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正妃選びの幕開け

 キヨが神子として召還されてから約二ヶ月半弱、王宮滞在日数も十日目を迎えたその日は朝から城全体がざわざわと落ち着かない雰囲気に包まれていた。


 初夏の緑が美しく、吹き抜ける風はさわやかに青い空を駆け抜ける穏やかな昼下がり、国王陛下のご生母であるアレシア慈母様は十五年ぶりに王宮を訪れた。あくまでも尼僧として出仕する形をとったご生母は、普段と変わらぬ質素な尼僧姿で馬車から降り立った。臣下である貴族一同が出迎え、次々と腰を折って礼を取る中、ゆっくりと静かに国王陛下に向かって進む。

 色好みのローレッセン王が一目惚れして強引に妾妃に迎えた程の美貌は、三十八になる現在も健在だ。年を重ねて妾妃時代とはまた違った輝きを放っている。

 質素な尼僧姿だから余計にその際立った美貌が強調され、居並ぶ貴族達からは賞賛の溜め息がこぼれた。


「ようこそおいで下さいました、慈母様。この度は我が願いをお聞き届け下さったこと、幾重にも感謝申し上げる」


「何事もキア神のお導きの成せる技なり。感謝はキア神に捧げなさい」


 俗世では王であるエルドシールは決して頭を下げてはならないので、お互いに立ったまま対等の立場を示して儀礼的な挨拶を済ます。

 傍目にはエルドシールがご生母アレシアの来訪を熱望したということが疑わしく思える程、淡々としたものだった。

 勿論エルドシールは内心大喜びしていた。結婚式までの短い期間といえど離ればなれだった母と共に暮らせるのだ。色々頭の痛い問題やら不安やらはあるが、エルドシールにとってはこの上なく喜ばしいことには変りはない。

 

 普通なら歓迎の宴でも開くところだが、アレシアが尼僧であるということで謁見の間において簡単にお披露目の儀が行われるのみに止められた。

 現在ゼッタセルドにおいて最も位の高い女性は前国王の正妃、シェゼールミーア王后であるが、皇太子を亡くしてから王都から馬車で三日程掛かる離宮に引きこもったままだ。

 そういう意味ではラダトリア王国の後宮は驚く程長期間女主人が不在であった。後宮の侍女達は仕える主人も無く、ただその建物や調度類が傷まぬ様に手入れをし、美しく保つだけの日々を繰り返して来た。

 だが、これからは違う。三日後にやってくる正妃候補の姫君達を迎えるに当たって、侍女達は浮き足立っていた。彼女らは真面目に仕事に務めていたが、やはり主人が居た方が張り合いがあるし良い緊張感も生まれて活気が生まれるのである。

 つい先日女官長次官に抜擢された古参の侍女、ベルタもまた何時も以上に気を引き締めて部下達の働きぶりに目を配っていた。

 実はベルタはアレシアの妾妃時代の部屋付き侍女であった。そんな理由もあって今回の抜擢となったので、ベルタはご生母のお世話と、その侍女として既に王宮に上がった尼僧見習いの娘の面倒を全面的に任されていた。


 今ベルタはアレシアが滞在する貴賓室の最終的な確認作業を、尼僧姿のキヨと共に行っている最中である。

 侍女として王宮に上がるならば、侍女の格好をするのが理にかなっている。尼僧といっても見習いの身分なら問題無いだろうに何故尼僧姿を押し通すのか、職場の規律を乱す原因ともなる、と、当初ベルタはキヨに対してと良い感情を持っていなかった。

 しかし、それが仕えるべき相手であるアレシアの希望だと聞かされて否定的な感情を忘れる事にした。ベルタにとって最も重要な任務は、王宮に滞在する間、アレシアがつつがなく快適に日々を過ごせるよう心を配ることである。


