第8話「逃亡者と影の王」
夜の街に、影がふっと解けるように浮かび上がった。
氷室、彩花、城ヶ崎の三人が姿を現したのは、
都心から少し離れた廃ビルの屋上だった。
都会の喧騒はここまで届かず、
吹き抜ける風が遠くのネオンを揺らすだけ。
氷室はひざに手をつき、荒い呼吸を整える。
「……これが……影の転移……
胃が裏返るかと思ったぞ……」
城ヶ崎は淡く笑った。
「慣れれば何ともありません。
影に飲まれる感覚にもいずれ慣れますよ」
氷室は顔をしかめる。
「慣れたくねぇよそんな感覚……」
彩花は兄に寄り添いながら、不安げに城ヶ崎を見る。
「城ヶ崎さん……
私たち……これからどうなるの……?」
城ヶ崎は一度夜空を見上げてから、
静かに答えた。
「氷室と彩花さんは、
“行方不明扱い”になるはずです。
今日の現場ではあなたたちの足跡が急に途切れた。
警察は“神隠し”か“誘拐”として捜査を始める」
氷室は舌打ちした。
「梶原には悪いが……
戻るわけにもいかねぇ」
「戻れば拘束されます。
そしてあなたの“影の力”は、
国に管理されるでしょう」
氷室は苦笑を漏らす。
「俺が……国の兵器になるってか」
「そうなります。
影の継承者は、
国家レベルでは“脅威”でしかありません」
風が強く吹き、
三人の影が揺れた。
◆
氷室はポケットからスマホを取り出そうとした。
しかし──
画面は完全に黒く染まり、
触れても何も反応しない。
城ヶ崎が少し申し訳なさそうに言った。
「影の領域に入ったせいで、
あなたが持っていた電子機器はすべて……
“死にました”。
影の波形と現代電波は相性が悪いんです」
「……最悪だな」
「最悪ではありません。
あなたの位置情報が追跡されないのですから。
逃亡者としては利点ですよ」
氷室は頭を抱える。
(なんだこの理不尽……
一般市民から見れば俺は行方不明、
警察から見れば逃亡者……
しかも影の力のせいで電子機器が全部破壊……
笑えねぇ……)
そのとき。
城ヶ崎の影が氷室に触れた。
氷室はビクリと肩を揺らす。
「おい、近づけるなって言ったろ!」
城ヶ崎は首を振った。
「あなたの影が、私に接触しろと要求しているだけです。
私はもうあなたの“従属影”。
私の影はあなたの影の命令で動く」
氷室の顔が引きつった。
「従属って……
それ、言い換えれば……
お前が俺の……部下?」
城ヶ崎「……はい」
氷室「……いやそれは無理があるだろ」
城ヶ崎「事実ですので」
氷室は頭を抱える。
彩花はくすっと笑った。
「お兄ちゃん、なんか……
城ヶ崎さんと夫婦喧嘩みたい」
氷室「やめろ! 変なこと言うな!」
城ヶ崎「…………」
氷室「黙って頬を赤くするな!!」
彩花「図星なんだね」
氷室「余計なこと言うな!!」
◆
そんな小さな安堵の空気が流れた後──
城ヶ崎の影が急に硬直した。
氷室は瞬時に表情を引き締める。
「来たか?」
城ヶ崎が頷く。
「警察の“特殊追跡班”が動きました。
あなたの失踪は重大案件。
捜査一課だけでなく、公安、内調も動いています」
彩花が震える。
「お兄ちゃん……そんな……」
氷室は彩花の頭を撫でた。
「大丈夫だ。俺は捕まらない。
お前は俺が守る」
彩花の瞳が潤む。
城ヶ崎が静かに告げる。
「そして……
警察より厄介な存在も動き出しました」
氷室は城ヶ崎の表情から“ただ事ではない”と察する。
「厄介って……影の追跡者のことか」
城ヶ崎は頷いた。
「はい。
あなたが“影の王の力”を完全継承したことで、
世界の“向こう側”が気付きました。
捕食者以外にも……
こちらに侵入しようとしてくる“異形”がいます」
氷室の眉間に皺が刻まれる。
「つまり……
俺たちは警察から追われ、
異形にも追われるってわけか」
城ヶ崎「そうなります」
氷室「……なんだよそれ
バランス悪すぎんだろ」
城ヶ崎「世界のバランスなど、元から幻想です」
氷室「さらに言い切るな!」
彩花が不安げに尋ねる。
「じゃあ……
お兄ちゃん……
どこに行けばいいの……?」
城ヶ崎は静かに答えた。
「氷室が影を制御できるようになるまで、
“隠れ家”が必要です」
氷室は聞き返す。
「隠れ家?」
城ヶ崎は頷いた。
「影の継承者が歴代利用したと言われる場所。
日本に三つだけ存在します。
その一つが──」
言葉が切れる。
影がざわめき、
空気が震えた。
城ヶ崎が即座に氷室の前へ出る。
「まずい……!
“影狩り(シャドウハンター)”が来る!!」
氷室は息を呑む。
「影狩り……?」
城ヶ崎は振り返った。
瞳が緊張で鋭く光る。
「あれは……
影の力に対抗するために生まれた
“人間側の異能者部隊”。
氷室、おそらく狙いはあなた……!」
ビルの縁に、人影が立っていた。
月明かりの下、
白いコートが風になびく。
人影はゆっくりとこちらを見た。
氷室の胸が一瞬止まる。
(……あいつ……どこかで……)
風が吹いた。
白いコートの男が低く呟く。
「氷室亮介──
影の王、拘束する」
そして──
男の背後に“白い影”が伸びた。
城ヶ崎が叫んだ。
「氷室、後ろへ!!
あれは影を“斬る者”!!
影狩りの精鋭──
《白刃》!!」
氷室の戦いは、
まだ始まったばかりだった。




