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召還前夜〜二人目の策士〜

 副宰相を務めるハロルド・デア・ドールーズ伯爵に家族と呼べるものは居ない。前代の伯爵は愚鈍を絵に描いた様な男で、内戦時の早い段階で息子共々淘汰された。没落した伯爵家を継いだのは前代伯爵の従兄弟に当たるハロルドであった。堂々とした体躯は文官よりも武官を思わせ、鋭い眼光を放つ茶の瞳を柔和な笑みと洗練された立ち振る舞いで包み隠す老獪な政治家である。

 四十を過ぎても妻を持たず、後ろ盾も無い中で己の才覚のみでのし上がって来た成り上がり者である。上司である宰相レイゼン公爵は王家の血筋に最も近い名家であるという矜持だけしか持たぬ凡人であったが、人を使う事には中々長けた人物で、実質的な業務を優秀な副宰相に任せて自身は権力闘争に明け暮れていた。その裏で手駒としての認識でしかない副宰相が着々と力を着けていることには未だ気付いていない。


 ハロルドは既に床に入っていたにも関わらず、無遠慮に寝室に忍び込んだ黒い影に反応して寝台の上に身体を起こした。

「ミゲル、このような夜更けに何事か?」

「陛下に動きがございました」

 子飼いの密偵の報告に闇の中で伯爵の眼光が鋭く光った。

「ほう?」

「おそらく城内の未確認の抜け道を使用したと思われます。途中で気配を見失いました。姿を隠されていた時間は一刻程度。現在は既に寝室に戻られています」

「うむ……そういえば神殿のご生母から陛下に手紙が届いていたな。しかしご生母相手に密会する必要は無い筈だ。ということは……」

 王に渡される手紙は全て当然の様に検閲が入るが、王のご生母からの手紙だけは無検閲で通されていた。権謀術策に興味があるご生母では無いという事実と、書かれている内容は母として王の身体などを気遣うごく普通の手紙であることが最初の数回の検閲で明らかになり、それ以後無検閲となっていた。しかし、もしそれを知った第三者が検閲無しで陛下に連絡をつける為に利用したとすれば、そんな事を出来るのは限られている。手紙の差出人の署名は確かにご生母のものであったのだ。

「神官長か……。ふむ、陛下に私を駒にする資格があるかどうかそろそろ見極め時であるな」

 即位したばかりの十五歳の頃は随分と頼りなげな少年であったが、あれから四年。王は従順な傀儡の王であり続けたが、自らが己の才覚でのし上がったハロルドにはある予感があった。

 剣を習い始めたのも帝王学を学び始めたのも十五からと王族として遅過ぎたが、それでもハロルドの見る限り王は愚鈍ではなかった。剣技の鍛錬を熱心に行った身体は体格的にも立派に成長し、前王よりも獅子王と呼ばれた前々王を彷彿とさせる赤金色の巻き毛も、意志の強そうな口元と暗い紅の瞳も、見栄えと言う点では若き王は申し分が無かった。御前会議で殆ど発言をしないながらも王の眼差しは会議の内容をしっかりと理解している事を感じさせたし、時折何か言いかけて口を噤む様子にハロルドは気付いていた。

 己の立場を良くわきまえた慎重さをハロルドは高く評価していた。王の有り様は、ハロルドにいずれ荒れたこの国を立て直し、繁栄を齎す賢王になれる資質があるのではないかという予感を抱かせていたのである。

 そしてまた、実質力の無い王という存在が策士であるハロルドを駆り立てる。無力で、しかし賢く素質のある若い王を、歴史に名を残す程の賢王に押し上げるという計画は、己の才覚に絶対の自信を持つハロルドにとって己の野心と矜持を満足させる非常に魅力的なものだった。

