副宰相の授業3
「土台が脆いけれども複数の強い武器を持つレイゼン公爵、土台が一番しっかりしているけれども武器が弱いのがガルニシア公爵、土台はそこそこで良い武器が一つなのがゼットワース侯爵……」
「簡単に言えば」
「今までの話を聞いていると、政治的判断を王の立場でなさるなら、セリーヌ嬢を正妃にするのが一番かと思いますが」
「はい、セリーヌ嬢を正妃に選んだ場合が一時的には一番被害が少ないでしょうね。一派の長であるガルニシア公爵は争いを好まぬ方ですので。
ですが、公爵は老齢です。跡継ぎの息子は公爵を影で腰抜け呼ばわりするなかなか血気盛んな御仁ですから、妹が正妃になれば爵位を継いだ後どうなるか推して知るべし、といったところでしょうか」
なんでそうなるんだとキヨは内心で叫んだ。
王家といい、臣下といい、二代続けて出来の良い家長がなぜ続かないのか。本当にろくでもない。
一代で急成長した会社が二代目で傾くわけだ、と溜め息が出そうだった。
「では、お義父様なら三人の姫君からどの方を選びますか? もしくは最も選びたくないのはどの方でしょうか?」
「どなたも選びたくないですが、最も選びたくないのはフィリシティア姫でしょうな」
やっぱりそうか、とキヨは思った。聞いた限りではレイゼン公爵ならフィリシティア姫が王子を生んだらとっととエルドシールを殺して孫王子を王位に即けそうだ。しかし、フィリシティア姫がエルドシールに惚れたとしても、自分の父親を抑えることができる力があるかという点では限りなく微妙だ。十六歳で若いし、何より性格が内気では強烈な性格らしい父親に楯突くことなど無理な気がした。
(エディがフィリシティア姫を選んじゃったらどうしよう。うーん、とりあえず本人と会ってみない事には分からないな)
「ところで、レイゼン公爵家成立の話は完全に裏のものです。表に出ている歴史とは全く違うので、その点はご留意下さい」
「その表の歴史も知っていた方が良いですよね」
「表の歴史は至って簡単です。ラウス王は双子の弟であるカイエン王子の優れた才能を愛し、王と同等の権利を与えようとしたが、それは国を乱すと神子に諭される。そこで王は領土を分け与え、新しく公爵家をカイエン王子に興させた。神子はこの新しい公爵家を祝福し、第二の王家としてその血筋を絶やさず末永く王家を支えるようにとの言葉をカイエン王子に与えた。カイエン王子は神子の言葉と兄王の心に深く感謝して末永く王家に仕える事を誓った、というのがだいたいの話です」
これだけ聞いたら美しい兄弟愛の話だ。歴史の改ざんは恐ろしい。
「裏の話というのは、どれほど浸透しているものなのですか?」
「平民は表の話しか知らないのが普通です。ですが、貴族の世界では公然の秘密です」
「公然の秘密……。そんなに浸透しているんですか」
「裏が忘れ去られてはレイゼン公爵家はカイエン王子が身を引いて得た公爵家の存在の重さが消えてしまいますから、公爵家一派が熱心に裏の歴史の普及に努めて来た結果ですね。普通は勝者に都合の良い歴史が正史になるので、力のない敗者の歴史は消え去るしかないですが、レイゼン公爵家は敗者ではなく、力を持ったまま地に放たれた獅子のようなもの。また、神殿独自で持っている神子ハーナ様の記録の存在も大きいですね。王家の都合で普及した正史の影で、レイゼン公爵家側の裏の正史を伝え続ける事が可能なだけの力も人脈もあったということです」
まるで呪いだな、とキヨは思った。
神子ハーナの召還は約三百年前だったはずだ。三百年の間、正当な王家の血筋は本当はレイゼン公爵家なのだと言い聞かされ、刷り込まれて来た公爵家の人間達が囚われた呪縛を考えると背筋が寒くなる。王家そのものへの憎しみを持ったとしてもおかしくはないし、王座に異常な執着を見せるのも仕方が無い気がした。
だからと言って、本当に片っ端から王子を謀殺していたならそれは許しがたい罪だ。キヨ個人としては、エディが王様になった事は良かったんじゃないかと思っているので、結果オーライではあるのだが。
