正妃候補達の王宮入り
その日は朝から曇り空で天気には恵まれなかったが、盛夏に向けて暑さを増すばかりの最近では珍しく涼しさを感じさせて過ごしやすかった。
白く覆われた空の下、華やかなファンファーレと共に三台の馬車が王宮の正門を潜る。
最初の馬車には一番年長の正妃候補であり、もっとも古く格式の高いガルニシア公爵家の三女セリーヌ・ファレ・ガルニシアとその侍女、続いく馬車にはレイゼン公爵家次女のフィリシティア・ファレ・レイゼンとその侍女、最後の馬車にはゼットワース侯爵の姪で、今は養女のゼットワース侯爵令嬢チェルネイア・ガレ・ゼットワースとその侍女が、それぞれ乗っていた。
前庭に乗り付けた馬車から美しく着飾った正妃候補達が降り立ち、典礼大臣に先導されて王の待つ謁見の間へと進む。
ずらりと両側に整列した騎士団が見守る中、中門を潜って中庭を抜け、王宮の本宮に到る。開け放たれた謁見の間の黄金の扉の前で、それぞれが緊張の面持ちで立ち止まった。
「国王陛下に申し上げます! ガルニシア公爵が三女セリーヌ・ファレ・ガルニシア様、レイゼン公爵が次女のフィリシティア・ファレ・レイゼン様、ゼットワース侯爵が長女チェルネイア・ガレ・ゼットワース様、ご到着にございます!」
高らかに響く声に続いて正妃候補達が順番に謁見の間へと進んだ。
謁見の間の床は黒曜石と白い大理石でアルスターという国の花をモチーフにした模様が描かれ、天井にはゼッタセルド建国の物語が描かれている。天井近くにはステンドグラスを嵌め込んだ幾つもの天窓があり、人の身丈程もある大きな燭台が白い大理石の壁際に幾つも並ぶ。正面奥には初代神子と二代目神子を彫刻した大理石の円柱が神殿の入り口の様に並び、その向こうの一段高くなったところに青い絨毯が敷かれ、その上に玉座が据えられている。約三百年前に活躍した偉大な芸術家、セフョールの緻密な彫刻が施された黒檀の玉座は天地創造の神話を語っており、青い天鵞絨に金の房飾りの付いたクッションを置いた上に王は座っていた。
泉の色の青を聖なる色としたゼッタセルドに相応しく、いわゆるロイヤルブルーの美しい深い青を多用した内装は、華やかさよりも荘厳な教会の様な佇まいを見せていた。
王であるエルドシールも、今日は青を基調として黒と金を刺繍した正装で正妃候補達を出迎え、傍らの生母アレシアも尼僧衣ながら飾り帯の付いた式典用のものを着用している。
先程までのざわめきが消え、主な家臣が勢揃いする中、静々と進み出た美しく着飾った三人に視線が集る。
セリーヌのドレスは少しくすんだような桃色の生地にレースを贅沢に使ったもので、随所にあしらわれた茶色のリボンが雰囲気を甘くなり過ぎないように上品にまとめている。
中に蝶を閉じ込めた珍しい琥珀を使った首飾りと、やはり琥珀の耳飾りもドレスに良く合っていた。
いくつもの三つ編みを複雑に組み合わせ、桃色のリボンと共に結い上げた髪型は、知的な雰囲気がありつつも可愛らしさもある。
最年長というのを気にしてか全体的に可愛らしさを感じさせる装いだった。美人ではないが、愛嬌のある顔立ちのセリーヌにはなかなか似合っている。
フィリシティアのドレスは純白の柔らかな薄い絹地を贅沢に使い、美しいドレープをデザインしたものだ。ロイヤルブルーに金の刺繍を施したサッシュベルトをハイウエストに締めていて、妖精めいた流れる様なシルエットにメリハリを与えている。
また、ラピスラズリで花を模した金細工のチョーカーは華奢な細い首を引き立てている。
髪は一部だけ結い上げて小さなシニョンを頭の天辺に作ってチョーカーと同じ意匠の金細工の髪留めを飾り、後は流れる様な見事な銀髪を自然に流している。
全体としてフィリシティアの容姿の美点を遺憾なく引き出し、可憐さと高貴さとを際立たせている様は見事としか言いようがない。まだ女の匂いの薄い、ともすれば中性的な美しさは人形姫の様だ。
