お茶会での前哨戦
玉座の王は思わず見蕩れてしまう程に美しかった。凍り付いた様な紅の眼差しも、感情を削ぎ落とした様な硬質な声も、チェルネイアにはぞくぞくする程魅力的だった。あの凍った瞳が憎しみの炎を宿したら、きっともっと美しい。
チェルネイアにとっては慈母アレシアが選定を取り仕切るというのは予想外だったが、恐れてはいなかった。結婚するのは王なのだ。王の心さえ捉えられれば問題は無い。
一方、フィリシティアは王が恐ろしくてならなかった。相変わらず感情が全く見えない冷たい美貌には血が通っているとは思えなかった。自分もまたその様に人に思われがちだということは、彼女は気付いていない。気ぐらいの高さが怯えを悟られる事をよしとしない彼女の表情もまた、無表情と取られやすいのだ。それが中性的で人形めいた印象を助長している。
どうしよう、やっぱり私、あの方が怖い。
玉座からの距離はそれなりにある。それでもこれだけ怖いと感じてしまうのだ。これからもっと近くに接する事になるのに、こんなことではどうなってしまうのか。不安に押しつぶされそうになるのを気力で辛うじて堪え、フィリシティアは完璧な立ち振る舞いで謁見を終えた。
そして完全にやる気の無いセリーヌは、早く窮屈な髪型から自由になりたいときっちり編まれた髪のせいで生じた頭痛に苛々しながら謁見が終わるのを待っていた。父の立場を思えば娘の自分が下手を打つわけにはいかないので、そこは流石に年の功、公爵家令嬢に相応しい立ち振る舞いで謁見を終えた。だが、このまま慈母様主催のお茶会に移ると聞いて思わず扇の影で舌打ちをしてしまった。
このアレシア主催のささやかなお茶会は、春宮殿にて行われた。普通はこのような場合、貴婦人は必ず侍女を連れてゆくものだ。一旦部屋に帰してしまえば侍女を伴って来ることは予想出来たので、強引ではあったが謁見を終えたその足で春宮殿に直接向かう様に指示を出した。
正妃候補達はこの強引な招きに少し疑問を感じながらも黙って従った。選定の鍵を握るアレシアに文句を言うなど馬鹿のすることである。それを除いても、アレシアは国王の生母なのだ。
案内された部屋には尼僧姿の若い娘が一人いるだけで、この娘が侍女の代わりをするらしかった。
正妃候補達はアレシアに促されて、庭園に面した大きなガラス扉の前に用意された席に着く。柔らかなクリーム色に薔薇の模様が描かれた壁と、夏の陽射しを柔らかく通す、これまた薔薇の刺繍が施された白いレースのカーテンが美しい。
「それでは改めまして。私は国王陛下の生母ではありますが、今は慈母の称号を頂いた貴族社会とは無縁の者。そちらの方で私の事はお呼びなさいませ」
「アレシア慈母様とお呼びすれば良いですか?」
アレシアの言葉にいち早く反応したのは、チェルネイアだった。
「えぇ」
「それでは私のこともチェルネイアとお呼び下さい。私もシーラ教の信徒ですから、慈母様の娘と思って下されば幸ですわ。ねぇ、皆様もそうでしょう?」
全く気後れのした様子もなく促すチェルネイアに、少し遅れて二人も頷く。
「はい、勿論ですわ。私の事もフィリシティアと」
「私の事もセリーヌとお呼び下さい」
本来なら年長者であるセリーヌが最初にアレシアに答えるべきところだが、とうのセリーヌは淡々とした調子で受け流している。対するチェルネイアは主導権を握ったとばかりに得意げで、フィリシティアに至っては困惑顔だ。
「では、良き娘達にお茶を差し上げましょう。キヨ、準備を」
「はい、慈母様」
三者三様の反応を見せる候補達に、アレシアはやれやれと内心苦笑しながら観察する。おそらくキヨも内心で色々と思う事があるのだろう、目を合わせた彼女の賢そうな瞳が煌めいて、口元に微かに笑みが浮かんでいた。
この日の為に用意したのは珍しい異国のお茶で、ベルタが薦めてくれてくれてからはアレシアのお気に入りになっている。
アレシアが口を付けるのを待って、候補達もお茶に口をつけた。
今度はいち早く反応したのはセリーヌだった。
「まぁ……これはセツカの花茶ですね」
「そうです。良く知っていましたね、セリーヌ」
「はい。母の実家でセツカは栽培しておりますから」
「私は初めてです。とても香りの良いお茶ですわ。どういった由来のお茶なのでしょう?」
セリーヌに遅れをとったチェルネイアが少し強引に話に割って入る。どうでも自分が話の中心になりたいらしい。
「マーレシアの南に位置するラズエルという小国のお茶だと聞いています。栽培しているならば私よりもあなたの方が詳しそうですね、セリーヌ」
もう一度アレシアがセリーヌに話を振ると、セリーヌはにこっと愛嬌のある顔を綻ばせた。
