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それぞれの前夜2

 ゼットワース侯爵家の屋敷の中で二番目に広く、豪華な部屋の主は夜が明ければ王宮に旅立つ。そして、この部屋には二度と戻らないつもりでいた。


 チェルネイアは全身が映る大きな姿見の前で自分の姿を見つめる。

 艶やかな栗色の髪は美しく整えられた巻き毛の束を幾つも作り、神秘的と賞賛される琥珀色の瞳を縁取るのは栗色よりも茶色に近い濃い色の長い睫毛だ。ぽってりと肉感的な赤い唇はつやつやと輝いている。眉は柔らかな曲線を描き、女性らしい柔らかな表情を演出している。細い鼻梁はつんと形よく高く、ふっくらとした頬と笑うとくっきり出るエクボが愛らしさを添えている。

 首は細っそりとして綺麗に浮き出た鎖骨に続く。豊かに育った胸は形よく深い谷間を形成し、細いだけではない引き締まった腰や腕は、華奢というよりは鍛え上げられた踊り子のそれの様にしなやかで、その動きは悩ましい色香を放つ優美さを備えている。


 我ながらよくもここまで作り上げたものだと、鏡の中の自分に自嘲する。


「美しいな、チェルネイア」


「……伯父様、淑女の部屋に入る時はノックくらいするものですわ」


 ノックもせずにずかずかと入室した男を、チェルネイアは鏡越しに睨みつけた。


「淑女、か」


 可笑しげに笑いながら男は背後からチェルネイアの腰を撫でる。チェルネイアは鳥肌を立てて顔を引き攣らせ、その手を引き剥がそうと掴んだ。しかしその手はびくともせず、更に腕を回してチェルネイアの腰を抱き、首筋に生暖かい唇を押し当てた。


「いくら伯父様でも、それ以上はいけまんせんわ。私は国王陛下の正妃候補ですのよ?」


 チェルネイアはせり上がって来る吐き気を堪えて努めて冷静に言い放ったが、男の手は更に無遠慮にチェルネイアの身体を這い回る。


「くっく…っ、今更だな。お前は十の時から俺の女だ」


「よして。どこで誰が聞いているか知れないわ」


「誰が聞いているというのだ? ここは俺の館なのに」


 チェルネイアは鏡越しに不敵な笑みを浮かべる男をもう一度、強く睨んだ。


「放して」


 だが、男は目を細めただけでチェルネイアの言葉を無視し、睨むチェルネイアの顎を乱暴に掴むと自分の方に向かせ、低く囁く様に命令した。


「良いか、王の子を孕め。正妃にならずとも良い。側室で十分だ。王子を生め。その為の美貌、その為の身体だ」


「……王宮に上がる前に、母に会わせて」


「手紙だけで我慢しろ。ほら、これだ」


 チェルネイアの要求は予想済みだったのか、男はにやりと笑うと懐から一通の手紙を取り出して床に投げた。チェルネイアは飛びつく様にその手紙を拾って胸に抱き、憎しみも露に歯を食いしばって男を睨んだ。


「忘れるな、お前の仕事を。王の子を孕んだら褒美に母親に会わせてやっても良い」


「……王の子を孕んだら、あなたにではなく王に褒美を貰うわ」


「そうだ、それで良い。お前はその美貌のせいで運悪く俺の目に留まった。だが、その美貌で上に上り詰める事も出来る。悔しかったら頂点まで上り詰めて、俺を見返してみろ」


 満足そうな顔をして笑いながら男が出てゆくと、チェルネイアは扉に駆け寄って内側からしっかり鍵を掛けた。吐き気に口をおさえてそのままずるずると扉の前に座り込み、気持ちが落ち着くのを待った。


 やがて落ち着きを取り戻したチェルネイアは、手にした手紙を読まずに破り捨て、ロウソクの火を移して暖炉に放った。

 母マーセルがもうこの世にいないことをチェルネイアは知っていた。信じたくなくて今までは否定して来た。僅かに残る希望に縋って、チェルネイアは何年も前から手紙の中に注意深く嘘を潜り込ませていた。

 しかし、手紙の相手は何一つ気付かなかった。マーセルなら知っているはずの、些細な、しかし気付けば指摘して来るだろう幸せな記憶の欠片に、何一つ気付かなかった。


 マーセルしか知り得ない事が書かれた最後の手紙が六年前のものだ。

 チェルネイアが最初の違和感を感じたのは五年前だった。その可能性を否定する為に始めた嘘の混入が、結果的に疑惑を肯定してしまった。何時、マーセルの筆跡を盗んだ第三者がマーセルに取って代わったのか、正確なところは分からない。

 しかし、あの男がマーセルを殺したのは間違いない。チェルネイアが偽物姫であることを証明する生き証人をいつまでも生かしておくほど、あの男は甘くはない、と、今ならチェルネイアは納得出来る。

 マーセルの死は、到底チェルネイアには受け入れられないことだったが、正妃候補になった今、チェルネイアには正妃になることが自由への唯一の道に思えた。だからこそ、チェルネイアはマーセルの死を受け入れ、手紙を読まずに火にくべた。

 男はチェルネイアが気付いていた事に気付いていないはずだ。この館を出て王宮に入れば、もう言いなりになる必要はどこにも無い。


「自由になるのよ。

 あの男から自由になるには、あの男より強い男の心を奪えば良い。

 太陽の化身の様な美しい王を、きっと私は虜にしてみせる。

 凍った心を持つ傀儡の王。

 私なら、あなたを理解出来るわ。

 一緒に復讐するのよ、この世界に」


 完全に手紙の残骸が燃え尽きるまで見届け、チェルネイアは呪いを掛ける様に最後の残り火に囁いた。



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