一方その対極にあるのがチェルネイアだ。チェルネイアのドレスは金に輝くシャンタン生地を使ったもので、デザインは首まで覆うタイプの露出を極力抑えた一見禁欲的なものだ。しかし、その実シンプルなシルエットで身体のラインの美しさを強調していて、かえって官能的な雰囲気を漂わせている。
宝飾品は大粒のルビーを使ったシンプルなブローチと同じくルビーを使ったシンプルな耳飾りのみ。結い上げられた髪は美しい巻き毛で飾られているが、装飾品は何も無い。姑である慈母アレシアへの心証と男性である王と家臣達への心証の両方に配慮した、なかなかに賢い装いだ。
三者三様、それぞれの美しさを最大限に引き出すような装いに、家臣達からは感嘆の溜め息や囁きが漏れる。特にいつもは大胆に胸元の開いた派手なドレスの多いチェルネイアの意外な装いと、別角度からの色香と魅力に目を奪われる者が多かった。
しかしながら一段高くなっている謁見の間の最奥、玉座に座る若き国王はその三人を見ても表情一つ変えない。
「顔を上げよ」
深々と頭を下げていた三人が顔を上げると、王は一人一人の顔をゆっくりと確認するように見つめた。
「セリーヌ・ファレ・ガルニシア、フィリシティア・ファレ・レイゼン、チェルネイア・ガレ・ゼットワース、以上三名をゼッタセルド王国正妃候補とし、本日より二ヶ月の選定期間中王宮に滞在を許可する」
玉座から王が発した言葉は以上で終わり、典礼大臣を務めるケーゼ侯爵が後を引き継いで正妃候補達に与えられる部屋、権利、そして禁止事項などを読み上げた。
それが終わると王は傍らの母に微かに頷いて見せると、再び口を開いた。
「三人には初対面であろう。この方は我が生母でもある慈母アレシア様だ。選定の内容に関してはほぼ一任している」
視線に促され、アレシアは一歩前へ出ると緊張しているだろう三人の娘達に微笑んだ。
「初めまして、美しい方々。偉大なる創造神キアの恩寵の賜物である我が国、ゼッタセルド王国に王の伴侶たる正妃を迎えることは、一尼僧としても大変喜ばしい事です。この後ささやかな歓迎のお茶会を開きますので、またその時に改めてご挨拶致しましょう」
以上、十分程度で謁見は終了した。もともと顔見せ以上の意味は無いのだが、何事も儀礼と体面を重んじる貴族社会では、これが政治的に重要な意味を持つ。難儀な事だと、久し振りの正装に窮屈な思いをしたエルドシールは内心苦笑しながら謁見の間を後にした。
一方、正妃候補達が連れて来た侍女達は女官長の指示の元、それぞれの主人に宛てがわれた部屋に荷物を運び、王宮の侍女達の手を借りて片付けに追われていた。
セリーヌの侍女、メイミ・アレ・スフォルツァは実は名ばかりだが子爵令嬢でもある。メイミの母が身分的には子爵より下であるキシェラ男爵家の乳母になったのは、経済的理由に他ならない。とはいえゼッタセルドには領地を持たない名ばかり貴族が多数いるので、メイミは貧乏貴族だということを気にした事は無い。
父の子爵は騎士だったが、足を悪くして職を失った為に収入がなくなってしまったのだ。普通なら妊娠中の妻を抱えて路頭に迷うところだが、そこは貴族の世界。逆に妊娠中で良かったと不幸中の幸いに涙しながら乳母の話に飛びついたんだとか。そんな事を笑って話せる子爵夫妻であるから、その娘のメイミもしっかりその気質を受け継いでいる。
主人であるセリーヌ嬢に与えられた部屋は、淡いモスグリーンの壁紙に白い調度品で統一された居心地の良さそうな雰囲気だ。緑が好きなセリーヌにぴったりだとメイミは嬉しそうに丸い顔を綻ばせる。
セリーヌの荷物は他の正妃候補の比べると格段に少なく、あっという間に片付けは終わってしまった。なにしろ五人もの王宮侍女が手伝ってくれたので、メイミ自身は指示をするだけで殆ど片付けをしないで済んだ程だ。
