副宰相の授業2
「では、そろそろ三人の正妃候補の姫君についてお話しましょう」
「お願いします」
いよいよ本題だと、キヨは姿勢を正した。
「まず、宰相と大臣達が王の正妃としての条件に掲げたのが、王家の血を引いている事、公爵相当の家柄の出であること、そして後ろ盾の無い王を支えるに足る強力な後ろ盾を持つこと、以上の三点です。三人の姫君はいずれもこの条件を満たしています」
今までの話はこの条件の為の布石だったのかと理解して、キヨは頷いた。
「お一人目、ガルニシア公爵家の姫君はセリーヌ嬢、今年二十歳におなりです。ガルニシア公爵家はゼッタセルド建国以来の神話の時代から存在する名家です。ゼッタセルド建国の話は覚えておいでですか?」
「はい。キア神の涙の守人としてキア神に選ばれた兄弟のうちの弟が初代ですね」
キア神に祈って神子の降臨する泉を与えられた若者は初代神官長となり、信仰で泉を守った。
それと同時に武力で奪おうとする者から泉を守る為にキア神は泉を力で守る者としてある兄弟を選び、この兄の名がゼッタセルドで武の力で初代国王となり、弟ガルニシアは知の力で兄と共に建国に尽くしたというのが簡単な流れだ。
「建国の祖の一人ですから、家柄としてはガルニシア公爵家を超える家はありません。武の兄に対し知の弟という性格もあったのでしょうが、今でもガルニシア公爵家は文に重きを置いています。内戦の間もどの王子にも与せず、野望を持ちえない中下級貴族出身の官僚達を束ねてギリギリのところで国を支えていたのは実質ガルニシア公爵でした」
「どうしてその方が宰相ではないのですか?」
ガルニシア公爵は現在財務大臣だったはずだ。勿論財務大臣という役職は七つの大臣職の中では最重要な部類には入るが、文官のトップは宰相だ。
「それは単純に力関係の問題です。いくら影響力があろうとも中下級貴族に限られる、しかも武力も財力も弱い。
ガルニシア公は人望はあっても即物的な力となる財力、軍事力ではレイゼン公爵やゼットワース侯爵に及ばないのです」
「でも陛下は三者の力は拮抗しているとおっしゃっていましたが」
「それはガルニシア公が本気を出せば、の話です。政治の場では拮抗していますよ。何しろガルニシア公の一派は最も数が多い。手足となって働く末端の実動部隊の殆どを掌握していますからね。公爵は一派の願いに根負けしてセリーヌ嬢を正妃候補にすることを承諾したのです」
「それではガルニシア公爵本人は、セリーヌ嬢を正妃候補にすることには乗り気でなかったのですか?」
これにはキヨはかなり驚いた。公爵の強みは血筋と家柄で、血筋と家柄を強化して力をつける土壌となる次期王の外戚という立場を、他派閥には普通絶対に渡したくないはずだ。
ドールーズとしても、これは少しばかり首を傾げる出来事だった。
「えぇ。何故か公は娘を正妃にすることには難色を示し続けてきました。あの容姿ではたとえ正妃になっても側室や妾妃との関係で苦労するだろうという親心かもしれませんが。
ですからセリーヌ嬢が正妃候補になられても、他の二大勢力の衝突に対する緩衝剤としてしか存在意義のない形ばかりの候補というのが実情です」
「ですが、もし陛下がセリーヌ嬢を気に入られたら?」
「陛下を本当にご存知の方ならその可能性が意外と高いと気付くでしょうが、普通はそうは思いません。二十歳というのは結婚適齢期ギリギリの上、陛下よりも年上。そしてセリーヌ嬢は大変賢い方という噂ですが、その容姿ははっきり言えば並以下です」
容姿のせいで眼中にないという判定に女としては同情を感じるが、基本キヨは面の皮一枚の問題であるとも思っていたし、その点についてはエルドシールも同意見の気がする。
だが、エルドシールは女性に余り興味が無いと思われていたが、容姿以外の条件がどっこいどっこいなら見栄えという点からも美しい方をとるに違いないと殆どの人間は考える。見栄えは民衆の心を掴むという点においても、外国との付き合いという点においても無視出来ない要素だ。
普段の鉄面皮ぶりからして、気が合うなどの精神的なものを求めるとも思えないから余計だ。
「他の二人は大変美しい、んですね」
