神官長の説得2
怒り心頭といった表情のグラスローは努めて冷静にあろうとした。
「陛下、これはどういうことでしょうか? 正気沙汰とは思えませぬ」
「我は至って正気だ。キヨを正妃にする気は毛頭無い。正妃は正妃候補の中から決める。その為に、そなたに協力を頼みたい」
「お断り致します。私はこのような愚かな王にあなた様をお育てしたつもりはない!!」
珍しく声を荒げて拳で机を叩いて怒りを示すグラスローに対し、エルドシールは淡々とした調子で言い返した。
「それなら聞くが、そなたは我をそなたの言う通りに動く傀儡に育てたかったと言う事か?」
「っ、そのような事を言っているのではありません」
「とにかく落ち着け、グラスロー。そのように興奮しては身体に悪い。そなたも高齢なのだから」
「誰のせいか! この馬鹿もんがっ!」
思わず我を忘れたグラスローは怒鳴り声に、エルドシールは驚いた様子で目を見張った。
「……懐かしいな」
僅かな笑みをうかがわせる呟きにグラスローは、はっとして居住まいを正した。
「失礼しました、言葉が過ぎました」
「よい、グラスロー。お互い様だ。そなたは我が子供の頃から我を怒らせるのが得意だった」
「酷い言われようですな」
受け流すエルドシールの言葉に、グラスローは渋い顔をした。
グラスローはエルドシールの教育に関して、精神的に過酷とも言える方法を取った。それは内戦で傷付き、苦しむ民を救済援助する奉仕活動に連れて行くことに始まる。
限られた薬や食料を誰に渡すのか、実質命の価値に順番をつけるような冷酷な現場を直視させ、時には罵りながら薬や食料を奪おうと襲いかかる暴漢とも渡り合う。その上で、授業では政治、経済、国際関係を教えた。
時には正当のシーラ教の教義を外れ、組織としての弱点を含めて教義に反するような事も現状では受け入れざるを得ない事、その中でいかに効率的に弱き民を救うか、という教育を叩き込んだ。
生来の性格なのか、真面目で正義感の強かったエルドシールは時には感情を爆発させてグラスローのやり方に反発した。その度にグラスローは理想だけでは結局誰も救えぬ、いくらお前が理想を語ろうとお前の力では一つの命すら救えぬと重い現実でエルドシールの怒りをねじ伏せてきたのである。
エルドシールが王となってからはあからさまにその様な事は言わなくなったが、エルドシールにしてみれば現在のように慇懃無礼に言われる方が針のムシロの様で余程応えると常々思っていた。怒りに容赦なく罵声を浴びせるグラスローの方がよっぽど親しみやすい。
エルドシールはグラスローを教師として敬ってはいたが、同時に天敵の様な存在であるのは未だに変わらない。
そしてこの戦いはエルドシールが王としてこれから歩んでゆく為には超えなければならない試練であり、負けられない戦いだった。
一方、グラスローにも絶対に負けられない戦いであった。それは人生を掛けた彼の戦いを否定するような計画だったからだ。
グラスローの二代前の神官長は、レイゼン公爵と裏で繋がっていた。第五王子を唆してローレッセン王を弑逆させたのも前神官長で、その動きを事前に掴んでいながら地方の一司祭に過ぎなかった当時のグラスローは阻止することが出来なかった。
そして当時、既にエルドシールとレンカはグラスローの庇護下にいたが、当時の神官長の魔の手が伸びるのは時間の問題だった。レイゼン公爵の野望を阻止すべく、グラスローは聖職者としてあるまじき事に手を染めることになる。
神官長の暗殺だ。
それまでに築いて来た同志との絆と神殿内のつてを駆使して、それは成された。その後に立った前神官長は善良なだけが取り柄の、レイゼン公爵と裏で繋がることはまず考えられない小心な御しやすい人物であった。こうして後方の安全を確保したグラスローは次の行動に移る。
いずれエルドシール以外の王子はレイゼン公爵の野望により死に絶えると予想していたグラスローは、エルドシールの存在をキア神を奉ずるシーラ教にとって望ましい、真に民を思いやれる王としてエルドシールを教育し始める。それが、例の教育法である。もしエルドシール自身に見込みがなければ、洗脳教育に切り替えたかもしれないが、幸いにもエルドシールには素質があった。そして王となった後、時期を見て今までの経緯をグラスローは包み隠さず全て話した。それに耐えられるだけの精神力がエルドシールにはあると信じ、憎まれる事も覚悟の上での事だった。