ちなみにここは閉鎖されていた後宮の一部で、すぐ向かいはチェルネイア姫の部屋、二つ隣りはフィリシティア姫の部屋になっている。
女官長の話によると、謁見の後に正妃候補達は慈母様のお茶会に呼ばれるそうだから暫くは暇だ。侍女としての王宮での注意事項等色々と必要な情報は、三人揃って後から女官長から教えて貰えるらしいし、それまでは自由時間だ。
そこでメイミは持ち前の好奇心を発揮して廊下に出てみた。開け放たれたままの各正妃候補の部屋のからは、忙しく立ち働く侍女の姿が見える。
「やっぱりうちのお嬢様の荷物は少ないんだわ。私からすればお嬢様でも多いくらいだけど、一体何をそんなに持って来てるのかしら……」
向かいのチェルネイア姫の部屋の様子を窺っていたら、金髪碧眼の侍女に睨まれてしまい、慌ててその場を離れた。
メイミと同じ立場のチェルネイア姫の侍女はカトリーヌ・デア・マルゴットという。小さいながらも領地持ちの伯爵令嬢だとか。多分結構年上の彼女は、あなた方とは同じ侍女でも格が違うのだから気安くするなというオーラが滲み出ていた。
綺麗だけど怖そうな人だとメイミはそそくさと次なる目標へと足を向けた。
折角の王宮暮らしだから出来れば楽しく過ごしたいと思うメイミは、単に友達になれたら良いなと思っていたのだ。
だが、まるで正妃になる気がないセリーヌと違って、他の候補者とその侍女にしてみればメイミは敵と同じで、メイミの行動はどう考えても敵情視察なのだ。良い顔をされるわけが無い。次に覗きに行ったフィリシティア姫の部屋でも、ハンナに怪訝な顔をされた。
ハンナは王宮に上がる為にアンセル男爵の養女になっていた。アンセル男爵はレイゼン公爵の派閥の下っ端の名ばかり貴族だ。人の良さそうな、酷く緊張した様子のハンナを見て仲良くなれそうだと思っていたメイミは、ハンナの反応に少しがっかりした。しかし忙しい時に邪魔だから仕方が無いと諦め、先程手伝いをしてくれた侍女の一人を捕まえて温室の場所を聞いた。
王宮は四つの部分から成り立っている。政治の場である本宮、騎士達の詰め所と王立騎士院のある夏宮殿、王の妃達の住む後宮、そして本宮と後宮を結ぶ回廊の間に位置する春宮殿だ。春宮殿は王太子の為の小宮殿で、今は結婚前のエルドシールが使っている。アレシアとキヨもここに滞在中だ。その春宮殿の一角に温室はある。
「凄い……!」
庭園の中に姿を現した温室に、メイミは思わず声を上げた。
キシェラ男爵家の温室も家の格を考えれば破格に立派なものだったが、さすがは王宮の温室、規模ではほぼ十倍はあろうかという広さだ。
規模だけでなく、その外観も美しい。六角柱に三角の屋根をのせたような形のガラス張りの温室が大小幾つも連なるようにしてデザインされていて、さながらガラスの宮殿の様に見えた。
キシェラ男爵家の色とりどりの花が一年中咲き乱れる温室は、メイミにとってはこの世の楽園とも思う生まれてから一番のお気に入りの場所だったが、この温室は見た目すらも天国のお城のようだとメイミはうっとりした。
入り口を警備している近衛兵に今日王宮入りしたガルニシア公爵令嬢の侍女だと言うと、快く中を見せてくれた。中に入ってもメイミの感嘆の溜め息は止まらない。
キシュラ家の温室にもゼッタセルドでは普通は手に入らない他国の植物も沢山あったが、やはり王宮のそれには敵わない。植物学の本で見た事しか見た事がなかった貴重な薬草を目にした時は、思わず叫びかけて慌てて口をおさえた。
これならきっとセリーヌも喜ぶ、この温室さえあれば二ヶ月などあっという間だと確信したメイミは、今度はいても立ってもいられず温室を後にした。
一刻も早くこの素晴らしい温室の事をお知らせしなければと、飛ぶ様な足取りで、ぽっちゃり体型の為に見た目には鞠が転がる様な勢いで、メイミはセリーヌの部屋に戻ったのだった。