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暗躍する神子2

 キヨがエルドシールの母アレシアに引き合わされてから八日後、早くもドールーズ伯爵家から迎えの馬車がやって来た。キヨは尚も不安を隠せず厳しい表情をしているエルドシールに、再び例の“神子の微笑み”を纏ってあの決め台詞を吐いた。そしてアレシアとしっかり手を握り合って見つめ合った後、迎えの馬車に乗って去って行った。


 エルドシールとアレシアは馬車を見送った後、修道院の中庭の隅で暫しの休憩を取った。この中庭は敷地の実に五分の四を占める広さで、この中庭を囲む様に修道院、孤児院、聖堂が建っている。何故これほど広大な中庭があるかといえば、それは自給自足の為の耕作地だからだ。日々の糧となる野菜や穀物、現金収入を得る為の商品作物を育てている。

 今日もせっせと作業に励む孤児達や尼僧達の姿を眺めながら、エルドシールはおもむろに切り出した。


「母上、本当に宜しいんですか? あれほど嫌がっておいでだったのに」


「エル、お前だから正直に打ち明けますが今でも嫌です。私にとって、王宮はとても恐ろしいところでした。今もやはり恐ろしい。そんな恐ろしいところにお前一人を置いておく事をとても辛く思っていましたが、共に来て欲しいと懇願するお前にどうしても頷けなかった。不甲斐ない母を赦して下さい」


「その様な事は良いのです。母上はいつも最善を尽くして我とレンカを守って下さった。それに母上はもう既に十分ご苦労なさった。あの頃我は何も分かってはいなかったのです。今は母上が願いを聞き届けてくれなかったことは本当に良かったと思っています。王宮で辛い思いをなさる母上の姿を見るのは辛い。やはり今回のことは考え直した方が……」


「いいえ、エル。私は目が覚めた思いです。恐ろしくて目を逸らしたとしても、その現実は無くなるわけではない。私は運命に翻弄され、何時もそこから逃げる事ばかりを考えてきました。お前達の事も、恐ろしいものから遠ざけよう、逃がそうとするばかりで、常に選択は消極的なものでした。ですがそれではいけないのだと、あの方が気付かせてくれました。エル、私の息子。お前には、真に人としての幸福を掴んで欲しい。その手助けが出来るなら、これしきの恐怖を乗り越えないで何が母親か」


 アレシアの力強い言葉にエルドシールの瞳に不覚にも涙が滲みそうになった時、不意に歓声が上がる。アレシアに気が付いた孤児が嬉しそうに手を振っていた。

 アレシアは降り注ぐ陽射しの中、眩しそうな顔をして笑い返し、ゆっくりと手を振った。その横顔の決然としていながら慈愛に満ちた表情を、エルドシールは何にも代え難く美しいと思った。


「母上……」


「大丈夫、あの方がついていて下さいます。これもキア神の思し召し。全ては神の御心のままに委ねましょう」


 キヨはおそらく母上に神子としてのキヨしか見せていないのだろう。それは母上が神子を利用したり、神子の存在に無責任に依存したりしないことを見越しての事だろう。

 こんなふうに全幅の信頼を寄せている母上を見るにつけ、素のキヨを知っている我としては少し複雑な気持なるが、それでもキヨには感謝をしたい。

 これ程晴れやかな母上の顔を見たのは初めてだった。もともと芯の強い人だったが、何時も何処か憂いを帯びて張り詰めた様な空気がつきまとっていたのに、今それが綺麗に払われている。

 我も母上に倣って子供達に手を振った。きっと我も今は晴れやかな笑みを浮かべられている筈だ。

 母上がキヨを信じたのだから、我も信じよう。

 キヨが我を信じてくれた様に、我も信じよう。





 一方、キヨを屋敷に迎えたドールーズは戸惑っていた。

 尼僧姿の娘のあまりにぱっとしない容貌に眉間に皺が寄る。黒い瞳は賢そうな光をたたえているが、顔立ちも不細工ではないが、まぁ有り体に言えば十人並みなのである。

 予想外に良かった事は、流暢に述べられた挨拶と養女に迎えてくれた事への感謝の言葉くらいだった。南からの流民だというが、元は貴族階級かそれに仕える家柄の出身かもしれぬと思った。