結果は、グラスローとしても予想以上のものだった。若き王は、全てを黙って聞いた後、「分かった」と一言頷いただけだった。顔色を悪くして微かに震えながらも、毅然として全てを受け入れた。グラスローに対する態度も、いささかも変わる事が無かった。
まだ十六の少年とは思えない器の大きさを示す態度に、これが王の器量というものかと、グラスローは感動と共に畏怖を覚えたものである。
それが、とんだ見込み違いだったのかと一瞬気が遠くなる様な計画を聞かされてグラスローは怒りを抑えられなかった。
一度怒鳴って我にかえり、落ち着いたところで怒りは変わらない。
「今回はそなたの負けだ。先に感情的になった方が負けだと教えてくれたのはそなただ」
「いいえ、こればかりは負けるわけには参りません」
今まで払った犠牲と同志達の思いを考えれば、ここで折れる訳にはいかない。
「グラスロー、ともかく我の話を聞け。
そなたが我が国と民の事を思って今まで己を捨てて尽くして来てくれたことは重々分かっている。色々と腹の立つ事も多いが、そなたの言う事は常に正論であったし、それを否定しようとも思わぬ。
ただ、ずっと我は心の中に違和感を抱え続けてきた。
そなたは綺麗事では何も出来ぬというが、そもそもこの国そのものがキア神の慈悲の元、綺麗事で成り立ち、綺麗事の建前で生き延びて来た。キア神の涙というものは、いわば反則とも言える存在だ。それが無ければ、内戦で疲弊した我が国はとっくに亡国になっている。
確かに、キヨを伴侶に迎えれば一時的に国を建て直す事は出来るだろう。だが所詮は神子との婚姻の効力も神子が生きている間だけの対症療法にしか過ぎぬ。
二百年後は? 五百年後はどうか?
そもそもそなたも必ず神子が召還出来るという確信は無かったはずだ。張ったり半分であったろう? キヨの言葉を信じるなら、神子を召還して王の伴侶とすることで国の安定を図ることはキア神の本意では無い。キヨは例外的な存在であり、こんな方法を取れるのは今回限りになるということだ。王が代替わりするごとに神子を召還して王妃にできるならいざ知らず、結局は根本的な解決にはならない。
それはグラスロー、そなたも分かっているはずだ」
痛いところを突かれたグラスローは、僅かに呻いて押し黙る。ゼッタセルドの危機の到来を予測してからというもの、根本的な解決法を探し求める事に日夜同志と議論を戦わせ、あらゆる文献を調べ、時には国外から学者を招いたこともあったが、ついには解決法を考える事を放棄するに至った。時代の流れという巨大な波を押しとどめることは、それこそ神でもなければ土台無理なのだ。
だが、だとしても抗うことを止めるという選択肢はグラスローには無かった。神子召還も、何年も前から文献を調べて確証はなかったが可能性があったから強引に提案したのだ。召還に成功したのに、何故とりあずといえども最良の方法を捨てるのかグラスローには理解出来なかった。
「……ですが、現状では神子様を正妃に迎えることが一番の上策です」
「確かに、我が国の状況は悪い。切羽詰まっているのも良く分かる。だが、そうしたとしても長期的に見ればぐずぐずと悪化を長引かせるだけで、最終的にこの国が滅びる時はもっと酷い状況に民は陥っているはずだ」
「だからといって、今、この国を、民を犠牲にする可能性の高い大博打を打つ理由にはなりませぬぞ」
「昔と立場が逆になったぞ、グラスロー。目の前の悲劇に気を取られて大局を見極められない愚か者になるなと、そなたに何度言われたものか。安易に神子との婚姻でどうにかしようなど、随分と耄碌したな」
随分と辛辣な皮肉を言われて、グラスローは再び押し黙った。勢いでつい言ってしまったエルドシールはすぐに言い過ぎた、済まぬと短く謝った。
喧嘩をするつもりは無いのだが、どうしてもグラスロー相手だと血の気が多くなってしまう。確かに失敗すればどんな混乱にと悲劇を生み出すか予想もつかない。だが、エルドシールには未来を切り開ける若さがあった。病気や事故に遭わなければこの先四十、五十年王座に座り続けることも可能なのだ。そして後十年もすれば今政治を牛耳っている大臣達も引退して若い世代に道を譲る。
