第5話「継承」
意識がゆっくりと浮かび上がる。
氷室は、深い水底から引き上げられるような感覚に襲われた。
耳鳴りが続き、身体の輪郭が曖昧だ。
(……ここは……)
目を開くと、
そこは“現実の家の内部”ではなかった。
黒と白がねじれたような、
空間そのものが歪んだ異界。
床も壁も天井も存在せず、
代わりに“影の波紋”が海のように揺れている。
その中心に、城ヶ崎が立っていた。
氷室は叫ぶ。
「城ヶ崎! 無事なのかッ!?」
城ヶ崎は微笑んだ。
だが、その姿ははっきりしない。
輪郭が揺れ、透け、影と一体化しかけていた。
「ここは……“影の核領域”。
私と捕食者が繋がっていた場所……
そして今、あなたも入ってきた」
「ここに来たってことは……
俺、まだ死んでないんだよな?」
「ええ。
あなたは生きている。
ただ──
“普通の生き方”には戻れない」
氷室は苦笑した。
「さっきもそんなこと言ってたな」
城ヶ崎はゆっくりと氷室へ歩いてきた。
足音はなく、影の海に波紋だけが広がった。
「氷室……
あなたは私の影の“核”を受け取った。
あなたはもう“影の継承者”。
つまり──
影を統べる新たな王」
氷室は目を見開く。
「……冗談だろ。
俺がそんな器に見えるか?」
城ヶ崎は静かに首を振る。
「器は、必死で誰かを守ろうとした瞬間に生まれる。
あなたが私を救おうとしたあの一歩……
あれは、人間にはできない覚悟だ」
氷室は不器用に顔をそむけた。
「……ただ、見てられなかっただけだ。
お前が消えていくのを」
城ヶ崎は小さく笑う。
「ありがとう。
でも──時間がない」
影の海が波立ち、
空間全体が軋んだ。
「捕食者がこっちに来てる……!」
遠くから“世界を削る音”が響く。
耳を直接削り取られるような不快な音。
氷室は構えようとしたが、
城ヶ崎が手で制した。
「あなたはまだ影の力を扱えない。
だから……私が最後に教える。」
城ヶ崎は氷室の胸に手を当てる。
「影は“恐怖”でも“憎悪”でも動かない。
影を動かすのは唯一つ──
守りたいものへの執念」
氷室の胸に白い光が灯る。
視界に城ヶ崎の過去の記憶が流れ込んだ。
・影を得た日の苦痛
・人格が分裂する恐怖
・事件の連続に追われ、疲弊しながらも人を救おうとした決意
・そして──
氷室と彩花を救った夜の光景
氷室は拳を握る。
「城ヶ崎……
お前……こんな地獄みたいな力で……
ずっと戦ってたのか……」
城ヶ崎は微笑む。
「もう一人じゃない。
これからは、あなたが継ぐ」
その瞬間、空間が破裂した。
捕食者が現れた。
巨大でもなく、怪物的でもなく、
ただ“黒い縦の裂け目”が空間に立っているだけ。
しかし──
その存在は“世界の形”を食い潰していた。
影の海が吸い込まれ、
音も形も概念も飲み込まれる。
城ヶ崎の声が震えた。
「氷室……
最後の指導だ……
“意志”を持て。
それだけで影は形を取る」
氷室の胸の光が強くなる。
捕食者がこちらへ近づく。
空間が削れ、
城ヶ崎の足元が崩れる。
城ヶ崎の身体が落ちかけた瞬間。
氷室が手を伸ばし、
城ヶ崎の手首を掴んだ。
城ヶ崎は驚いたように目を見開く。
「……氷室……!」
氷室は叫ぶ。
「教えるだけ教えて消えるとか許さねぇ!!
最後まで一緒に戦え!!」
「でも……!」
「俺がお前を救うって決めたんだよ!!
王とか継承者とかどうでもいい!!
お前はまだ死んでない!!!」
その叫びに呼応するように、
氷室の胸の光が爆発的に輝いた。
影の海が反逆するように盛り上がり、
捕食者へ向かって津波のように溢れ出す。
捕食者が初めて“後退した”。
城ヶ崎は震える声で呟いた。
「……馬鹿な……あなた、もう……
影の形を……!」
氷室は歯を食いしばり、前へ踏み出す。
「行くぞ、城ヶ崎!
お前を喰おうとするヤツを……
俺がぶっ潰す!!!」
影の海が氷室の後ろで巨大な翼のように広がる。
捕食者が牙を剥き、
空間そのものを裂きながら突進してくる。
そして──
二つの存在が激突した。




