第2話 「揺らぐ証言」
翌日の朝、裁判所の廊下には、
昨日の事件が“なかったこと”のように
いつも通りの空気が流れていた。
職員たちは資料を抱えて移動し、
弁護士たちは携帯で依頼人と話しながら足早に歩く。
城ヶ崎悠は、
その喧騒のすべてを“別の世界の音”として聞いていた。
周囲と同じ速度で歩きながらも、
彼の思考だけは静かに沈んでいた。
(昨日の……感覚)
倉庫の奥で、男が最後に見せた表情。
恐怖でも、後悔でもない。
もっと別の何か──
自分が理解できない種類の色。
悠は歩みを止めかけた。
だが、次の瞬間にはいつもの冷静さを取り戻していた。
「裁判長、おはようございます」
若い書記官の声が近づいてくる。
悠は軽く会釈を返した。
「昨日の件、少し気になることがありまして……」
「昨日?」
「はい。被告側の証人が、出廷予定でしたが……連絡がつかなくなっていると」
悠の指先がわずかに止まった。
書記官は続ける。
「失踪というわけではなさそうですが。
単に“行方不明扱いにするには早い”という判断みたいです」
悠は静かに頷いた。
(またか……)
だが彼の表情に変化はない。
書記官が気づくことはない。
「予定通り進めましょう。
証人がいなければ、記録を基に判断するだけです」
悠は淡々と言った。
その声は、波が凪いだ水面のように揺らぎがない。
書記官は少し不安そうに眉を寄せたが、
最終的に頷いた。
◆
開廷すると、昨日の弁護士が
さらに顔色を悪くして立っていた。
証言者の不在を埋めるように
必死に弁護を続けているが、
言葉はどこか上滑りしていた。
(彼の焦りは……“罪悪感”か?)
悠は訴状を読みながら考える。
昨日感じた“ざわつき”は、
どうやら彼の側にあるらしい。
弁護士の声が震えていた。
まるで彼自身が有罪を認めているかのように。
「……以上が、被告の無実を示す証言……に……なります」
言葉は途中で途切れ、
彼の目が揺れた。
その瞬間、悠は悟った。
(彼は……知っている)
証人が“どうなった”のか。
それだけではない。
もっと深い、抜け出せない闇を。
悠の胸の奥で
昨日と同じざわつきが、
より大きく、重たく響き出した。
「裁判長、質問を──」
検察側の言葉に遮られ、法廷は一気に緊張する。
悠は裁判官席から静かに告げた。
「……弁護人。
あなたは本当に、証人の所在を知らないのですね?」
法廷の空気が凍りついた。
弁護士が短く息を呑む音が、
傍聴席にも届いた。
「し……知りません」
「そうですか。では続けましょう」
それだけで済む話のはずだった。
しかし──
弁護士は目を逸らした。
小さく、震えるように。
(やはり……)
悠は内心で確信を強めた。
だが表情は微動だにしない。
◆
夕方。
裁判が終わり、悠は書類の整理を終えて帰路についた。
裁判所を出ると、
秋の風が頬を撫でる。
夜が近い。
その気配を感じた瞬間、
悠の背の奥に、かすかな重さが落ちてきた。
(今日は行かない)
そう決めていたはずだった。
昨日の“ざわつき”を鎮める必要がある。
無闇に夜を歩くべきではない。
理性はそう告げている。
……にもかかわらず、
足はまた、裁判所とは別の方向へと向かっていく。
(……なぜだ?)
自分でも理由がわからなかった。
しかし、胸の奥で
“微かな声”のようなものが響く。
──まだ終わっていない。
夕陽が沈み、街灯が灯る。
風が吹き抜けるたび、
どこか遠くの音が静かに揺れる。
悠は歩みを止めず、
路地へと消えていった。
◆
そのころ、警察署では
刑事・氷室が机に資料を広げていた。
疲れを隠そうともせず、
目の下には深いクマがある。
「今回も、足跡ひとつ残っていませんでした」
部下が肩をすくめる。
「……そんなこと、あるかよ」
氷室は低く呟き、資料に目を走らせる。
やはり、奇妙なほど同じ特徴を持つ。
消えた人間、消えた痕跡、
そして──
どの事件にも“静寂”がある。
「次は、必ず捕まえるぞ」
氷室は資料を握りしめた。
整然とした捜査資料の中に混ざる、
一枚の写真に視線が落ちる。
そこには、昨日姿を消した証人の名前があった。
氷室の眉が動く。
「……裁判関係者か。
また妙な一致だな」
彼は深く息を吸った。
(この街で、何が起きている……?)
氷室の疑念はまだ弱く、
しかし確実に芽生え始めていた。
夜の始まりを告げるサイレンが
遠くで鳴り響いていた。
────────────────────────