何もしなければそれまで国が保つかどうか限りなく怪しいが、エルドシールはすぐにも行動を始めるつもりでいた。早ければ一年程で大まかな体制が整う。
「そなたの言を借りれば大博打に民を道連れにする愚王か。そういう意味では我は父上よりも質が悪いかもしれぬな。
だが、始まりがあれば終わりがあるのは当然のこと、ゼッタセルドが滅びる時が我の代だったとて不思議ではない。
むしろ、このまま腐り落ちるだけの国ならば、まだキア神の涙という護符が効力を持っているうちに有力なフェンリールにでも併合されてしまえば、民も奴隷の様に扱われずに済むとすら思う。
いずれにせよ、今のままの国のあり方ではより悲惨な未来しかこの国には待っていない。それを恐らく貴族達も民も漠然とした不安として感じているように思う。良い解決策を思いつかなかったから今までは黙っていたが、キヨが道を示してくれた」
「それが、この計画ですか?」
「キヨの発案を我と母上で練り上げた。グラスロー、一度じっくりキヨと話してみると良い。そんな考え方があったのかと目から鱗が落ちるぞ」
憮然とした顔のグラスローにエルドシールは愉快げに目を細めた。
「キヨはな、我に何故普通の王様を目指すのか、そんなことをして何になるのかと聞いたぞ。キヨは普通じゃない王様を目指すべきだと我に言った。主に我の性格のことに関してだったが、それで我は気付いたのだ。
ゼッタセルドは他国とは一線を画す特殊な事情の国だ。他国と同じように国を治めなければならない理由は無い。ゼッタセルドを特殊な国のまま生き延びさせるには他国には無い、独自の新しい仕組みが必要だと。キヨはその糸口を我に示してくれた」
そこで、一度話を止めてエルドシールはグラスローを改めて正面から見つめる。ようやく渋々ながらも話に耳を傾けてくれるようになったグラスローの表情が、先程よりも穏やかになり思索に耽っているような雰囲気に変わっていた。ここが勝負所だとエルドシールは深く息を吸い、呼吸と心を落ち着ける。
「そしてキヨは王としてではなく、人としてどうありたいか我に尋ねた。そんな事を尋ねてくれる者は王となってからは絶えてなかった。
その問いは、我に初心を思い出させてくれた。そして人としてあるべき姿も。
そなたにはその計画は子供騙しに感じるかも知れぬ。だが、この国に一番必要なのは未来に対する希望だ。力無き理想は何の役にも立たないが、理想無き権力には民は希望を抱けない。
このまま滅び行くしかないのなら、綺麗事で始まったこの国を綺麗事の理想の大花火を打ち上げて最期を飾るのも良いではないか。滅びてなお民の心に誇りと、未来への希望を宿せるような、そんな国を我は作りたい。勿論、滅びる事を前提で考えているわけではないが。困難だが新しい国として再生を果たせれば、きっとゼッタセルドは大きな意味を持って生き残る事ができると信じている」
話し切ったエルドシールとグラスローは暫く無言で見つめ合った。睨むかのような勢いのあるエルドシールの視線を静かに見据えていたグラスローは、不意にふっと微かな笑みを浮かべて溜め息を吐いた。
「……老人というものは、意固地なものです。陛下のお考えに賛同は出来ませぬが、神子の御意志を無視することは神官長たる身では許されぬ事。正妃選びの件は了承致しました」
「十分だ。感謝する」
グラスローとしても納得したわけではないが、確かにエルドシールの言葉にも一理あると認めざるを得ない。現段階では上手くいくとは到底思えないが、王とは結婚しないという神子の意志が固いならば無理強いも出来まい。
希望というには随分頼りなく思うグラスローだったが、それは確かに希望を持てる未来かもしれぬとも思った。さすがは王というべきか、王家の血というべきか、エルドシールの言葉には人を惹き付ける力があった。
「それにしても、私めに詐欺師の真似事をせよとは……」
「しかし、それで暫くはしのげるだろう?」
「はい」
キヨとアレシアの手紙にあった計画の直近の予定にグラスローが苦笑を漏らせば、エルドシールも苦笑で返す。焼け石に水だろうが、それでもそれなりの財源になるはずだと頷き合う。
「それから、時期を見てそなたが信用出来ると判断した神官達にも我の考えを話したい。正妃候補三人全員に振られる可能性もなきにしもあらずだが、結婚は臣下に我の考えを示す良い機会だと思う。花火を不発にしないために是非とも我にはシーラ教の後ろ盾が必要だ」