「その通りです。ですが陛下はご自身が大変な美形でいらっしゃるせいか、他人の外見の美醜には余りこだわりが無い。神子もその点では安心して良いと思います」
何気に相当失礼じゃないか、こいつ、と思いながらキヨは何の事かしら? といった感じの微笑みを浮かべた。
とりあえず頭が良い不美人で性格が良い人に会った事が無いキヨは、セリーヌ嬢に関しては個人的に余り興味を引かれなかった。
召還前、キヨは首都の名前を冠する国立大卒の、非常にお勉強的には頭は良いがプライドが高過ぎる上に実務能力とコミュニケーション能力に欠けたオールドミスな上司のせいで、恵まれない仕事環境におかれていた。
「では次に、二人目の姫君についてお話しましょう。先程も話に出てきましたが、ゼットワース侯爵の姪、チェルネイア姫は十九歳で陛下と同じ年齢です。
家柄については先程話した通りで、血筋も降嫁された王女の血を引いています。そしてゼットワース一派の強みは軍事力ですね。正直王位を簒奪する気なら一番実行可能なのがゼットワース侯爵です。正当性としては一番弱いので三日天下が関の山ですが。
そしてこの姫君は完成された女性的な肉体美を持つ妖艶な美女です。その家柄ゆえか女だてらに剣も達者だという事で、覇気が無いと揶揄される王にはうってつけだと息巻いていますね。ですがこの姫君、出自が怪しい」
「怪しい、とは?」
「チェルネイア姫はゼットワース候の弟の娘という事になっていますが、弟の一家は内戦で屋敷を焼かれた折りに全員死亡しています。当時の記録を見ると、確かにチェルネイア姫も十歳で死亡しているとの記述がありました。ですが姫は乳母に助けられて近くの農家の納屋に身を潜めており、後日ゼットワース候に保護された事になっています。内戦中のことで記録が正確さを欠いていてもおかしくないですが、不自然なことが幾つかあります」
「不自然な事」
「えぇ。チェルネイア姫は栗色の髪、琥珀の瞳をしていますが、一家の肖像画を手がけた画家は姫は母譲りの栗色の髪と青い瞳だったと証言したという話があります。また、この画家はじめ生き残ったはずの弟一家に仕えていた使用人達の足取りが何故か掴めません。乳母以外の姫本人を知る者の周辺に残していないこと、焼き討ちで死んだ姫の乳兄弟である同じ年の少女が稀に見る美少女だったという噂もあります」
「それは……あからさまに怪しいですね」
「えぇ、あからさまに怪しいので逆に本当にチェルネイア姫本人という線も捨てがたいのですが」
「それは陛下もご存知ですか?」
「はい、ご存知のはずです。対立するレイゼン公爵一派がその疑惑を広めていますから」
「成る程。それでは信憑性も疑わしいですね」
「ですが、チェルネイア姫には正妃候補になる随分前からそういう噂はありました。ゼットワース家は武人の家柄らしく、女も男も骨格がしっかりしていて頑健ですが容姿には恵まれた家系ではありません。しかも容姿が……特に特徴的な大きな鼻が遺伝しやすい家系なので、チェルネイア姫の美貌は誰もが首を傾げる異質さなのです」
「つまり、ご両親に似たところが一つも無い、ということですか?」
「母親譲りだという栗色の髪以外は」
重要視される父方の血筋の特色が全くない美貌の姫君。それは確かに色々憶測を呼ぶだろう。
「チェルネイア姫本人はどのような方ですか?」
「私見で宜しければ申し上げますが」
「聞かせて下さい」
「ご自分の魅力をよく理解しており、良くも悪くも女の武器を最大限に使う事に躊躇いの無い方です。利用価値のある男には無意識を装った計算された媚態で近付く、男心を惑わす事に長けた女性ですな」
「義父様もその被害を受けられたとか?」
「そういう女性だと承知しておりましたから、被害というまでには至っていません。毒牙に掛かった若い有望株は何人も見ましたが」
「毒牙ってまさか……チェルネイア姫は身体の関係も……?」
「そんなことがあれば正妃候補になっていませんよ」
肉食系女子の匂いがする姫君なら、正妃候補になりながらもそれもありそうな気がしたが、さすがにそれは無いらしい。
なぜか、少しがっかりするキヨだった。
「申し上げましたでしょう、無意識を装った媚態、と。