「詳しいという程ではございませんが、私の知る限りを申し上げます。セツカは夏に小さな白い花を付けます。これが大変香りがよく、葉の新芽と花を摘んでお茶を作ります。実は豆粒程の大きさながら滋養に富み、煮れば柔らかく消化も良いので病人には最適の食材の一つともされています。ゼッタセルドよりも余程暑い国の木なので栽培は難しく、温室が無ければ冬には枯れてしまいますから、あまり知られてはいませんが」
成る程、セリーヌ嬢が博識であるという噂は本当らしい。いくら実家で栽培しているとはいえ、実際に育てているわけでもないだろうから知ろうとしなければ知る事のない知識だ。
「実が病人食に良いとは初めて知りました。簡単に栽培出来ないのは残念なことですね」
「掛け合わせて品種改良を試みてはいるのですが、なかなか上手くいかない上に時間が掛かるので……」
「まぁ、ガルニシア公爵家はそのような事までやっていらっしゃるの?」
アレシアが驚いて問う。他の二人の候補達も驚いたようだ。
「いいえ、母の実家のキシェラ男爵家です」
「キシェラ男爵家……」
誇らしげに答えるセリーヌに、アレシアは微笑んで頷きながらキシュラ男爵家がどのような家だったか記憶を探っていたが、いち早く割り込む隙を探していたチェルネイアに思考を遮られた。
「聞いた事の無い名前ですわね。フィリシティア様はご存知?」
「……いいえ。勉強不足で申し訳ありません」
微かに侮蔑を含んだチェルネイアの問いに、フィリシティアは再び困惑顔で答える。セリーヌに対するちょっとした嫌がらせであろうが、セリーヌはセリーヌで全く意に介した様子も見せない。
「無理もありませんわ。母の実家は中央の政治とは無縁の地方貴族ですから」
あっさりと田舎貴族だと認めて平然とお茶を飲むセリーヌに、さすがのチェルネイアもこれ以上何も言う言葉を探せなかったらしい。
沈黙が訪れたので、先程から大人しく会話を聞くばかりのフィリシティアにアレシアは目を向けた。
「フィリシティア、セツカの花茶は気に入りましたか?」
「はい。甘すぎず、とても上品な香りが心安らぐ様ですわ。最後に香る残り香が薔薇にも似ているように感じます」
不意に話を振られて一瞬僅かに緊張を繊細な美貌に走らせたが、そこは生粋のお姫様育ちである。優雅な仕草で首を傾げて微笑みと共に返された感想はいかにも高級なものに触れ慣れている事を示していた。しかもチェルネイアのような威丈高さが無い。
「あぁ……確かにそうですね」
フィリシティアに指摘されて改めて花茶の匂いを胸に吸い込んで、確かにとアレシアも頷く。同じ様にしていたセリーヌも頷いた。
「セツカの木はバラ科の植物ですから、香りも似ている部分があるのかも知れませんわ」
「そうですの? セリーヌ様は本当に良くご存知ですのね」
自分の感想が的を射ていたことが嬉しいのか、フィリシティアは年相応の可愛らしさを感じさせる笑みを浮かべてセリーヌを素直に賞賛した。
「本当に。私など薔薇といえば薔薇の花束しか知りませんわ」
かと思えば、チェルネイアは薔薇は殿方から花束として贈られるもので、そんな経験は無いだろうとすかさず嫌味を賞賛に隠して言う。
「あら、チェルネイア様。一つ大切な薔薇を忘れていらっしゃいましてよ」
「……何でしょう?」
平然として言い返すセリーヌに、チェルネイアは微笑みながらも不快気にぴくりと眉を痙攣させて問い返した。
「勿論目の前にいらっしゃる、ゼッタセルドの白薔薇ことフィリシティア様ですわ。本当にこうして間近で見ると同じ人間とは思えない程に美しい方。今日のドレスもまるで白薔薇の妖精の様。ねぇ、チェルネイア様?」
「そ、そうですわね……」
美貌に絶対の自信を持つチェルネイアは、思わぬセリーヌの反撃で美貌においてフィリシティアの風下におかれてしまい、顔を引き攣らせた。にこにこと微笑むセリーヌは愛嬌一杯の容貌のおかげで、それが意図された反撃とは受け取られにくい。意外にも強かさを見せるセリーヌにアレシアは少しばかり目を見張った。
一方父からの賞賛は毎日の様に受けていたが、母や姉からは嫌われていたフィリシティアは同性からの賛辞には慣れていない。
何か言おうとしたが、真っ赤になって恥ずかしそうに俯いてしまった。
意外な反応にアレシアは目を細めて微笑ましく思い、セリーヌもまた反撃のダシにしてしまった相手の可憐で初心な反応にまぁ、可愛らしい方、と思わず声に出して微笑んだ。
面白くないのはチェルネイア一人である。あからさまに表情に出す事は流石にせず、周りに同調して本当に、などと言っているが内心は憤懣やるかたない。
その時、扉が叩かれた。