「先程賛同は出来ぬと申し上げたはずですが」
冗談を交えてのエルドシールの言葉にグラスローは遠慮なく言い返すが、先程の様な怒りはそこにはない。
「いずれ必ずそなたは説得するが、とりあえずはそなたの信用する神官達の賛同が得られれば良いと思っている」
「外堀から埋める作戦ですか。しかしながらそうそう簡単にはいきませぬぞ。
セーニアンという男がカタルネア地方のマスタートンという村におります。かなりの偏屈ものですが、王の話を聞けば喜んで力を貸すやもしれませぬ。法律に関する知識では、この男の右に出る者はこの国には居ないでしょう」
「カタルネア地方、マスタートン村のセーニアン、か」
グラスローの思いがけない援護射撃にエルドシールは僅かに顔を綻ばせた。
「今の計画では余りにもお粗末でございますゆえ、もう少し現実味のある内容を今度は見せて下され」
「その苦言は甘んじて受けよう。我もまだまだお粗末だと思う。今、色々と人材を集めているところだ。失望させないように努力する」
「くれぐれも慎重になさいませ」
「分かっている。それよりいい加減臣下の如く振る舞うのは止めぬか? そなたにその様に慇懃にされると酷く居心地が悪い」
神官長たるグラスローは本来王に頭を下げる必要はない。
だが、エルドシールが王位に即いて以来、公式の場では対等な態度をとるが、非公式の場ではグラスローは臣下の如く振る舞う。エルドシールは何の嫌味か嫌がらせかと一度ならず止めるように言ったのだが、頑として聞き入れない。
「それが目的でございますれば。お立場の重き事、御自覚を促す為の策でございます」
「……」
それはつまり、王としての自覚がまだ足りぬということかとエルドシールは溜め息を吐いた。
厳しい鬼教師がある日を界に慇懃無礼な態度を取るという手法は、確かにエルドシールに多大な精神的圧迫感を与え、常に早く傀儡の王から脱せよと無言の内に圧力を加えることに成功していた。エルドシールが慎重派だったために余り結果には現れなかったが、ある意味グラスローの態度の豹変こそが王となったのだと実感させられた一番の出来事でもあった。
貴族達は最初から王となる者としてエルドシールを迎えたため、出会った当初から態度はさほど変わらない。修道院内では王であろうと立場は以前とやはり変わらぬものであったし、多くの人に跪かれる立場になったという大きな変化はあったものの、端的に同一人物の態度が王になったことで豹変するという状況はグラスローを通してのみ体験したと言って良い。
それは腹芸などとは無縁の孤児院で育ったエルドシールへの、相手の立場を見て人は簡単に態度を変えられるという警告でもあった。
全くどこまでも喰えない狸爺だ。
「なぜそなたが神に仕える者なのか、理解に苦しむ。政治に携わった方が余程力を発揮出来るだろうに」
「以前も申し上げましたが、恐れながら真の策士とは政治の表舞台には出ぬものでございますれば。それに私が居なければ、陛下はとうの昔に墓の下でしょう」
「確かに」
もっともな指摘にエルドシールは真顔で深く頷いた。その意味ではグラスローはエルドシールやレンカ、アレシアの命の恩人であるとも言える。
とにかく、最低限直近の計画への協力は取り付けられた。その後についてはエルドシールの努力次第と言ったところか。計画を一応の形を整えるまでにするのに思いの他時間が掛かり、明日正妃候補を王宮に迎えるという直前になってしまったがどうにかこれで準備が整った。
いつも読んで下さって有り難うございます。更新遅れてすみませんでした。今回は中々難産でした。私の場合文章書くときは鮮明な映像のイメージが脳内に降って来て、それを文章に変換するという方法で執筆するんですが、爺が好き勝手暴走気味で、これだと思う映像がなかなか降って来なくて(涙)
キャラクターが勝手に動き出すという体験は割とあることだと思いますが、爺はエルドシールに折れるのは嫌だと散々抵抗してくれました。折れてくれないと話が進まないので、ちょっと無理矢理な形でまとめてしまいましたが、そんな訳で少し消化不良気味です。書き直すかもしれません。
爺のキャラクターの設定を喰えない爺にしすぎたかもしれないと少し後悔中。
次はいよいよ、やっと、正妃候補達が王宮入りします。