「それにしても、よくそんなに危ない火種が生き残れましたね。やっぱりハーナ様が関わった事が大きいのですか」
「そうです。非公開ではありますが神殿の公式記録には事件の全容が残っているはずで、それは裏の歴史とさほど変わらないでしょう。ですから神子の存在が大きいこの国ではよっぽどあからさまに謀反を起こさない限りレイゼン公爵家を排除するのは難しい。そのかわり、ラウス王太子が国を継ぐことが正当とした神子の言葉もしっかり残されているので、裏の歴史を都合よく改ざんされるのも免れているのですが」
「それは……逆に言えば神殿側とレイゼン公爵家が結託しようものならレイゼン公爵家は大手を振って現王家を廃することも出来るのでは……」
「それは現段階では不可能ですな。神の意志を伝える神子様の存在がある限りは」
普通なら宗教と権力が結びつきやすいのはこの世界でも例外ではない。ただ、一つ決定的な違いがある。神の存在を確かなものとだと証明する目に見える神の代理、神子が存在することだ。神の奇跡の力を行使する神子の存在に対する畏怖は神殿の腐敗を許さない程に強力だった。そして今現在はキヨの存在がある。神殿上層部がレイゼン公爵家と結託する可能性は無きに等しいとドールーズは見ている。
しかし、神殿側とは違いドールーズは神子を絶対視することには懐疑的であった。実際に神子が目の前にいるので、今は神子の存在そのものはもう疑っていはいないが、神子ハーナの行った事については長期的にみれば、ドールーズにはどう考えてもゼッタセルドの為にならない判断であったからだ。ハーナ程の力があれば、カイエン王子を無力化することも可能だったはずだ。そういう理由でドールーズは神子の能力を絶対視していなかったし、過度に期待もしていなかった。つまり非常に現実的に目の前の神子、キヨの存在価値と能力を把握しようとしていた。
結果としてドールーズは、キヨは神子らしからぬことに相当に腹芸が出来るしたたかさがあること、なかなか頭の回転が良い事、随分と割り切った考え方が出来ること、等を情報として得ていた。
そして、キヨの性格からして正妃となり、ゼッタセルドの裏の女王としてでも君臨可能だと結論付けた。キヨ本人もそれを狙っているが腹芸の一環として口に出さないのだろうというのがドールーズの予想だ。実際中々にキヨは口が堅く、キヨが神から与えられた力がどのようなものなのか全く分からなかった。ドールーズにしてみれば、おそらく神官長グラスローの息のかかっているだろう神子としては戦略的に正しい判断で、そのことには満足でもあった。
切り札というのはいざという時まで隠しておくものだ。
まさか神子の最大の強みである奇跡の力が無い、などとは思いもよらない話だったし、キヨの究極的なこの世界における目的などそれこそ神のみぞ知る、という類いのレベルだった。
キヨはキヨで、義父となったドールーズの勘違いを織り込み済みでの計画でもあったから、都合良く勘違いし続けるように日本人の得意な曖昧な微笑みでケムに巻いていた。
「とにかく、神殿側は今のところ何の心配も無いでしょう。神子様は正妃選定の最終日まで正体を知られない様に気を付けて下さい」
エルドシールが選定最終日に自らの口で正妃の名を発表するに当たり、グラスローとその他二人の上級神官が見届け人として招かれていた。このことについては前例があるので何の問題も無く貴族達も受け入れているが、ドールーズはキヨが神子であることを発表したときに当然出るだろう偽物説を否定する為に呼ばれたと確信している。
ともかく、その言葉を締めくくりとしてその日の授業はそれで終了になった。
だが、ドールーズの仕事はその後が本番である。子飼いの隠密が持ち帰る情報の整理、任務の遂行状況の確認、今後の対策の見直しと新たな指示の伝達など、精力的に裏工作に励み、眠りにつくのは明け方近くになるのだった。