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王と剣の師2

 エルドシールにとって王宮に迎えられ、与えられた仕事はまずは一にも二にも勉強だった。

 王に相応しい言葉遣い、王に相応しい立ち振る舞い、礼儀作法、教養、そして帝王学、数えるのも嫌になる程の量を教育担当となった典礼大臣の指示に従ってこなしてゆく。

 勉強そのものはグラスローに手ほどきを受けていたので、その量には嫌気が差したが抵抗は無かった。礼儀作法や宮廷の約束事などは理不尽さや疑問をとりあえず棚上げして、暗記に励んだ。芸術美術関係や舞踏に関しては気分転換の要素にもなったからそれほど苦にならなかった。

 そんなエルドシールがもっとも苦労したのが、言葉遣いである。

 それまで修道院で母をはじめ尼僧達の元、敬語を使う方の立場として育って来たのだから無理も無い。己自身は何も変わっておらず、何も敬われるべきことを成していないのにも関わらず、一夜にして使う立場から使われる立場に変ったのだ。

 エルドシールははっきりとは自覚していなかったが、生来生真面目な性格ゆえに、その事はエルドシールの心に大きな負荷となって積もっていった。


 その負荷から解放される一時が剣の稽古の時間だった。元は父の親衛隊隊員だったガッシュ・メルローを剣の教師としてくれたことに関しては、エルドシールは典礼大臣に心から感謝していた。

 夢中になって剣を振っているいる時は煩わしいことも、悩みも全て忘れてしまう事ができたし、ガッシュは王としてではなく一人の生徒としてエルドシールを扱ってくれたため、エルドシールも王ではなく一人の生徒としてガッシュを慕うことが出来た。

 騎士院の剣の課程を終了して会う事が絶えてから、エルドシールはどれほどガッシュの存在が自分にとって救いだったか思い知らされた。そして、ガッシュが教師としてとても誠実な人間だったということも、改めて知ったのである。



 ガッシュは大きな男である。背も確かに高いが、その存在感で更に一回り大きく見える。白髪の混じった茶色の剛毛を後ろに撫で付け、鋭い眼光と太い眉、厳めしい口髭と右頬の刀傷が歴戦の猛者の様な風格を醸し出していた。鍛えられた腕や脚は日に焼けて、鋼のように赤銅色に輝いている。



「ガッシュ、久しいな。あいも変らず壮健そうで何よりだ」


「有り難きお言葉でございます。陛下にもお変わりないご様子で何よりでございます。久し振りにこの老いぼれめと手合わせ下さりますかな?」


 深いしわを刻む様にして笑みを浮かべる剣の師に、エルドシールは少し躊躇ってから口を開いた。


「いや……今日は剣ではなく、言葉を交わす為に来た。付き合ってくれぬか」


「言葉、ですか。いやはや、このような老いぼれた無骨者に務まるかどうか定かではございませぬが、陛下のお望みならば否やはございません。

 では初等科の剣の授業でもご覧になりながらはいかがですか? 手を抜く事ばかりに頭を働かせる悪童どもには良い刺激になることでしょう」


 驚きながらも快く承諾してくれたガッシュと共に、剣の稽古場に向かう。この時間はどうやら初等科の生徒達が使っているようで、八歳から十歳までの小さな剣士達が基本の型をさらっているところだった。

 突然現れた国王の姿に、少しふざけた様な雰囲気が一瞬で消え、緊張した空気に変わる。担当の教師が挨拶に来ようとしたのをエルドシールは手ぶりで止めさせ、授業を続けるように促した。

 王の見学に張り切る子供達の姿を見てガッシュは愉快げに短く笑い、二人は壁際に並んで立ったまま暫くその様子を眺めた。




「ガッシュ、そなたは今幸せか」


ようやく話始めた王の最初の問いに、ガッシュは一瞬答えに詰まる。


「……は、それは……そうですな。剣を教えることは私の天職だと思っておりますし、今の生活には満足しております」


「我は……そなたの幸せに少しは貢献しているか?」


それは随分漠然とした問いであり、しかし恐らくそれが王の聞きたいことでは無いのだろう、もっと話したい事、おそらく悩みがおありなのだろうとガッシュは少し気を引き締めた。


「……はい。少なくとも私めは陛下が国王で良かったと思っております」


「そうか」


 微かに頷いたきり、エルドシールはまた沈黙した。ガッシュは辛抱強く次の言葉を待ち、やがてぽつりぽつりと再びエルドシールは話し始めた。


「我は……五年前初めて自分が王の子であると知らされ、王位に就けと言われたとき、それで内戦が終わるならば、と、承諾した」


 一度言葉を切り、ガッシュの様子をちらりとエルドシールはうかがう。


「……内戦で貴族達も多く命を落としたというが、彼らはまだ良い。彼らは彼らの正義と欲望の為に闘った末の死だ。しかし内戦に巻き込まれ、ただ運悪く村を、家を焼かれ、家族を殺され、血に酔った兵士に無惨に身体を蹂躙された娘達は……」


 苦しげな顔をして声を詰まらせる主君の話に、ガッシュは驚いた。王が稀に見る真っ直ぐで、不器用な程に真面目な性格と知っていたが、それは隔絶された修道院で現実を知らずに育ったゆえだと思っていた。だからこそ、王宮の陰謀と欲望の渦巻く環境に耐えきれるのかと心配もした。

