王と剣の師3
そろそろ時間だと、切り出した王にガッシュは急いで跪いた。
「陛下、一つ申し上げたきことがございます」
「良い、申してみよ」
「陛下は親衛隊を持つべきかと存じます。陛下には、陛下の目指す未来に賛同し、惜しみなく力を尽くす明るい瞳をした若者が必要です。親衛隊ならば出自は関係無く、陛下の望む者を採用出来ます」
王宮を守る兵を近衛兵と言う。そして王族が個人的に持つのが親衛隊である。
身分、実力ともに必要とされる近衛兵と違い、出自さえはっきりしていればなれるのが親衛隊の隊員である。普通なら王族と言葉を交わす事も出来ぬ身分でも、実力があって気に入られれば抜擢されるので、血筋の劣る者達にとっては最大の出世の道であった。
親衛隊の最大の特徴は、忠誠を誓う相手にある。通常近衛兵はじめ右軍、左軍に所属する騎士団は厳密に言えば王ではなく国に忠誠を誓う。
だが親衛隊は王や王族個人に忠誠を誓う。現在親衛隊を持つ事を許されているのは王であるエルドシールと、王后である前王妃シェゼールミーア、王の叔父に当たるサイゲル卿のみである。降嫁した王女は王族と見なされない。例えばシェゼールミーア王后の親衛隊は王の命令に従う義務は無く、王と王后が同時に命の危機に晒された場合も王后の命を優先して守ることが許されている。親衛隊は常に主人と行動を共にし、いわば護衛と侍従の役割を両方こなす。
しかし、実際に王宮にいる王族は王一人であったため、エルドシールは親衛隊を持たずに近衛兵を護衛として使っていた。親衛隊はいわば私兵であり、心理的に非情に懇意になり影響力を持つ可能性が高いため、宰相はじめ大臣達は王が親衛隊を持つことを当然ながら進めなかった。
そして周囲に親衛隊を持つ王族を知らなかったエルドシールはその本当の意味を知らず、特別欲しいとも思わなかった。親衛隊の給料は王個人の資産から支払うことになるので、近衛兵がいるのに無駄な出費をすることもあるまいと判断した次第である。
ちなみにエルドシールの個人資産は現在直轄領となっているラダトリア地方の税収から成り立っている。神殿や修道院への寄付、式典など特別な時の衣装以外の普段の服や細々とした私物を買う費用はここから出ている。勿論直轄領を治める為に殆どを使ってしまうので、王個人が自由に出来る資産は実はかなり少ない。では、ローレッセン前王はなぜ遊興に耽っていられたのか? 答えは簡単である。領地を治める為に使うべき金を私物化し、王の歓心を買いたい臣下からの貢ぎ物、いわゆる賄賂が大量に献上されたからだ。
その前王にガッシュが仕えていたのは、まだ王太子時代のことである。獅子王レッドガルドは長く嫡子に恵まれなかった。王妃との間にも五人の側室の間にも王女ばかりしか生まれず、ようやく第四側室に王子、後のローレッセン王が生まれた時、レッドガルド王は既に齢六十を越えていた。
その後、地方視察のおりにお手つきになった妾妃との間にも王子が生まれたが、母親は素性の知れぬ流れの民であったために最初から継承権が認められていなかった。これがサイゲル卿である。
レッドガルドは幾つもの改革を行って、国を豊かにする事に努めた。他国との外交にも積極的で時には戦争の仲裁を行い、友好国フェンリールが飢饉に見舞われた時は援助を惜しまず、内外の民に尊敬され愛された王だった。
一方、当時北の山岳地帯に生まれた新興国ユトの侵略行為に先陣を切って戦いに臨み、荒くれ者の山賊集団の様な敵のいわゆるゲリラ攻撃にもひるまず、勇猛果敢に闘った。そして十年余りをかけてユトを完全に滅ぼしたのである。
文武に秀でたレッドガルドは、赤い髪と瞳を持つその姿からゼッタセルドの赤獅子と呼ばれ、後に敬意を込めて獅子王と呼ばれるようになった。
その誉れ高き獅子王も、待望の王子にはただの親バカになってしまったようである。ローレッセン王は幼い頃から父に溺愛されて育った。父親譲りだったのは赤い瞳くらいのもので、柔和な容貌や栗色の髪は母である第四側室ゆずり、文武の才能も凡庸、と、偉大な王の跡継ぎとしては物足りない限りであったが、父である獅子王にはその頼りなさがかえって溺愛を助長させる種となったようである。
