召還前夜〜一人目の策士〜
「くだらん」
くだらな過ぎて思わず笑ってしまう。
エルドシールは緋色に輝く金の巻き毛を無造作に掻きあげて失笑した。
神官長が内密に重要な話があると言うので、一体何事かと無理を押して神殿地下の隠し部屋まで来てみたが。
「神官長、そなた本気で神の娘を召還出来ると思っているのか?」
今しがた正気を疑う様な事を告げた神官長は、皺に埋もれた双眸でエルドシールを鋭く見据えながら重々しく頷いた。
「はい。次の満月の夜は全ての条件が揃うのです。計算上では三百三十二年ぶりのことであり、ハーナ様がご降臨なさったのもその年の儀式によるものです」
既に伝説になりかかっている神子の名前にエルドシールは深い溜め息を吐いた。
「神官長、悪いがそんな訳の分からない儀式で召還した得体の知れない女を娶る気は無いぞ」
「神の娘はあなた様が王と神に認められた証拠になりましょうぞ」
「そのような証拠は要らぬ!」
思わず怒りが声に籠る。本来なら王位を継ぐ事等あり得なかった前国王の末子であり、未だ十九の若輩者、傀儡の王と侮られていることはエルドシールも重々承知していた。しかし、だからと言って神頼みの様な事をするなどとは。お前まで私を侮るのかとエルドシールは神官長を睨みつけた。
「その通りでございます。そのような証拠など無くともあなた様は真の王。しかしながら陛下。甚だ遺憾ながら愚かな者どもには証拠が必要なのでございます」
「………愚か者どもを黙らせる事の出来ぬ我を嘲うか?」
淡々とした神官長の言葉は、エルドシールには皮肉にしか聞こえなかった。 王として臣下に強い力を持たぬ自分に忸怩たる思いを抱いているエルドシールにしてみれば、己の無能を悪し様に罵られた方がまだましだった。
自嘲するかの様な君主の言葉に神官長は深々と頭を下げ、恐縮したようにその場に跪いた。
「滅相もございません。陛下の光は大変お強い。胸の内に闇を飼う者が反発して苦し紛れに愚かな戯言を弄するのは止むをえない事でございます。ですが民とは心弱く心惑わされ易きもの。取るに足らぬ戯言も捨て置くにはいささか問題が大きゅうございます。民の平安の為にも神の娘を娶られませ」
民まで引き合いに出して神の娘を娶る大義名分をひねり出す神官長に、エルドシールはある種の感動と虚しさを覚えた。宮廷に蔓延る古狸よりも厄介な狸が神殿の長とは。
「時々そなたが何故神に仕える者なのか、理解に苦しむ。いっそ神官長など辞めて宰相にでもならぬか?」
「恐れながら真の策士とは政治の表舞台には出ぬものでございますれば」
返って来た言葉はこれまた聖職者にあるまじき言葉で、エルドシールは観念した様に溜め息を吐いた。
「分かった。儀式は許可しよう。ただし、実際に召還が成功したとしても神子の人となりを見極めた上で公表する。それまでは召還の事自体も内密にし、決して外に漏らさぬ様に」
「心得ておりまする」
重々しく、更に深々と頭を下げる神官長にエルドシールは何とも複雑な顔をして何か言おうとしたが、そのまま無言で隠し部屋を後にした。
ゼッタセルド王国はドラゴニア大陸の東に位置する大国だ。ドラゴニア大陸はその形が竜が翼を拡げて飛んでいる姿に似ている事からそのように名付けられた。伝説では最初の生き物である偉大なる始祖竜の骸が大陸になったとされている。ゼッタセルド王国は竜の右翼にあり、大陸中央の砂漠を挟んで逆側左翼に位置するマーレシア王国に次いで二番目に大きな国である。
しかし、国力で言えば今現在ゼッタセルドはマーレシアに遠く及ばず、第三の大国である北のフェンリールにも劣る。その原因は長く続いた内乱である。
ローレッセン前王は政治よりも美姫と戯れる事に熱心だった為、正妃との間に生まれた第一王子の他、十一人の妾妃との間に十二人の王子と八人の王女がいた。
正妃はフェンリールから嫁いだ王族の姫君で、その身分と後ろ盾の大きさから第一王子が世継ぎであることには誰一人表立って異を唱える者は居なかった。しかし、狩りに出掛けた第一王子が不慮の事故で亡くなった為に状況が一変する。
ローレッセン王は次の後継者を指名せず、既に政治の実権を握っていた臣下はそれぞれが支持する王子を擁して血みどろの政争を繰り広げた。そしてついに第五王子にローレッセン前王が討たれた事を契機に、十年以上に渡る内乱が始まったのである。
結果を言えば王子は末子である第十二王子であるエルドシールのみが生き残り、他は皆戦死した。エルドシールが生き残ったのには母であるアレシアの功績が大きい。アレシアは尼僧であったが、たまたまローレッセン王に見初められて攫われ、半ば強引に還俗させられて最後の妾妃に迎えられた女性だった。その経緯故か、自分が生んだ第十二王子エルドシールと第八王女レンカはアレシアの強い希望で幼い内に神殿に預けられた。アレシア自身もローレッセン王が討たれてから間を置かず再び尼僧に戻った事もあり、幼く後ろ盾も無い王子の存在は忘れ去られていたのである。
何の後ろ盾も無かったことも幸いだった。もしエルドシールが誰か有力者の息が掛かった者ならば、その者の台頭を防ぐ為に他勢力から暗殺されていただろう。臣下達は共に祭り上げる傀儡の王として十五歳のエルドシールを即位させたのである。
その一方で内戦を生き延びた前王の弟、サイゲル卿が不穏な動きを見せていた。政治の表舞台からは降りて隠居を気取りながらも離宮にて健在である前王妃の御機嫌取りに余念が無く、前王妃の祖国フェンリールと接触しているとまことしやかに囁かれていた。即位して四年経っても傀儡の王であるエルドシールでは未来は暗いと、一向に暮らし向きが改善されない民衆の苛立ちを煽る様な流言で惑わしているとも囁かれ、実際再び内乱を起こすきっかけになり得る火種となってくすぶっていた。
それが事実であれば大罪であるが、決定的な証拠が無い為に前王妃のお気に入りであるサイゲル卿を罪に問う事は難しかった。国力低下したゼッタセルドとしては、前王妃の祖国フェンリールにおさおさ付け入る隙を作るのは是非とも避けたい状況なのである。その為サイゲル卿に警戒しつつも目下のところ臣下一同の一番の関心事は陛下の王妃選びであった。それぞれが推す王妃候補と、その派閥による熾烈な戦いが当の王をそっちのけで繰り広げられていた。
若き王はといえば孤立無援の中、加熱する王妃選びと己の無力さに立ち竦んでいた。