「キヨ、程なくしてアレシア様がこちらにいらっしゃいます。おそらく陛下もご一緒でしょう。お茶は何をご用意するのか分かりますか?」


「はい。旅のお疲れを癒す為に慈母様には香草茶に蜂蜜を少々、陛下にはいつもの花茶をご用意致します」


「宜しい。陛下の侍従から本日陛下は少し目にお疲れのご様子が見られると報告がありました。セルジの薬湯も念のためご用意して差し上げなさい」


「かしこまりました」


 尼僧特有の膝を軽く折って胸の前で手を交差する仕草をして礼を取ってから、キヨはきびきびとした動作でお茶の準備を始める。


 実際指導してみるとキヨは中々優秀であった。飲み込みが早いし、機転も利く。できればこのまま後継者の侍女として指導してみたくなる人材だった。


 侍女の殆どは、中下級の貴族の娘が結婚前の行儀見習いと給料を持参金の足しにする目的を兼ねて宮中に上がった者だ。ローレッセン王の時代なら妾妃の座を狙って、という理由もあっただろうが、今の時代はそういった望みを持って侍女になるものはいないだろう。

 とにかく、侍女の殆どは既に婚約者がおり、皆二十歳になる前に辞めて結婚する。ベルタの様な古参の侍女は少ない。ありがちな事情としては、婚約者と死に別れた後新たな婚約者を得る事が出来ずに行き遅れてしまった者か、困窮する実家の事情で持参金を用意出来ずに結婚出来なかった行き遅れか、いずれにしても女の幸せから外れた者達ばかりである。

 ベルタはどちらかというと後者だが、侍女を続けてきたのはそれが大きな理由ではない。割合血筋の良い方から若いうちに辞めてゆく侍女の世界は、血筋よりも努力で上を目指せる他に類を見ない仕事場である。いわゆる職業婦人の自覚と誇りを持つベルタにとって、侍女の仕事は生き甲斐であった。その生き甲斐に気付く切っ掛けをくれたのがアレシアであったので、ベルタの気合いの入り方も半端ではなかった。

 やがて扉の向こうが騒がしくなり、その到着が告げられるとベルタは若い娘の様に胸を高鳴らせた。懐かしさと、次官としてかつての主を迎えられる誇らしさに上気した顔を一度しゃんと上げ、背筋をぴしりと伸ばしてから優雅に裾を摘んで膝を折り、深々と頭を下げた。



 

 一方、正妃候補の三名を迎える日を間近に控えて臣下達には静かに困惑と動揺の波が広がっていた。

 先日、王が朝議の終わりに宣言した言葉が波紋を呼んでいるのである。


「どの候補を選ぶかは、最終的に我に委ねられていたはずだ。いずれの姫君もそなた達が重要と目する条件において甲乙付けがたい。よって我は独自の選定基準を定める。公平を期す為に、その評価を下すための選定方法も全て我に委ねられたものとする。また、選定方法については全面的に慈母様にお任せするものとする。慈母様は公平な存在であるので、異論は無いはずだ。では、今日の朝議はこれで終了とする」


 正妃候補選定期間は二ヶ月、その間どのような課題を正妃候補達に課すかはその開始が間近になっても紛糾を極め、殆ど決まっていなかった。

 それぞれの姫君に得意な分野があり、少しでも所属する派閥の姫君に有利な課題にしようとした結果、準備に時間がかかる上予算も莫大になる大舞踏会、芸術披露会の他は何一つ決まっていなかった。

 もう準備の始まっている大舞踏会、芸術披露会は当初の予定通り行われる事になったが、王の宣言でそれらは選定基準に含まれない事になったようなものだ。

 王の宣言は全ての問題を解決する公平さを持っていたが、その代わり臣下の介入を最終段階の今に到って完全に拒絶した。そればかりか、重要な選定方法を今まで頑なに修道院から出てこようとしなかったご生母に任せるという。

 勿論、三人の内どの姫君が選ばれても表向き誰も文句は言えない。何故ならどの姫君も臣下が示した共通の王妃たるものに必要な条件を十分過ぎる程備えているからである。どの姫君を選ぼうとも、それは臣下の思惑通りなのである。

 それなのに何故、最終段階でこれ程強硬な態度を王が取ったのか。今まで一言も口を挟まなかっただけに、ある種の不気味さと不安を臣下達に抱かせていた。そして、その理由の分からない不安を振り払う様に慈母様に対する賄賂と間者の手配に奔走し始めた。



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