 つまり実際は王に己を駒にする資格があるか見極めるというよりも、王に己の駒となる資格があるのか見極めようというのである。

 王が傀儡王から脱する為に動き出したのだとしたら、それに是非とも関わらなければならぬとハロルドは計略を巡らせた。



「時に陛下。三日前の夜更けに抜け道を使われたそうですな。密会の相手は神官長ですか」

 執務室に書類を届けに来たドールーズ伯の突然の言葉に、エルドシールは思わず一瞬固まった。

 そもそも副宰相は直接国王と口を聞ける身分ではない。普段は書類を届けにくるのみか必要最低限の報告をするだけだった男を前に、エルドシールは背筋に冷や汗が流れるのを感じた。実務能力に長け、抜け目無くのし上がって来た男だということは既に承知している。確信に満ちた口調は何らかの確実な証拠を握っている可能性が高い。

「…………何が言いたい?」

 否定はしないが肯定もせず、慎重に相手を観察しながら問う。

「陛下は私が己の才覚のみで成り上がって来た事はご承知でしょう。陛下が名実共に国王になりたいとお望みならば、優秀な手駒が必要です」

 仮にも国王である自分に対してあからさまに名ばかりの王だと言い放つ相手の、率直過ぎる台詞にエルドシールは言うべき言葉を見失った。

 この男は不遜にも己の才能を国王である自分に直接売り込んでいるのか、という認識に至るとエルドシールは思わず声を上げて笑った。

「それでお前を手駒にしたとして、その背後にレイゼン公爵が控えているのではないか? お前を手駒にしたつもりが、上手い具合に公爵の思惑通りに踊らされてはかなわん」

 そっちがその気ならと、エルドシールもまたあけすけな物言いで問返す。公爵の人柄から判断するに実際そのような背後はないだろうとエルドシールは踏んでいたが、だからといって思いもよらない黒幕が隠れていないとも限らない。

「残念ながら信用の置けない者を手駒にする気は無い」

 この話は終わりだとエルドシールが軽く手を挙げて退室を促したが、副宰相はすかさず口を開いた。

「そうですか。ではお聞きしますがあの神官長は信用出来るとおっしゃるのですか?」

「……そう来たか」

 鋭く切り込む相手言葉にエルドシールは再び相手を見た。この男は背後関係など無いといくら言葉を尽くしたとしても、疑いを晴らす事は出来ないと知っているのだ。そして最初から疑われる事を承知で、そしてまたその疑いを晴らす気はさらさら無いのだ。

 神官長には神殿内で父代わりとして世話をしてもらった恩はあるが、だからといってエルドシールは全面的に神官長を信用しているわけでは無かった。それもこの男は見抜いてる。その上で挑発しているのだ。

本気で傀儡の王を脱する覚悟があるのなら、裏切り覚悟で手駒として自分を使ってみろ、と。

「ある程度は、信用している」

「ようございました。もし陛下が信用していると即答されていたら私は手駒を辞退するところでございました」

 満足そうな相手の表情と言葉に、エルドシールは自分の考えが的を射ていたと確信する。

「良かろう……。お前の事も、ある程度信用してやる」

 深々と頭を下げる男を見つめながら、エルドシールは僅かに動悸を感じて表情を引き締めた。事態が、動き出している。一度動き出した流れに翻弄されてはならない、確り自分の意志で立っていなければ。

 この判断が吉と出るか凶と出るか。かなり危うい賭けであるとの認識はあるが、だからと言って野放しにするのも危うい事に変りはない。

 上手く隠していたはずの己の本音、いつか実権を臣下から取り返すという望みをこの男には知られてしまったのだから。

「それにしても、冷静沈着な男だと思っていたが……。問答無用で手打ちにされても文句の言えない程の無礼を働くなど、随分と思い切ったな」

「無謀ではございません。私は勝算の無い賭けはしない主義です。もしその様な事態になったとすれば、それはひとえに私の状況判断が甘く、人を見る目が無かったということでしょう」

 澄ました表情で結局のところ人を見る目のある自分を自画自賛している喰えない男に、エルドシールは苦笑しか出なかった。

 その間もエルドシールの頭の中では目まぐるしく幾つもの思考が交差する。神子召還が成功し伴侶とすることが現実味を帯びたならば、この男の養女として体裁を整えることが可能かどうか、その背後関係を如何に探るか、神官長にこの事を伝えるか否か、伝えるとしたらどのようにどの程度伝えるか、母に及ぶ影響は無いか、考えねばならぬ事は山の様にあった。

 



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