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王と剣の師1

 誠実さを伝えると一言で言っても、それを実現するのはとても難しい。

 誠実さとは、積み重ねられた小さな行動と普段の何気ない会話の中で徐々に伝わるものであろう。口でいくら誠実を主張したところで、大した意味も無い。無実を訴える人がいたとして、それだけで誰がその人を無実と信じるだろう。無実を信じられるだけの人間関係があるか、もしくは証拠がなければならない。

 たった二ヶ月という限られた正妃選びの期間の中で、どれだけ誠実さを伝えられるのだろう。考えれば考える程分からなくなるようで、ならばとエルドシールは己の知る誠実な人間を訪ねてみることにした。




 王立騎士院は貴族の子弟に武芸を中心に政治学、経済学、外交術などを教える教育機関である。

 剣術の教授を二十年以上務める元親衛隊員ガッシュは、久し振りの教え子との再会に何時ものしかめっ面を忘れていた。

 ガッシュにとってエルドシールは仕えるべき国王である前に可愛い教え子であり、剣を通じて知った彼の不器用な程の真っ直ぐさをとても好ましく思っていた。

 

 ガッシュが初めてエルドシールに会ったのは、まだ王位につく前の十四の頃だった。王となる少年は曇りのない真っ直ぐな眼差しでガッシュを見詰め、緊張した面持ちでよろしくお願いしますと頭を下げた。一緒に来ていた教育係の大臣が慌てて臣下には頭を下げても、敬語を使ってもならないと強く諭した。

 叱られて戸惑った顔で立ち尽くしていた頼りなげな少年を、今でもガッシュは鮮明に覚えている。

 通常貴族なら八歳前後で剣を習い始める。十四で始めるということは、それだけで随分と遅れをとっていた。

 それを必死で挽回しようと真面目に取り組む姿はいじらしく、ガッシュもだからこそ手心を加えずに厳しく指導した。時には行き過ぎたかと自身でも思うほどの厳しい特訓にも、エルドシールは泣き言一つ言わなかった。無愛想で無口で、笑顔もほとんど見せない少年の瞳はいつも生き生きと輝いていた。剣の筋は数多い教え子の中でも中の上といったところだが、そのひたむきな努力と姿勢は文句なく一番の出来だった。


 王として恥ずかしくない程度に剣を使えるようになるまで約三年かかった。勉強と政務をこなしながらもほぼ毎日二時間の訓練を続け、いよいよ生徒を卒業する日のことである。

 王立騎士院の修了証と共に訓練用の刃を潰した剣ではなく実戦で使える剣を、王は典礼大臣から受け取った。

 最後にガッシュに対して労いの言葉を掛けた王は、ガッシュにだけ聞こえる様にこう言った。


「そなたとの剣の稽古はとても楽しかった。そなたは良い師であった。だが、今日この日から、我の剣は人を殺す剣となった。この剣が鞘から抜かれる日が来ぬよう、そなたには祈っていて欲しい」


 国を守る騎士として剣を握る者は、命の重さを知らねばならない。その意味ではエルドシールはガッシュにとって素晴らしい生徒であった。

 しかしこのように優しい性格では、どんなに強い心を持っていても宮廷では苦しむことになるだろう。真っ直ぐすぎるその気性は、その真っ直ぐさゆえにぽきりと脆く折れてしまいはしないか。もうこれからは簡単に会うことはかなわぬことになる王の進む暗く険しい未来を憂い、深く頭を下げたその陰でガッシュは涙を滲ませた。


 あの日からガッシュは王と会っていない。緩やかに悪化してゆく王の評判に不安を感じながら、何の力にもなれぬ己を悔しく思っていた。

 王は政治には御興味が無い。そう宮廷内では見なされていた。だがガッシュはそうは思わない。

 王はどの派閥の主張も平等に聞くが、徹底してどの派閥も優遇も冷遇もせず、口は出さないが中立を守り続けている。そのおかげで三つ巴の状態が続き、お互いを牽制して目に余る様な大きな悪事や不正は行われていない。また内戦の傷跡は宮廷内にもまだ色濃く残り、身内を殺された者と殺した者が近い立場に居る事も珍しくない。危うい綱引き状態でも一応の平穏があるのは、この王の態度のおかげとも言える。

 自ら積極的にご政務に関わろうとなさらない、と陰口を叩く者もいるが、それが許されぬ立場であると宮廷の誰もが知っている。王太子なら幼い頃から叩きこまれる帝王学も、まだ学び始めて五年では知識も経験も足りぬ。だからガッシュは、現状で取りうる最善の道を王は取っていると感じていた。


 だがしかし、そんな事情は民には関係が無い。

 ガッシュは下級貴族の出なので、割合平民とも交流があった。無償で町や村の自警団を指導したことも一度や二度ではない。そしてガッシュが目の当たりにしてきた民は打ち続いた内戦に疲れ切り、荒れた領土と貧困はエルドシールが王になってからほとんど改善されていないのが現状だ。一向に良くならない暮らしに民は希望を持てず、王を恨み始めていた。


 そんな中での突然の王の来訪である。

 ガッシュは何とか王の助けになれないか焦燥を感じながらも、久々の再開に喜びを隠せなかった。

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