慈母と神子2
——たとえ志半ばで倒れようとも、あの子本人が選びとった道ならばあの子の人生は一瞬だとしても光り輝くでしょう——
最悪の事態を覚悟した上で、アレシアもエルドシールもキヨの計画に乗ったのだと、ここに至って初めて本当に自覚した。
そしてそんなアレシアの姿勢に、突然キヨは故郷の言葉を思い出した。
“武士道とは死ぬ事とみつけたり”
どのように生きて死ぬか。死を覚悟しても成し遂げる志を持って生きること。アレシアの眼差しはそれを見つめているのだ。
急に溢れ出る感情の波に呑まれ、キヨの瞳からは涙が溢れ出した。
元いた世界では権力争いだの政略結婚だのは遠い世界の話で、こちらに来てからもあののん気で緊張感の無いエルドシールのせいかもしれないけれど、どこか現実味が無く、恐ろしさを感じなかった。
たかが結婚の話だと言ってしまえばそれまでだし、死の覚悟など大袈裟だと言えなくもない。
でも、エルドシールは何度も命を狙われ、殺されかけた経験のある王様で、王の結婚はすなわち国の一大事で、その決断次第で国の未来が変わるかも知れない多くの人間の運命を担った結婚なのだ。
「っ、ごめん、なさい……」
「神子様?」
驚いておろおろするアレシアにキヨは唇を噛み締めて頭を振った。
「私、もっと、簡単に考えていました……そんなふうに……うぅ……」
後に言葉が続かず、キヨは零れ出る涙を乱暴に手の甲で拭う。そんなキヨの手を、アレシアの手が躊躇いがちにそっと握った。
「神子様、泣かないで下さい。大丈夫。簡単に考えるべき時が来たのです。あの子は大人になり、家族を作るのです。
その家族と共に国を守り、愛を育んで次代に命を繋ぐ、誰もがやっている普通のことです。母として、それを応援するのは当然の事。
ただちょっと普通と事情が違うのは、あの子が王様だということだけ」
「ちょっとどころじゃなく普通の事情じゃないです」
つい子供っぽい反論をして不貞腐れた様な顔になってしまうキヨを見て、アレシアは椅子から立ち上がり、小さな子供をあやす様に立ったままのキヨの背を撫でた。
「でも、神子様がおっしゃって下さったのですよ?
神の前には王も乞食も関係無い、一人の人間として幸福を追求することに何の遠慮があるのか。迎える伴侶を慈しみ、愛を育んで幸せを築くことを望むことに何の憂いがあるのか、と。
私はその通りだと思い、自分の意志で神子様の計画に賛同しました」
なんて強い人なんだろうか。キヨはもう顔も思い出せない自分の母を思いながら、アレシアの優しい顔を見るとまた涙が溢れてくるのを止められなかった。
「私……私、エディが羨ましい。あなたの様な母親を持てたなら、世界中の不幸を背負っても良い」
思わず出てしまったキヨの本音に、アレシアは軽く驚いた顔をしながらも穏やかななままの微笑みでキヨの背を撫で続けた。
「それは光栄ですわ。でも、私の目を覚まさせて下さったのも、迷いの森で立ちすくむあの子の進むべき道を照らして下さったのも、神子様、あなたです。
さぁ、笑顔になって下さい。そしてあの時のように言って下さい。何も心配することはないと」
必死で涙を飲み込もうと息を詰め、キヨは自分に手を差し伸べてくれたキア神の姿を思い浮かべた。
自分を信じろとは言えないけれど、自分を神子に選んでくれたキア神は信じられる。
「……エディは……キア神に似ています。エディは全然王様に向いてないし、らしくないけど、キア神もぜんぜん神様らしくなくて神様に向いてるとは思えなかった。でも、そんなキア神が私は大好きになって、だからキア神が創った世界で生きてみたいと思った。だから、きっと大丈夫です。エディはキア神に似ているんだもの、この世界に愛されていないわけがないわ」
普通だったら創造神に対してこんな暴言はあり得ないだろう。キア神を信仰する相手に言うべき言葉ではない。
けれども、それはキヨの正直な思いの全てで、アレシアもそれを感じたのだろう。立ち尽くすキヨをアレシアはそっと抱き締めた。
「あぁ……何よりも嬉しい言葉ですわ、神子様。全ては神の思し召し……」
キヨは洟を啜りながらどうにか笑顔を作って頷いた。
「はい、全ては神の思し召し。汝恐れることなかれ……」
この時からキヨとアレシアは深い絆で結ばれる事になった。
キヨは生涯アレシアを母と慕い、己の目指すべき未来の姿として定めた。
そして自らも尼僧として修行を積み、慈母となって孤児達を始め子供達の教育と保護、一人前として社会に巣立つ道筋作りに一生を捧げることになる。キヨは死後、その功績と最後に見せた奇跡によってラダトリアの聖女と呼ばれるまでになるが、それはまだ遠い未来の話である。
少しだけキヨの過去とキア神の事をちら見せして『慈母と神子』終了です。
すみませんがしばらく執筆お休みします。詳しくは活動報告をお読み下さい。