自分にその気は無かったけれど、相手が勝手に熱を上げてしまって困ります、という体裁を見事にどの場合も整えています。そういう方法で対立するレイゼン公爵一派の若者を取り込み、ご自分の崇拝者にして切り崩しを図っている、中々のやり手です。
なまじ肉体関係の無い為、崇拝者となった者はチェルネイア姫こそ正妃に相応しいと熱烈な応援を繰り広げるわけです」
どうやらチェルネイア姫は肉食系でも小悪魔タイプの美女らしい。個人的にはそういうしたたかな女性が好きなので、キヨは是非とも観察してみたいと思った。攻撃対象にはなりたくないので余り近付きたくはないのだが、友達になれたら楽しそうな人物だというのがキヨの印象だった。実は偽物の姫、というドラマチックな要素も、不謹慎だがわくわくしてしまう。
「なかなか強烈な女性の様ですね」
「何、陛下は色仕掛けには動じない方ですから心配はございません。神子様も後二年もすればそれなりに色気も出ていらっしゃるでしょう」
重ね重ね失礼なやつだと思いながら、何のことかしら? という風情の微笑みを再びキヨは浮かべた。
「それで、最後の……レイゼン公爵の姫君はどんな方ですか?」
「姫はまだ十六ということもあり、社交界に登場したばかりでその人柄を推し量れる程には私も存じ上げません。
ただ、国一番の美女と名高かった母君にそっくりな美貌で評判の姫君です。チェルネイア姫とは対照的な美しさと言いましょうか。銀の髪、青い瞳、華奢な体つきで、まるで精巧に作られた最高級の人形の様な可憐な美少女です。
社交界に初めてお出になられた去年の大舞踏会でお見かけした印象では、緊張のせいか口数も少なく、どちらかと言えば内気な性格の様です」
「深窓の公爵令嬢という感じですね」
「姫ご本人については、それほど脅威はございません。むしろ問題なのは私の直接の上司でもあるレイゼン公爵です。公爵は一言で言えば一番危険な野心を持つ人物です。正直この公爵自身の能力は高くはありません。家柄という意味では、殆ど意味も無い。ですが、一番厄介な家柄でもあります」
綺麗なだけのお人形って言い切ったよ、仮にも上司の娘を! と突っ込みを内心で入れながらキヨは情報を引き出す。
「確か七代前の王の弟が初代レイゼン公爵、でしたよね?」
「はい。普通、王の兄弟が王家を出て独立する場合は婿として臣下の家に入るか、断絶した家名を継ぐという方法を取ります。大概がご生母の実家がその血縁や地縁を駆使して引き受ける事になるのですが、そういった後ろ盾が無い場合は結婚も許されず王家の一員としていわば死ぬまで飼い殺しになります。これは王家の私有財産を減らさない為の措置で、五千年近いゼッタセルドの歴史の中でもレイゼン公爵家が唯一の例外です」
「唯一の例外……。どうしてそれが許されたのですか?」
「七代前のラウス王は双子でした。ラウス国王の双子の弟、カイエン王子は生まれた当初大変小さく、長くは生きられないだろうと言われていました。
双子は正妃の生んだ初めての王子だったので、兄と定められた王子が必然的に王太子となり、生まれたばかりの王太子が死ぬのは縁起が悪い、万が一生き延びても病弱では先行きが不安だ、という理由で、兄弟は逆の立場として公式に発表されたのです」
「逆……つまり、本当はカイエン王子が兄だったということ?」
「はい。実は生まれたのはカイエン王子が先でしたが、泣き声も逞しく身体も大きかったラウス王が兄ということになったのです。そのまま予想通りに行けば良かったのですが……」
「カイエン王子は生き延び、健康に育ったということですね」
「それ以上だったのです。結果的にカイエン王子はラウス王太子を背丈でも剣の腕でも知識の上でもとにかく全てにおいて秀でてしまった。
それでもラウス王太子が兄であると誰もが信じていた間は良かったのですが、出生の秘密が暴かれると状況は急転しました。カイエン王子が自分こそが正当な王太子だと主張し始めた為に国を二分する内戦が勃発する手前まで緊張が高まったのです。ですが、その危機を回避した人物がいます」
キヨは教えてもらったその辺りの歴史を思い出すが、適当な人物が思い浮かばない。
「……二人の父親である八代前の王様、とか?」
「いいえ。第三代神子であるハーナ様です」
(出た、禁じ手!)
