神官長の説得1
ゼッタセルドという国の特殊性は既に述べたことだが、その特殊性故にゼッタセルドは今、過渡期を迎えていた。
キア神に祝福され、泉の守人として選ばれた兄弟が建てた国は最初は小さな都市程度の規模でしかなかった。初代神子の存在と泉の存在により神の恩寵を受けたゼッタセルドは赤子の様な存在でありながら、決して他国に侵略される事が無かった。その為、ゼッタセルドの周辺の小さな集落や小国は生き残る為に次々とゼッタセルドに恭順し、吸収されて行った。そして、約五百年程かけてゼッタセルドは今とほぼ変わらない規模に成長する。現在のゼッタセルドの貴族達の祖先の殆どが、吸収された小国の王だった。
ゼッタセルドはその建国の神話故に他国の侵略を免れてきたが、反面泉を守る為にだけに存在するゼッタセルドは他国を侵略することは決して出来ない。外敵に対しての防戦は出来ても、領土拡大を目的とした戦争行為は最も忌避すべきキア神への裏切りとされている。何故なら、キア神の垂れる慈悲に国境は関係が無いからである。
そもそも泉をキア神が授けたのは民を救う為であり、結果としてゼッタセルドが誕生しただけだからだ。キア神の民はたとえ他国民であろうと傷付けることは許されない。
つまりゼッタセルドは建国以来、防衛以外の目的で武力を持つ事を永遠に放棄した希有な国であった。奇しくもキヨの故郷と同じである。そしてだからこそ、戦後平和憲法の元で権力を失った天皇一家の歩んだ道にエルドシールは深く思うところがあったとも言える。
ともかく、文化的に中世ヨーロッパとさして変わらぬ段階にある世界で、ゼッタセルドは奇跡としか言い様の無い国なのだ。
その奇跡とは、キア神の涙であり、神の力をはっきりと示す目に見える神子の存在であり、たとえ二千五百年の歴史の中で神子がたった三人だったとしても、キア神の信仰を支え、神官達の腐敗を防いで来た。また、政治面でもキア神の涙を守る国を治めるという誇りが、長く存亡を危ぶむ様な腐敗を遠ざけていた。
そう、文字もろくに発達していなかった五百年程前までは。
事態が変化し始めたのは、文字が普及し、それに伴い文化水準の上昇や技術向上による進歩が格段に早くなった頃からだ。
また、ゼッタセルド以外の国々では戦争は日常の延長線上にある。戦争は様々な技術と知恵を生み出すものだ。文明が進歩して人間が出来ることが格段に増えてくると、価値観が多様化を始め、相対的に神子の価値が下がり、信仰も薄れてゆく。
特に聖地扱いで外敵の心配をしなくても良いゼッタセルドは、他国の文化を文字を媒体として吸収し、平和を背景に飛躍的な発展を遂げた。
だが、それは一時途切れる事となる。
およそ三百五十年前、世界を死の影で覆い尽くした伝染病でおよそ全世界の人口の四割にもあたる約三百万人が死亡したと言われている。降臨した神子ハーナが病を駆逐したことで、一時的にキア神信仰が盛り返した。約千年ぶりの神子の降臨である。これで再び長くシーラ教が栄えるかにみえた。
しかし、無知の時代には薄れなかった信仰心も、目の前の分かりやすい富の前には維持する事は難しい。文字が印刷技術の向上により庶民にまで普及し、進歩の波が押し寄せて現世的な利益と豊かさを齎すようになると、そちらに目を奪われて信仰心が薄らいでゆくのは早かった。その豊かさも結局内戦のせいで失われてしまったのだが。
ともかく、その顕著な例が五百年前なら誰もがその存在を疑わなかったキア神の涙を、現在は実在するのか怪しいと考える人間が確実に何割かいる、ということだ。獅子王の時代に、山賊崩れの荒くれ者達で構成されていたとはいえ、新興国ユトが攻め入った事も時代の変化を示している。この変化を懸念した約百年前当時の神官長と、神子を利用して権力獲得しようとする一部の支配者階級の思惑で、例の黒猫は召還される事になったのだ。この一連の出来事は、神殿が純粋な信仰を維持しつつ政治権力と一線を画すことが難しくなっている現実を、端的に示していた。
そんな時代の過渡期に、キヨは召還されたのだ。
神子召還は、神官長のグラスローとしては腐敗する方向に転がり始めた神殿組織を立て直して民の信仰を取り戻したいという思惑が根底にある。だが、なにより差し迫った問題を解決するために、王と神子との結婚が必要だと考えていた。
シーラ教が国民の支持を受けていないかといえばそんな事は無い。
内戦で発生した難民や孤児達の面倒を相当頑張って見ているので、評判は悪くない。むしろ内戦前に比べれば明らかに神殿は民の信仰を集めていた。
だが、疲弊した民から寄付をふんだくるわけにもいかず、内戦で金が無くなった貴族も寄付なんぞするわけがなく、経済的に破綻寸前であった。
今はなんとか国外のシーラ教支部から資金や物資を調達出来ているものの、ずっとというわけにはいかない。見返りとして発行している巡礼者証も、現在治安の悪いゼッタセルドは巡礼者を受け入れる体制が整っていないので本来より価値が格段に低くなってしまっている。そして復興の兆しが余り見えないために巡礼者証の価値は下がる一方だ。
国外のシーラ教にしても、その余り価値の無い巡礼証を餌に民から金を巻き上げ続ければ信者を失い、ひいては力を失う事になりかねないのでそろそろ限界が近い。
とにかく国が安定してまともな政治をして復興の目処が立たない限り、神殿は近いうちに破綻する。それはつまりこの国が破綻するのと同じで、無力な民の命綱である神殿を破綻させた無能な国に民の怒りが爆発しないわけがない。そして、神殿を破綻させた王家は最早聖地の守人としての意味を失い、他国に侵攻の大義名分を与えるだろう。
はっきり言ってしまえば、ゼッタセルドは存亡の危機に直面しているのだ。
しかし、それに気付いている貴族は殆どいない。気付いていても、それほど切羽詰まっているとは思っていない。神殿の台所事情を正確に把握していなかったせいもあり、ドールーズですらそこまでの危機感は持っていなかった。内戦が始まった頃からいち早く危機の到来を予測して準備を始め、行動を起こしたのが神官長のグラスローだった。
とにかく早急に国を建て直さなければならなかった。それが強引に召還の儀式を行った理由である。
エルドシールもそれを分かっていたから渋々といえど了承したのだ。
神子と王の結婚というのは、一番手っ取り早く貴族達を黙らせ、王に実権を取り戻させ、民の王家への信頼回復を実現し、生きる希望を民に取り戻させるという一石何鳥もの効果のある万能薬とでも言える様な解決策なのだ。
グラスローの信仰心は本物だ。しかし、グラスローは同時に非常に現実的な思考の持ち主だった。力無き正義は絵空事であると若いうちに悟っていたグラスローは、信仰心と愛国心ゆえに、時には聖職者としては大っぴらにできないようなこともやってのけ、神官長の地位まで上り詰めた。周りを固める上級神官達もグラスローの考えに随分前から賛同してきた者達で、更に地位が上がるごとに位を引き上げて来た、半ばグラスローの子分の様な中級下級神官達が相当数存在し、神殿内での絶対的な権力はここ最近の神官長の中では明らかに群を抜いていた。
エルドシールがグラスローを政治家と評するのは、このような事情を良く知っているからである。
そのグラスローは今、アレシアとキヨからの手紙を手にエルドシールと睨み合っていた。