旧き戦友
王が部屋を辞し、キヨも片付けの為に部屋を離れると、かつての主従が残された。
深く椅子に腰掛け、寛いだ穏やかな笑みを浮かべてアレシアはすぐ傍へとベルタを呼び寄せる。ベルタはきっちりと美しい礼をしてから跪き、伸ばされたアレシアの右手を両手で受けてその甲に額をそっと付けた。
これは位の高い神官や慈母、慈父と呼ばれる高位の僧侶から祝福を受ける時の正式な作法である。普通は神殿での儀式でしか行わないが、あえてベルタはこの作法で十何年ぶりの再会の喜びを示した。アレシアもまた、ベルタの心意気を受けて嬉しげにベルタの手を取ってしっかりと両手で握る。
「ベルタ、久しいですね。元気な様子で安心しました」
「有り難きお言葉でございます。アレシア様もお変わりなく、再びこうしてお仕えできる喜びは語り尽くせませぬ」
「まぁ……、ベルタ、本当に流暢になったこと」
ベルタの口上にアレシアは驚いて目を見張る。昔部屋付き侍女であったベルタはまだ王宮に上がって日も浅く、慣れぬ宮廷典雅言語の敬語に四苦八苦して失敗ばかりしていた。そんなアレシアにベルタは目尻に刻まれたしわを深くして笑った。
「恐れながら申し上げます。私も侍女を務めて二十年以上になりますれば、成長もいたします」
「そうね、私も年を取りました。そなたも今は女官長次官でしたね」
「はい、私も年を取りました。アレシア様も今は慈母様でいらっしゃいます」
そういって涙ぐむベルタに、ふっとアレシアの脳裏に蘇る映像があった。かつて逃げる様に去った後宮の入り口で、涙を零しながらも唇を噛み締めて声を殺し、必死で手を振って見送ってくれた若き日のベルタの姿だ。
「……そなたとも二度と会えないと思っていましたが。決死の覚悟で戻って参った王宮で思いがけず嬉しい再会がありました」
もう一度強くベルタの手を握ってから、アレシアはそっとその手を外す。ベルタもまた自然な仕草で手を引き、立ち上がると一歩下がって脇に控える。
その瞳には既に涙の影は無く、女官長次官として頼もしい限りの風格を感じさせる立ち姿にアレシアは感慨深げに目を細めた。
「ベルタ、私はいずれ修道院に戻ります。ですからなるべく修道院での生活習慣を崩したくありません。そういうわけですから私には貴人に対しての様な世話は必要ありません。私の身の回りの世話はキヨ一人で十分です。ベルタには、ベルタにしか頼めない事を頼もうと思います」
「私に出来ることでしたら、なんなりと」
「では、まずは贈り物の整理です。私には貴族達から多くの贈り物が届くでしょう。それら全ての管理をそなたに任せます。
誰から何時、何が贈られたか、全て書面にしておくように。
そして全てを彼らの名でシーラ神殿に寄贈すること。神官長グラスロー様にお願いして、そのご署名の入った感謝状を私に届けて頂きます。それに私の署名を加えた後、贈り物の主に届けて下さい。
中々大変な作業だと思いますが、信頼の置けるものにしか頼めません」
「ア、 アレシア様、それは……」
流石にベルタは目を丸くして動揺を見せた。賄賂を受け取った上で賄賂としての意味をなさない神殿への寄付にしてしまうということは、賄賂を贈った方にしてみれば手酷い裏切りとも言える。
「えぇ、喧嘩を売るのよ。息子の未来の為に、私は慈母としてあるべき姿を貫くわ。私に贈り物をするということは、慈母への喜捨。つまり神に捧げるのと同義。
今までは逃げ回っていたけれど、今回は受けて立つわ。あなたにはその片棒を担いで欲しいの。でも私だけでなくあなた自身も危険に晒されるかもしれないし、今後侍女として……今は次官だったわね。女官長次官の仕事をやりずらくなるかもしれない。降格もあるやもしれません。
これは私の我が儘ですから、あなたには断る権利がある」
アレシアは今まで誰からの贈り物も受け取りはしなかった。一つでも受け取ってしまえば、なし崩しにその後も贈り物を受け取る事になる。また贈り物を受け取ればその贈り主との関係を詮索され、根も葉もない陰謀説が流れ、それらはいずれ自分ではなくエルドシールに影を落とす。
だからたとえどんな相手からのどんな贈り物だろうと受け取らない。
それは妾妃の頃からずっと貫いて来た姿勢だった。ベルタもそれは十分すぎる程理解していた。それをアレシアは破るというのである。ベルタはアレシアの覚悟に背筋が冷える様な緊張感を感じた。
だが、迷いは無い。
「アレシア様の信頼に応えないようでは、侍女としての誇りが許しません。喜んで片棒を担がせて頂きます」