第4章 批判と検討――バグ説の可能性と限界
4-1. 検証不能性
救世主出現急制動が本当に仮想現実の修正プログラムかどうかは、検証がほぼ不可能に近い。歴史や宗教史の視点では、救世主のカリスマ性や偶然の巡り合わせ、社会の飢餓・混乱などから自然発生的に生まれたと説明されるし、心理学的には、大衆の集団意識が指導者を“救世主”と崇めるプロセスに“超自然的介入”は要らない。故に、バグ説は一つのオカルト的可能性に留まる。
4-2. 宗教・神秘主義との整合
救世主が“神の子”や“天からの使者”として描かれる伝統宗教にとっては、シミュレーションの上位存在が“神”と同義だとも言える。従来の神学では救済を神の意志と捉え、仮想現実論の視点では“プログラム管理者の意思”とみなすだけで大きな違いはない。すなわち、救世主の正体が「バグ修正パッチ」でも、宗教的解釈とコンフリクトしない可能性がある。むしろSF的神学という形で折り合いを付けられるかもしれない。
4-3. ロマンと警告
仮想現実論のバグ解釈は、荒唐無稽に見えるが、一方で人々に“世界が単なる自明の実在ではないかもしれない”“歴史の大逆転を救う存在がプログラム的に投入されるかもしれない”といったロマンや希望を与える。しかし、現実問題としては、人類自身が自らの行動を正さなければ待ち受ける破局を回避できないという警告とも読める。上位存在がいつも修正してくれるとは限らないし、そもそもが仮説に過ぎないからだ。