そんな目に入れても痛くない程の愛息の親衛隊隊員として、ガッシュは十八で獅子王に取り立てられた。剣をこよなく愛した獅子王の治世には、毎年大規模な剣の大会が行われており、ガッシュはその大会の一つで優勝したのである。
獅子王に目を掛けられ、次代の王の親衛隊隊員に抜擢されたガッシュは、間違いなく将来有望な出世頭であった。
ガッシュは当時十歳だった王太子に良く仕えた。我が儘にも根気よく付き合い、時には諌め、半ば守役のように仕えていた。言うなりにならないガッシュに時には癇癪を起こしながらも、王太子はそれなりにガッシュを慕っていた。獅子王もまた、自分では可愛さが先に立って叱れないためか苦言を言えるガッシュを信頼していた。
だが、王太子が十二歳になって間もなく獅子王が病で倒れた。獅子王は優秀であったがゆえに全ての政務を精力的にこなしていたため、瞬く間に全ての政務が滞って混乱に陥った。
そして動揺する宮中の隙を突いて入り込んだ刺客に王太子は狙われたのである。ガッシュは王太子を庇って刃を受け、瀕死の重傷を負ったのだ。胸の刀傷はそれほど深くは無かったが、左太腿に深く刺さったナイフには毒が塗られており、全身に毒が回ってまる三日意識が戻らなかった。
変色した左足は一時は切り落とさねばならないと医者が判断した程危機的状況であったが、生来の強い生命力ゆえか運良く一命を取り留めて左足の切断も免れた。
しかし、医者の見立てでは脚の機能は完全に回復しないだろうということだった。その話を聞いて誰よりもショックを受けたのは、ガッシュ本人ではなく王太子だった。
もう親衛隊の隊員は務まらない。任務を全うしての名誉除隊ではあるが、ガッシュの本来の血筋では再び王太子の傍近く仕えるのは無理であった。
見舞いに訪れた王太子は、未だ床から起き上がれぬガッシュを見て何も言わず、ただただ涙を流していた。そしてガッシュの傷も完全に癒えぬ内にあれほど壮健であった獅子王はあっけなく病に崩御し、王太子は十三歳で王位を継いだ。
ガッシュは思う。姿形は確かにエルドシールは獅子王に似ているが、ふとした瞬間に見せる繊細な優しさや寂しさを滲ませる立ち姿は父であるローレッセン王に似ている、と。
今でもガッシュの胸の中に生きるのは、国を傾けた暗愚なローレッセン王では無く、言葉も無く泣いていた今にも崩れ落ちそうな王太子の寂しげな姿だ。
もし、自分が怪我などせず、王となった後も仕え続けることが出来ていたら、かの方の運命を少しでも良き方に導くことが出来たかもしれぬ。そんな埒もないことを考えてしまう。
結局のところ、ガッシュは約五年かけて殆ど前と変わらぬほどの機能回復を果たしたのだが、その頃には王となったローレッセンはガッシュに見向きもせず、親衛隊に再び戻る事は無かった。数年間地方で国境警備隊として勤めた後、同じ親衛隊員だった男の紹介でガッシュは騎士院の教師になった。
教師という仕事は思った以上に性に合っており、いつしか自分の代わりに王に仕えてくれる優秀な親衛隊候補を育てたいという望みを持つ様になった。その願いはもう叶える事はできないが、その息子であるエルドシールならばまだ間に合う。親衛隊の隊員は単なる私兵として以上の意味を持つことが可能だ。そしてエルドシールには今、それが何より必要なものとガッシュは確信していた。
「親衛隊、か。そなたに息子があれば一も二もなく取り立てたであろう」
「生憎私は独身でございますし、これからも結婚の予定は無いでしょうな」
「何故結婚せぬ?」
「嫁に来てくれる者がおりませぬ」
これは嘘である。そろそろ老境に差し掛かる今でも縁談はたまに持ち込まれてくるが、ガッシュにはその気がなかった。
「そうか。では我は嫁に来てくれるという正妃候補達にせいぜい感謝することとしよう。親衛隊については、そなたがこれはと思う若者がいるならば推挙を許す」
王はあっさり引いて、ガッシュの願いを聞き届けた。
中、下級貴族にとって一度でも親衛隊に所属した男は家名の箔付けをする婿として申し分無いのだから、縁談が無いなどということはあり得ない。
聡い王がそれに気付かぬ筈も無いが、それを無理に聞こうともせずにさりげなく気付かぬふりをしてくれる。そんなとろころもあの方に似ていると、ガッシュは懐かしさに痛む胸に息を詰めて深々と頭を下げた。