を抱いてくれれば良いと思っていた。
「うむ、そうだな。母上から見て候補達はどんな様子でした?」
「そうね……フィリシティア姫は思った以上に幼い印象でした。その分純粋なのでしょうね、良い意味で本当のお姫様育ちという感じかしら。セリーヌ嬢はおっとりした雰囲気ですけれど、なかなかしっかり者のようです。チェルネイア姫は……何と言うかとても積極的な方でしたね」
苦笑するアレシアに、キヨもまた苦笑してエルドシールにお茶会での出来事を一通り話した。
キヨとしては当初は一番チェルネイアが気になっていたが、どうもあの態度からしてあてが外れたようだ。今はセリーヌ嬢に一番興味が傾いている。なかなかに鮮やかなチェルネイア姫への反撃と、母の実家の家格で劣る男爵家を誇らしげにしていた様子からぶっちゃけ一番好感を持った。フィリシティアに関しては正直綺麗な子、という以上の印象が無い。ドールーズ伯爵の言っていた通りだった。
だが、選ぶのはあくまでもエルドシールなので、なるべく私情を挟まない様に説明する。これが意外と難しいのだが。
エルドシールは黙ってお茶会の様子を聞いていたが、不意に思案気な顔になってアレシアに向き直った。
「……母上、チェルネイア姫に関しては少し気を付けておいて下さい」
「何かありましたか?」
「ドールーズの報告によると、彼女の乳母は人質に取られている様子です。侯爵は妹の嫁ぎ先の別荘を借りて、その塔に病気療養と銘打って乳母を監禁している。出入りするのは世話役の女が一人のみで、それもろうあ者という念の入れようだ。監視している私兵は小さな塔にも関わらず十人近く配置されている」
「まぁ……」
「それじゃ、やっぱりあの噂は本当なの?」
「おそらく。出自がどうあれ姫の返答次第では我としては正妃にしても良いと思っているが、もし姫が追い詰められているのだとしたら不味い事になるかもしれない。それから、フィリシティア姫の侍女だが、これも家族を人質に取られているも同然らしい」
「その人質は保護出来ないの?」
「今は時期が不味い。いずれはと思っているが下手に警戒されてはこちらも計画に支障が出る。それに侍女の方は人質にされている自覚が家族には無いから厄介だ」
「自覚が無いのですか?」
「はい。侍女の母親は高価な薬が必要な難病らしいのです。公爵は下女として働いていた娘を給料の良い侍女に取り立て、それでも足りない分は援助してやっているという篤志ぶり。
そのおかげで侍女の家族は全員公爵に感謝しているようです。心理的に完全に公爵の奴隷ですね」
「あぁ……あの方はそういう巧妙な罠を用意するのが得意でしたね。可哀想に……」
「腹黒いですね」
気の毒そうにアレシアは顔を曇らせ、キヨは全くだと顔を顰めた。
「今のところ完全に何も出て来ないのはセリーヌ嬢だけだ。ガルニシア公爵には娘を正妃にするつもりは全く無いらしいから、当然といえば当然だろうが。
一週間後の大舞踏会までは敵も騒ぎを起こしたくはないだろうし、暫くは平和だと思う。だが、この二人の動向にはキヨも気を付けていて欲しい」
「分かったわ」
神妙に頷くキヨに、前から気になっていた事を聞きたくなったエルドシールは徐に口を開いた。その答えは分かってはいるのだが。
「……ところで、何故母上には敬語なのだ?」
「あれ? 気になる?」
キヨが意地悪げな笑みを浮かべるので、エルドシールは嫌そうな顔をして手を振った。
「……やはり答えなくて良い。忘れてくれ」
「勿論アレシア様を尊敬申し上げているかですわ、陛下」
「忘れろと言ったのに……。そなたの答えなんぞ分かっていた」
「じゃあ何故聞いたのよ?」
「単なる気の迷いだ」
「私に敬語を使わせるくらい立派な王様になってね、エディ」
「そなたは死ぬまでそう言い続けるだろうな」
苦い顔をするエルドシールと愉快気にからかうキヨに、アレシアは控え目ながら声を上げて笑った。
それにつられてエルドシールも表情を和らげる。
こんな風に心地良い時間は、王になってからは殆ど無かった。穏やかに笑う母アレシアを見るにつけ、キヨのもたらした最大のものは、もしかしたら何気ない日常の優しい時間なのかもしれないと思う。
「ここにレンカがいてくれたら……」
無意識に口から出た妹の名前に、エルドシールは驚いて口を噤む。
アレシアも驚いて目を見開くが、すぐに切なげな微笑みを浮かべて無言でそっとエルドシールの手を握った。
失われた妹を、娘を思う親子の邪魔をしない様に、キヨは二杯目のお茶を煎れようと席を立った。