 とりあえず用意しておいたドレスに着替えるよう指示したところ、早くも大問題が二つ発覚した。

 まず目についたのは額に巻かれた包帯である。頭巾に隠れて分からなかったが額には大きな傷跡があるので、こうして隠しているという。更に髪が短過ぎる。

 黒い艶やかな髪は美しかったが、貴族の娘がする髪型を維持するには圧倒的に短い。肩より少し長いくらいの髪の女など、平民でもまずいない。しかもこの国では黒髪は珍しいので付け毛を調達するのは困難だ。しかし入手不可能ではないから、とりあえず髪の長さはどうにか誤魔化せるだろう。だが額の傷はどうにも隠しようがなかった。侍女の服装には一定の決まりがある。ドレスは無地の落ち着いた色合いのもの、髪型はきっちり結い上げて仕事の邪魔にならないもの、そして宝飾品の類いは一切禁止である。

 たとえば飾り布や額飾りなどで額を隠すことも出来ないのである。


「私は慈母様の侍女として王宮に上がりますし、尼僧見習いであることは宰相様もご存知です。ですから尼僧の服装でも構わないと思うのですが、いけませんでしょうか? 額も自然に隠れますし」


「それではいかんのだ!」


 珍しく焦ったドールーズは、イライラと部屋の中を歩き回りながらもう少しましな人選をしろと内心でエルドシールに悪態を吐いた。

 いくらなんでも尼僧姿の娘に手を出すのは外聞が悪過ぎる。だが、正妃候補を差し置いて寵愛を受けていると納得させるには既成事実がどうしても必要だ。


「とにかく額の傷を見せて見なさい。化粧で隠せるかもしれない」


ドールーズが言うと、娘は明らかに困った顔をして口を引き結んだ。


「どうした? 書類上とはいえ私は父だ。恥ずかしがることもなかろう、見せてみなさい」


「では……人払いをお願いします」


 よっぽど額の傷を見られるのが嫌なのか、娘は固い表情で俯いた。仕方あるまいと、ドールーズは娘の身なりを整えさせた女中達を下がらせた。


「エルドシール様に、どうしてもの時はドールーズ様一人にお見せする様にと言われておりました。どうか驚かれませぬよう……」


 そんなに酷い傷なのかと渋い顔になるドールーズの前で、娘はもどかしい程ゆっくりと包帯を解いた。取り払われた包帯の下から現れた涙型の宝玉に、ドールーズは今までの人生の中で最も間抜けな顔をして絶句した。

 そして天啓のようにエルドシールに先日聞いた秘された祭祀の事を思い出す。


 あれは神子召還の事だったのか!

 何という事だ、神子などというものが現実に存在するとは!

 いやいやいや、冷静になれ。まがい物かも知れぬではないか。このようなこと到底信じられぬ。


 そう思ってその涙型の宝玉に触れてみた。娘は大人しくドールーズのされるがままになっている。思い切って力任せに引っ張ってみたが、その宝玉はしっかりと娘の額に根を降ろしている様でびくともせず、痛みに娘が小さく悲鳴を上げた。と同時に、バシッと強力な静電気の様な衝撃が走り、ドールーズは反射的に手を引っ込めた。これは間違いない、と瞬間的にドールーズは納得した。


「素晴らしい……!!」


 思わずドールーズは叫んだ。それならば話は違って来る。神子であれば正妃に立てることも可能だ。いや、神子を差し置いてだれが正妃に立てるというのだ。しかも最も尊ばれている初代神子と同じ宝玉の神子だ。宝玉と、その力を示せば誰も反対は出来まい。

 とにかく既成事実など無い方が逆に神性を保てて良いし、神子であることはぎりぎりまで知られるのを避けた方が良い。だとすれば尼僧衣姿でも全く問題は無い。いや、むしろその方が都合が良い。

 なんという隠し球か。これほどの切り札を陛下が隠し持っていたとは!

 これ以上を望めない程の娘の出現に、ドールーズはらしくもなく喜びも露に娘の手を取った。


「私が神子だということは、知られたくないのです」


 先程までは取るに足らない娘にしか思えなかったが、良く見れば中々味のある顔をしているし、真剣な表情は大変賢そうだとドールーズの中でキヨに対する評価はうなぎ上りに急上昇した。普段のドールーズならもう少し冷静だったろうが、一度落胆していただけにキヨが神子だったという思いもよらない僥倖に冷静さを欠いていた。


「言われずとも心得ている。いや、心得ておりますとも、神子様! 仮そめとはいえ神子様の父になれるとは、ドールーズ伯爵家末代までの誉れでございます」


 ちゃんとキヨの意思確認をしなかったのは一生の不覚であったと、後にドールーズは苦笑とともにこの一件を振り返る事になる。

 少し時を遡ればグラスローも同じ様に誤解して大喜びしていた。やはり神子は我らをお見捨てにはならなかった、と感激の涙を流したとか流さなかったとか。



 キヨもエルドシールも嘘は何一つ吐いていない。ただ言わなかっただけである。



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