まさかの神子登場にキヨは少なからず驚くと共に、やっぱり神子は政治に関わったのかと少し遠い目になる。
「ハーナ様が二人を和解させ、王家の直轄領の三分の一をカイエン王子に与えて公爵家を持たせる事で双方をどうにか納得させたのです」
キヨは内心冷や汗を流した。自分とは関係無いが、同じ神子としては溜め息が出てしまう。
(政治に介入しちゃ駄目じゃん。仲直りさせるだけなら良いけれど、領地を分けたり公爵家をイレギュラーで持たせたりって相当政治的な行為だよね。キア神の威光を背負ってる自覚が足りないよ、ハーナさん。政教分離、これ基本。
その為にキア神だって神殿の長と、統治者として兄弟を分けて定めたんだろうし……)
「カイエン王子側にしてみれば納得できる条件では無かったでしょうが、当時疫病を打ち払い、世界を救った神子に逆らえる人間はいませんでした。ですが、私にしてみれば破格の計らいだったと思います。
公式に発表されたのならば、ラウス王太子が兄であることに異議を唱えるのは王の決断に対する不敬であり反逆です。国によっては双子は後から生まれた方が兄と定めているところもある。カイエン王子は優秀だったかもしれませんが、ならば余計に国の為に弟として過去の王弟と同じ様に穏便に臣下にくだるべきだった」
「でも……カイエン王子は結局レイゼン公爵として臣下に下り、王位を諦めたのだから良かったのでは? 内戦になれば、カイエン王子側が有利になったと思いますし。民の人気もどう考えてもカイエン王子に傾く様な状況ですよね。どちらかというとラウス王太子側にとっては破格の対応だったのでは?」
民衆はいつだって悲劇の王子様やお姫様が好きなのだ。そして血筋の正当性が互角なら、より優秀で本当は兄であるカイエン王子の方が大義名分の上でも人望の上でも有利だ。
「その時点ではそう思われても仕方ありませんが、そのおかげでゼッタセルドはずっと厄介な火種を抱えることになったのです」
「どういうことでしょう?」
「最初にレイゼン家の家柄に意味は無い、と申し上げましたが、功績を立てたわけではない、という点では無いのです。が、王位を継げなかった兄王子の系譜、という見方をすると……何か分かりませんか?」
「正当な血を引く日陰の王家……」
はっとした顔をするキヨに、ドールーズは満足げに頷いた。
「なかなかに良い表現です。
王家の血が、同等の重さで別れてしまった。つまり、王家の血が万が一絶えた場合はレイゼン公爵家が新しい王家としてゼッタセルドの支配者となる正当性があるのです。
このことは、神子ハーナ様が明言したこと。神子の言葉はキア神の言葉、ゼッタセルドの建国の神話からしても、この明言が及ぼした影響は計り知れません」
(明言しちゃったのか! 増々駄目じゃん! それは間違いなく火種だ。徳川家も御三家があったけど、一つじゃなかったから筆頭はあっても絶対じゃなかった。一つしか王家の分家が無くて、しかもそれが神子のお墨付きの分家だったら王家の血が絶えれば自動的に王位が転がり込む。って……あれ?)
「……まさか、陛下以外の王子がことごとく亡くなったのは……」
「察しが良いですね、その通りです。裏にはレイゼン公爵の陰謀があったのは証拠はありませんが間違い無いでしょう」
火種どころじゃなく物騒だ、とキヨは思った。
「公爵にとって誤算だったのは、国王にと望んでいた出来の良い一人息子が内戦であっけなく死んでしまった事、そしてすっかり忘れられた末の王子がいたこと。この二点ですな。
最もこれは誰も表立って口にしない裏の事情です。誰もがその可能性を考えながらも証拠があるわけではないので口を噤んでいます。公爵は下手につつくには相手が悪過ぎる。レイゼン公爵家の一派を形成するのは、主にカイエン王子の時代から付き従う旧家、名家が中心となっています。そして王家の領地の三分の一を受け継ぎ、財力がある。更に公爵の奥方の実家は武門の名家デニスローン侯爵家の出身で、ゼットワース侯爵には及ばずとも武力の後ろ盾もある。
唯一の泣き所は、公爵には人望が無いところですな。これはご本人も気付いていない泣き所ですが」
「気付いていない?」
「えぇ、王位を継げなかったカイエン王子の怨念をそのまま身に宿した様な御仁ですから、血筋に異様な執着をしています。言い換えれば血筋で劣る中下級貴族の存在を虫程にしか気に掛けません。数でいえば圧倒的に中下級貴族が多いのに、その重要性を認識していらっしゃらない。良い武器は複数持っていても、足下の土台が頼りないという状況ですね」
虫程にしか気にかけない、という下りでキヨの頭には有名な某アニメの悪役が頭に浮かんだ。人がゴミのようだ、と言って嗤ったあの人だ。
ネタとして大人気な悪役の名言だが、実際にそういう人間がいたら絶対関わり合いたくないと思うキヨだった。