 だが、当時十四の、出生を知らされたばかりで混乱しただろう少年が、傀儡の王となる事も、悲惨な民の現実と苦しみも承知の上で王になったとは。


「修道院は出来る限り傷付いた人々を受け入れたが、全てを救える筈も無い。心に負った傷に耐えきれず、助かった命を捨ててしまう者もいた。あんな悲しい出来事が我が王となることでもう起きなくなるのなら、それで良い。後は長く、王の椅子に座り続け、跡継ぎを残し……。そうすれば最低限の平和は保たれる。そう思っていた。

 だが、修道院に母を訪ねる度に耳にする民の苦しみは未だ尽きない。元の土地に戻り、生活を取り戻す為の支援策は取られている筈なのに、その成果どころか実施されたのかも定かではない。我がそれを糾弾しても、宰相も、大臣達も、書類を整えて、これこの通りちゃんと成果は上がっていると示すだろう。

 下手に騒げば勢力を争う者達の格好の餌になり、宮廷は泥仕合の混乱に巻き込まれる。そうなれば、民を思いやる僅かな余裕も臣下の者達は失ってしまうだろう。独自に調査をして証拠を集めようにも、我にはそれを可能にするだけの味方も力も無い……」


 淡々と、感情を抑えた声で語るエルドシールの声は、逆に激しい感情を隠している様に思われて、ガッシュは胸を突かれる想いがした。やはり王は、政治に興味が無いのではなかった。


「我が最低限の平和だと思っていた影で、民の戦いはずっと続いていた。それに気付いてから、ずっと傀儡の王を抜け出す方法を考え、切っ掛けを探していた。

 しかし、考えついた方法はどれも誰かを利用し、不幸を呼ぶものばかりだった。綱渡りのように人の心を読み、裏をかき、駆け引きと言葉の揚げ足取りで邪魔者を罠にはめる。そして少しずつ実権を我の手に集めてゆく。それには非情にならねばならぬ。綺麗事では政治は動かぬ、犠牲を払わねば何も得られぬ。分かっている。

 だが、我は……我の妻になる女を不幸にはしたくない」


 あぁ、これか。王の苦しみは。

 王の結婚は明らかな政略結婚だ。いずれの正妃候補も権力者縁の娘であることは、周知の事実。

 ガッシュにはどんな方法を王が考えたのか分からなかったが、それは王の生来の真っ直ぐさと優しさを酷く傷付けることだということは分かった。


「我の気持ちを、どうしたら正妃候補達に伝えられるだろうか? 我を信じてもらえるだろうか?」


 王は、王と結婚する事で権力争いに勝とうとする娘を真に家族とし、共に生きる伴侶としたいと本気で願っているのだ。その術を探しに、自分のところに来て下さったのだ。そう思うとガッシュはその信頼が、涙が出る程嬉しかった


「陛下。私は曲がりなりにも剣で身を立てて来ました。剣で打ち合い、その剣筋を見れば相手の人柄も分かるのです。陛下の剣にはいつも曇りが無い。真っ直ぐでひたむきな剣でした。

 ですから、分かる者には陛下の真のお心は分かっているでしょう。それでも今日、このように陛下の胸の内をお聞き出来た事はこの上ない喜びでございます。言わなくとも分かることもあれば、言わねば伝わらぬ事もございます。

 どうぞ、そのまま御正妃候補の皆様にお話なさいませ。

 陛下が何を思い、何を悩み、何を望んでいるのか、ありのまま、私に打ち明けて下さった様にお話しなさいませ」


 一瞬驚いた様にエルドシールはガッシュを見つめ、すぐに視線を稽古中の生徒達に戻して微苦笑した。


「……そなたも同じ様に言うのだな」


「は?」


「いや。我はずっと本心を悟られぬ様に仮面を被っていた。余りにも必死でそれを被り続けていたので、いつの間にか本心がなんだったのか自分でも見失っていたのやもしれぬ。そなたに話して、我は初心を思い出した」


 先程までの苦しげな様子は無く、何かが吹っ切れた様にエルドシールの瞳は生き生きと輝いていた。

 それをガッシュは見て安堵し、再び稽古風景に視線を戻した。


「ガッシュ、我は……いや、私は、ガッシュ先生の様な方が父なら良いのにと、一度ならず思っていました。

 ある人が私には何より素晴らしい誠実さがあると教えてくれたとき、思い出したのは先生のことでした。迷った時に話したいと思ったのも、先生でした。感謝しています」


 突然途中から言葉遣いを変え、まるで身分が上の人間に話す様に自分に話す王に心底仰天したガッシュは、ここが訓練場の片隅だと一瞬忘れて狼狽えた声で怒鳴った。


「へ、陛下っ! 私の心臓を止める気でいらっしゃいますか!」


「ありのまま打ち明けよと言ったのはそなたではないか。我の、素直な気持ちだ」


 言葉遣いを元に戻して今にも噴き出しそうな顔をしている王に、ガッシュは冷や汗をかきながら顔を引き攣らせた。


「いやはや、陛下がかくも物騒なお方だったとは……」


 ガッシュの怒鳴り声に何事かと驚いて一斉にこっちを見た生徒達と教師に、何でも無いと示す様に軽く手を振る。


「もう言わぬ。そなたにはまだ生きていてもらわねば困る。だが忘れてくれるな」


 笑いの気配を消して真面目な雰囲気に戻った王は、小さな声で、しかし重々しく命じた。


「陛下がそのように思っていて下さったとは……決して忘れませぬ」


「見ていてくれ。我は、きっと妃を幸せにする。民も、幸せにする」


 固い決意を秘めた王の言葉に、ガッシュは無言で頭を下げた。



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